風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

TOP >  『日本百景』  >  『日本百景』 春 >  第56回  奥能登 その1

第56回  奥能登 その1

『日本百景』 春  第56回  奥能登 その1  〔石川県〕
 

岬展望台にあった枯木越しに
日本海の荒波を望む
禄剛崎展望台にて
 
  奥能登 おくのと (能登半島国定公園)
能登半島の最北端・禄剛崎付近はひと昔前までは交通が至って不便な“秘境”であった為、『奥能登』と呼ばれている。 この『奥能登』の見どころとしては、高さ47mの断崖絶壁に白亜の灯台が建つ禄剛崎。
そして、奇岩連なる狼煙 のろし 海岸などである。 特に、禄剛崎の海岸段丘に栽培されているスイセン畑は美しく、一見の価値がある。
 

 

奥能登 景勝地位置図
 
   行程表             駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 JR和倉温泉駅より車(2:30)→珠洲市街・見附島〔軍艦島〕など散策
     (1:10)→禄剛崎(0:15)→木ノ浦海岸
《2日目》 木ノ浦海岸(0:35)→曽々木海岸(0:20)→白米の千枚田(0:35)→輪島市街
     (1:10)→JR和倉温泉駅

  《1日目》 “のと鉄道”を追憶した後、奥能登へ
’05年の3月31日で、旧国鉄・能登線であった第三セクター“のと鉄道”が営業廃止となった。
今回は奥能登を一周するにあたり、《1日目》はその在りし日の姿を追憶するプランを立ててみた。
 
これに従ってのと鉄道の車窓風景は、過去の記憶とミックスして“鉄道のある情景”として追ってみようと思う。 時折出てくる能登線の車窓風景は随分昔に乗車した時の回想であるので、その点は差し引いて見て頂ければ・・と思う。それでは、『奥能登』めぐりの旅に出かけよう。
 

追憶という事で
国鉄時代のシーンおば・・

旅の出発点となるJRの終点・和倉温泉駅は、最近JRがかなりテコ入れしている温泉地である。
レンタカーもこの駅前にあるので、今回のように雪のある情景を追い求めるならば、レンタカーが圧倒的に有利である。

JR和倉温泉より、国道249号線を北上しよう。 途中の中島町には“道の駅”もあり、最近の道路は利用者の便がかなり考慮されていて良い。 ちなみに、穴水手前の能登鹿島駅は“桜の駅”として知られており、その季節になればカメラ片手に訪ねるのもいいだろう。 なお、和倉温泉から穴水の間は’05年4月以降も運行されるので、“桜の駅”の名所は今年も狙う事が可能だ。

和倉温泉から約35分で穴水町に着く。 このまま国道へ進路を取るのだが、道路標識は輪島へ行く主要県道の方には「輪島・珠洲」と、国道249号は「能都」と記されているので少々紛らわしい。
国道249号は穴水町で右手に進路を取るので、道路標識につられて間違わぬようにしたい。
国道を進み半島中央部の峠を越えると、穏やかな能登の内海と“のと鉄道”のレール跡が並走してくるようになる。
 

波戸場につながれた漁船を借景に
波並駅付近
 
のと鉄道が在りし時は、七味駅より波並駅までの間が“鉄道のある風景”として狙い目だった。
穏やかな内海を望む風景と小さな待合室だけの駅舎。 それに時折やってくる列車をマッチさせると、のどかな雰囲気の情景を魅せてくれた。
 

海辺の小駅も
最終日が近づくにつれ賑わって
波並駅にて
 
また、波並駅近くの小さな船着場を前景にすると、船着場につながれた小型漁船の舳先やイカ釣り用のタングステンライトが、海沿いの風景の良さを引き立ててくれた。
 

カモメが粋な演出を買ってでてくれた
波並駅付近

海沿いの風景は能都町の中心の《宇出津》まで続く。 ここから国道は、再び半島内陸部を直線的に突っ切って内浦町へ抜けていく。 全てをめぐる事は叶わないので今回は割愛するが、縄文遺跡のある《真脇》やリアス式海岸の《九十九湾》は、時間を作って立ち寄ってみたい所だ。

 恋路ゆきの乗車券

やがて、内浦町の中心の《松波》で合流するが、国道はまたもバイパスで直線的に珠洲市街へ抜けていくので、この付近の名勝“恋路海岸”を散策するなら、旧国道への寄り道が必要となる。 だが、この“恋路海岸”、かなり俗化している感じ(『ラブロ恋路』とまるでモーテルのような名称がつけられていて、少々引いてしまった)で、私的にはあまり立ち寄ろうという気は起きなかったのだが。
 

恋路めぐりは
旧駅名標のみで自重(笑)

しばらく行くと、“軍艦島”として有名な《見附島》が見えてくるだろう。 正面からこの島を見るとイカツい軍艦の舳先のように尖っていて、撮りようによってはかなり迫力ある画像をゲットできることと思う。
だが、残念ながら私が通った時は、強い雹が飛ぶ荒れた天候であったので断念せざるを得なかった。
またの機会があれは、是非にも狙ってみたいと思う。

《見附島》を見送ると珠洲市街に突入する。 だが、珠洲市自体が能登半島の最奥の小さな街でしかなく、エトランゼである旅人にとっては昼食や買い物にも不便を感じる街である(ラーメン屋とコンビニを、それぞれ1件づつ発見したのみ)。 本日はおそらく車中泊を強行する事になるだろうから、必ずここらで補給をしておく事が必要だろう。 そして、ガソリンも“要チェック”となろう。 なぜなら、これより半島をひと周りして輪島市街に抜けるまで、ガソリンスタンドは期待できないのである。
 

国鉄時代の蛸島駅標
 
珠洲市内で前述の“ひと通りの用事”を済ませたなら、鉄道の終着駅だった蛸島駅跡へ行ってみよう。
現在の駅跡は、のと鉄道のサホータークラブの管理の下で保存されている。
 

今はサポータークラブの
管理下で保存されている蛸島駅舎 
 
また、廃線後分断された先にのと鉄道で使われていた車両が保存展示されており、時折イベントで走行されているとの事である。
 

かつて当り前であった駅到着シーンを
もう二度と見る事はない 
 
蛸島駅跡の訪問を終えたなら、鉄道と別れて『奥能登』を訪ねてみよう。 蛸島の駅より先は道はか細くなって、岬の先端に向かっている事が実感できる。 そして、岬に近づくにつれ内海の域を出て、波が荒れ狂う外海の情景が広がってくるだろう。 これが、今回の旅の魅力である。
 

狼煙海岸にある紅白の灯台の間で
波が逆巻き立っていた
 
《狼煙海岸》の沖合いに立つ赤と白の灯台と日本海の荒波が、まず旅人の目を奪う事だろう。 
そして、断崖絶壁で仕切られた港風景と、岬ならではの情景が旅情を引き立てる。 やがて、日本海の荒波へ向けて光跡を照らす灯台の立つ『奥能登』の突端・禄剛崎へ。
 
『奥能登』の最突端・禄剛崎は、防波堤で仕切られた小さな漁港だ。 今まで内海の波一つない穏やかな光景を見てきた目には、猛烈な低気圧により荒れ狂う情景はパラレルワールドに引き込まれたような感覚を覚える。
 

小さな波戸場など
一瞬の内に飲み込んで


押し寄せる波は
次々に波の花を置いていく
 
小さな防波堤に高波が被さり、それを洗い流すが如く白い波の泡を抱き砕け散っていく。
そして、防波堤で羽を休めるカモメが、押し寄せる波を羽ばたきでかわしつつ、じっと周囲の様子を伺っている。 羽を休める・・という事も、彼等にとっては戦いなのだろう。
 

最突端の想いを伝えるもの
 
岬周辺の海岸・《狼煙海岸》の情景を楽しんだなら、お目当ての《禄剛崎》へ向かおう。
《狼煙海岸》沿いの集落は半島最突端の集落らしく、地形に沿っての曲がり角にこじんまりと固まっている。 まるで、日本海より吹きすさぶ猛烈な波風に皆で抗するが如く。 

岬の灯台は、半島の突き出た断崖の端に建っている。 駐車場に車を止め、急な坂道を7~8分程登っていくといい。 登るにつれキツい風の抵抗を受けながらやってくると、広い園地に整備された最奥に白亜の灯台と通信塔が立ち並んでいる。 そして、真っ先に目を奪われるのは、灯台前のモニュメントの一角にある標識板であろう。

そこには、『←上海 1598km』、『←釜山 783km』、『東京 302km →』とあった。
そしてその下には、“彼の地の国”であるウラジオストクの標示が示してあった。
『← ウラジオストク 772km』。 一つだけあさっての方向を示しているこの標識は、近くて遠き国の印象を強く抱かせるものがあった。 そして、この遠き国は、北海道の札幌よりも僅かながら近いのである。
 

彼の地の国・ウラジオストクに
最果ての旅の思いを馳せる

恐らく、このモニュメントが立てられた頃は、現在よりも遙かに“遠き国”であったのだろう。 
その見知らぬ凍土の“遠き国”の旅の想像を、このモニュメントは大きく駆り立ててくれる。
そして、岬を語る案内板も岬を思う感情が記されていて、これを目にすると人が抱く“岬”の情景が大いに刺激される事だろう。 

さて、モニュメントより一段下った奥の広い突端の丘の中央には、白亜の灯台が西洋の古城の如くそびえ立っている。 城壁を思わせる白いレンガの側壁が、他の者を安易に寄せつけぬ雰囲気を漂わせている。
 

西洋の古城の城壁を思わせる
禄剛崎灯台
 
そうなのだ。 ここは、かつて命がけで職務を全うした灯台守の“戦場”なのだ。 灯台守がいる時代ならば、安易に街の者が来るような所ではなかったのだ。 その“思い”が堅牢を意味する城壁なのだと想像するのは、私の勇み足なのだろうか。

白亜の古城のような灯台の丘は海岸段丘の断崖となって途切れ、その先は波濤渦巻く白波が闊達にアートを描く“海”というキャンパスだった。 そろそろに傾き始める雲間の光とまだ冬から醒めぬ枯木の枝を絡めると、奔放だが美しい情景が演出できる。
 

灯台の真下は
荒れる日本海が広がっていた
 
だが風は強く、ほんの5分もカメラを構えていると手が寒さで痺れてくる。 たとえ、厚手の手袋を着込んだとしても。 この冬の厳しさが、岬の情景を人の心に“憧憬”として植えつけるのだと思う。
 

奥能登の一日が暮れようとしていた
 
傾いた日が水平線に陣取る前線の鈍重な雲に隠れてしまったなら、そろそろ岬めぐりより引き上げよう。
岬の周遊を終えたなら、ロジックな雰囲気漂う《狼煙》集落でひと息着くとしよう。
《狼煙》の集落には、レトロ調の喫茶店がある。 岬めぐりで冷えきった体を暖かい飲み物で中から暖めると、より岬の風の強さが思い起こされて感慨が深まる事だろう。

さて、今日はどこに泊ろうか。 余裕のある方なら旅館等を想定する事と思う。 
『奥能登』は観光地なので、探さずとも旅館や国民宿舎は見つけられるだろう。 だが、旅館などは断崖の上の“安全な”所に建っていて、荒れ狂う冬の日本海を“俯瞰”という形では堪能できるが、“情景を思う”には今一つ役不足のような眺めなのだ。 まぁ、前面に広がる冬の日本海を見ながら豪華な夕食を取る・・っていうのも、いいシチュエーションなのだが。
 

           波風と一晩伴にした所          引き波が波の花を残して
 

荒々しくも何か懐かしい情景

だがこれは、このガイドの本質とは異なる“贅沢”という言葉が出てくるのだ。 同じ“贅沢”をするのでも、この『日本百景』では情景に魅せられる“贅沢”をしたい。 従って、海辺まで来て岩に砕け散る波を間近で眺めつつ、狭いハコ(車内)の中で一夜を過ごそう・・と思う。
 

岩うつ波が逆巻き立って
 
夕食も朝食もかなり貧弱だけれども・・、夕暮れと夜明けの波濤を魅せられる・・という、このガイド集が求める究極の“贅沢”が味わえるのだ。 本日は、《木ノ浦海岸》の海辺にある駐車場でストップする事にしよう。
 
  続く《2日目》の行程は、次回『第57回 奥能登 その2』で記載しております。

    ※ 詳細は、メインサイトより『奥能登』を御覧ください。
 
 
 

 
 
 
関連記事
スポンサーサイト



コメント






管理者にだけ表示を許可