2013-03-02 (Sat)✎
『私の訪ねた路線』 第129回 只見線 その1 会津若松~会津川口 〔福島県・新潟県〕
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
会津若松~小出 135.2km 304 / 258
運行本数(’20)
会津若松~会津川口 6往復 ,会津若松~会津坂下 1往復
会津川口~只見 バス 下り6便・上り7便 、只見~小出 3往復 、小出~大白川 1往復
※ ’11年7月の豪雨災害により会津川口~只見の区間が不通となり、
この区間は現在バス代行輸送となっています。
《路線史》
路線の建設に関しては、「沿線の様々な事情で延伸されたものの併合路線」という認識が最も適合するであろう。 会津若松~会津柳津は、『軽便鉄道法』による地方地域輸送の単位の路線であった。
会津柳津より先は、『改正鉄道敷設法』により只見を経て新潟県・小出に向かうべくの計画路線として延伸が進められる事となる。
まずは、1941~42年に会津若松側が会津宮下まで、小出側が大白川まで開通する。 その後、現在日本一の発電量を誇る『田子倉ダム』の建設が始まって、その資材輸送に供する為1956年に越後川口までが開業。 その先、会津川口から只見を経て田子倉ダムサイト建設現場までは、ダム運営会社の『電源開発』の専用鉄道として建設される事となる。
会津柳津より先は、『改正鉄道敷設法』により只見を経て新潟県・小出に向かうべくの計画路線として延伸が進められる事となる。
まずは、1941~42年に会津若松側が会津宮下まで、小出側が大白川まで開通する。 その後、現在日本一の発電量を誇る『田子倉ダム』の建設が始まって、その資材輸送に供する為1956年に越後川口までが開業。 その先、会津川口から只見を経て田子倉ダムサイト建設現場までは、ダム運営会社の『電源開発』の専用鉄道として建設される事となる。
そして、ダムの完成までは完全な建設資材輸送路線として、1960年のダム完成とその翌年の付帯工事一式の完成まで供される事となる。 ダムの完成後の会津川口~只見は、2年の歳月をかけて旅客鉄道使用に向けての改良工事が行なわれ、その工事の完成後国鉄に返還される。
この頃はダム資材建設輸送と大白川地区の珪石の採掘輸送で、只見線の歴史の中で最も“潤っていた”時期だったとの事である。 なお、全通はそれから8年後の1971年で、この頃から我が国の資源産業が斜陽化し衰退に向かうのである。
この只見線は、日本有数の豪雪地帯で平行する国道252号も冬季は閉鎖となる事から、冬季は只見地区から新潟県へ抜ける唯一の交通機関となる。 このような理由により、輸送量が特定地方交通線の廃止対象路線並ではあるが、国鉄再建法による廃止対象から除外されて廃止を免れている。
列車運行としては、まがいなりにも乗客輸送を目的として建設された会津柳津までの『軽便鉄道』区間の利用が全線で最も多いので、会津若松に向けて列車本数が厚く設定されている。 だが、多いとはいっても、最大上下各7本づつなのだが。 国境付近は、山深い里で冬季は“陸の孤島”ともなる事から、日に3往復と運行本数は激減する。 新潟県の地区内も利用は至って少なく、列車本数も4~5往復程度である。
1988年までは、急行【奥只見】号が運行していた。 また、田子倉駅は“秘境駅”として有名で、冬季は並走する国道も雪で埋もれて閉鎖される事から、7年程前より冬季は完全休業の臨時駅扱いとなっている。
《乗車記》
始発駅となる会津若松の4番線が只見線の主な発着ホームだ。 ちなみにその隣の5番線は、旧国鉄会津線から移管された第3セクターの会津鉄道の主ホームとなっている。 それは、“本線”格の磐越西線が電化路線なのに対し、只見線や第3セクターに経営移管された会津鉄道は非電化路線だからである。
会津若松を出ると、七日町・西若松と会津若松市街をゆくこの区間だけ鉄道路線としての体面を保つ程に乗客がいる。 この西若松までは会津鉄道の列車も往来しているので、列車本数は西若松以遠の3倍近くの本数がある。 また、西若松駅は近代的な駅に建替えられて、会津鉄道と只見線を分岐する分岐駅としての機能を有している。 ちなみに、この駅から白虎隊で有名な鶴ヶ城が近い。
この西若松駅までは、只見線ではあるが市街地を走る別路線の認識を抱くだろう。 閑散路線である只見線は、ここから先であると云えるのである。 西若松を出ると、会津の稲作地帯をゆく。 広大な田園が広がる中、簡易駅舎に建替えられた会津本郷に着く。
この駅の駅舎の建つ位置までが会津若松市の旧北会津村行政区域で、駅前は旧会津本郷町の会津美里町の行政区域となるらしい。 この駅は無人の棒線ホームだが、かつては阿賀野川のバラスト砕石がこの駅で取り込まれていた為、駅裏には広大な空地が広がっている。
次の会津高田も、前駅の会津本郷と同じデザインの簡易駅舎に建替えられている。 こちらは合併により成立した会津美里町の中心部で、合併前は会津高田町を名乗っていた。 町の中心駅という事で、以前は交換設備を有する駅であったが、今はその設備は撤去されている。
会津美里町区域に入っても広大な田園地帯をゆく眺めは変わらない。 天気の良い日は、奥に飯豊連峰がアクセントとしてそびえ立っているだろう。 程なく、田園の中にホームと待合室だけの棒線駅・根岸に着く。 よもや間違う事はないと思われるが、首都圏に根岸駅があるので、切符には(只)標記が記入される。
次の新鶴は、3町村合併で会津美里町となった旧新鶴村の中心駅。 駅舎は会津美里町となった会津本郷・会津高田と同じデザインの簡易駅舎に建替えられている。 以前は貨物の取扱駅だったようで、撤去された貨物側線跡が空地となっている。
次の若宮からは、会津坂下町となる。 その若宮駅は、先ほどの根岸駅同様のホームの上に待合室が乗っかる棒線駅。 周囲も、根岸駅同様に広大な田園風景が広がる。
国宝・勝常寺薬師と大俵引きの里
会津坂下駅スタンプ
会津坂下駅スタンプ
次の会津坂下は、会津坂下町の中心駅で、線内でも別格の西若松についでの利用客がある駅だ。
もちろん交換設備を有するJR直営の有人駅で、路線内の会津高田より新潟県境までの駅の管理駅となっている。 現在は、この駅までの区間運行が1往復ある。
次の塔寺は、山の土手をゆく路線を結ぶべく長い階段廊下を持つ駅である。 森となっている土手上にホームがあるので木々に囲まれた静かな雰囲気が漂うが、駅とをつなぐ階段スロープを降りると目の前に国道49号線があり、通行車両が結構うるさい。
次の会津坂本は、かつては木造駅舎があったものの、現在は貨車駅。 この辺りから雄大な流れを魅せる只見川が寄り添ってくる。 次の会津柳津は、柳津温泉郷の玄関駅。 かつては有人駅で交換設備もあるが、今は列車本数も少なく廃棄・放置されている。 温泉町を示す提灯が駅の軒に吊り下げられて、観光駅の面持ちを呈している。
次の郷戸はカプセル駅舎の無人駅。 只見川の柳津ダム建設の際は、建設資材の搬入現場として賑わったとの事である。 郷戸より只見川の支流の滝谷川を遡るように進んでいく。 やがて、会津柳津町の字である滝谷に着く。 かつては、木造駅舎に交換設備と貨物ホームを有したが、無人化されて小さな待合室のみの棒線駅となっている。
滝谷付近では
只見川と離れた山里をゆく
滝谷~会津檜原にて
滝谷を出るとトンネルを抜けて、再び只見川の川辺に寄り添うようになる。 只見川が見えると、程なく会津桧原に着く。 駅はドーム型のデザイン待合室に建替えられている。 これより、雄大な流れを魅せる只見川を跨ぎながらゆくが、川を渡る鉄橋はいずれも好撮影地として有名になっている。
美しいトラス橋構造の第一只見川橋梁を渡ると、会津西方に着く。 駅前に民家が並ぶ待合室付の棒線駅だ。 会津西方を出ると、程なく第二只見川橋梁をゆく。 こちらも、好撮影地として知られている。
それでは、この橋梁で撮った筆者の写真をごろうじろ。
3日連続の雨で
只見川は茶色の濁流となっていた
第二只見川橋梁にて
次の会津宮下は、路線内の相次ぐ交換設備撤去により、貴重な交換可能駅となっている。
駅助役が配置された有人駅で、三島町の中心駅となっている。 この駅を出て暫く只見川と寄り添い、只見川の橋梁でも最も撮影名所として有名な第三只見川橋梁を渡り、トンネルで山を貫き早戸に出る。
それでは、この第三只見川橋梁で撮った写真もごろうじろ。
只見線沿線で最も有名な撮影地
第三只見川橋梁にて
早戸は、駅ホームより雄大な只見川の流れを魅る事ができる駅だ。 以前は物置化した木造駅舎があったが、近代バス待合所のようなカプセル待合所に建て直されている。 もちろん、この待合所から只見川の雄大な流れを魅る事ができるように、前面はガラス張りとなっている。
次の会津水沼へは只見川の左岸をゆく。 只見川の左岸(小出方面の列車ならば右手)は山の土手で、会津水沼の辺りは民家はほとんどない。 駅舎はボロボロの木造駅舎で、2つの建物を縦横につないだ変な形の駅舎だ。
次の会津中川も、寂れた山中に所在する駅。 この辺りまでくると利用客も少ないのだろうか、駅舎も建替えられずに古いままだ。 そして、会津若松からの列車の半数が折り返す会津川口に着く。
水と緑といで湯の里
会津川口駅のスタンプ
この駅は金山町の中心駅で、山に囲まれた只見川沿いの手狭い所に町があり、駅も只見川の川縁の高台に位置する。 それ故に、駅から町の中央部を流れる只見川を一望できる。
駅は助役配置の有人駅で、郵便局やJAの金融支店など町の施設との合築駅舎となっている。
列車の半数が折り返すべく、列車交換可能の設備を有する。 先程も述べた通り、列車の半数が折り返し、これより先をゆく列車は1日に僅か3本となる。 その上に、現在は’11年の豪雨災害により、会津川口から只見までの間が不通となっている。
路線が長い為、続きは『只見線 その2』にて・・
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No title * by 風来梨
オータさん、こんばんは。
廃線の噂も出始めましたか・・。
廃止されたローカル線と成績が同じような只見線が残った理由は、今まで不通区間だった越後川口~大白川の冬季の代行輸送ができない・・って事でしたから。
でも、国道252号はかなり快適な道へと整備され続けていますし、六十里越(田子倉の峠)も、やや勾配がキツいですが北海道の日勝峠なみに改良されてます。 また、八十里越の国道289号線建設は放棄されたようですが、越後須原からの県道があれば栃尾や三条に抜けれますので問題がないですね。
これらの道路整備で「冬の輸送問題も解決した」と捉えられると只見線の命運は尽きますね。
廃線の噂も出始めましたか・・。
廃止されたローカル線と成績が同じような只見線が残った理由は、今まで不通区間だった越後川口~大白川の冬季の代行輸送ができない・・って事でしたから。
でも、国道252号はかなり快適な道へと整備され続けていますし、六十里越(田子倉の峠)も、やや勾配がキツいですが北海道の日勝峠なみに改良されてます。 また、八十里越の国道289号線建設は放棄されたようですが、越後須原からの県道があれば栃尾や三条に抜けれますので問題がないですね。
これらの道路整備で「冬の輸送問題も解決した」と捉えられると只見線の命運は尽きますね。
不通区間の問題から 廃線の噂も出始めていますね。やはり、モータリゼーションの影響でしょうか? 乗る機会が無かったので、なんともわかりません。