2013-02-24 (Sun)✎
『私の訪ねた路線』 第128回 釧網本線 〔北海道〕
《路線データ》
釧網本線
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
網走~東釧路 166.2km 513 / 583
運行本数(’18)
網走~釧路 5往復(内 快速1往復)
網走~知床斜里 下り4本・上り3本(内 2往復はトロッコ列車〔流氷物語号〕として運転)
網走~ 緑 上り1本 , 川湯温泉~釧路 下り1本
摩周~釧路 下り1本・上り2本 , 標茶~釧路 1往復(SLの臨時列車として運転)
《路線史》
太平洋沿岸の釧路とオホーツク海沿岸の網走を結ぶ路線として建設される。 建設は両端から始まり、網走側は2006年に廃止となった池北線(ちほく高原鉄道)が『網走本線』と名乗る幹線だった当時、この『網走本線』の延伸という形で1929年までに札弦までが開業する。
一方、釧路側は以前に硫黄鉱山鉄道としてあった鉄道の路盤を流用して、1930年までに川湯までが完成する。 その後延伸工事は急ピッチで進められ、1931年には札弦~川湯が開通し全通する。
全通に伴い網走~札弦の『網走本線』から路線編入を受けて、現在の『釧網本線』との区間名称となっている。
運行に関しては、かつてキハ22などの一般型気動車を利用しての急行【しれとこ】が3往復運行していたが、現在はほとんど通過駅のない快速(1往復)に格下げられて、キハ54による単行で仕様についている。 列車本数は都市のある両端に近づく程多くなり、それぞれが国境に接する駅の緑と川湯で運行が打ち切られるパターンが多い。 この国境越えの区間を通過する列車は、僅かに5往復である。
沿線は相次ぐオホーツク沿岸路線の廃止で唯一の沿岸路線となり、列車からはこの路線でしか望めなくなった流氷を始め、「我が国最後の自然の楽園」と言われる《知床》や《小清水の原生花園》、《摩周湖》、《硫黄山》、《川湯温泉》、《釧路湿原》と豊富な観光資源を後ろ盾に、観光路線としての脱皮が計られている。
一方、釧路側は以前に硫黄鉱山鉄道としてあった鉄道の路盤を流用して、1930年までに川湯までが完成する。 その後延伸工事は急ピッチで進められ、1931年には札弦~川湯が開通し全通する。
全通に伴い網走~札弦の『網走本線』から路線編入を受けて、現在の『釧網本線』との区間名称となっている。
運行に関しては、かつてキハ22などの一般型気動車を利用しての急行【しれとこ】が3往復運行していたが、現在はほとんど通過駅のない快速(1往復)に格下げられて、キハ54による単行で仕様についている。 列車本数は都市のある両端に近づく程多くなり、それぞれが国境に接する駅の緑と川湯で運行が打ち切られるパターンが多い。 この国境越えの区間を通過する列車は、僅かに5往復である。
沿線は相次ぐオホーツク沿岸路線の廃止で唯一の沿岸路線となり、列車からはこの路線でしか望めなくなった流氷を始め、「我が国最後の自然の楽園」と言われる《知床》や《小清水の原生花園》、《摩周湖》、《硫黄山》、《川湯温泉》、《釧路湿原》と豊富な観光資源を後ろ盾に、観光路線としての脱皮が計られている。
冬季のSL運転や流氷シーズンや夏季のトロッコ列車など、季節の観光シーズンに応じて観光バスとタイアップした列車の運行が計られている。
遠く知床連峰を見て
《乗車記》
始発駅となる網走駅だが、かつて湧網線が分岐していた頃はターミナル駅の威厳を保っていたが、その廃止後は分岐線を無くして途中駅然化した事と、網走市の過疎化によって寂れたイメージを色濃く落としている。 釧網本線は、その2面3線の2番線を基本として発着する。 だが、石北本線との直通列車は母屋寄りの1番線発着となる。
その網走駅を発車すると、暫く網走市街を見ながらゆく。 程なく桂台に着く。 この駅はかつては乗降場である。 以前は地元の人にもあまり認知されていなかったようで、網走市街地の中にある割には利用客が少なかったが、駅待合室と駅ホームへの通路をデザイン化したものに建替てからは利用客が多くなったみたいだ。
桂台を出て市街地を抜けると、オホーツク海が車窓に広がる。 国道を挟んでオホーツク海を見ながらゆくと、鱒浦に着く。 駅名は、この辺りが鱒漁の良漁場だった事からだという。 駅舎は風格ある木造駅舎だが、周囲は寂れ果てて国道を行き交う車の通行以外に何もない印象だ。
引き続き、国道とオホーツク海と並走すると藻琴駅に着く。 藻琴駅も風格のある木造駅舎で、無人化された現在は駅事務室に喫茶店が入店している。 その為か、駅というよりドライブインといった感じである。 近くには海跡湖の藻琴湖がある。
沖に流氷と貨物列車の
願ってもない情景
藻琴~北浜
藻琴~北浜
引き続きオホーツクと国道と並走するが、藻琴駅の手前から国道と入れ替わり、釧網本線は海側を走るようになる。 藻琴駅を出てからは最も海に接近して北浜駅に着く。 この駅は「最もオホーツクに近い駅」として全国的に宣伝され、観光バスも立ち寄る観光地となっている。
流氷の帯と
知床連山・国後島の山なみ
駅には訪問者の訪問を示す切符や名刺類が壁を埋め尽くす程に張られていて美観を損ねているが、まぁ観光地としてはこのようなシチュエーションの方が旅情をそそるのであろう。 また、冬季は接岸する流氷を体験できる駅で、こちらの駅も駅務室には喫茶店が入店している。
キハ22がシャドーに光る
ヘタクソ!とみるか
なかなかジャン!とみるか
北浜を出ると、陸側の車窓に海跡湖の濤沸湖が見えてくる。 海水の入り混じる汽水湖は渡り鳥の格好の中継点となり、時期が合えばガンやカモ、オオハクチョウなどの野鳥の群れを見る事ができるだろう。 また秋には、湖面を真っ赤に染めるアッケシ草が満開になる。
濤沸湖を形成する砂嘴の部分を伝うと、原生花園駅に着く。 この駅は臨時駅で、名称の通り濤沸湖の砂嘴にある小浜清水原生花園への訪問駅だ。
原生花園に咲く花々
コオニユリ エゾカンゾウ
夏季の花シーズンとなると、原生花園に訪れる観光客を乗せた観光バスが次々と押し寄せる。
この駅でバスを降りて原生花園を散策して、次の浜小清水駅で回収するパターンが標準観光ルートのようである。 このルートに鉄道が関連しないのは、残念な事であるが。
そのバス観光客を回収する次の浜小清水駅だが、駅敷地内に『道の駅・浜小清水』が設けられ、駐車場は行楽客の自家用車や観光バスで常時満杯となっている。 そのほぼ全てが『道の駅』の利用客で、申し訳程度に設けられた駅待合室だけは閑散としていた。 ただ、ゴミ箱だけは、『道の駅』利用者の持ち込んだゴミで満杯となっていたが。
浜小清水を出ると、再び海沿いに広がる砂丘の上をゆく。 やがて止別に着く。 こちらも、藻琴や北浜同様に喫茶店が入店している。 これらの駅全てにいえる事だが、テナントの入店により駅前は整地されて大きな駐車場となり、ドライフインの様相を呈している。
知床連峰を映す知床五湖
知床斜里より
観光拠点のウトロまで40km
止別を出て暫くするとオホーツク海と離れて市街地に入っていく。 程なく知床斜里に着く。
ここは知床の玄関口として目され、駅名にも“知床”の冠が付き、駅も都会風のデザイン建築の建物に改装されている。 中には観光センターが入り、駅としての機能よりコチラの方を重視しているようだ。
知床岬灯台
究極の知床はココですね
:
知床とは『シリエトク』
“地ノ涯テ”を意味する言葉だから
普通は行く事が叶いません
次の中斜里は、木造駅舎の残るごく普通の無人駅。 だが、斜里駅の駅とは場違いな建物を見た後では何故かポッとする。 周囲は馬鈴薯などの畑作地帯が広がり、その果てには裾野を美しく広げる斜里岳がそびえ立つのが見えてくる。 程なく、畑の中の棒線無人駅・南斜里に着く。 この駅は待合室もなく、普通列車の一部も通過する路線内では停留所規格の駅だ。
斜里岳へ
裾野から撮った写真が無かった(汗)
次の清里町は、町の中心駅であるにも拘わらず閑散とした印象がある。 だが、列車交換の設備は残されている。 斜里岳登山口への最寄駅だが、登山口まで約15kmと離れている。
幾何学模様の情景に湧き立つ雲
斜里岳の頂上より
次の札弦は簡易のプレハブ駅舎のある棒線駅。 近くにクアハウスのある『道の駅・さっつる』がある。
次の緑は北見側の国境の駅。 区間運行の列車はこの駅までで折り返し、国境越えの列車は網走発着の運行本数と比べて半減する。 近くに緑の鉱泉のクアハウスがある。
緑を出ると、北見・釧路の国境を越える。 駅間距離は14.5kmと長い。 峠を越えると硫黄山の吹き上げる噴煙の硫黄臭が漂ってくる。 これが鼻に着くのを感じると、程なく川湯温泉に着く
今や北海道有数の観光駅となった
川湯駅のスタンプ
川湯温泉は、硫黄山と川湯温泉の観光拠点駅。 屈斜路湖や摩周湖の裏摩周展望台の最寄駅だが、そちらへは車が必要となる。 その為か駅のテナントもそちらの観光客目当てで、鉄道駅というより『道の駅』の様相を呈している。 シーズン中は、摩周湖や屈斜路湖に向かう観光バスがひっきりなしに発着する。
それは駅舎内に足湯があり、観光バスの巡回地点となっているからだろう。
このように観光客駅は無人化されたが、シーズン中は摩周駅から駅員が派遣され、冬季などは観光SLが運行される(筆者はSLに全く興味はないので、あまりこの事については詳しく調べていない)。
次の美留和は貨車駅。 鉄道管内が釧路に変わると、釧路・根室でよくある貨車駅が目立つようになる。 次の摩周は路線内の中心駅。 以前は町名の弟子屈を名乗っていたが、観光駅への変化を目して駅名変更されている。 駅舎は駅名変更と共に建替えられ、洋風のデザイン駅舎となっている。 もちろん、この駅も摩周湖や摩周湖の表摩周は元より、阿寒湖方面への玄関口となっている。
摩周を出ると、牧草地帯にある貨車駅の南弟子屈、かつては急行【しれとこ】も停車したというが寂れて小駅化した磯分内を過ぎ、標茶に着く。 標茶からは、かつて国境の町・根室標津へ向けて標津線が分岐していていた。 駅の北東10kmに、『地平線の見える丘』・多和平がある。
タンチョウの飛来する駅として有名な
茅沼駅のスタンプ
次の塘路は、釧路湿原観光の中心駅。 釧路湿原を流れる釧路川のカヌー下りの船着場にも近く、野鳥の飛来地・塘路湖にも近接する。 駅は無人化されたが駅務室後に喫茶店が入り、観光案内やレンタサイクルなども手がけている。
塘路駅近くのサルボ第二展望台からは
塘路湖と国道・鉄道・街などの
塘路湖と国道・鉄道・街などの
人工物が調和した風景が望める
塘路を出ると、釧路川に沿ってゆく。 次の細岡は近くに釧路川カヌー下りの下船場があり、また釧路湿原のキャンプ場もある事から観光客の来訪は多い。 その為か駅舎は貨車ではなく、森をイメージしたログハウスとなっている。
更に釧路川に沿って湿原の縁を行くと、かつて臨時駅だった釧路湿原駅に着く。 駅は森の中に位置し、下車目的の全てが釧路湿原を一望に見渡せる細岡展望台などへの観光である。 こちらの駅も、ログハウスの立派な駅舎である。
釧路湿原駅を過ぎると、そろそろ釧路市街に差し掛かったようで、住宅が見え始める。 やがて遠矢に着く。 この辺りは最近釧路市郊外の住宅地として宅地開発されているようで、真新しい新興住宅が目に付く。 駅はプレハブ造の簡易駅舎である。
そして、釧網本線としては終点駅の東釧路に着く。 これより根室本線と合流していくが、この駅の発着番線は上下方向別ではなく路線別(1番線は釧網本線・2番線は根室本線)となっている。
後は根室本線上を行き、終着釧路駅に到着する。
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No title * by 風来梨
タケちゃんさん、こんばんは。
お返事が遅れましてスミマセン。
シャドーに光る・・ 微妙な写真に御賛同頂き感謝です。
今年の冬は、釧網本線の釧路口も狙ってみようかな・・なんて企んでいます。 正月は流氷には少し早いし、流氷といえば名寄本線の沙留と興浜北線・北見神威岬、興浜南線の日ノ出岬で、これらの路線の右に出る所はないかなぁ・・って思いますので。
寒い時のラーメンは格別ですね。 ラーメンはやっぱり味噌ラーメンですね。
お返事が遅れましてスミマセン。
シャドーに光る・・ 微妙な写真に御賛同頂き感謝です。
今年の冬は、釧網本線の釧路口も狙ってみようかな・・なんて企んでいます。 正月は流氷には少し早いし、流氷といえば名寄本線の沙留と興浜北線・北見神威岬、興浜南線の日ノ出岬で、これらの路線の右に出る所はないかなぁ・・って思いますので。
寒い時のラーメンは格別ですね。 ラーメンはやっぱり味噌ラーメンですね。
No title * by オータ
二十八年ほど前、遠矢駅で駅ネ したことがあります。当時は昔ながらの駅舎で快適でしたね。
東藻琴から村営の簡易軌道、斜里から根北線、中斜里にはホクレンの製糖工場、また標茶からも町営簡易軌道が走っていた時期もありました。昔はかなり賑やかな沿線だったようですね。今は 観光路線として生き残るしかないでしょう。
東藻琴から村営の簡易軌道、斜里から根北線、中斜里にはホクレンの製糖工場、また標茶からも町営簡易軌道が走っていた時期もありました。昔はかなり賑やかな沿線だったようですね。今は 観光路線として生き残るしかないでしょう。
No title * by 風来梨
オータさん、こんばんは。
私の年代の青春時代(死語)は、鉄道が鉄道らしくあった末端の時だったと思います。 そして日本も、僅かばかりの乗客でも安全・正確無比の輸送を提供できる力があったと思います。
開拓から始まって、より便利になり、更に便利を求め続ける時代の流れからすれば、現在の幹線区以外は生き残れない鉄道の状況も仕方がない・・と思いますが、その代償として豊かな情景を魅せる魅力とそれを旅して味わう豊かな心を失いましたね。
私の年代の青春時代(死語)は、鉄道が鉄道らしくあった末端の時だったと思います。 そして日本も、僅かばかりの乗客でも安全・正確無比の輸送を提供できる力があったと思います。
開拓から始まって、より便利になり、更に便利を求め続ける時代の流れからすれば、現在の幹線区以外は生き残れない鉄道の状況も仕方がない・・と思いますが、その代償として豊かな情景を魅せる魅力とそれを旅して味わう豊かな心を失いましたね。
私は、キハ22の写真に・・・・賛同します!いい写真です。
高校時代・・・・3月にDE重連牽引の混合レを撮りたくて、浜小清水駅で下車、当時の「原生花園乗降場」まで寒風吹きすさぶ中、国道を歩いたことがありました。
ところが来た列車は、重連であったものの貨車の連結は無し・・・・心が折れて路線バスで浜小清水駅まで戻って、キハ22の「しれとこ」に乗って網走まで行きましたね~・・・・。
網走駅前のラーメン屋で食べた「かに味噌ラーメン」、美味かったなぁ・・・・・。