風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出   第1回  東海道本線・大阪駅

『路線の思い出』    第1回  東海道本線・大阪駅 〔大阪府〕
 

北への夢列車・青森行の特急【白鳥】
かつての大阪駅は旅の夢を頂いた列車があった・・
 
《路線データ》
     営業区間と営業キロ     輸送密度  / 営業係数(’83)    運行本数
  東京~神戸・大垣~美濃赤坂     126617  /  155      時刻表を見てください  
大垣~新垂井(信)~関ヶ原 608.3km
                    
大阪駅(おおさかえき)は、大阪府大阪市北区にあるJR西日本の駅である。 東海道本線を所属線として、大阪環状線を加えた2路線が乗り入れている。 また東海道本線の尼崎駅を起点とする福知山線に直通する列車も乗り入れており、普通列車のみ東海道本線の京都駅方面との相互直通運転を行っている。

このほか、大阪環状線を経由して桜島線・関西本線・阪和線及び関西空港線に直通する列車も当駅を発着する。 付近には地下鉄や私鉄があるが、『大阪駅』と名乗っているのはJRのみで、それぞれ次の駅が近接して設けられており、乗り換える事ができる。

ホーム・線路は、高架上に東西に伸びている。 以前は7面13線のホームがあったが、2004年より行われている再開発工事に伴い一時期5面10線にまで縮小した後、2009年12月20日より新11番のりばの使用を開始して以降は6面11線となって現在に至る。

大阪環状線のホームの有効長は8両編成分、東海道本線  ・福知山線 は12両編成分あるが、京阪神緩行線の普通電車が発着する6番のりばと7番のりばは、7両編成4扉車専用のホーム扉が設置されている関係で、この2線のみ8両編成以上または3扉車の入線は出来なくなっている。

14両編成の寝台特急サンライズ瀬戸・出雲は、東京行きは11番のりばで客扱いを行う。
岡山方面行きは客扱いを行わないが、3番のりばで運転停車を行い、臨時停車の場合のみ客扱いを行う。

改札口は、御堂筋口・南口・中央口・桜橋口・連絡橋口・エキマルシェ大阪口の6か所がある。中央口と桜橋口は、改札内の大半が中2階の乗り換え通路になっている。 御堂筋口・中央口・連絡橋口には南北を結ぶ改札外のコンコースがあり、両端に駅の出入口がある。 御堂筋南口・御堂筋北口・中央南口・桜橋口には地下街や阪急・阪神・地下鉄の梅田駅につながる階段やエスカレーターがある。

2010年11月1日より橋上駅舎の一部が乗り換え専用通路として供用開始され、2011年4月11日には新しい改札口「連絡橋口」の使用が開始された。

2018年度の1日平均乗車人員は433,637人である。 JR西日本の駅では第1位であり、京阪神および西日本では最多の利用客の駅である。 また、JRグループ全体では、新宿駅・池袋駅・東京駅に次ぐ第4位である。

2017年度の1日の乗降客数は、863,086人で、周辺の阪急大阪梅田駅・阪神大阪梅田駅・大阪市高速電気軌道(大阪メトロ)梅田駅・東梅田駅・西梅田駅・JR北新地駅を含めた合計の利用者数は約240万人であり、これは新宿駅・渋谷駅・池袋駅に次いで世界4位である。



『路線の思い出』の輝かしき第1回目は地元から・・という事で、大阪駅から始めよう。
だが、地元から語るにあたっては、別に生まれ育って根づいた場所から・・とかいう思想は毛頭もない。
あるのは、「初回から『大物』を挙げるのは勿体無い」という、しょうもない打算のみであるのは藪の中に。
 
さて、その大阪駅だが、去年だったか・・リニューアルして、商業施設と併合された巨大複合型の駅ビルとなっている。 たぶん・・であるが、一日中駅の周りをうろついても、十分時間をつぶせるアミューズメントが展開された駅である。 但し、自制が効かなければ財布の中身がスッカラカンどころか、使い過ぎて返済地獄に陥る事もあるので念の為。
 
だが、私の語りたい大阪駅は、この『リニューアル』された姿の大阪駅ではないのだ。
もう、30年以上も前、始めてカメラをもって出かけた大阪駅なのである。 もちろん、カメラは次々と発車する優等列車を撮るべく・・である。 そう、今のように煌びやかな商業施設が押し出されたモノではなく、いろんな行先のいろんな列車が発着していた『鉄道として煌いていた』頃の大阪駅なのだ。
 
30年以上も前、その頃は特急だけでも【雷鳥】や【白鳥】、【しなの】があり、それぞれ子供ながらに旅の空想ができた列車だった。 その他にも、電車寝台の583系の【明星】や【彗星】、客車寝台の【あかつき】や【つるぎ】・【日本海】、急行【銀河】、気動車特急でも【まつかぜ】や【はまかぜ】があった。 それでも、東京口でしか撮れない寝台特急のエースたる【はやぶさ】や【富士】、【さくら】などが撮れない事に、憧れと不満を抱いていたのを覚えている。
 

当時の大阪駅は
今よりも撮り鉄小僧が多くいた
 
また、全国的にもほぼ『絶滅』した急行も気動車全盛時代で、キハ58の【丹波】・【だいせん】から、【みまさか】・【みささ】・【但馬】・・、東へ向けても【たかやま】があった。 そして、今なら存在した事も信じられない電車急行の【立山】や【ゆのくに】に加え、湘南型の車両を使った急行【比叡】まであった。
 

当時からヒネクレ者の私は
特急よりも急行をカックイイと思っていた
 
また普通も、当たり前のように山陰方面からの長距離鈍行が長い編成の旧客を連ねて入線してきた。
今なら、大パニックになるような光景が、当たり前のように繰り広げられていたのだ。
 
その大阪駅には、小学生の頃はヒマを見つけて、いやヒマがあってフイルムを買える小遣いが手に入った時に足しげく通った。 西日本方面からの寝台列車が到着する9番線・10番線、そして北陸方面へ向けての優等列車の専用ホーム11番線にデバったものだった。 それでは当時に撮った写真を元に、大阪駅発着の列車の思い出を少々。
 
まずは【雷鳥】。 これは今もある・・、いや【サンダーバード】に名称変更されたか・・の『L特急』である。 もう1時間に1本以上の列車があり、貫通型やボンネット型の特急列車が発着していた。
だが、当時の私はボンネットタイプを『ブサイク』と思っており、敢えて撮るのを控えるような随分勿体無い事をしていたようである。
 

 当時の私はボンネットタイプを
『ブサイク』と思って撮影を拒否っていた
今思えば勿体無ぇ~

その【雷鳥】で最も撮りたいと思ったのは、583系の『青の雷鳥』だった。 今ならリクライニングもなく、特急としては設備最悪の代物だが、当時はその統一された編成美に虜になったものである。
 

ボンネット型の代わりにお熱を上げていたのが
『青の雷鳥』こと583系の【雷鳥】である
でも、今なら特急料金を払いたくなくなる粗悪設備の車両だ
 
次に【しなの】。 当時最新式の振り子式車両を使っていて、屋根にクーラーが乗っていないフラットな容姿だった。 日に1本しかない【しなの】は人気が有り、この列車が発車する8:30は、カメラ小僧がこぞってカメラを向けていた。
 

大阪駅発車の列車で最も人気があったのが
振り子式の特急【しなの】であった
 
でも、今のように巨大三脚とドデカイ望遠などという大掛かりな者は極々少数で、ほとんどが『バカチョン』と云われるスナップカメラで撮っていた。 見渡す限り、一眼レフは『高嶺の花』のようで、ちょっと裕福そうな子でも、『ジャスピンカメラ』程度である。
 
そして、長距離特急のパイオニアたる【白鳥】。 この5~6年先に北海道に旅立つ時にお世話になった列車だ。 この列車を見ると、子供心に遠く果てない北への旅の夢が空想できた。
 
次に九州方面からの寝台列車だが、やはり人気があったのは583系の【明星】や【彗星】であった。
これらの列車が到着する時は、到着ホームの9番線・10番線はカメラ小僧で埋まっていたのを憶えている。
 

当時は画期的な昼夜両用の583系
もフル稼働していた
でも、3段式寝台は狭い
 
そして、客車寝台の【あかつき】もあったが、何故か当時は牽引機関車のEF58に魅力を感じず、今ならドヤされる(笑)程に撮影を拒否っていた。 今思えば、勿体無い事この上ない。 また【日本海】や【つるぎ】も、東京口の寝台特急のエースたる【はやぶさ】や【富士】にはヘッドマークが付いているのに、関西口発着の寝台はなぜか掲げていなかった。 その事に不満を抱いていた子供心は、これらの列車もあまり撮っていなかったようである。
 

往年の名機関車といわれるEF58
でも、当時(齢1ケタ)の目からは
コレがくると“ハズレ”だった
 
次に5~6年後はこれ以外には撮らなくなった・・という気動車だが、当時は特急のキハ82と新型のキハ181が特急運用に入っていた。 でも、82系はポンコツ感が漂っているし、いつも181系は猛烈な噴煙ですす汚れていた。それらの姿は北陸方面の華やかな電車特急に比べるとあまりにも地味で、あまり撮るカメラ小僧はいなかったみたいだ。
 

末期はボロボロだったキハ82は
壮年期もボロボロだった
 
当時の小僧たる私も、これらの特急よりキハ58の急行を『カッコいい』と感じていた。
この思いは、この後昇華していくのであった。(笑)
 
その他、大きな『新快速』の表示板を掲げ、今と違って優等列車の感があった新快速や旧客など脇役も存在感を醸し出していた。 「今の大阪駅は、商業アミューズメント施設として1日中うろつけるだろう」と冒頭で述べたが、鉄道が煌いていた頃の昔の大阪駅は、鉄道が好きなら一日中だってホーム上で楽しめる駅だったのだ。 そして、旅の雰囲気をより醸し出す駅だったような気がする。
 

オールクロスシート・ヘッドマーク付と
通勤仕立の列車としては格別感のあった当時の『新快速』
 
    ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『東海道本線』を御覧下さい。
 
 
 
 
 
 
 
 
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No title * by mino710710_0203
「路線の思い出」いよいよ船出しましたですね。
私の知らない記事もありいろいろ勉強になりました。
写真も30年前のが保存されていたのは驚きです。
船出おめでとうございます。

No title * by 風来梨
mino710710_0203さん、こんばんは。
早速読んで頂き、有難うございます。

昔の鉄道は華やかでした。 やはり、鉄道輸送が国の輸送の中心であった頃は勢いがありましたね。 でも、少しづつ利便や利益追求と無駄の排除に向かった結果、便利なのかもしれないけど面白みはなくなってきましたね。

今考えると、既に飛行機もあった時に札幌まで船と列車と2回も乗り換えの上に、まる1日かかった【白鳥】なんかが顕著な例ですね。

でも、車内で食べる駅弁や車窓を流れる移り変わる風景、重い旅荷物を担いこそ湧き上がる旅の始まりへのワクワク感など、無駄でなければ成し得ない事も多々あった気がします。

これからも、宜しくお願いします。

No title * by タケちゃん
こんばんは。
・・・懐かしく、そして素晴らしい写真ばかりですね~。

年少の頃と現在の好みの違い、そして当時ちゃんと撮らなかったことに対する後悔・・・・誰もが通る道ですね。
ワタクシももれなくその一員でございます。

「新快速」は、当時購読していた鉄道雑誌で運転開始を知り「すっげぇ快速が向こう(本州)を走っている」と思っていましたよ。

No title * by 風来梨
タケちゃんさん、こんばんは。

懐かしく・・、タイト・・(自分では『素晴らしい』とはとても言えません・・ハイ)な写真ですね(笑)。

それと、新快速・・、現在は更に早く・・、そして停車駅が増大する相対性に相反する進化を遂げています。 以前より新大阪と高槻に停まって、京都~大阪は最速26分だそうで・・(以前は京都~大阪ノンストップで34分)。

でも、車両は以前のモノの方が魅力ありましたね。

それでは、次回も宜しければ・・、乞う御期待下さい。

No title * by きゃみ
第一回は大阪駅だったんですね。
しなの、雷鳥、彗星、はまかぜ、新快速・・・当時は画像でした見たこともない列車ばかりです。羨ましいですね~。

No title * by 風来梨
きゃみさん、こんばんは。

ぢ・つ・わ・・、最後の新快速の写真は『chakuwiki』っていうウィキペディアもどきのネット百科事典に掲載されてたりして・・。

それと、特急【白鳥】号に北海道の旅の夢を感じましたね、あの頃は・・。

コメント






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No title

「路線の思い出」いよいよ船出しましたですね。
私の知らない記事もありいろいろ勉強になりました。
写真も30年前のが保存されていたのは驚きです。
船出おめでとうございます。
2013-04-07 * mino710710_0203 [ 編集 ]

No title

mino710710_0203さん、こんばんは。
早速読んで頂き、有難うございます。

昔の鉄道は華やかでした。 やはり、鉄道輸送が国の輸送の中心であった頃は勢いがありましたね。 でも、少しづつ利便や利益追求と無駄の排除に向かった結果、便利なのかもしれないけど面白みはなくなってきましたね。

今考えると、既に飛行機もあった時に札幌まで船と列車と2回も乗り換えの上に、まる1日かかった【白鳥】なんかが顕著な例ですね。

でも、車内で食べる駅弁や車窓を流れる移り変わる風景、重い旅荷物を担いこそ湧き上がる旅の始まりへのワクワク感など、無駄でなければ成し得ない事も多々あった気がします。

これからも、宜しくお願いします。
2013-04-07 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

こんばんは。
・・・懐かしく、そして素晴らしい写真ばかりですね~。

年少の頃と現在の好みの違い、そして当時ちゃんと撮らなかったことに対する後悔・・・・誰もが通る道ですね。
ワタクシももれなくその一員でございます。

「新快速」は、当時購読していた鉄道雑誌で運転開始を知り「すっげぇ快速が向こう(本州)を走っている」と思っていましたよ。
2013-04-12 * タケちゃん [ 編集 ]

No title

タケちゃんさん、こんばんは。

懐かしく・・、タイト・・(自分では『素晴らしい』とはとても言えません・・ハイ)な写真ですね(笑)。

それと、新快速・・、現在は更に早く・・、そして停車駅が増大する相対性に相反する進化を遂げています。 以前より新大阪と高槻に停まって、京都~大阪は最速26分だそうで・・(以前は京都~大阪ノンストップで34分)。

でも、車両は以前のモノの方が魅力ありましたね。

それでは、次回も宜しければ・・、乞う御期待下さい。
2013-04-12 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

第一回は大阪駅だったんですね。
しなの、雷鳥、彗星、はまかぜ、新快速・・・当時は画像でした見たこともない列車ばかりです。羨ましいですね~。
2015-11-15 * きゃみ [ 編集 ]

No title

きゃみさん、こんばんは。

ぢ・つ・わ・・、最後の新快速の写真は『chakuwiki』っていうウィキペディアもどきのネット百科事典に掲載されてたりして・・。

それと、特急【白鳥】号に北海道の旅の夢を感じましたね、あの頃は・・。
2015-11-15 * 風来梨 [ 編集 ]