風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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私の訪ねた路線  第122回  函館本線

『私の訪ねた路線』  第122回  函館本線  〔北海道〕
 

冬の羊蹄山と
昆布~ニセコ
 
《路線データ》
           営業区間と営業キロ         輸送密度  / 営業係数(’15)    ’15年・運行本数
     函館~旭川・七重~大沼~森 465.7km     10649   /     105         時刻表を見てください
 
         廃止区間と営業キロ      廃止年月日     廃止時運行本数      転換処置
        砂川~上砂川 7.3km      ’94・ 5・16        6往復       北海道中央バス
 
  《路線史》
函館本線は、北海道の鉄道の発祥たる路線である。 当然の如く、道内随一の幹線鉄道路線である。
その先駆けは、1880年の『官営幌内鉄道』による手宮(小樽)~札幌~幌内の開業である。 これは、北海道の優良炭鉱である幌内炭鉱からの運炭を主目的として建設された路線で、『国鉄再建法』による廃止路線として1987年に廃止となった幌内線の前身でもある。

これ以降の延伸については、この『官営幌内鉄道』の路線を譲り受けた『北海道炭礦鉄道』と『北海道鉄道』によってそのほとんどが建設される。 その経緯を概略で記すると、『北海道炭礦鉄道』が旭川までの延伸を手掛け、『北海道鉄道』は函館方面の延伸を担った様である。

1891年の砂川(実際には炭鉱のあった歌志内まで延伸。 砂川~歌志内は歌志内線として分離させられ、国鉄再建法により1988年に廃止されている)までを皮切りに延伸を続け、1892年に空知太(滝川駅付近・現在廃止)、そして1898年には小樽より旭川までの北半分の全てが開通する。

一方、函館側は、1902年に『北海道鉄道』により函館~本郷(現 渡島大野)と、然別~蘭島が開業したのが始まりである。 その後、1903年に函館側では本郷~森~熱郛が開通し、然別~蘭島の路線も同じ年に小樽への延伸を果たしている。

翌1904年には、然別(正確に言うと、1903年に銀山よりにあった山道駅〔現在廃止〕まで延伸している)~小沢~熱郛の延伸が完成し、これによって鉄道会社は異なるが函館~旭川が鉄道線でつながる事になった。  この二つの鉄道を1906~07年にかけて買収・国有化し、『函館本線』(路線名称の設定は1909年)が完成するのである。

また、大沼~渡島沼尻~森の通称『砂原線』は、戦時中の輸送力増強を目的に駒ヶ岳山麓の急勾配に敷設された本線のバイパス路線として建設されたもので、以前にあった二つの私鉄(『渡島海岸鉄道』と『大沼電鉄』)を買収し、その路線を流用する形で1945年に開通させている。

最後に、砂川~上砂川を結ぶ支線(通称『上砂川支線』)の事について記すと、この支線の前身は三井鉱山が保有する三井砂川炭鉱の専用線で、1926年に国有化されて函館本線に編入されるという経緯を持っている。 このように『上砂川支線』は、運炭目的を全てとして建設された線区である。

当然、砂川炭鉱が閉山(1987年)となると存在意義をなくし、『国鉄再建法』で廃止対象となった路線と同じような状況となる。 だが、函館本線の中に埋没された線区であったので、『国鉄再建法』施行時は廃止対象に指定されず、「函館本線の一部」とする幹線扱いで存置された。 

だが、輸送密度的には同じ砂川から分岐する歌志内線よりも少なく、その歌志内線が独立した線区であったが為に輸送密度が計算されて廃止対象になったのに対し、この支線は“幹線”として存置された事から、当時の鉄道雑誌等では声高に“路線名称による運・不運”と取り沙汰されていたようである。

しかし、JR発足後もジリ貧状態は続き、また路線に平行してバス便が多数ある事から、代替交通機関が指定される事なく1994年5月に廃止されている。 エピソードとしては、TVドラマ『北の国から』で有名な脚本家・倉本聰によって、この支線の終点である上砂川駅で『昨日、悲別で』というドラマ撮影が行なわれたとの事である。 この上砂川駅は同作品では『悲別駅』として登場しており、撮影終了後はファンにより駅舎や駅名標の裏に『悲別』と書き加えられていたという事である。

運行状況からいうと小樽~札幌~旭川は、現在も道内随一の幹線鉄道の地位を保っている。 特急列車も頻発で運転されている反面、特急の停車しない駅周辺の過疎・凋落化も出てきている。

一方、函館から小樽に関してだが、長万部を境に大きく内容が異なっている。 函館~長万部は札幌への広域輸送を軸とした幹線ルートの地位を保っているが、長万部以遠は都市間輸送の任を室蘭や苫小牧などの海岸沿いの都市を経由する室蘭本線に取って代わられ、この区間に関しては特定地方交通線さながらのローカル線区へと没落している。

いわゆる『山線』区間である。 この区間は雪深く、また過疎化も激しく、また道内随一の幹線国道である国道5号線が並走する事などから、利用客はジリ貧の様相を呈しているとの事である。 かつては、主力幹線として札幌は元より旭川や稚内、網走行きの優等列車も運行されていたが、1986年11月の改正を最後に優等列車は全て姿を消して、現在は普通列車が6~7往復運行されるのみとなっている。

車窓風景的には、やはり『山線』区間がお薦めとなろう。 羊蹄山がそびえる倶知安付近や雪深い峠をゆく銀山周辺など、観光地では目にする事のできない自然の情景を味わえるのである。
 

 

駅スタンプも本名の『上砂川駅』よりも
『悲別駅』を前面に押し出していた
 
   《路線案内》
いつものように《乗車記》としないで《路線案内》としたのは、察しの通り「あまりにも長い路線に比べて『持ちネタ』が少なすぎる」という筆者の都合によるものである。 要するに一駅ずつ辿って記述すると、とても持たないのである(持ちネタは5枚だけ・・)。 それ故に、気になる駅を中心にピックアップして語るとしよう。
 
まずは函館駅。 一言で云えば、「昔は良かった」である。 今は駅舎は綺麗で街の駅っぽい「どこにでもある町の中心駅」の様相で面白くない造りだし、また夜行列車があるのに締め出し時間があるなど、「優しくない駅」である。 最も、江差線の始発列車に乗り継ぐ為とはいえ、駅で待機する方の甘えた行為であるのは確かだか。
 
青函連絡船のあった昔は、連絡船からの『特急乗継バトル』があって熱気があった。 北の大地を始めて踏みしめる所としての感慨深さもあった。 真に「はるばる来たぜ函館ェ~」って心持ちを抱けたのである。 真に北の旅を始める駅であったのだ。
 
次に五稜郭。 これは江差線に乗り継ぐ時に降りた事がある駅だ。 でも、乗り換えただけなので改札の外には出ていない。 次は思いっきり飛んで長万部。 実を言うと、普通列車専用切符を利用した時に札幌から長万部と長万部から五稜郭を普通で乗車した事はあるが、途中は完全爆睡で全く憶えていない。
 
その長万部だが、弁当の『かにめし』と駅から徒歩圏内の長万部温泉位しか語る術がない。 『かにめし』は美味かったが、ビンボー旅にはちと高い。 そして長万部温泉は、源泉55度という凄く熱い温泉で、常に水で埋めないと入れなかった。
泉質はアルカリ塩化物泉で少ししょっぱい。 そう云えば、昔はこの駅から瀬棚線の列車が出ていたなぁ。 長万部の2つ前の国縫から、内陸側に反れていく一目で廃線跡とわかる路盤跡が分かれていたっけ。
 
お次は気になる駅として・・、いや駅があった所として上目名を挙げようか。 この駅は、ワテか始めて冬季の北海道に行った1984年に廃止となった駅だ。 廃止間際の利用客は、JR運転要員氏の娘さんが高校に通う為の1名だけであったらしい。 まぁ、駅というより信号所という扱いであったらしいが。
 
この時は特定地方交通線の廃止1次線・・即ち廃止ローカル線の1次廃止路線の廃止がほぼ決定した頃だったので、そちらを優先して立ち寄れなかったが、気になる存在だったので通過列車の窓からじっと眺めたのを憶えている。
 
次に挙げるのは銀山かな。 ここは函館本線の撮影地と予定に挙げた駅である。 計画としては、駅寝して翌朝から普通列車を狙うつもり(今のこの区間は落ちぶれて普通しかないね)だったが、札幌駅で雪で滑ってハデに転んでしまった事で気が萎えてしまって、行くのを断念してしまった。 もしここで撮っていたら、函館本線も《路線案内》から《乗車記》に格上げされてたかも。
 
次はニセコ。 唯一降りて撮影した事あるが、動機はただ単に「羊蹄山をバックにして撮りたい」というだけで何の下調べもナシに行ったので、御覧の様なテイタラクですね。
 

せっかく名峰・羊蹄山が
お膳立てしてくれてるのに・・見事にアンダー
昆布~ニセコ
 
その次のは倶知安。 ここは旧胆振線の乗換駅だった所だ。 でも、ワテにとって胆振線自体が撮り損ねしかない“残念”な路線なので、この倶知安も胆振線から今は無き急行【ニセコ】に乗り継いだ記憶しかない。
 
そして、特別に気になるって事はないのだけれど、札幌は挙げておかないとね。 札幌に関しては、昔の地上駅の方が味わいがあったね。 それに昔は、旅心をくすぐるような列車がたくさん運行されてたし。 今は函館・室蘭・小樽・旭川・網走・釧路などの主要都市行きばかりだけれど、以前は留萌・増毛・紋別・様似・岩内・羽幌など、エトランゼである旅人が“行ってみたい”と思う所が行先の急行列車もあったしね。
 
札幌を出ると更に都市間輸送路線となって、ワテからは印象が薄くなってしまう。 まぁ鉄道は、本来こうあるべきなのであって、ワテの印象などどうでもいい事なのだが。 強いてあげるとしたなら、廃止になった函館本線の支線・上砂川線と歌志内線が分岐していた砂川くらいか。 あの構内ヤードを跨ぐ長大な跨線橋の印象が強い。 なお、この上砂川支線は、最後に記す事にしようか。
 
そして旭川駅。 この駅は「随分変わったねぇ」という印象がある。 そう、函館や札幌なども大きく様変わりしているのだが、なぜか旭川だけが変わった印象を受けるのだ。 それは、長い間旭川駅を見なかったから(この長い間は山に熱をあげてました・・テヘヘ)かもしれない。
 
さて、最後に廃線となった上砂川支線。 駅は4つしかないので、全部記す事にしよう。 先出の砂川駅の長大跨線橋を渡って、ヤード側線の端に設けられた上砂川線専用ホームに降り立つ。 列車はこの4番線独立ホームより発車する。
側線ヤードの中に専用ホームがポツネンとある事からも解るように、この路線は三井炭鉱・上砂川鉱の運炭路線である。
石炭産業の浮沈に運命を共にした路線だった。
 

上砂川から東鶉・鶉への乗車硬券
 
路線は歌志内川に沿って進む。 下鶉・鶉と元有人駅で駅舎のある棒線駅だ。 炭鉱最盛期は、駅員が必要なほどの利用状況があったのだろう。 駅名の『鶉』は、入植者の多かった福井県の字地名との事。 次の東鶉は、ホームのみで駅舎もない停留所駅。 でも、周囲はそれなりに上砂川町の市街地が見えている。 だが、移動の中心は一家に2台も3台もあるというマイカーで、鉄道の利用は学生か老人などの交通弱者以外になかったという。
 
そして、終点の上砂川。 ここは三井鉱山の石炭受け渡しヤードがあり、広い構内に旅客ホームと駅舎がこじんまりと建っていた。 それよりもこの駅を有名にしたのが、脚本家・倉本聰によるTVドラマ『昨日、悲別で』のロケ地であった事だろう。
上砂川駅の駅名標の裏側は『悲別』との標記が入れられていた。 入場券も、券の裏面に『悲別』のスタンプが押されていた。
 

乗車券の裏は「昨日、悲別で・・」で
使われた“悲別駅”の入場券の
意味合いを取り入れてるかのような

     ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『函館本線』を御覧下さい。
 
 
 
 
 

 
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No title * by yamanbou
こんばんは。
いつも不思議に思ってますが「きっぷ」がいつも
クリアーですよね。
写真撮ってトリミングですか?

No title * by 風来梨
yamanbouさん、こんばんは。

切符類は直接スキャナーに置いて、『印刷物』の指定をして取り込んでいます。 切符類の場合は原寸大ですので縮小する必要がなく、ピクセルの圧縮がない分画像がクリアだと思います。

ここに挙げてる写真はほとんどポジフイルム(一部ネガフイルム)ですので、スキャナは欠かせないですね。 でも使い過ぎて、最近言う事を聞かなくなりだしました(悲)。

No title * by タケちゃん
こんにちは。
おぉ~、函館本線と来ましたか・・・私も倶知安方面への撮影、よく行きましたねぇ~。
冬にキリッとした羊蹄山が望めると昆布~ニセコでも撮りたいし、胆振線でも撮りたいし、と・・・・あの比較的狭いエリアをウロウロしていた記憶がありますね・・・その結果は「八方美人的な撮影はダメである」という事を教えてくれましたが。

鶉までの切符・・・切符の柄でズラリと印刷されている「こくてつ」「JNR」の文字と動輪の図柄・・・懐かしすぎます。いいなぁ~、やっぱり。

今月の表紙写真、これまたいいですね~。

No title * by 風来梨
タケちゃんさん、こんばんは。

最初は羊蹄山をバックの鉄橋で撮ろうと考えていたのですが、当時その鉄橋までどう行けばたどり着くか解らなかったので。
あの鉄橋で撮れば、もうちょっとマシなのが撮れたかも(しれない)。

硬券の絵柄は、何気なくですが価値がありますね。 持っていての所有感を抱けます。

それと、扉の写真をお褒め頂き有難うございます。
北海道の路線も幹だけになって、こういう写真が撮り辛くなりました。

No title * by 風来梨
記事に解りにくい点がある・・とのことですので、国縫の前に「2つ前の」を付け足しました。

コメント






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No title

こんばんは。
いつも不思議に思ってますが「きっぷ」がいつも
クリアーですよね。
写真撮ってトリミングですか?
2013-01-31 * yamanbou [ 編集 ]

No title

yamanbouさん、こんばんは。

切符類は直接スキャナーに置いて、『印刷物』の指定をして取り込んでいます。 切符類の場合は原寸大ですので縮小する必要がなく、ピクセルの圧縮がない分画像がクリアだと思います。

ここに挙げてる写真はほとんどポジフイルム(一部ネガフイルム)ですので、スキャナは欠かせないですね。 でも使い過ぎて、最近言う事を聞かなくなりだしました(悲)。
2013-01-31 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

こんにちは。
おぉ~、函館本線と来ましたか・・・私も倶知安方面への撮影、よく行きましたねぇ~。
冬にキリッとした羊蹄山が望めると昆布~ニセコでも撮りたいし、胆振線でも撮りたいし、と・・・・あの比較的狭いエリアをウロウロしていた記憶がありますね・・・その結果は「八方美人的な撮影はダメである」という事を教えてくれましたが。

鶉までの切符・・・切符の柄でズラリと印刷されている「こくてつ」「JNR」の文字と動輪の図柄・・・懐かしすぎます。いいなぁ~、やっぱり。

今月の表紙写真、これまたいいですね~。
2013-02-02 * タケちゃん [ 編集 ]

No title

タケちゃんさん、こんばんは。

最初は羊蹄山をバックの鉄橋で撮ろうと考えていたのですが、当時その鉄橋までどう行けばたどり着くか解らなかったので。
あの鉄橋で撮れば、もうちょっとマシなのが撮れたかも(しれない)。

硬券の絵柄は、何気なくですが価値がありますね。 持っていての所有感を抱けます。

それと、扉の写真をお褒め頂き有難うございます。
北海道の路線も幹だけになって、こういう写真が撮り辛くなりました。
2013-02-02 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

記事に解りにくい点がある・・とのことですので、国縫の前に「2つ前の」を付け足しました。
2013-02-03 * 風来梨 [ 編集 ]