2013-04-27 (Sat)✎
『日本百景』 春 第63回 大峰・奥駈 その1 〔奈良県〕
奥駈道は大峰の深い山なみを
見ながらゆく一級の登山道だ
見ながらゆく一級の登山道だ
この項目では、修験者が“行”をまっとうする為にに駈ける道として名高い『大峰・奥駈道』を歩いてみよう。 このコースを歩くにあたってまず考えねばならぬ事は、登山口の《洞川温泉》へのアプローチであろう。 だが、交通機関利用となると、近鉄下市口駅発の最終バスは17時台とちょっと“早じまい”だし、タクシー利用だと8500円強と思わぬ散財になる。
着いた《洞川温泉》であるが、旅館の建ち並ぶ温泉街で気安くテントを張れる雰囲気ではない。
着いた《洞川温泉》であるが、旅館の建ち並ぶ温泉街で気安くテントを張れる雰囲気ではない。
旅館宿泊となると、タクシー代に加えての散財となる。 “ならば、マイカーで”という手段もあるが、これも《両刃の剣》なのである。
マイカー利用でアプローチすると、初日の問題点は全てクリアー(もちろん、駐車場にて車中泊である)できるが、帰りに大回りをして車を回収しにこなければならなくなるのだ。 ワテは後者の“マイカー”を選択したが、こればっかりは各自の判断に委ねたいと思う。
大峰・奥駈道縦走ルート 行程図
行程表 駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 大阪・阿部野橋駅より鉄道(1:15)→下市口駅よりバス(1:30)→洞川バス停
《1日目》 大阪・阿部野橋駅より鉄道(1:15)→下市口駅よりバス(1:30)→洞川バス停
(0:15)→稲村ヶ岳登山口(2:20)→山上辻(0:50)→稲村ヶ岳
(1:30)→山上ヶ岳(0:55)→小笹ノ宿跡
《2日目》 小笹ノ宿跡(2:00)→大普賢岳(2:45)→行者還岳(2:00)→石休場ノ宿跡
(1:00)→聖宝ノ宿跡(1:00)→弥山小屋
《3日目》 弥山小屋(0:35)→大峰・八剣山(2:00)→舟ノ垰(3:50)→釈迦ヶ岳
《2日目》 小笹ノ宿跡(2:00)→大普賢岳(2:45)→行者還岳(2:00)→石休場ノ宿跡
(1:00)→聖宝ノ宿跡(1:00)→弥山小屋
《3日目》 弥山小屋(0:35)→大峰・八剣山(2:00)→舟ノ垰(3:50)→釈迦ヶ岳
(1:00)→太古ノ辻(1:50)→前鬼
《4日目》 前鬼(0:40)→林道ゲート(0:30)→不動七重ノ滝展望台
《4日目》 前鬼(0:40)→林道ゲート(0:30)→不動七重ノ滝展望台
(1:20)→前鬼口バス停よりバス(2:25)→大和上市駅より鉄道
(1:20)→大阪・阿部野橋駅
《1日目》 洞川温泉より稲村ヶ岳・山上ヶ岳へ
さて、出発しよう。 バス停と無料の駐車場のある温泉街入口より約7~800m歩くと、大峰山の湧き水で名水としても名高い『神泉洞』がある。 この辺りに稲村ヶ岳への登り口がある。
さて、出発しよう。 バス停と無料の駐車場のある温泉街入口より約7~800m歩くと、大峰山の湧き水で名水としても名高い『神泉洞』がある。 この辺りに稲村ヶ岳への登り口がある。
ここから、樹林帯の中に向かって緩やかに登っていく。 緩やかな傾斜を登りきると土手の上を歩くようになり、程なく《五代松母公堂》の奥宮が現れる。 これを突き抜けると、この神社の“御神体”ともいえる《五代松鍾乳洞》がある。 鍾乳洞を過ぎると、程なくもう一つの登山口からの道と合流する。
ここからは、樹林帯の中の道が続く。 足場はしっかりして歩きよいのだが、景色は樹木に遮られて退屈な道だ。 途中で沢を二度跨ぐと、馬の背のような伝い尾根の上に出て視界が一瞬開ける。
ここは《法力峠》と呼ばれている所で、ここから尾根のたわみを伝って隣にそびえる稲村ヶ岳へと登っていくのである。
ここからは、樹林帯の中の道が続く。 足場はしっかりして歩きよいのだが、景色は樹木に遮られて退屈な道だ。 途中で沢を二度跨ぐと、馬の背のような伝い尾根の上に出て視界が一瞬開ける。
ここは《法力峠》と呼ばれている所で、ここから尾根のたわみを伝って隣にそびえる稲村ヶ岳へと登っていくのである。
大きく迂回するように峠をたわんでから、徐々に稲村ヶ岳に向かって高度を上げていく。
やがて、“待ってました”とばかりに程よく現れる水場で喉を潤し、《高崎横手》と呼ばれる緩やかな登りをつめていくと、山小屋の建つ《山上辻》に登り着く。 ここに荷物を置いて、稲村ヶ岳を往復しよう。
小屋の前を通り、樹木の中を登っていく。 しばらく登ると、ほとんど傾斜のない道が続く。
道が正しいのか不安になるが、一本道なので突き進んでいこう。 やがて、大きな岩の基部を巻くようになり、これを越えると《大日キレット》である。 ここから大日山への登路が分かれるが、この道は鎖場の続く“エキスパート”向けの道なので、自重した方が賢明だ。
足場はしっかりしているものの、鋭く切れ落ちた《大日キレット》を右下に望みながらだとやはり緊張する。 これを越えると、稲村ヶ岳の最後の登りに差しかかる。 ここはちょっとした鎖付きの急傾斜で、雨でも降って足場が濡れているようだと、下りで鎖を頼らねばならないかもしれない。
小屋の前を通り、樹木の中を登っていく。 しばらく登ると、ほとんど傾斜のない道が続く。
道が正しいのか不安になるが、一本道なので突き進んでいこう。 やがて、大きな岩の基部を巻くようになり、これを越えると《大日キレット》である。 ここから大日山への登路が分かれるが、この道は鎖場の続く“エキスパート”向けの道なので、自重した方が賢明だ。
足場はしっかりしているものの、鋭く切れ落ちた《大日キレット》を右下に望みながらだとやはり緊張する。 これを越えると、稲村ヶ岳の最後の登りに差しかかる。 ここはちょっとした鎖付きの急傾斜で、雨でも降って足場が濡れているようだと、下りで鎖を頼らねばならないかもしれない。
しかし、登りでは、鎖を必要としなくても登れるだろう。
この鎖場を登りきれば直角に右に折れて、樹木の中を20mばかり登りつめると、狭い頂上に大きな展望櫓が乗っかる稲村ヶ岳 1726メートル 頂上だ。 この大きな人工構造物のせいかもしれないが、あまり感慨が湧いてこない。 まぁ、私の登った時は、雨天だったから仕方のないのかもしれないが。
この鎖場を登りきれば直角に右に折れて、樹木の中を20mばかり登りつめると、狭い頂上に大きな展望櫓が乗っかる稲村ヶ岳 1726メートル 頂上だ。 この大きな人工構造物のせいかもしれないが、あまり感慨が湧いてこない。 まぁ、私の登った時は、雨天だったから仕方のないのかもしれないが。
帰りは往路を忠実に戻ろう。
《山上辻》に戻ってデポった荷物を回収したなら、大峰山系の主峰・山上ヶ岳へ向かう。
枯葉に埋もれる道を大きく上下すると、“ついに”《レンゲ峠》にやってくる。
枯葉に埋もれる道を大きく上下すると、“ついに”《レンゲ峠》にやってくる。
性差別か 古来よりの掟か
論争渦巻く『女人結界門』
論争渦巻く『女人結界門』
何が“ついに”であるのかというと、これより先は《大峰山寺》の支配する山域で、修験の法により『女人禁制』となっているのである。 峠には『女人結界門』なる木の鳥居と、《大峰山寺》の設置した日本語と英語の警告看板が立てかけてあった。 私は宗教には全く興味がないし、これが性差別なのかもよくは解からないが、“郷に入れば郷に従う”べきなのであろうと思う。
『女人結界』の門をくぐると、修験の山らしく迫り立つ岩の直登となっていく。 ルンゼ状に掘られた岩の間を立てハシゴを交えて登っていく。 これを喘ぎながら登りつめると、山上ヶ岳の肩で大峰本山直進ルートと合流する。 右へ行けば山上ヶ岳の頂上と大峰山寺へ、左へ行けば宿坊と《西ノ覗》などの行場である。
『女人結界』の門をくぐると、修験の山らしく迫り立つ岩の直登となっていく。 ルンゼ状に掘られた岩の間を立てハシゴを交えて登っていく。 これを喘ぎながら登りつめると、山上ヶ岳の肩で大峰本山直進ルートと合流する。 右へ行けば山上ヶ岳の頂上と大峰山寺へ、左へ行けば宿坊と《西ノ覗》などの行場である。
山上ヶ岳山頂に広がるお花畑
まだ花期には早くササ原であった
まだ花期には早くササ原であった
肩の分岐から左へ一投足で、“お花畑”の石標が立つ山上ヶ岳 1719メートル の頂上だ。
開花期であれば、笹に覆われた草原にシャクナゲやオオヤマレンゲが鮮やかな彩りを添えるのである。
山頂からのスロープを下ると、《大峰山寺》の総本山が建立されている山門に入る。
毎年、5月の第1日曜日に総本山の御本尊開きがあるので、この時期になると白装束に釈丈片手の熱心な門徒衆を見かける事だろう。 なお、御本尊の扉開きの日とその前日は、《大峰山寺》の宿坊には門徒関係の予約者以外は宿泊不可との事である。
一心不乱に念仏を唱える男達
大峰山寺にて
このような訳もあり、今日の宿泊地は山上ヶ岳より45分ほど先の《小笹ノ宿跡》にしようと思う。
ここは、清流の沢が流れるキャンプの別天地だ。 また、建付け状態のすごぶる良い避難小屋もあるので、これの利用もいいだろう。 今日は早めに休んで、明日からの長丁場に備えよう。
こんな情景を見る為に
今日はひたすら歩こう
《2日目》 大普賢岳・行者還岳を経て弥山頂上へ
この日の行程を歩く前に、まず頭の整理をしなければなるまい。 それは、この行程が徹底的に長い・・という事である。 山岳ガイド等が記する8時間強の歩行時間では、たとえ空身でも到底たどり着けそうにないのである。
この日の行程を歩く前に、まず頭の整理をしなければなるまい。 それは、この行程が徹底的に長い・・という事である。 山岳ガイド等が記する8時間強の歩行時間では、たとえ空身でも到底たどり着けそうにないのである。
もちろん、『奥駈』縦走の荷物持ちの者には“言わんやかな”である。 途中に見つけた道標に記してあった山上ヶ岳~弥山の距離17.7kmも、あながちオーバーに感じないのもうなづけるのである。
それを踏まえて出発しよう。
キャンプ場からは、石畳の崩れたような坂道を登っていく。 この坂をつめて竜ヶ岳の肩を乗っ越すと、《阿弥陀ヶ森》へ向かってトウヒ・シラベの美林の中を縫っていく。 やがて、樹海の中にポツンと『女人結界門』の立つ《阿弥陀ヶ森》に出る。 ここから《川上村・柏木》へのエスケープルートが分かれているので、体調不良などの時に備えて憶えておこう。
《阿弥陀ヶ森》の分岐からは、樹海の中をえぐるように深く下っていく。 約120m程の標高差を下りきると、《脇ノ宿跡》の広場に出る。 ここも沢が流れる好キャンプ地である。 この広場を底として、大普賢岳への長い登り返しとなる。
キャンプ場からは、石畳の崩れたような坂道を登っていく。 この坂をつめて竜ヶ岳の肩を乗っ越すと、《阿弥陀ヶ森》へ向かってトウヒ・シラベの美林の中を縫っていく。 やがて、樹海の中にポツンと『女人結界門』の立つ《阿弥陀ヶ森》に出る。 ここから《川上村・柏木》へのエスケープルートが分かれているので、体調不良などの時に備えて憶えておこう。
《阿弥陀ヶ森》の分岐からは、樹海の中をえぐるように深く下っていく。 約120m程の標高差を下りきると、《脇ノ宿跡》の広場に出る。 ここも沢が流れる好キャンプ地である。 この広場を底として、大普賢岳への長い登り返しとなる。
まずは、別名“明王ヶ岳”と呼ばれる小普賢岳への登りだ。 際立った岩登りなどはないものの、汗をじっくりと搾られる急坂だ。 これを乗りきると、刹那札の備えられた岩不動が据えられた小普賢岳の頂上だ。 この頂から大普賢岳までは一投足の距離位置なのだが、樹海の中へ一度深く切れ込むので距離感を感じる。
雨天の大普賢岳にて
これを登りきると、樹海が開けて狭い空地の上に頂上標柱の立つ大普賢岳 1780メートル だ。
ワテの登った時はあいにくの雨模様だったので展望はなかったが、晴天ならば孤高の山より望む大パノラマが楽しめるだろう。
大普賢岳からは、仏教に由来する名称の峰々を次々と乗り越えていく。 途中に行場としても指定されている《水太覗》の絶壁や《弥勒岳》の鎖場を過ぎると、南へ直角に向きを変えて《薩摩転げ》の急斜面に深く切り込んでいく。 この下りは鎖・アングル・ハシゴが連なり、足下は至って不安定なので注意が必要だ。 一度グンと下り小さな鞍部を乗り越すと、七曜岳への急登に取り付く。
大普賢岳からは、仏教に由来する名称の峰々を次々と乗り越えていく。 途中に行場としても指定されている《水太覗》の絶壁や《弥勒岳》の鎖場を過ぎると、南へ直角に向きを変えて《薩摩転げ》の急斜面に深く切り込んでいく。 この下りは鎖・アングル・ハシゴが連なり、足下は至って不安定なので注意が必要だ。 一度グンと下り小さな鞍部を乗り越すと、七曜岳への急登に取り付く。
『水太覗』の絶壁
奥駈道の修験行場だ
この登りも足下が不安定で、まるで“覗”の如く《水太谷》が広がり高度感がある。 眺めが良くなってきてからひと登りで、七曜岳 1584メートル だ。 この頂は“国見七曜”と呼ばれる展望の峰との事で、晴天ならば大普賢岳へと続く稜線が鋸歯状を魅せて、また対面に深く切れ込んだ《神童子谷》を挟んでの稲村ヶ岳の姿は素晴らしいとの事である。
一瞬だけ信じられない程に好天となった
でも、背面側はドン曇り
七曜岳頂上から鎖付きの急斜面を下ると、尾根筋に出て小さな起伏を幾つか越える。 やがて、《みなきケルン》という碑を見ると、行者還岳 1546メートル の分岐だ。 この分岐付近は二重山陵気味となっていて、意識をせずに歩いていくと重い荷物を背負っての行者還岳往復となってしまいかねないので注意しよう。
荷物をデポって楽な身なりで行者還岳を往復して、分岐を左に折れて沢筋に下っていく。
《行者還小屋》の水源となる《宿ノ谷》の源流沢をハシゴで伝う。 小屋の黒いホースが見えてくると、程なく《行者還小屋》だ。 この小屋は無人小屋ながら畳敷で、毛布も備え付けられ利用状況はすごぶる良い。 もし、今日の行程がキツく感じられるなら、ここを中継点にして余裕のある山行とするのもいいだろう。
この辺りが早めだが昼食場所となるだろう。 ここで“バタンキュー”にならない限り、まだまだ道程は長い。 食事も軽く済ませた方がいいだろう。 《行者還小屋》からは、樹林帯の中をやや下り気味に伝っていく。 ほとんど起伏状態はないものの、とにかく長いし、また変化に乏しい樹林帯が続き気分も滅入ってくる。 やがて、樹海の中にポツリと半壊状態の“バラック”もとい、避難小屋が見えてくるだろう。
《一ノ垰》である。 この小屋は宿泊に利用する事は、まず無理そうだ。 だが、雨宿り位は何とかなるだろう。 《一ノ垰》からも同じような樹林帯の中を今度は登り気味に伝っていくと、弥山への最短路線・《トンネル西口》からの登山道を併せる。 この登路を利用する登山者は最近ではかなり多数のようで、分岐には真新しい道標とテラスに置かれる丸太椅子などが設置されていた。
ここからひと登りで1600mの三角点の置かれた《石休場ノ宿跡》である。 本来ならば、今までの道程で越えてきた山なみを見ながらの楽しい森林歩きなのであろうが、ワテの通った時は大雨で、しかも長い行程に疲れていてそれ所ではなかったのが実情である。
《一ノ垰》である。 この小屋は宿泊に利用する事は、まず無理そうだ。 だが、雨宿り位は何とかなるだろう。 《一ノ垰》からも同じような樹林帯の中を今度は登り気味に伝っていくと、弥山への最短路線・《トンネル西口》からの登山道を併せる。 この登路を利用する登山者は最近ではかなり多数のようで、分岐には真新しい道標とテラスに置かれる丸太椅子などが設置されていた。
ここからひと登りで1600mの三角点の置かれた《石休場ノ宿跡》である。 本来ならば、今までの道程で越えてきた山なみを見ながらの楽しい森林歩きなのであろうが、ワテの通った時は大雨で、しかも長い行程に疲れていてそれ所ではなかったのが実情である。
残りは、“胸突八丁”と呼ばれる《聖宝八丁》の急坂を約1時間登りつめると、弥山頂上台地に飛び出る。 今日は明日の好天を願って、大峰随一の眺めといわれる《国見八方覗》の幕営地で一夜を過ごそう。
明日も、《前鬼》までの果てしなく長い道程が待っている。
雨上がりの大峰の朝
続く行程は次回の『第64回 大峰・奥駈 その2』を御覧下さい。
- 関連記事
スポンサーサイト