2013-02-18 (Mon)✎
『私の訪ねた路線』 第127回 興浜南線 〔北海道〕
点在する流氷と単行気動車
興浜南線の乗車証明書より
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
興部~雄武 19.9km 203 / 1734
廃止年月日 転換処置 廃止時運行本数
’85・ 7・15 北紋バス 6往復
《路線史》
興浜北線と共に、『オホーツク縦貫鉄道構想』の主軸を担う路線。 名称の通り、興(興部)と浜(浜頓別)を結ぶ路線の南からの延伸線である。 沿線は北線同様に多くをオホーツクの海際を伝い、冬ともなると流氷見物の好スポットが連なる風光明媚な路線であった。 中でも松前藩の烽火台跡の遺跡が残る“日ノ出岬”は、傑出した朝日と流氷の展望地であった。
先述した『オホーツク縦貫鉄道構想』によって網走~稚内を結ぶ第三セクター開業の立案もなされたが、毎年数億単位の赤字が見込まれる事が判明し断念。 その後は廃止反対運動も下火となりあきらめムードの中で、『オホーツク縦貫鉄道構想』での延伸先である興浜北線より遅れる事15日の1985年7月15日に路線廃止となる。
先述した『オホーツク縦貫鉄道構想』によって網走~稚内を結ぶ第三セクター開業の立案もなされたが、毎年数億単位の赤字が見込まれる事が判明し断念。 その後は廃止反対運動も下火となりあきらめムードの中で、『オホーツク縦貫鉄道構想』での延伸先である興浜北線より遅れる事15日の1985年7月15日に路線廃止となる。
興浜南線さよなら乗車券タトウ
これはかなりプレミアでは?
未成線区間は一部完成された路盤を含めて放棄された為、未開通区間の所々で鉄道の路盤と思しき遺構を確認する事ができる。
オホーツク漁港の中心・紋別により近いせいか、北線の終着である枝幸に比べて活況があるように感じる。 なお、終着駅の駅名標等は“おむ”と記されていたが、所在地の自治体名は“おうむ”と呼称される。 また、この雄武駅跡は、現在『道の駅・おうむ』となり、鉄道記念館も併設されている。
オホーツク漁港の中心・紋別により近いせいか、北線の終着である枝幸に比べて活況があるように感じる。 なお、終着駅の駅名標等は“おむ”と記されていたが、所在地の自治体名は“おうむ”と呼称される。 また、この雄武駅跡は、現在『道の駅・おうむ』となり、鉄道記念館も併設されている。
ディスカバー・ジャパンの
雄武駅スタンプ
:
ディスカバーのスタンプは味があるね
ディスカバーのスタンプは味があるね
一つ残念な事は、風光明媚であった“日ノ出岬”がレジャー観光地化している事であろう。 岬には周囲の風景には不相応なダイヤモンドを模った展望館が建てられ、バンガローやキャンプ場などが併設されていた。 また、線路がめぐった流氷を望んだ丘の上には、巨大な観光ホテルが建っている。 これを目にすると、あの時の情景に心を虜にされた者なら、過ぎゆく時がもたらす無常感に苛まれる事だろう。
流氷を望みつつゆく
興浜南線の単行列車
《乗車記》
ローカル線の復活して欲しい№1路線の興浜北線と肩を並べる程に魅惑的な路線・興浜南線の登場です。 筆者は幸運な事に、この路線では点在する流氷を車窓から眺められたので、思い入れがかなり深いのである。 それでは、廃止後の近年に訪ねた情景を交えて《乗車記》を記していこう。
始発駅の興部も名寄本線の廃止によって、今や存在しない駅となっている。 現況は『道の駅・おこっぺ』と名寄本線及びこの興浜南線の代行バスのバスターミナルとなっている。
名寄本線が廃止になるまで
興部駅に置きっ放しだった
「さようなら興浜南線」スタンプ
その興部駅の在りし時であるが、2面3線で母屋もしっかりした名寄本線の主要駅であった。
そして、興浜南線は、中央の2番線を発着番線としていた。 興浜南線の列車は全て名寄“本線”の列車の接続を取っていたので、興浜南線列車の発着時は名寄本線の列車もやってきて、興部駅が精気を取り戻す時でもあった。
さて、興浜南線の列車は紋別方向へと進んでいく。 これは興部駅が海沿いではなく、少し内陸部に入った所に所在したからである。 約1kmほど名寄本線と平行し、町外れの分岐点でオホーツク沿岸を南下する名寄本線と分かれて、180°反転して北上していく。 海岸段丘を形成する丘陵地帯と興部川が形成する沼地帯を越えると、いよいよオホーツク海の辺に踊り出る。
書き忘れたが、旅人が座席を取るなら絶対に進行方向の右側だ。 それは、これより右の車窓にオホーツク海が広がるからである。 そして、訪れたい季節は2月から3月中頃。 それは、車窓にオホーツクの風物詩・流氷が浮かんでいるからである。
ワテの訪れた時は
流氷が点在する情景であった
眩いまでに白く輝く敷き詰められた流氷もいいが、点在して浮かぶ流氷もいい。 流氷を眺めつつオホーツク海際の湿地帯を伝っていくと、やがて海風を避けるが如く内側に集まる集落の方に向けて進み沢木駅に着く。 沢木は国道より海側の狭く小さな波止場で、国道から進入する通路も細く、バスの転回もままならぬような袋小路に駅はあった。
駅は興浜北線の豊牛や渚滑線の下渚滑と同じカプセル駅舎だ。 そして冬は当然に、夏でも気温が20℃を割る事もあるこの地では必需品の石油ストーブが中央に据付けられていて、誰でも扱えるようになっていた。 こういう所に、北の駅の優しさが感じられたのである。
この駅の付近には松前藩のオホーツク沿岸警備の烽火台跡であった日ノ出岬があり、距離も1km程なので徒歩で向かう事が可能であった。 また、この岬の高台よりオホーツク海と流氷、そして沿岸を行き交う興浜南線が俯瞰できたのである。 それではあの頃と同じく、この駅で下車して岬を訪れる事にしよう。
岬の烽火台跡に建つ櫓と
流氷の絶景
岬に着いたなら、岬の大地に設置された展望櫓の上に立とう。 そこからは、果てしなく広がるオホーツク海の蒼と点在する流氷、そして海岸に迫る海岸段丘の中腹を行く興浜南線の列車を一望できたのである。 もう、二度と出会えぬ情景をしっかり見ておこうと思う。
日ノ出岬からは
流氷浮かぶオホーツクと
興浜南線の列車を
興浜南線の列車を
望む事ができた
日ノ出岬と流氷を望む
絶好の位置を通っていた興浜南線
なぜなら、興浜南線の廃線はともかくとして、今はこの岬自体が観光地化されていて無粋な施設が建ち並ぶ興ざめな光景に変貌しているのであるから。 岬にはガラス張りの展望館(『北海道旅情報』さんよりリンク)が建てられ、その付近はオートキャンプ場(キャンプナビ・北海道より)となりバンガローが建てかけられ、国道より人を呼び込むべくの舗装道路が岬大地の上まで敷設されているのである。 もちろん、この舗装道路の終点は、岬大地のスペースに大きく設けられた駐車場である。
また、興浜南線が伝っていた海岸段丘の上には巨大なホテルが建ち、その周囲は展望道路が張りめぐらされ、あの時に魅せられた感動の情景は廃止された路線と共に“過去のモノ”となっていたのであった。
温泉ホテルで風呂に浸かりながら眺めるオホーツク沿岸の情景は手軽であり、また一つの旅の形である。 旅という事柄にサービスを求めるのなら、それも悪くはないだろう。 だがそこには、あの時に私が抱いた感動はないのである。 わざわざ、遠くからその風景を目当てに赴く衝動も湧き上がってはこないのである。 この情景の変化を目にして愕然とした自分がいた事を決して忘れないだろうし、忘れてはいけないとも思うのである。
その日の出岬の観光用に建て直されたダイヤモンド状の展望櫓も、近年の冬に訪ねた時には早くも閉鎖扱いの如くに閉じられて、不要物に落とされた身の哀れさを魅せていた。 そしてその下を、冬の荒れた波が打ち寄せていた。 栄枯盛衰というには、あまりにも早く切ないサイクルである。
鳴り物入りで建てられたものの
「もはや用に供さず」と放置され
それは平家物語の一幕
「ひとえに風の前の塵に同じ」
との解そのままに佇んでいた
:
ある冬に訪ねた日の出岬にて
何か暗い話となってしまったが、駅に戻って旅を続けよう。 沢木からは先程にも記した通り、岬から連なる海岸段丘の中腹を横切っていく。 この区間も流氷を眺めるには絶好の区間だ。
右車窓の後方に、先程訪れた日ノ出岬の櫓が見える。 その背後は果てしなく続く海であった。
往時の日ノ出岬と流氷
:
かつては風光明媚な情景
だけの所であった
この海岸段丘の中腹を横切るように乗り越えると、屋根の低い民家が点在する集落に出る。
そこには簡易極まる駅名標が“挿して”ある板張りホームが見えてくるだろう。
ここが、元沢木の仮乗降場である。
ここが、元沢木の仮乗降場である。
板張りの元沢木仮乗降場
仮乗降場だが
全列車が停車する
待合室もあった
隣の栄丘駅よりまとも
この駅は夏の情景もいい。 駅周辺に生い茂る夏草が、明日無き路線の素顔を語っているような気がするから。
栄丘を過ぎると海と別れて内陸に入って、酪農地帯の風景が広がるようになる。 雄武共栄という仮乗降場を過ぎて酪農地帯から市街地に飛び出ると、程なく終点の雄武である。
栄丘を過ぎると海と別れて内陸に入って、酪農地帯の風景が広がるようになる。 雄武共栄という仮乗降場を過ぎて酪農地帯から市街地に飛び出ると、程なく終点の雄武である。
『興浜南線さよなら記念』に
印刷された雄武駅駅舎
雄武はどことなく寂れたイメージが先行するオホーツク沿岸の街とは対照的に活気が感じられた気がする。 駅のホームには、港から水揚げされた新巻鮭など海の幸の香りが漂っていた記憶があるのだが。
街の中心街に駅があったからであろうか。
雄武駅入場券
そして路線廃止となった現在、駅跡は『道の駅・おうむ』となっている。 その建屋にはミニ鉄道資料館があって鉄道資料を展示していたが、あまりそそるモノはなかった。 まぁ、常時盗難の危険があるロビーでの常時展示モノに、プレミアがつくようなモノは展示しないだろうけど。 この道の駅は、『道の駅』というよりスーパーの駐車場として機能しているようである。
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No title * by 風来梨
タケちゃんさん、こんばんは。
お返事が遅れましてスミマセン。
ほんとに、鉄道情景トップ3の所に在りましたね。 オホーツク縦貫鉄道の自らの写真を見る度に、「撮っていて良かった」という気持ちと、「もっと撮っておけば良かった」という悔いが交錯します。
ズワイガニ・・もといDD14ですが、元沢木から戻る途中(線路を伝ってた)に背後から忍び寄ってきたものです。 撮った後、雪をぶっ掛けられて半分生き埋めになりました。 褒められた話ではありませんが、今となってはいい思い出ですね。
お返事が遅れましてスミマセン。
ほんとに、鉄道情景トップ3の所に在りましたね。 オホーツク縦貫鉄道の自らの写真を見る度に、「撮っていて良かった」という気持ちと、「もっと撮っておけば良かった」という悔いが交錯します。
ズワイガニ・・もといDD14ですが、元沢木から戻る途中(線路を伝ってた)に背後から忍び寄ってきたものです。 撮った後、雪をぶっ掛けられて半分生き埋めになりました。 褒められた話ではありませんが、今となってはいい思い出ですね。
No title * by オータ
こんにちは。
1982年に一度だけ乗りました。あちこち回るのに忙しくて、撮った写真は雄武駅での数カットだけです。(未公開のはずです)
後に 下川に住んだとき 流氷を見に 日の出岬へ車で行きました。峠を越えてわりとすぐなのです。 海辺で流氷を見ながら、ホテルの異様な、そぐわない感じを抱きましたね。
1982年に一度だけ乗りました。あちこち回るのに忙しくて、撮った写真は雄武駅での数カットだけです。(未公開のはずです)
後に 下川に住んだとき 流氷を見に 日の出岬へ車で行きました。峠を越えてわりとすぐなのです。 海辺で流氷を見ながら、ホテルの異様な、そぐわない感じを抱きましたね。
No title * by 風来梨
オータさん、こんにちは。
廃止になって久しくたった時に廃線跡を訪れて、私もやっぱりあのホテルの威容には愕然としましたね。
それと、更に哀愁を感じたのが、あのダイヤモンド型の展望台です
冬だったからかも知れませんが、完全に封鎖されていて、下の荒れ狂う波と共に眺めると無常感をヒシヒシと感じましたね。
廃止になって久しくたった時に廃線跡を訪れて、私もやっぱりあのホテルの威容には愕然としましたね。
それと、更に哀愁を感じたのが、あのダイヤモンド型の展望台です
冬だったからかも知れませんが、完全に封鎖されていて、下の荒れ狂う波と共に眺めると無常感をヒシヒシと感じましたね。
昨年、道北地方を旅した際に天北線、興浜北線・南線、そして名寄本線の廃線跡を横目に南下しました。
もう、見れば見るほど、廃線が悔やまれて仕方がない見事な景色の中を走っていますよね。湧網線だって然りでございます。
雄武の道の駅、立ち寄りました・・・・確かに、買い物客が多かったように記憶しております。
DD14の写真、ものすごく近くで撮られていますね~。
迫力あって素晴らしいです。
当時は、いくら赤字であろうが、廃止決定路線であろうが除排雪列車は、必要があれば、かっきり運転されていましたよね・・・この「鉄路を守る」という姿勢、感涙モノです。