風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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第55回  鈴鹿連山

『日本百景』 春  第55回  鈴鹿連山  〔三重県・滋賀県〕
 
  鈴鹿山地 すずかさんち (鈴鹿国定公園)
鈴鹿山地は最高峰の御在所岳でも標高1212mと低く、高山的な魅力は乏しいが、サバイバルの野趣あふれる登山ルートを滋賀県側に持ち、冒険登山の魅力いっぱいの山域である。 
このコースは、滋賀県側の永源寺から道標もろくにない登山道を、ルートを見定めながら登っていくのである。 

途中には、橋のない大きな川を腰まで浸かって徒渉したり、ササ漕ぎやイバラのブッシュなどの自然の防壁の突破、自らで幕営地を見定めての宿泊など様々な難関や障害が待ち構えている。
これは普通の登山道ではない。
 
決して、“ただが1200m”と侮れない・・、いや侮れば痛い目に遭うサバイバルコースなのである。 
しかし、苦難の末たどり着いた頂上では、このコースを越えてきた者だけが味わえる充実感が待っているのである。
 

 

鈴鹿山地 国境稜線ルート 行程図
 
    行程表          駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 JR近江八幡駅より鉄道(0:15)→八日市駅よりタクシー利用(0:35)→紅葉尾
     (2:00)→神崎川徒渉点(2:10)→ヒロ沢出合
《2日目》 ヒロ沢出合(1:40)→鈴鹿国境稜線・ハト峰峠(1:00)→水晶岳(2:30)→国見岳
     (1:00)→御在所岳(0:20)→御在所キャンプ場
《3日目》 御在所キャンプ場(2:00)→御在所岳登山口(0:45)→湯の山温泉駅より鉄道
     (0:25)→四日市駅

  《1日目》 滋賀県側よりヒロ沢を遡上
今回の行程は、サバイバルの要素を大いに含んだものとなっている。 従って、“カメラをぶらさげて”と、お気楽には行けそうにない。 このような訳で、今回は文章のみのガイドとなってしまう事を御理解頂きたい。 それでは、サバイバル登山に踏み出そう。 

鉄道とタクシーを連ねて、《永源寺ダム》奥にある《ヒロ沢出合》までやってくる。 周囲に、コバ山や衣笠山といった小さな山が点在している山里だ。 ここから入口の大案内板に従って、砂防ダムで堰止められた沢筋に入っていく。 

砂防ダムを数回越えると、沢の右手の尾根を登っていくようになる。 一度尾根のピークを踏んで、また急下降していく。 どうやら下は函状を成しているようで、これを大きく高巻いているのであろう。 
下りきると、自由に動く2本のロープが垂れ下がっている沢に出る。 

このロープは朽ちた滑車に連なっていて、この状況からはかつては籠渡しでこの沢を渡っていたのが推察できる。 しかし、現在は何もなく、このロープを伝いながら沢の浅瀬や岩を飛んでいかねばならない。
深さは膝より少し上位であろうか。 沢を渡るだけならばロープは要らない・・と思われるだろうが、渡った対岸の土手がかなり高く、これに這い上がるにはこのロープが必要となるのだ。 

だが、沢の途中でロープを放してしまったなら、手の届かぬ頭上にロープが張りつめてしまって二度とつかめないようになる。 こうなると、元に戻って“渡りなおし”となるのだ。 こうならぬ為にも、ロープをしっかり持って渡ろう。
 
また、この沢は言うまでもなく、“定員1名”である。 これを越えると、今度は猛烈なトゲイバラが行く手を遮るようになる。 イバラのトゲによって手足は元より体全体が痛々しい“ミミズ腫れ”となるも、ここは我慢して乗り越えるしか手がない。 

これを小1時間耐え凌ぐと、イバラのジャングルから飛び出して湿地帯を歩くようになる。
やがて見通しが良くなり、大きな川べりに出てくる。 川を前にして左右を見渡しても、道や踏跡は見当たらない。 どうやら、この川を渡るみたいだ。 川幅30m位か。 悠然と流れ、よどみさえあるこの大河を渡らねばならない。 そして、この中央部の深みは胸下までありそうだ。 水の少ない渇水期でも腰下まであるのだ。 これでは、リュックを背負ったままでは渡れそうにないのである。 

従って、リュックを肩に乗せて、“俵担ぎ”の要領で渡っていかねばならない。 もちろん、転倒は許されない。 そうなれぱ、食料からテントから携帯コンロから、全てが水浸しとなって使えなくなってしまうからである。 難所の中では、ここがクライマックスとなろう。 これを越えると再び深いジャングルの中にもぐり込み、下はぬかるみ、上は猛烈なイバラのブッシュ漕ぎという難関にぶつかる。 

進んでいくと今度は足場がぬかるみから落葉に埋もれたように変わり、これがトレースまでも埋めてルートを判り辛くさせている。 一度緩やかに下ると、イバラのブッシュからクマザサのヤブ漕ぎとなり、これを緩やかに登りつめると、進路を妨害し続けたあの《ヒロ沢》が優しい小沢となって流れている。
どうやらここは、《ヒロ沢》の源頭らしい。 

ここは、決してキャンプ指定地でもなければ幕営適地でもない。 しかし、進んでいった所で、ここよりもキャンプ適地にめぐりあえる保証もない。 それに本音では、疲れてもう歩きたくなくなっている事だろう。 
今日はもう十分である。 幸い沢の源頭ということで、水だけは豊富にあるこの地で今日はテントを設営しよう。 明日はいよいよ稜線に上がって、鈴鹿山地の盟主・御在所岳を目指す。

  《2日目》 国境稜線に上がって御在所岳へ
樹林帯の中の夜明けは、薄暗く実感に乏しい。 なぜなら、光がほとんど差し込まないからだ。 
時間からも取り残されたような寂しい夜明けである。 この心細さから抜け出るにはただ一つ、早く出発して稜線に上がって朝の光を浴びる事である。

・・となれば、素早くテントを撤収して出発しよう。 深い樹海の中を喘ぐように登っていくと、ひょっこりと稜線の上に飛び出る。 稜線上は、昨日の苦労がウソのようになだらかな草原の丘となっていて、広々としている。 庭園状の天然の石畳が敷かれた上を悠々と歩いていくと、絶景の展望台であるハト峰の頂上だ。 まだ朝の雰囲気を残した時間帯に、この頂上に登り着いたならいう事なしである。 

ハト峰の峠を越えると、国境稜線上の広々とした道を緩やかに上下していく。 1時間ほど稜線を遊歩していくと徐々に稜線の幅が狭まり、国見岳の鞍部を踏む頃には両側が鋭く切れ落ちた“窓”地形を示すようになる。 ここから国見岳へは、ちょっとしたロッククライミングが待っている。

岩の突起が下向きに鋭く迫り出した岩場を、手足をフルに使ってよじ登らねばならない。
下を向けば、結構な高度感があり手ごわい。 また、下向きに迫り出した岩に這い上がった弾みで頭を振り上げると、“脳天にゴン!”と加速度をつけてぶつけてしまうので要注意だ。
 
もろに“ブツ”と頭から血が吹き出て、のた打ち回りたくなる程に痛いので(ここで手を離してのた打ち回ると転落するので、命の保証はない)御用心。 これは、筆者本人の体験に基づくものなので心されたい。 この岩場を乗りきれば国見岳だ。 

この頂上からは、ようやく盟主・御在所岳の姿がはっきりと見えてくるようになる。 それも、北東斜面にそびえる花崗岩の大岩壁・《藤内壁》が見渡せて心憎い。 この《藤内壁》は高低差300mを越える花崗岩の一枚大岩壁で、ロッククライミングの人気ゲレンデとして全国に名が知られた所である。 シーズン中ならば、この困難な一枚岩に挑むロッククライマー達がハーケン打つ響音をとどろかせている事だろう。 

やがて、《藤内壁》から続いたような岩場を飛び越えたり這い上がったりすると、いよいよ御在所岳の頂上だ。 だが、頂上の向こう側には、山上遊園地が見えたりして大幻滅である。 昨日からのハードコースを乗り越えたことが、全く報われぬ侘しい眺めである。 しかし、“あの困難を乗り越えてきたんだ”という心の充実感は満たされている事だろう。 そして、この困難を乗りきった経験と自信は、これからの人生に役立つ大きな力になると思う。 

“経験”と“自信”。 これだけのものを得られたので“良し”としたい。 今日は遊園地の端にあるキャンプ場で、テントを張ろう。 明日は下山のみだが、“ある思惑”(これは明日に述べよう)も絡むので、早く出発するべく早めに休もう。

  《3日目》 湯の山温泉に下山
早く目覚めたなら、“これ幸い”と早速出発準備に取りかかろう。 別に下山に時間がかかる訳でも、下山口の交通の便が悪いなどの時間が限定されている事でもない。 でも、早く下山したくなるのはなぜか。
それは、このキャンプ指定地が山上遊園地のすぐ近くにあり、テントの中でグズグズと食事をしている姿を遊園地の行楽客に見られたら、実にみっともないからである。 

さて、下山路であるが、山頂と麓の《湯の山温泉》とを結ぶロープウェイを頭上に見ながら岩ガレ場を下っていく。 この岩ガレ場には岩の隙間が多くあり、根雪などがあると足を取られかねないので注意が必要だ。 また、この山系のメインルートでありながら人の往来は少ないようで、かなり道が荒れているように見受けられる。 まぁ、ロープウェイがあるのに、わざわざ歩いて上下する人もそうはいないのだから致し方あるまい。 

約2時間半位で、《湯の山温泉》のホテル街に出る。 もし、温泉の公衆浴場でも見つければ、ひと風呂浴びてから帰路につけばいいだろう。 だが、ホテルの内湯は、汚れた“登山者スタイル”だと入浴を断られることもあるので御用心。 最後の最後で不愉快な気分にならぬように、観光ホテルなどは立ち寄らない方が無難であろう。

    なお、この記録は、約30年前の筆者の高校時代の記録である。
    従って、現状は全く違っている事が予想されます。 まぁ、筆者のアオい体験記として捉え
    て頂くと有難いのである。

     ※ 詳細は、メインサイトより『鈴鹿山地』を御覧ください。



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