風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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第52回  津軽

『日本百景』 冬  第52回  津軽  〔青森県〕
 

荒々しくも何か哀愁が漂う
人の抱く“さいはて”の情景ここにあり
 
今回は、冬の津軽地方を訪ねてみよう。 その津軽の代表的な景勝地は、最突端の情景を魅せる竜飛崎であろう。 国道でさえ階段となって途切れる果ての地・・、そして岬の岩礁に叩きつける激しい波濤が、果ての地の厳しさをより叙情的に魅せてくれる。
 
その他にも、本州の果ての哀愁を漂わせる情景を魅せる十三湖や、太宰治の故郷をゆく津軽鉄道線も訪ねたき所となるだろう。 哀愁を秘めた果ての地の厳しい冬を、ストーブを焚いた列車が暖かさを届けてくれる。 そう・・、身体だけでなく、心も暖かくなってくるのである。
 

 

“本州の袋小路” 竜飛崎の入口
 
  竜飛崎 たっぴさき (津軽国定公園)
津軽半島の最突端であるこの地は、切り立った崖が途切れる所。 この地で生まれた太宰治が、「ここは本州の袋小路だ・・」とつぶやいたのもうなづける。 高さ100mの崖がイッキに落ち込むこの岬の突端は、強風が吹きつけ、眼下は潮が荒れ狂い、岩礁に波を叩きつけている。 ・・人々の抱く“最果て”を最もよく表しているのは、この岬ではなかろうか。

    行程表               駐車場・トイレ・山小屋情報
青森駅より鉄道利用(2:00)→三厩駅よりバス(0:40)→竜飛(0:40)→竜飛崎灯台
(0:40)→竜飛よりバス(0:40)→三厩駅より鉄道利用(2:00)→青森駅

JR津軽線の《三厩》まで行く列車は日に5本しかない。 朝の1本を逃すと、昼まで列車はないのだ。 
そして、この朝の列車に乗る為には、青森駅6時始発の列車に乗らねばならない。
このように、以前と比べてアプローチが大変不便となった。 余裕を持って散策するには、《三厩》か《竜飛》で宿泊する方がいいかもしれない。 

さて、列車・バスを乗り継いで《竜飛》のバス停まで進む。 《竜飛》のバス停は、岬の高台と海岸の堤防に挟まれた小狭い集落の前にある。 ここから堤防に沿って歩いていくと、やがて舗装道路は途切れ、崖壁の下部の“へつり”につけられた遊歩道を歩いていく。 “へつり”の遊歩道からは、打ち寄せる波がまるで立体映像の如く押し迫ってくる。 また、波しぶきを浴びるごとに、本物の迫力を感じる事ができる。
 

岩礁にぶち当たって砕け散る波
 

立体3Dのごとく
迫力満点で迫りくる波しぶき
 
この“へつり”遊歩道を歩いていくと、岩コロが転がる荒々しい情景の海岸に出る。 ここから、真上にそびえる岸壁をジグザグに登っていく。 この岸壁を登っていくにつれ、沖合い遠くが見渡せるようになる。 岸壁の中腹辺りまで登ると、遠く北海道の街並みも見渡せるようになってくる。 この岸壁を景観を楽しみながら上まで登りつめると、太宰治の詩碑のある《竜飛崎》に着く。
 

“ここは本州の袋小路だ”
太宰治の名句が刻まれてある

“ここは本州の袋小路だ”。 太宰治がつぶやいた言葉をかみしめるように思い返す。 そして、“さいはて”の哀愁をより強く感じるには、強風の吹きすさぶ状況がよさそうだ。 岬の高台に立ち、遠く北海道を眺めて“さいはて”を満喫したなら、すぐ近くにある岬の灯台に向かおう。
 

波しぶきがぶち当たる
断崖の上に立つ竜飛崎灯台
 
そして帰りは、日本でも唯一の“階段の国道”である国道339号線を“下って”みよう。 
“さいはて”の旅をしめくくるにふさわしいシチュエーションである。
 

 

入換用みたいな頼りない機関車に
牽引される『ストープ列車』
 
竜飛崎をめぐった次は、十三湖とストーブ列車の津軽鉄道を訪ねてみよう。
こちらは、十三湖方面の交通の便が不便極まりないので、レンタカーが必要となるかもしれない。

    行程表
弘前駅よりレンタカー利用(2:00)→『道の駅・十三湖高原』(0:30)→十三湖畔
(0:40)→津軽中里駅より津軽鉄道めぐり〔芦野公園駅・津軽平野・津軽の沼・太宰治ゆかりの地〕
(1:30)→弘前駅
 

 十三湖の畔にあった朽ちた桟橋

それでは、《十三湖》から訪ねてみよう。 話は、昨晩より停泊した『道の駅・十三湖高原』より始めたいと思う。 この『道の駅・十三湖高原』のすぐ裏側に湖の展望台があるようだが、昨日よりの雨でガスっていた事もあって何も見えず、湖畔に繰り出す事にする。

雨上がりの鈍重な空の下、国道339号より湖の周囲をグルリと大回りして《十三湖》の湖畔へ出る。
地図の表示からもっと寂れた無人の湿地帯を想像していたのだが、それなりに集落はあるし湖を跨ぐ橋は高架橋の橋だったりして“ハズレかな”とも思ったが、釣り船などを出す施設のある浜をやり過ごすと雰囲気が出てきた。
 
車を止めて名も無き浜の畔に立って眺めてみると、最果ての哀愁の漂う情景が広がっていたのだ。
朽ちた桟橋、捨てられた漁船、ただ葦が生い茂る浜、水鳥の寂しき鳴声・・と、情景として収めたい風景がそこにあった。 ここで雪があれば、捨てられた漁船の穂先に雪が乗り、もっと哀愁が漂ったのになぁ。
朽ちた桟橋に飛び立つ水鳥を合わせたり、船の穂先に淀む波をかざしたり・・と、楽しい時間を過す事ができた。
 

放置された漁船は
湖を見つめて何を思うのだろうか

1時間ほど湖畔で遊んでいたが、東北で雨が降る程の暖冬とはいえさすがに冷えてきたので、切り上げて“次の目的地”に向かう。 “次の目的地”は、言うまでもなく『津軽鉄道』の撮影だ。
まずは、《津軽中里》駅に向かうとしよう。
 
駅はもっと“太宰治的な”雰囲気を持つ駅だと思ったのだが、その様相はスーパーマーケットがテナントに入る“小さな街の駅”であった。 駅は11時まで無人らしく、切符も自動販売機のショボいものだった。
窓口には、“11時まで買えない”イベント乗車券やグッズの発売案内が飾られてあった。 

沿線全駅の発車時刻表記の時刻表冊子があったので、この時刻表冊子を片手に撮影開始。
取り敢えずは、駅に着いた時に停車中だった9:30発の『走れメロス』号を撮ろうと、駅周辺に車をはべらす。
 

地方私鉄にも近代化の波が
軽快気動車『走れメロス』号

駅を出てすぐの踏切で、絶好の“アテ”を発見。 キハ10系と思われる車輌が、解体処分をされる事なく“朽ちる事しきり”の哀れな姿を晒していたのだ。 もう、“走れメロス”を単独で撮る考えは消し飛び、これを何とか活かす手はないものか・・と思いめぐらす。 この答えとして、“新旧交代の悲哀”を表現してみたのだが。
 

新旧交代の哀愁
捨てられて朽ちる事しきり・・の旧きモノを横目に新しきモノが通り過ぎる
だが、どういう訳か、朽ちる事しきり・・の旧きモノに威厳と風格を感じる
私の目に映った主役は、間違いなく旧きモノだった
 

 確かに雰囲気はプロ好み
桜の季節には花の駅になるという

次の列車は10時半。 1時間程時間があるので、昨日から一緒に行動する友人に教えてもらった《芦野公園》駅に向かう。 何でも、この駅の並木の雰囲気はプロ好みだ・・そうである。 
 
駅も太宰治の小説『津軽』に記述されたエピソードもあるそうで、旧駅舎のランプ灯やレトロチックな駅喫茶跡があり、街の文化財として指定されてるとかいないとか。 隣の新駅舎は、如何にも“無人駅です”という殺風景な造りだが。 すぐ裏に芦野公園もあり、シーズン中は弘前城と並ぶ津軽の“桜の名所”となるので、時間が許せば立ち寄りたい所である。

この列車の次の便が、この『津軽鉄道』の“メイン”である。 客車にストーブを載せた『津軽鉄道』の冬の風物詩『ストーブ列車』が行き交うのである。 これの撮影地は“岩木山バックに”と構想を描いていたのだが、この天気(時折日が差す程度の曇天)では、ちょっと無理っぽいかもしれない。
とにかく、その可能性を求めて、岩木山を見渡せそうな視界の利く平野部へ向けて車を進める。

地図で見ると、嘉瀬~毘沙門~津軽飯詰の間が津軽平野の湿地帯を縦断しているみたいである。 
だが、空の状態が示す通り、残念ながら岩木山は影も形もなかった。 なので岩木山は諦めて、津軽平野の荒涼とした風景を題材に撮る事にする。 まずは、霜が解けてぬかるみ状となった耕田を前景に。
 

田圃の苗床の筋を見つめていたら
列車が急勾配を走ってる様になっちゃった
 
この撮影の時、少し風が強くて手が悴んだのと田圃の苗床に意識を取られ過ぎて、左のように急勾配を走る“山岳路線”となってしまった。 でも、修正したら御覧の通り。 失敗を難なく“帳消し”にできるんだから。 まぁ、私としては、こういう姑息な事は趣味ではないので、こういうネタ話がある事でもなければ好んでやったりはしないのだが。
 

回転を加える事で
こんな失敗作を“見れるもの”に偽造できる
 
『ストーブ列車』の下りは、御覧の通り目も当てられない失敗作だったのである。 まぁ、現像が上がって現物を目にするまでは、“失敗した”とは思っていなかったが。 だが、あまり手応えがなかったのは確かである。
 
そのような訳で、次の『上り』は少しばかり気合が入っていた。 上り(五所川原行き)列車が引き立つようなアングルを求めて、車で嘉瀬~津軽飯詰 間に広がる津軽平野を流してみる。 そして、使えそうな場所を見つけ次第、逐一車を止めて偵察する。 

《毘沙門》の駅は、手狭な溝状の森の中に乗降場然としたホームがあるだけであまり雰囲気は宜しくなかった。 だが、この溝地を出た毘沙門~津軽飯詰 間の平野部は、時折の薄日にシャドーがかかって良いみたいだ。 但し、順光を求めると道路の防雪柵が入ったり、平野を広く表現しようと平野方向にカメラを構えると完全逆光になる“難しい”撮影地だ。
 

ここからの“切り返し”が
今回の撮影テーマだ

ここは順光で前面の機関車を引っ張りながら、メインは逆光を活かす手立てがいいかな・・と、それを想定してどちらも撮れるホジションを取ってみる。 私の撮影の目論みでは、前面引っ張りに続き、振り返って逆光撮影に入るタイミングが全てなのである。 遅れるとメインがポシャるし、慌てると望遠ゆえに“目も当てられない”ブレ写真となってしまうのである。
 
結果としては、タイミング的には何とかこなせたと思うのだが。 ここで露出補正をするのも不自然な写真が上がりそうに感じたので、ほんの少し(+1/3EV)だけ開けたのだが。 シャワーのような薄日の差し込み具合はかなり美味しく、駄作を救ってくれたね。 結構、気に入ってます。
 

逆光で落として
何とか“津軽の涯て”の
イメージが出せたかな?

車を返す時間も近づいてきたようだし、13時過ぎの『ストーブ列車』の撮影でそろそろ切り上げようか。 帰って『津軽鉄道』をウェブ検索したなら、《嘉瀬》の駅舎が雰囲気があるようで良かったみたいである。
 
今回は『日本百景』めぐりという旅のテーマに沿っての情景探勝や津軽鉄道の撮影を主としたので、斜陽館など太宰治のゆかりを訪ねる事ができなかった。 時間がなかったとはいえ残念な事であるが、それは「また、訪れる機会があれば、もっと時間を取ってじっくりと狙ってみたい」と振り返りつつ、本州の果ての地・津軽を後にする。

    ※ 詳細は、メインサイトより『竜飛崎』を御覧ください。
      また、この旅を綴った旅行記『冬の東北・房総 鉄道旅』も宜しければどうぞ。

 
 
 

 
 
 
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No title * by オータ
昨年の帰省旅で 朝早く弘前市街を通過したのですが、岩木山を見ることができました。ツイていたのでしょうか?

No title * by 風来梨
こんばんは。

当初は岩木山バックにストーブ列車を目論んでいましたが、私が訪れた時は正月だというのに雪ならぬ雨でした。

当然岩木山はダメでしたが、雨の暗い雰囲気が太宰治が呟いた『袋小路』の地のイメージにマッチしたので、これはこれでいいかなぁ・・って思います。

でも、津軽平野にそびえる岩木山の姿も見てみたい。

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No title

昨年の帰省旅で 朝早く弘前市街を通過したのですが、岩木山を見ることができました。ツイていたのでしょうか?
2013-02-24 * オータ [ 編集 ]

No title

こんばんは。

当初は岩木山バックにストーブ列車を目論んでいましたが、私が訪れた時は正月だというのに雪ならぬ雨でした。

当然岩木山はダメでしたが、雨の暗い雰囲気が太宰治が呟いた『袋小路』の地のイメージにマッチしたので、これはこれでいいかなぁ・・って思います。

でも、津軽平野にそびえる岩木山の姿も見てみたい。
2013-02-24 * 風来梨 [ 編集 ]