2013-01-23 (Wed)✎
『私の訪ねた路線』 第120回 興浜北線 〔北海道〕
難所・斜内山道に挑む
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度(’79) / 営業係数(’83)
浜頓別~北見枝幸 30.4km 111 / 2201
廃止年月日 転換処置 廃止時運行本数
’85/ 7/ 1 宗谷バス 6往復
《路線史》
『オホーツク縦貫鉄道構想』の主軸を担う開拓路線。 名称の通り、興(興部)と浜(浜頓別)を結ぶ路線の北からの延伸線である。 沿線は多くをオホーツクの海際を伝い、灯台の立つ断崖や流氷など風光明媚な路線であった。 観光資源としては、北見神威岬やウスタイペ千畳岩がある。
凍える情景の中にも
何か熱いモノを感じる情景
ウスタイペ千畳敷
美幸線と結び道央を短絡する計画もあり、先述した『オホーツク縦貫鉄道構想』によって網走~稚内を結ぶ第三セクター開業の立案もなされたが、毎年数億単位の赤字が見込まれる事が判明し断念。
その後の廃止運動は空洞化し、1985年7月に路線廃止となる。 恐らく・・であるが、“復活させたい廃止路線”の中では№1の支持を集める路線であろう。
難所を越えると
枝幸の街が見えてくる
北見神威岬の灯台の下を車輪を軋ませながら伝う列車の面影は、今でもローカル線ファンの心を虜にしている。 あの思いを抱いて灯台下の廃線跡を見ると、無常感に苛まれる思いが募る事だろう。
斜内山道を直接貫くトンネルが開通して国道238号が短絡され、岬灯台を並走していた道路が国道から“ただの遊歩道”に転落した事も、訪れる者に無常感を一層強く抱かせるのである。
ワテの唯一の心残りとしては、この路線の撮影名所・北見神威岬灯台で『流氷と列車』の写真を撮ることが叶わなかった事であろうか。 もう廃止になって永い時がたったが、この線を思い返す事であの時の幼さが頭を過るのである。
吹雪をついて
《乗車記》
人気のないブログ故に今まで引っ張るだけ引っ張ったこの企画も、ついに大御所の登場です(爆)。
《路線史》でも記してある通り、恐らくは復活して欲しいローカル線の№1となる路線であろうと思う。
まぁ、その路線に乗って稚拙ながらも乗車記を語れるのであるから、鉄としては幸せなのだろうと思う。
それでは、この興浜北線に乗ってみよう。
なお、本来なら浜頓別から語るのが筋だろうが、ワテにとってのこの路線の位置づけは『オホーツク縦貫鉄道』の一区間なのである。 従って、根室から通しでやってくるシナリオに沿って、未成区間をバスでつないで来た続きから・・、敢えて北見枝幸側から記述しようと思う。
この北見枝幸は、宗谷管内では稚内についで№2の町勢を有しているらしい。 だが、海沿いのひなびた港町である事には相違ないのである。
興浜北線・車内補充券
乗降場を除く沿線の全駅が表記してある
往時の北見枝幸駅は、未成線区間のバス停より離れた町外れにあった。 確か、西條デパート前がバス停で、そこから駅まで5~6分歩かされた記憶がある。 だが今は、駅跡がバスターミナルとなっているようだ。 そして駅跡には、『北見枝幸駅碑』と刻まれたモニュメントが掲げられている。
また線路跡は、『興浜線通』と名づけられた車道となっているようだ。
廃線後の様子を続けても仕方がないので、往時の記憶である《乗車記》を始めよう。 北見枝幸駅を出ると、すぐに《ウスタイペ千畳岩》という景勝地が現れる。
冬の荒波が千畳敷を洗う
荒波の対岸には
枝幸の街が見渡せる
オホーツクの海岸に荒波に洗われた巨大な岩礁が広がり、その様相は一面に畳を敷きつめたかのようである。 そして、この自然の造形である広大な岩礁の上で、春夏秋冬で様々なイベントが行なわれるとの事である。
波が押し寄せてきた
中でも最大のイベントは、夏に行なわれる『カニ祭り』であろう。 季節的には?がつくが、とにかく獲れたてのカニの味覚三昧を楽しめるとの事。 また、冬の流氷接岸時は、流氷と朝日を望む絶好の展望台となろう。
岩に波がぶち当たって砕け散る
海際をゆく国道にピッタリと並走しつつ北上していくと、程なく問牧に到着。 車窓のハイライトは、この駅を出てからである。 線路が少し高度を上げると、海際をゆく国道が窓下に隠れる事で視界から消えて、オホーツク海が車窓いっぱいに広がるようになる。 もし、季節が流氷接岸時だったなら、その美しさは言葉では表せない程だろう。
海際に迫り立つ切り立った岩の中段に刻まれた軌道をゆく鉄道の風景は、駅を降りて端から眺めるのもいい。 流氷に閉ざされたオホーツク海と果てなく続く切り立った断崖の海岸線、そこに単行の気動車が細々と伝う姿は崇高でさえあった。 おそらく、日本的な鉄道風景とはかけ離れた、それでいて西洋かぶれした大味な風景でもない。 きっとこれは、心の奥底に忘れずにしまって置かれた大切な風景なのだと思う。
海際に迫り立つ切り立った岩の中段に刻まれた軌道をゆく鉄道の風景は、駅を降りて端から眺めるのもいい。 流氷に閉ざされたオホーツク海と果てなく続く切り立った断崖の海岸線、そこに単行の気動車が細々と伝う姿は崇高でさえあった。 おそらく、日本的な鉄道風景とはかけ離れた、それでいて西洋かぶれした大味な風景でもない。 きっとこれは、心の奥底に忘れずにしまって置かれた大切な風景なのだと思う。
やがて、岩崖の中腹に刻まれた鉄道軌道の小さなスペースに、車輌の半分強ほどの板張りの乗降場が現れる。 山臼仮乗降場である。 これが先程の正規駅より格上の“仮乗降場”である。 山臼を出ると、《目梨泊岬》という小さな突起地形を忠実にめぐって目梨泊を過ぎた後、いよいよクライマックに差しかかる。 《斜内山道》めぐりである。
斜内山道の突端
北見神威岬に建つ海の“防人”
切り立った断崖がダイレクトに海へ突き出し、その崖の中腹に立つ真に“防人”たる白黒帯の灯台。
真下は夏ならはどこまでも蒼い海、冬ならば彼の地まで続くかのように敷きつめられた流氷の眩い白銀が広がる。 その灯台へ向けて、単行の気動車が孤独な任務を果たすべく行き交う。 何と叙情的な風景なのだろう。
真下は夏ならはどこまでも蒼い海、冬ならば彼の地まで続くかのように敷きつめられた流氷の眩い白銀が広がる。 その灯台へ向けて、単行の気動車が孤独な任務を果たすべく行き交う。 何と叙情的な風景なのだろう。
岬灯台の下をめぐる
興浜北線列車
:
わが国でも屈指の
鉄道風景であった
灯台下の岬をめぐる急カーブでは、車輪がキーン・・、キーン・・と悲鳴を上げる。 日暮れ時の最も寂しい時間帯ならば、その孤独感を癒すべくの悲痛な叫びのようにも聴こえてくる。
離れていても
車輪の軋みが聞こえてくる
そして時を経た今、レールは剥がされ、その真下をめぐった国道も斜内山を直接貫くルートにその任を譲って“岬めぐりの遊歩道”と化し、より一層哀愁が漂う眺めとなっていた。
灯台が見守るオホーツクの海
夏は穏やかに・・
夏は穏やかに・・
冬は冷たき氷に閉ざされても・・
夏草揺れる中に建つ無人の灯台上に昇り、レールを剥がされた軌道跡と海を眺めつつ、あの時の車輪の軋み音を思い描くと、あの軋み音は鉄路の奏でる鎮魂歌(レクイエム)だったのか・・とも思える。
灯台の真下で
轍の軋み音を響かせた鉄路は
もうそこにはなかった
駅跡に咲く野花が
時の無常を語っていた
馬蹄形に岬をめぐり、断崖の中腹より少しづつ高度を下げて国道の位置と高さを合わせると斜内に着く。 簡易カプセルの駅だがそれでも北国の駅らしく、中に誰でも使用できるようストーブが置いてあった。
夏でも15℃前後という厳しい気候の中では、このストーブは年中の働き者となる訳である。
廃止になってからのカプセル駅舎は付近の民家に払い下げられたらしく、夏のある時に久方ぶりに訪ねてみるとホームには夏草が生い茂り、駅と国道とを結ぶ通路は草花が風にそよいでいた。 それは、斜内山をトンネルで貫くルートに付替えられた国道跡の道と共に、何とも無常感に苛まれる情景であった。
そして時が経ち、近年の冬に訪れた時は、北見神威岬への遊歩道は冬季閉鎖されていた。 斜内地区の住民も移転したようで、海沿いの遊歩道はゴーストタウンとなってしまったようだ。 物置として使われていた斜内の駅跡はどうなったのだろうか?
遊歩道は雪で埋まり
遠く離れたここで見つめるのみだった
北見神威岬
後は、豊浜仮乗降場、斜内と同じカプセル駅の豊牛を経て、夏ならばハマナスやエゾカンゾウが咲き乱れる頓別川の湿原帯を横切って、頓別という車輌長の半分位の板張りの乗降場を過ぎると、『オホーツク縦貫鉄道』路線の幹線格である天北線と合流する。
合流すると、程なく浜頓別に到着する。 浜頓別は北の要衝らしく、風格のある門構えの駅だ。
そして、路線が延びる方向からであろうが、その母屋寄りの『1番線』が興浜線の発着ホームであった。
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No title * by 風来梨
tomさん、こんばんは。
興浜北線の流氷列車撮られたのですか? 羨ましい限りです。
早く見てみたいです。
私の訪れた昭和59年は流氷がハズレの年(枝幸は接岸せず)でしたし、時期も春休みでちょっと遅かったかな? 興浜南線の方は辛うじて漂っている流氷を撮る事はできましたが・・。
あぁ、願わくば、もう一度撮ってみたい・・興浜北と南線。
興浜北線の流氷列車撮られたのですか? 羨ましい限りです。
早く見てみたいです。
私の訪れた昭和59年は流氷がハズレの年(枝幸は接岸せず)でしたし、時期も春休みでちょっと遅かったかな? 興浜南線の方は辛うじて漂っている流氷を撮る事はできましたが・・。
あぁ、願わくば、もう一度撮ってみたい・・興浜北と南線。
No title * by isao&よっちゃん
こんばんは。
1999年に北見枝幸へ行ったときはまだ駅前食堂が残っていたのでそこで昼食を採りました^^
まだ残っていればいいのですがね…
1999年に北見枝幸へ行ったときはまだ駅前食堂が残っていたのでそこで昼食を採りました^^
まだ残っていればいいのですがね…
No title * by 風来梨
よっちゃんさん、こんばんは。
北見枝幸駅前の『駅前食堂』は有名ですね。 久々に訪れた去年の正月は、建物はあったようですが正月休業なのか閉まっていました。
一番衝撃的だったのは、北見神威岬をめぐる旧国道が冬季閉鎖されていた事です。 冬季閉鎖という事は、斜内の集落は消滅している・・って事ですので。 かつての遺構が徐々になくなってきていますね。
北見枝幸駅前の『駅前食堂』は有名ですね。 久々に訪れた去年の正月は、建物はあったようですが正月休業なのか閉まっていました。
一番衝撃的だったのは、北見神威岬をめぐる旧国道が冬季閉鎖されていた事です。 冬季閉鎖という事は、斜内の集落は消滅している・・って事ですので。 かつての遺構が徐々になくなってきていますね。
No title * by 日本一周
日本一周です。
すごい、すごい…。現役時代の冬の斜内山道と廃線後の夏のここへお行きになっていらしたのですね。
今では、こういうすばらしいお写真を指をくわえて拝見するだけです…。
廃線跡の風景、トラバお返しさせていただきます。
すごい、すごい…。現役時代の冬の斜内山道と廃線後の夏のここへお行きになっていらしたのですね。
今では、こういうすばらしいお写真を指をくわえて拝見するだけです…。
廃線跡の風景、トラバお返しさせていただきます。
No title * by 風来梨
日本一周さん、こんばんは。
訪問及びトラックバック有難うございます。
夏のある時に訪れた斜内の駅跡は、無常感が漂う眺めでした。
そして冬に訪れた時、もはや集落も移転してなくなっていた。
確実に廃線跡は線路が敷かれる前に回帰しているようですね。
もっと撮ってればよかった・・と思い返す事が度々ある路線です。
訪問及びトラックバック有難うございます。
夏のある時に訪れた斜内の駅跡は、無常感が漂う眺めでした。
そして冬に訪れた時、もはや集落も移転してなくなっていた。
確実に廃線跡は線路が敷かれる前に回帰しているようですね。
もっと撮ってればよかった・・と思い返す事が度々ある路線です。
No title * by オータ
偶然にも 興浜北線絡みの記事をアップしたばかりです。
それと別に 山臼仮乗降場 blogs.yahoo.co.jp/orofure2001/13892405.html で取り上げていました。よろしければご覧下さい…
それと別に 山臼仮乗降場 blogs.yahoo.co.jp/orofure2001/13892405.html で取り上げていました。よろしければご覧下さい…
No title * by 風来梨
オータさん、こんばんは。
早速訪問させて頂きます。 でも、廃止になって四半世紀以上経ってしまったのですね。 あの時ハイティーン(死語)だった私も、オ○サンに・・(涙)。
早速訪問させて頂きます。 でも、廃止になって四半世紀以上経ってしまったのですね。 あの時ハイティーン(死語)だった私も、オ○サンに・・(涙)。
小生も興浜北線は様々な点で廃止国鉄ローカル線の横綱級と思っています。流氷。撮りましたよ。昭和60年の3月でした。いずれアップします。