2013-03-03 (Sun)✎
名峰次選の山々 第83回 『140 火打山 その2 積雪期』 新潟県
この坂を22㎏の荷を背負って登っていくのだが、筆者は雪山経験者で有るにも拘らず、6本爪の軽アイゼンしか持ってこないなどナメきっていたのである。 前爪の無い6本爪は蹴り込み不能で使えなく、アイゼンを外して蹴り込みで段を造り、ステップを切って登っていく。
これらの作業と緊張の連続で疲れだし、休憩を繰り返し足が遅くなる。 その休憩中に目にした『オバちゃん』と呼ばれる人種の度胸には圧巻する。 『オバちゃん』は、奇声を発しながら『尻セード』で滑り下りていたのだ。 「樹に激突するぞ」、「止まらなかったらどうするよ」、「人にぶつかったらどうよ」と、その行為のもたらすリスクが泉のように湧いてくる。 いゃぁ、肝っ玉が坐ってるわ。
で、何とかこの急傾斜を登りきって稜線上に立つ。 登ったはいいが、この下りはかなりの苦戦が予想されますね。 だが、『ノルディカ』の奴らは、この坂は何でもないようだ。 なぜなら、スキー技術の達者な者なら、斜めを切って滑り下りていく事ができるからだ。 ワテが登るのに1時間費やしたこの登りを、ものの7~8分で下って行きやがる。 でも、「山登りの醍醐味を捨ててるな」って思うのは私だけか?
稜線上に出ても急坂が延々と続き、ヘタった私の身体を襲う。 『ノルディカ』連中に次々と抜かれ、かつては夏とはいえ2時間で着いた《富士見平》へ4時間以上かかっていた。
《富士見平》は妙高前座の山裾に広がる平原で、多くの『ノルディカ』連中が思い思いに滑降を楽しんでいた。 あぁ、コイツらの目的は山でなくコレだったのね。 『ノルディカ』連中を目にして、「山に登るのが目的だとするなら、あまりにも淡白過ぎるのでは?」と思っていたが、目的がスキーなら納得がいく。
積雪期のテント屋は7~8張位で、『ノルディカ』の連中の大半が小屋泊まりのようだ。
さて、出発は5:20。 夏ならば頂上へ向けて登っていく登山者のラッシュとなる時間帯なのだが、誰もいない。 そう、1人も追随者がいない。 朝日を撮りに「夜明け前から頂上へ」とまでは言わないが、山のセオリーからは完全に逸脱している。
『ノルディカ』のスキーの事といい、この山旅らしくない朝の情景の事といい、何か切なくなってくる。
なぜなら、山をやってる私が完全に『エトランゼ』として浮いているからだ。
さて、夏だと安直に渡れる平原も、雪道ならば倍はかかる。 それは、全ての道を雪に覆われた事による直登化が原因だろう。 だが、火打山の取付までは『ノルディカ』スキー連中のゲレンデとなっているようで、割と圧雪はされているみたいだ。 だが、『ノルディカ』スキーが不利な急登となると、状況は変わってくる。
『ノルディカ』の連中はこの不利な急登を避け、山の裏側のトラバースルートを行くようである。
やがて、雪が吹き飛ばされて夏道が現れた岩ゴーロ地帯を登り、その上の急傾斜を雪を蹴り込んでのステップを刻みながら直登していく。 この急斜面を登って肩に出ると、後100mほどの直登だ。
もう、頂上にタッチしただけで引き返す。 帰りは風との戦いだった。 時折吹っ飛ばされそうな風が吹きつけてきて、そういう場面はこの程度の斜面でも伝家の宝刀『クマ下り』を発動せねばならなかった位だ。 従って、頂上での写真はないので悪しからず。
で、戻ったのは8:40頃。 往復で3:20もかかっちまった。 ちょっと一服してからテントを撤収するが、その傍らで『ノルディカ』連中が次々とゲレンデに向けて出撃していく。 おいおい、『9時から行動』かよ。 こちらは、下りもかなり時間を食うと予測して、9時半出発で下山開始としよう。
妙高山系(上信越高原国立公園) 2462m コース難度 ★★★★ 体力度 ★★
雪の火打を目指そう
『ネタ切れ冬眠期間』から、ボチボチ再開する事にしましょうか。 それでは、再開の手始めは積雪期の火打山に登ってみよう。
積雪期の火打山 行程図
『旅の行程記録』(実際の所要時間でっす)
《1日目》 笹ヶ峰登山口(0:50)→黒沢(1:30)→十二曲り頂上(2:05)→富士見平
(0:50)→高谷池
《2日目》 高谷池(1:45)→火打山(1:35)→高谷池(1:40)→十二曲り頂上(1:40)→黒沢
(0:40)→笹ヶ峰登山口
燕温泉からのルートは
雪に閉ざされていた
《1日目》 笹ヶ峰登山口より高谷池へ
登山口となる笹ヶ峰は完全な雪野原だった。 ルートは完全に雪に覆われ、皆は行きたい放題に踏跡をつけていてルートが判り辛い。 そして、山を目指す人の95%以上が、『ノルディカ』の歩くスキーを履いていた。
見た目も実際も楽そうだ。 下り坂だと、50m位をものの10秒そこそこである。 でも、何か山では邪道のような気がするのだな、コレ。 山、そして大地は一歩一歩踏みしめて行きたいし、今までもそうしてきたのだから。 そして、『山で滑る』ってのは、『命を失う』って事につながるし。
見た目も実際も楽そうだ。 下り坂だと、50m位をものの10秒そこそこである。 でも、何か山では邪道のような気がするのだな、コレ。 山、そして大地は一歩一歩踏みしめて行きたいし、今までもそうしてきたのだから。 そして、『山で滑る』ってのは、『命を失う』って事につながるし。
だが現実には、到達時間は元より、体力の消耗度や疲労度、困難度などの考えられる全てで有利なのである。
ルートは、黒沢を渡った所から本格化する。 目の前に立ちはばかる標高差250mを登りきらねばならない。 通称《十二曲り》という急登だ。 夏ならばジグザクを切ってある何でもない登りなのだが、雪が斜面を全て覆い隠した春山は違う。 完全な直登なのだ。
ルートは、黒沢を渡った所から本格化する。 目の前に立ちはばかる標高差250mを登りきらねばならない。 通称《十二曲り》という急登だ。 夏ならばジグザクを切ってある何でもない登りなのだが、雪が斜面を全て覆い隠した春山は違う。 完全な直登なのだ。
この坂を22㎏の荷を背負って登っていくのだが、筆者は雪山経験者で有るにも拘らず、6本爪の軽アイゼンしか持ってこないなどナメきっていたのである。 前爪の無い6本爪は蹴り込み不能で使えなく、アイゼンを外して蹴り込みで段を造り、ステップを切って登っていく。
で、何とかこの急傾斜を登りきって稜線上に立つ。 登ったはいいが、この下りはかなりの苦戦が予想されますね。 だが、『ノルディカ』の奴らは、この坂は何でもないようだ。 なぜなら、スキー技術の達者な者なら、斜めを切って滑り下りていく事ができるからだ。 ワテが登るのに1時間費やしたこの登りを、ものの7~8分で下って行きやがる。 でも、「山登りの醍醐味を捨ててるな」って思うのは私だけか?
稜線上に出ても急坂が延々と続き、ヘタった私の身体を襲う。 『ノルディカ』連中に次々と抜かれ、かつては夏とはいえ2時間で着いた《富士見平》へ4時間以上かかっていた。
山に登りに来たのではなく
スキーをしに来たのだな
《富士見平》は妙高前座の山裾に広がる平原で、多くの『ノルディカ』連中が思い思いに滑降を楽しんでいた。 あぁ、コイツらの目的は山でなくコレだったのね。 『ノルディカ』連中を目にして、「山に登るのが目的だとするなら、あまりにも淡白過ぎるのでは?」と思っていたが、目的がスキーなら納得がいく。
後はトラバース道を抜けて《高谷池》に向かうだけだが、冬は結構トラバースがキツく、そそるものがある。 『ノルディカ』の轍を踏み外したなら、雪の斜面を転げ落ちるからだ。 かつては小走りで伝ったトラバース道を50分もかけて伝うと、雪の中に三角屋根の高谷池ヒュッテが現れる。 只今の時刻は15:15。 5時間以上かかってたりして。
火打山を背景に広大な雪原が広がって
高谷池にて
積雪期のテント屋は7~8張位で、『ノルディカ』の連中の大半が小屋泊まりのようだ。
小屋の前には、似たような絵柄の『ノルディカ』のスキー板が所狭しと並べてあった。
今日は疲れたので、テントを張ると即効昼寝。 夕日は快晴なものの、あまりオレンジ色に染まる事が無く撮らず終い。 後はメシ食って、7時には就寝する。
朝の妙高
今回はムリっス
《2日目》 火打山でオチャメ
朝4時に起きる。 もう、薄っすらと明るくなっていた。 暖を取るべくコンロを炊く。
朝4時に起きる。 もう、薄っすらと明るくなっていた。 暖を取るべくコンロを炊く。
「もしかして、“オチャメ”ってここで?」って思うかもしれないが、コンロが暴発してテント炎上だの、コンロのお湯をひっくり返して大ヤケドだのというオチではないので念の為。
優雅な三角錐を魅せるあの頂へ
二本の足で登っていこう
二本の足で登っていこう
さて、出発は5:20。 夏ならば頂上へ向けて登っていく登山者のラッシュとなる時間帯なのだが、誰もいない。 そう、1人も追随者がいない。 朝日を撮りに「夜明け前から頂上へ」とまでは言わないが、山のセオリーからは完全に逸脱している。
『ノルディカ』のスキーの事といい、この山旅らしくない朝の情景の事といい、何か切なくなってくる。
なぜなら、山をやってる私が完全に『エトランゼ』として浮いているからだ。
さて、夏だと安直に渡れる平原も、雪道ならば倍はかかる。 それは、全ての道を雪に覆われた事による直登化が原因だろう。 だが、火打山の取付までは『ノルディカ』スキー連中のゲレンデとなっているようで、割と圧雪はされているみたいだ。 だが、『ノルディカ』スキーが不利な急登となると、状況は変わってくる。
『ノルディカ』の連中はこの不利な急登を避け、山の裏側のトラバースルートを行くようである。
それを斜面いっぱいに、大きくジグザグを切って登っていくみたいだ。 だが、極少数の『二本の足』派は通常ルートとなる。 そして、追随する者が皆無のトップ行。 それは、消えかかった踏跡が薄っすらとあるだけなのだ。
頂上に近づくにつれ
ドス黒いガス雲が覆い被さってきた
その薄っすらと踏跡の残るルートは、ハイマツが所々雪間から這い出るなど足元がかなり厄介だ。
そりゃぁ、『ノルディカ』の連中は避けるわなぁ。 でも、こちらは避ける訳にはいかんのである。
急斜面をスキー板の跡を辿ってジグザクに登るなどしたら時間がかかるし、体力の無駄だ。
そしてスキー板の跡でしかない痕跡は踏ん張りがきかない。 つまり、リスクが大き過ぎるのである。
で、滑落の危険のある斜面に寄り過ぎずに行くとなると、ハイマツの這い出る不安定な雪道を通るしか無くなる訳である。
ハイマツの際ってのは
オチャメの宝庫です
となると、ハイマツの上に乗る雪庇を踏み抜いてハマるリスクを負う事になる。 深い所で胸位の所までハマッてしまう。 小さくても、膝上位まではノメリ込むのだ。 そろそろお解かりだろう。
これが、今回のオチャメである。 何度かハマッた内の1回が、胸上まで深くハマってしまったのである。
要するに胸上という事は、1m30cmは落下した訳である。 それは、ハイマツが身体にぶち当たって猛烈な衝撃となる。 胸部打撲と擦過傷。 でも、雪山という事で厚手の服を着ているので、落ちた瞬間は転げまわる程に痛くはない。 だから、後になってこれが“オチャメ”に昇華した訳である。 即ち、事が起きた瞬間は何でもなかったのだ。 それが、「後になって」という事である。
要するに胸上という事は、1m30cmは落下した訳である。 それは、ハイマツが身体にぶち当たって猛烈な衝撃となる。 胸部打撲と擦過傷。 でも、雪山という事で厚手の服を着ているので、落ちた瞬間は転げまわる程に痛くはない。 だから、後になってこれが“オチャメ”に昇華した訳である。 即ち、事が起きた瞬間は何でもなかったのだ。 それが、「後になって」という事である。
やがて、雪が吹き飛ばされて夏道が現れた岩ゴーロ地帯を登り、その上の急傾斜を雪を蹴り込んでのステップを刻みながら直登していく。 この急斜面を登って肩に出ると、後100mほどの直登だ。
でも、『ノルディカ』で直登りができる程度の傾斜だ。 しかし、風がかなり巻いているみたいで、体力的にはキツイですね。
で、最後り100mを登りつめたけど、風は強く周囲の山はガスに覆われて皆無、つまり写真を撮る余地が全くなかったのである。 そして、『アリバイ写真』を撮ろうにも、セルフでカメラを置く下地がない=撮れないのである。 結局、雪一色の頂上では何もできなかったのである。
頂上は少々荒れ気味だったので
コレで勘弁してネ
もう、頂上にタッチしただけで引き返す。 帰りは風との戦いだった。 時折吹っ飛ばされそうな風が吹きつけてきて、そういう場面はこの程度の斜面でも伝家の宝刀『クマ下り』を発動せねばならなかった位だ。 従って、頂上での写真はないので悪しからず。
帰りは、伝家の宝刀『クマ下り』の大セールを乱発して、何とか『ノルディカ』連中のゲレンデまで戻る。
ここで、ようやく『ノルディカ』の頂上アタック隊のトップと遭遇する。 時間は8時過ぎ。
もしかして、小屋で7時位まで寝てたんか? コイツら。 でも、速い速い。 下りは100mを10秒そこそこで滑り降りて来るんだもんね。 体力が温存される訳だわ。
ここで、ようやく『ノルディカ』の頂上アタック隊のトップと遭遇する。 時間は8時過ぎ。
もしかして、小屋で7時位まで寝てたんか? コイツら。 でも、速い速い。 下りは100mを10秒そこそこで滑り降りて来るんだもんね。 体力が温存される訳だわ。
これほど雪が深いとは
思わなかったよ
で、戻ったのは8:40頃。 往復で3:20もかかっちまった。 ちょっと一服してからテントを撤収するが、その傍らで『ノルディカ』連中が次々とゲレンデに向けて出撃していく。 おいおい、『9時から行動』かよ。 こちらは、下りもかなり時間を食うと予測して、9時半出発で下山開始としよう。
晴れていても霞の空だった
周囲の山が撮れたの・・コレ1枚
周囲の山が撮れたの・・コレ1枚
食料分が減ったとは言え、20㎏はある荷物を抱えての下山だ。 そして、何の訓練もナシにくる“ナンチャッテ”である。 《高谷池》の小屋を出てすぐの《富士見平》への登りだけでヘタリ出してくる。
そしてそのヘタリは、胸の辺りの痛みとして現れ出す。 また、必要以上に汗が出る。
だが胸の痛みは、身体をひねると「フンヌ」っと叫ばねばならぬ時もあるが、聞き分け良く何とも無い事もある。 こういう状況だったから、この時点では「体力の著しい低下が原因で異常ナシ」と思えてしまう。
でも、痛みを伴っての下山は、体力と気力を大いに奪い去る。 そして、汗の量もいつもより多くて気になる。 春で雪に覆われた山中で「Tシャツ一枚になりたい」と思う位なのだから。 そうこうしている内に、例の《十二曲り》の頭にたどり着く。 これより、毛勝山なみの急傾斜の直下降となる訳だ。
初めの内は強がって前を向いて下っていったが、すぐさま落城して『伝家の宝刀』を抜く。
でも、痛みを伴っての下山は、体力と気力を大いに奪い去る。 そして、汗の量もいつもより多くて気になる。 春で雪に覆われた山中で「Tシャツ一枚になりたい」と思う位なのだから。 そうこうしている内に、例の《十二曲り》の頭にたどり着く。 これより、毛勝山なみの急傾斜の直下降となる訳だ。
初めの内は強がって前を向いて下っていったが、すぐさま落城して『伝家の宝刀』を抜く。
しかし、「何とも安い『伝家の宝刀』だな」と我ながら思う。 そして、この『伝家の宝刀』は弱点があるのだ。 それは後が見辛い事と、とっても時間がかかる事である。 雪面にヘバリつきながら、一歩一歩雪面を蹴り込んでステップを刻みながら下るのであるから。
また、これをやり終えると、『矢吹 丈』のように真っ白になるのだ。 20㎏からの荷物を1時間以上背負ったままで、雪を40cm間隔で階段状に蹴り込んで行くのだから。
「あら、胸の痛みはどうしたの?」って事だが、『クマ下り』に熱中して忘れちまっていたよ。
でも、この下りを終えた後、10分位『矢吹 丈』になっていたが。 後は、もう問題となるような所はない。 50分ほど雪道を歩いていくと、笹ヶ峰の登山口だ。
また、これをやり終えると、『矢吹 丈』のように真っ白になるのだ。 20㎏からの荷物を1時間以上背負ったままで、雪を40cm間隔で階段状に蹴り込んで行くのだから。
「あら、胸の痛みはどうしたの?」って事だが、『クマ下り』に熱中して忘れちまっていたよ。
でも、この下りを終えた後、10分位『矢吹 丈』になっていたが。 後は、もう問題となるような所はない。 50分ほど雪道を歩いていくと、笹ヶ峰の登山口だ。
笹ヶ峰高原で望む黒姫山
積雪期には笹ヶ峰からのバス便はなく、駅に出るにはタクシーかヒッチハイク以外に手がないのが悩み所である。
孤高の姿を水面に映す妙高山
ちなみに胸のオチャメであるが、帰って3日後にクシャミで飛び上がる程に痛みが走るピークに達し、病院に行ったら『肋軟骨損傷・全治4週間』だって。 でも、肋骨折りながら20㎏担いで、見た目60°の斜面で1時間あまりも『伝家の宝刀』を使い続けた強靭さは誇ってもいいんでないかい?
えっ、そのアホさを・・だって? ごもっとも。
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