風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

TOP >  私の訪ねた路線 >  私の訪ねた路線  第130回  只見線 その2 会津川口~小出

私の訪ねた路線  第130回  只見線 その2 会津川口~小出

『私の訪ねた路線』  第130回  只見線 その2 会津川口~小出 〔福島県・新潟県〕
 

雨の田子倉湖と
 
《路線データ》
       営業区間と営業キロ           輸送密度 / 営業係数(’15)
     会津若松~小出 135.2km          304  /  258
 
運行本数(’20)
会津若松~会津川口 6往復 ,会津若松~会津坂下 1往復
会津川口~只見 バス 下り6便・上り7便 、只見~小出 3往復 、小出~大白川 1往復

      ※ ’11年7月の豪雨災害により会津川口~只見の区間が不通となり、
        この区間は現在バス代行輸送となっています。
 
   《路線史》〔再掲〕
路線の建設に関しては、「沿線の様々な事情で延伸されたものの併合路線」という認識が最も適合するであろう。 会津若松~会津柳津は、『軽便鉄道法』による地方地域輸送の単位の路線であった。 
会津柳津より先は、『改正鉄道敷設法』により只見を経て新潟県・小出に向かうべくの計画路線として延伸が進められる事となる。

まずは、1941~42年に会津若松側が会津宮下まで、小出側が大白川まで開通する。 
その後、現在日本一の発電量を誇る『田子倉ダム』の建設が始まって、その資材輸送に供する為1956年に越後川口までが開業。 その先、会津川口から只見を経て田子倉ダムサイト建設現場までは、ダム運営会社の『電源開発』の専用鉄道として建設される事となる。
 

神秘的なたたずまいの
田子倉湖

そして、ダムの完成までは完全な建設資材輸送路線として、1960年のダム完成とその翌年の付帯工事一式の完成まで供される事となる。 ダムの完成後の会津川口~只見は、2年の歳月をかけて旅客鉄道使用に向けての改良工事が行なわれ、その工事の完成後国鉄に返還される。
 
この頃はダム資材建設輸送と大白川地区の珪石の採掘輸送で、只見線の歴史の中で最も“潤っていた”時期だったとの事である。 なお、全通はそれから8年後の1971年で、この頃から我が国の資源産業が斜陽化し衰退に向かうのである。
 
この只見線は、日本有数の豪雪地帯で平行する国道252号も冬季は閉鎖となる事から、冬季は只見地区から新潟県へ抜ける唯一の交通機関となる。 このような理由により、輸送量が特定地方交通線の廃止対象路線並ではあるが、国鉄再建法による廃止対象から除外されて廃止を免れている。

列車運行としては、まがいなりにも乗客輸送を目的として建設された会津柳津までの『軽便鉄道』区間の利用が全線で最も多いので、会津若松に向けて列車本数が厚く設定されている。 
だが、多いとはいっても、最大上下各7本づつなのだが。 国境付近は、山深い里で冬季は“陸の孤島”ともなる事から、日に3往復と運行本数は激減する。 新潟県の地区内も利用は至って少なく、列車本数も4~5往復程度である。

1988年までは、急行【奥只見】号が運行していた。 また、田子倉駅は“秘境駅”として有名で、冬季は並走する国道も雪で埋もれて閉鎖される事から、7年程前より冬季は完全休業の臨時駅扱いとなっている。
 

 

田子倉湖を見ながらゆく
 
     ※ 会津若松~会津川口は、前回の『只見線 その1』を御覧下さい。
 
  《乗車記》
会津川口から先であるが、只見までの間が’11年の豪雨災害により、以降現在まで1年半に渡って不通となっている。 1年以上の不通となる程に蒙った被害は甚大で、不通区間にかかる第五、第六、第七の3つの只見川橋梁が落橋流失、会津塩沢~会津蒲生の第八只見川橋梁付近の路盤が地滑りにより崩壊するなど、現状では完全に運行再開不能となっている。
 
これは’05年に台風による豪雨により橋梁が流失するなど、壊滅状態となって廃止に追い込まれた九州の高千穂鉄道と同じ境遇である。 豪雨による河川の氾濫は、トラス補強された橋をいとも簡単に押し流すまでに凄ましいモノなのだ・・と改めて感じる。 自然の力は、先進と云われる人間の技量を軽く凌駕するのである。
 
これらの事で、不通区間の会津川口~只見が代行バス輸送となり、乗車は適わない。 それどころか、「九州の高千穂線と同じ命運をだどる」との噂さえ出始めている。 もし噂が現実となったなら、不通区間に加えて、利用状況の思わしくない新潟側区間も巻き添えになる事も考えられるのである。 それは、超豪雪地帯である越後・会津国境を越える国道252号線の通年通行の可否が鍵となろう。
 
それは、実際の長さの10倍の『六十里越』と云われる国境峠越え区間の事であるが、豪雪地帯ゆえに12月~5月中頃の積雪期は除雪される事なく通行止となる。 だが、通年通行を目指して改良中との事で、この改良工事が完成するまでに不通区間の復旧が成されないと、恐らく廃止となろう。 だが、現状では復旧の手が着けられる事がなく、廃止を見越して放置されているようだ。
 

在りし日の急行【奥只見】と
白銀まとう浅草岳
 
不通区間の分析はこの位にしておいて、乗車記を記していこう。 会津川口で到着列車の半数が折り返し、小出まで直通する列車は半減の3本となる。 つまり国境越えする列車は、僅かに3本しかないのである。 そう、只見線と名乗りながら、只見まで行く列車は僅かに3本のみなのである。
その貴重な3本の内の1本に乗り込もう。
 
会津川口を出た気動車は、只見川に沿って進んでいく。 区間のちょうど真ん中辺りで第五只見川橋梁(この橋が落橋・流失した)で川を渡って左岸(進行方向右手)に移る。 やがて川の前方に本名ダムの築堤が見えると本名に着く。 駅は待合室のみの棒線駅だ。 ホームは車輌1輌分強しかなく、前車両(只見線は全て2輌編成の運行のようだ)の運転席側のみの乗降となる。
 
本名を出ると、本名ダムの築堤の前を第六只見川橋梁で渡る。 この橋も落橋・流失している。
川を渡って再び右岸に移るとトンネルに入る。 トンネルを出ると、ダムの築堤上を通り無事だった国道252号が寄り添ってきて、川と共に並走する。 程なく、会津越川。 この駅の冠に旧国名の『会津』が付いたのは、『廃止83線』で廃止となった北海道の根北線の終点・越川に譲ってのものらしい。
この駅も、本名同様に車輌1輌分しかない。
 
会津越川を出ても同じように国道を挟んで川と並走し、会津横田に着く。 駅は前出の2駅同様の車輌1輌分のホームと待合室の棒線駅だ。 次の会津大塩との間で再び只見川を渡るが、この第七只見川橋梁も落橋・流失している。 川を渡って暫く行くと、会津大塩。 この駅も前出と同じ設備の棒線駅だ。
この駅の周辺には天然の炭酸水が湧出し、大塩温泉や滝沢温泉といった炭酸泉の鄙びた温泉がある。
中でも大塩温泉の野湯は、川沿いに露天風呂が掘られ野趣深い。
 
会津大塩を出ると、蛇行する川とそれに寄り添う国道と離れて、トンネルで山肌を貫いていく。
トンネルで山を貫くと、蛇行した川と再び合流して会津塩沢に着く。 ここは、戊辰戦争の偉人である長岡藩士・河井継之介の終焉の地として、その記念館がある。
 
会津塩沢から只見川左岸の築堤上を進んでいく。 この区間に撮影名所の第八只見川橋梁があるが、この橋は直接川を渡っていないので崩落はなかったようだ。 しかし、その手前の土手の地滑りで路盤が崩壊している。 暫く川に沿ってゆくが、やがて川と離れて山里に入っていくと会津蒲生に着く。
 

                 沼ノ平へ        浅草岳避難小屋
 

“神秘の沼”・沼ノ平
コウホネ浮かぶ曲沼
 
この会津蒲生も前出の駅と全く同じ設備だ。 この駅から未通国道の国道289号線に沿って6kmほど上がっていくと、天嶮と云われる『八十里越』と会津・越後国境の名峰・浅草岳の沼ノ平登山口があるが、1日3本では筆者以外に利用しようとは思わないだろう。 また、叶津番所跡の史跡も近くにある。
 

浅草岳と田子倉ダムに囲まれた
只見駅のスタンプ
 
会津蒲生から只見川の支流・叶津川を長い橋梁で渡り、寄り添ってきた国道と並走すると街中に入って只見駅に着く。 駅はコンクリート平屋建てで、駅前には大きなロータリーがある。 奥会津に位置する只見町は、遠いながらも会津高原や尾瀬方面への玄関口で、その方面に向けての観光バス路線が設定されている。
 
駅は広い構内に、仮設ホームのような幅1mの島式ホームがある。 この広い構内は田子倉ダムの建設資材輸送のヤード跡だが、今は積雪期に通路を確保すべく除雪された雪の仮置き場となるらしい。
 
只見駅を出ると、田子倉ダムの巨大な築堤に向かって進んでいく。 やがて手前の只見ダム付近で田子倉トンネルに入る。 5.5kmの長い田子倉トンネルを抜けると、スノージェットの中に隠れた臨時駅の田子倉に着く。 スノージェット内の暗いホームから、坑道のような雪水が滴り落ちるコンクリートの階段を登ると、波板に覆われた仮設小屋のような駅舎から国道に出る事ができる。
 

白雪をまとう会津朝日岳と
雪に輝く田子倉湖の“蒼
田子倉駅にて
 
周囲は田子倉湖が悠然と湖水を湛え、今は冬季の駅閉鎖で見る事は叶わないが、冬の雪に輝く会津朝日岳と青い湖面が印象的であった。 また、名峰・浅草岳の登山口があり、ホームにある名所案内にも記載されている。 だが、鉄道を使って浅草岳に登る酔狂な者は、筆者以外にはない・・と断言できよう。
 

浅草岳稜線より望む
鬼ヶ面山
 

空を駆け抜ける雲と奥只見湖
浅草岳頂上にて
 

浅草岳直下の大草原
 
なお、この田子倉駅は、’13年3月のダイヤ改正で廃止となるらしい。 かつては急行【奥只見】も停車した秘境駅は、あと数日で終焉を迎える。 実質は冬季休業の冬眠駅であるので、去年の11月末が営業最終日という事になる。
 

田子倉駅を湖畔から見上げて
背後は名峰・浅草岳と鬼ヶ面山
 
スノージェットの田子倉駅を出ると、150mほどで六十里越トンネルに入る。 この延長6.3kmのトンネルで会津・越後の国境を越える。 トンネルを出ると、只見川沿いの急峻な地形に寄り添う会津の里とは雰囲気の違う越後の里風景が広がる。 越後側は総じて緩やかな傾斜にあり、その様子も何となくだが穏やかである。
 

浅草岳の登山口
大白川駅のスタンプ
 
緩やかな傾斜で峠から下っていくと、大白川に着く。 大白川の駅舎はペンション風の建物だ。
駅建物の様相通り、スキー・山菜取り・登山の拠点となっている。 ワテはスキーはしないが登山はするので、名峰・守門岳の写真を掲げようと思う。
 

迫力ある姿で迫り出る守門岳
 

山上を舞う強い風が
草原を獣の毛なみのように踊らせて
 

布引ノ滝
守門岳から続く大岩盤に
絹のように細い白布が掛けられていた
 
大白川を出ると、引き続き緩やかな傾斜を下っていく。 国道と並走しながら行くと、元乗降場だった柿ノ木に着く。 寄り添う川は国境の分水嶺を挟んで水系が変わり、魚野川水系の波間川となる。
波間川に沿って越後の里をゆくと、旧入広瀬村(現在は魚沼市)の中心・入広瀬に着く。 駅は旧村地区の物産会館との合築駅である。
 
次の上条駅まで下ってくると、峠地形から波間川に沿って緩くアップダウンする丘陵地形となる。
上条駅は快適な待合室のある棒線駅。 周囲には民家もチラホラと見え出す。 次の越後須原は、現在は合併して魚沼市となった旧守門村の中心駅。 駅舎はロッジ風の大きな構を持つコンクリート駅舎で、新潟側の最大駅である。 だが、今は交換設備は撤去された上に無人駅となっている。
 
越後須原を出ると、国内最高品種である『魚沼産・コシヒカリ』の田園地帯となる。 やがて、越後田中に着く。 プレハブの待合所のある棒線駅だ。 再び田園地帯の中をゆくと越後広瀬。 この付近で国道291号と352号が分岐するが、291号は中越地震で廃村となった山古志村へ、352号は未通道と、いずれも厳しい道程の道だ。
 
そのまま田園地帯をゆくが、終点手前の薮神までくると建物が増えて町らしくなる。 やがて、魚沼市の中心となった小出駅の母屋より最も離れた気動車ホームの4・5番線に入線する。

           ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『只見線』を御覧下さい。
 
 
 



関連記事
スポンサーサイト



スノージェット * by ムサゴロ
「スノージェット」なんて単語はありません。最近、誤用している人を多く見掛けますが、正しくは「スノーシェッド」

Re: スノージェット * by  風来梨
ああ、そうですか・・。

辞典片手に記述している訳ではないので誤字脱字の一つ二つは必ずあるし、これを完璧に防ぐ手立てはありませんので。
それに指摘したって事は、文として読めてますね。 なら、それでいいのではないでしょうか?

間違いの指摘を内緒で投稿するなど相手に配慮を見せるならまだしも、相手に不快感を与える貴方はチト頭が弱いですね、
たぶん他にも間違いはあるだろうけど指摘はもう結構ですし、それが目当てならもう来てこのブログを見て頂く必要はありません。


コメント






管理者にだけ表示を許可

スノージェット

「スノージェット」なんて単語はありません。最近、誤用している人を多く見掛けますが、正しくは「スノーシェッド」
2023-05-07 * ムサゴロ [ 編集 ]

Re: スノージェット

ああ、そうですか・・。

辞典片手に記述している訳ではないので誤字脱字の一つ二つは必ずあるし、これを完璧に防ぐ手立てはありませんので。
それに指摘したって事は、文として読めてますね。 なら、それでいいのではないでしょうか?

間違いの指摘を内緒で投稿するなど相手に配慮を見せるならまだしも、相手に不快感を与える貴方はチト頭が弱いですね、
たぶん他にも間違いはあるだろうけど指摘はもう結構ですし、それが目当てならもう来てこのブログを見て頂く必要はありません。

2023-05-07 *  風来梨 [ 編集 ]