2013-02-02 (Sat)✎
『日本百景』 冬 第48回 深名線 冬の情景 〔北海道〕
我が国で最も最低の気温を記録した幌加内町・北母子里・・。 実に氷点下42.1℃というすざましい記録であった。 そしてこの地は、かつて深名線と呼ばれるローカル線がつながっていた。
在りし日の路線図を見ると、深川~旭川~名寄に既存路線があるのに、わざわざ人口希薄地帯、いや人そのものが住んでいない未開の原野に路線が敷かれ、「何の為に路線が敷設されたのか?」という意義を見出し辛い路線であった。
列車を撮る・・という事が
困難な運行本数だった
北海道の廃止路線にはよくある事だか、そのほとんどが開拓か資源輸送で、この深名線も資源産業における輸送が路線建設の目的だった。 だが、資源輸送のみを目的に敷設された為、その事業が閉鎖された時に路線の命運も尽きるのである。 深名線・・、この路線も、木材資源の輸送と羽幌・築別まで延伸しての築別炭鉱の石炭輸送を目論んでの路線だった。
だが前述の如く、炭鉱の閉山及び森林資源のトラック陸送への切替という『事業の閉鎖』で路線の目的が消滅し、そして少しでも早く運ぶ目的で人のいない原野帯を通した事が『アダ』なってしまったのだ。
つまり、目的を失ってしまって、代わりの目的も見出せない状態になってしまったのだ。
政和駅舎は食堂となったらしいが
やっはり廃業?
こうなると早々に廃止淘汰されていくのであるが、この深名線はあまりにも未開の原野に路線が敷設された為に沿線の並走道路が未開通の状態で、しかも豪雪地帯で冬には長期間通行止の懸念がでるなど、代替の輸送機関を設定する事が困難で、特定地方交通線・・いわゆる赤字ローカル線の廃止がラッシュで行われた1980年代後半を奇跡的に生き延びたのである。
だが、1990年代に入り、モータリゼーションの波に飲まれて鉄道そのものの地位が落ちていくに当たって、普通の幹線でも利用状況が落ち込む事になる。 このような状況では奇跡的に生き延びた深名線に『次』を生き残る術はなく、1995年9月に代替道路の完成との理由付けによって廃止されてしまう。
保存されたのか、放置されたのか
雪に埋もれる添牛内駅跡
長々と路線の消えゆく様を記したが、エトランゼの旅人(私)としては、消えゆくものを惜しむ心と全てを無にするほどの豪雪の情景に虜となってしまったのだ。 そして、この路線が在りし頃は、まだ私も無茶な事をしても翌日はケロっとできる程に若く、それを特権とばかりに結構無茶をした。 その時の記憶を懐かしむべく、深名線の冬景色を思い返そう・・と思う。
最初に深名線の冬を撮影したのは朱鞠内周辺であった。 朱鞠内には朱鞠内湖があるが、列車と絡めるのは無理のようだった。 それは湖に接近する所でも周囲が完全に原生林に覆われていて、しかも微かに見える湖も完全凍結の『真っ白な氷』で写真の題材とはならなかった。
また当時車を持たないジャリガキだった私には駅を離れる程に機動力はなく、それに加えて当時の深名線は運行本数は深川方面が1日4本、名寄方面は1日3本で接続はバラバラと、何もせずに乗車するだけでさえ困難な路線であった。
このような状況で写真を深名線の写真を撮るなら、朱鞠内周辺が最も撮影の機会がある・・という事である。 それでも、深川方と名寄方併せても3~4回のチャンスしかない。 それよりも、朝の8時位から夕方の4時過ぎまでの8時間で3~4回のチャンスを待つ忍耐力は、我ながらなかなかのものだろうと思う。
この時は8時間で双方向の朱鞠内の乗降場まで歩き、最後は朱鞠内に向かう列車を撮影し、この折り返しに乗って名寄に戻るべく走ったよ。 500mの雪道を。
この後はこの列車に乗る為に
駅まで走ったよ
次に訪れた時は、『怖いもの見たさ』とでも云うのだろうか、1日2本しか停まらなかった政和温泉乗降場に降りる。 撮影場所は近くの雨龍川にかかる鉄橋だ。 帰りは政和温泉駅に停まる列車がない為、政和まで歩かなければならないので撮影チャンスは1回だけ。 何とか雪煙を上げて通過する列車が撮れたけど、ただ撮っただけのアングルだった。
この時は列車撮影より
政和温泉(仮)という秘境駅に
降りる事が主だったような
深名線の冬の最後は、北母子里より白樺方向へ歩いていく。 始めは晴れていたものの、やがて雪が降りそれが吹雪いてきた。 吹雪いてきた時はもう既に駅から3kmも奥に進んでいた為に、根性を決めて3時間小吹雪の中、僅か1往復2回のシャッターチャンスを待つ。
今思えば、若かったなぁ。 3時間小吹雪の中で列車を待つとは・・。 でも、達成した心の熱さがあった。 吹雪に晒されて鼻水タラタラだったけれど、心持ちは熱かった。 そう、ここで「情熱とバカは紙一重」という言葉が本当である・・と知ったのだ。 情熱と思い込んでこんなバカをしたからこそ、いい思い出が形となって残ったのだから。
ワテが思う深名線のイメージをゲット
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No title * by オータ
こんにちは。私が車の免許を取得したのが1995年初めの函館でした。廃止直前の深名線に、なんとか間に合って二度ほど出かけたのですが、乗ろうか…と思いつつも「葬式鉄」サンたちで大混雑の単行DCを見て、こんなのは本当の深名線じゃない! と叫んで撮影だけして別れを告げました。
私としては1982年からの付き合いなので、タラコ色のキハ22が最も深名線らしくて、 キハ54も53も違和感有りまくりでした。無茶苦茶に書きましたが、お許し下さい。真冬の深名線を、車無しで撮りにいかれた根性たけでも敬服しております。
私としては1982年からの付き合いなので、タラコ色のキハ22が最も深名線らしくて、 キハ54も53も違和感有りまくりでした。無茶苦茶に書きましたが、お許し下さい。真冬の深名線を、車無しで撮りにいかれた根性たけでも敬服しております。
No title * by 風来梨
よっちゃんさん、こんばんは。
見て頂いて有難うございます。
政和駅の食堂ですが、入口に芯張り棒が打ち付けてあり、見た目には当分の間営業されていない気配が漂っていました。 これが冬季休業だけならいいのですが。
添牛内の事は初めて耳にしました。 貴重な情報有難うございます。
見て頂いて有難うございます。
政和駅の食堂ですが、入口に芯張り棒が打ち付けてあり、見た目には当分の間営業されていない気配が漂っていました。 これが冬季休業だけならいいのですが。
添牛内の事は初めて耳にしました。 貴重な情報有難うございます。
No title * by 風来梨
オータさん、こんばんは。
深名線が廃止になった1995年は山にシフトを変えていまして、あまり廃止の情報を取り込んでいませんでした。 この深名線は、私にとっては「いつの間にか廃止になっていた」感があります。
やはり単行はキハ22ですね。 キハ53の500番台(温暖地向けにキハ23の2エンジンタイプのキハ53があった為500番台を名乗っている)も最初は違和感がありましたが、雪景色の中では結構味があるなぁ・・と思っています。 でも、もう淘汰されてしまいましたので、過去の話ですね。
深名線が廃止になった1995年は山にシフトを変えていまして、あまり廃止の情報を取り込んでいませんでした。 この深名線は、私にとっては「いつの間にか廃止になっていた」感があります。
やはり単行はキハ22ですね。 キハ53の500番台(温暖地向けにキハ23の2エンジンタイプのキハ53があった為500番台を名乗っている)も最初は違和感がありましたが、雪景色の中では結構味があるなぁ・・と思っています。 でも、もう淘汰されてしまいましたので、過去の話ですね。
No title * by タケちゃん
こんにちは。
深名線は、羽幌に勤務していた当時、仕事で旭川へ向かう際には霧立峠を越えて、添牛内駅近くの跨線橋を渡り、幌加内までの間をずっと来るまで併走していました・・・・走る列車を何回も見ているのになぁ。
どうしても仕事途中ですから、「見るだけ」になってしまって。
廃止になる一ヶ月くらい前でしょうか、朱鞠内まで撮りに行ったことがありました・・・添牛内・幌加内・沼牛などの駅舎も撮ってきましたが、何故かモノクロなんですよね・・・・建設中止となった「名羽線」の路盤や橋脚、山奥にひっそりと佇む姿が印象深かったです。
お写真で「これに乗るために500メートル・・・・」の「これ」、キハ24じゃないですか!
深名線を走る姿は、初めてお目にかかりました。
車も運転できない若い頃・・・確かに「紙一重」の根性、ありましたね。
深名線は、羽幌に勤務していた当時、仕事で旭川へ向かう際には霧立峠を越えて、添牛内駅近くの跨線橋を渡り、幌加内までの間をずっと来るまで併走していました・・・・走る列車を何回も見ているのになぁ。
どうしても仕事途中ですから、「見るだけ」になってしまって。
廃止になる一ヶ月くらい前でしょうか、朱鞠内まで撮りに行ったことがありました・・・添牛内・幌加内・沼牛などの駅舎も撮ってきましたが、何故かモノクロなんですよね・・・・建設中止となった「名羽線」の路盤や橋脚、山奥にひっそりと佇む姿が印象深かったです。
お写真で「これに乗るために500メートル・・・・」の「これ」、キハ24じゃないですか!
深名線を走る姿は、初めてお目にかかりました。
車も運転できない若い頃・・・確かに「紙一重」の根性、ありましたね。
No title * by 風来梨
タケちゃんさん、こんばんは。
名羽線・・、これは根北線の未通区間よりも原野を通る計画の路線ですね。 完全に路線探索をした人はまだ皆無といい、クマよけの鈴が必須のあの未成区間ですね。 バリバリの現役?時に、「そこにある滝を見に行こう」企画を立てた事がありますが、流石に実行には移せませんでした。 今思えば、「実行しなくてよかったぁ~」ですね。
キハ24は深名線の7号機と、標津線の8号機があります。
数少ない車両でしたので、撮った後は原版の保管に意識してましたよ。
名羽線・・、これは根北線の未通区間よりも原野を通る計画の路線ですね。 完全に路線探索をした人はまだ皆無といい、クマよけの鈴が必須のあの未成区間ですね。 バリバリの現役?時に、「そこにある滝を見に行こう」企画を立てた事がありますが、流石に実行には移せませんでした。 今思えば、「実行しなくてよかったぁ~」ですね。
キハ24は深名線の7号機と、標津線の8号機があります。
数少ない車両でしたので、撮った後は原版の保管に意識してましたよ。
添牛内も地元の住民が買い取ったと聞きました。正和駅のラーメン屋、結局辞めちゃったんですか!!
地元のニュースにもなったくらいなのに…