風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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私の訪ねた路線  第119回  日高本線

『私の訪ねた路線』  第119回  日高本線  〔北海道〕
 

海と波と孤高の列車と

《路線データ》
   営業区間と営業キロ               輸送密度 / 営業係数(’15)
       苫小牧~様似 146.5km                   185  /   812
運行本数(’10)
           苫小牧~様似 下り5本・上り6本  静内~様似 下り2本・上り1本
           苫小牧~静内 下り3本・上り2本(内1往復 土日運行)
           苫小牧~鵡川 2往復(土日上り1本増便) 静内~様似 1往復

        ※ ’15年の高波による土砂流出の為、鵡川~様似 代行バス運行
 
  《路線史》
王子製紙の関連会社であった2つの軽便鉄道線(苫小牧軽便鉄道、日高拓殖鉄道)を改正鉄道敷設法により、1927年に国有化した路線。 現有の様似へは1937年に延伸された。 襟裳岬をめぐって広尾を経由し、1987年に廃止となった広尾線とつないで帯広に抜ける壮大な計画線であった。

路線建設の経歴は上記に記した通り、王子製紙の苫小牧工場で使用するパルプ木材の運搬の為に、三井物産によって1909年に苫小牧~富川(当時は佐瑠太)に専用馬車軌道を敷設したのが始まりである。
1913年に軽便鉄道法に法って、苫小牧軽便鉄道会社を設立する。
 

『本線』といっても
単行列車が往来するローカル線だ

一方、富川より先は、1924年に王子製紙の資金協力の下で創設された軽便鉄道会社(日高拓殖鉄道)の元で富川~厚賀が開業。 1926年には静内まで延伸される。 1927年に上記二社を買収し、国有化。
日高線と呼称される。 また1929~31年にかけて、全線が軽便鉄道規格の762mmゲージより1067mmに改軌される。

1933年には静内~日高三石、1935年には浦河まで、そして先述の1937年には現有の様似まで延伸される。 1943年には本線に格上げされ、日高本線と呼称されるようになる。 だが、1970年台に入って、モータリゼーションの普及に伴い道路状況が改良され始めると貨客共に需要が減り始め、1980年台には貨物営業の廃止や優等列車の廃止が相次ぎ、本線と名乗るものの利用状況的には国鉄再建法に掲げられた廃止基準を下回る状況にまで落ちる事となった。
 

列車が高波を被る事も
あるという

それによって、廃止が前提となる『特定地方交通線』指定の検討路線としても考慮されていた。
だが、救済処置である乗車平均距離(1000人以上の輸送密度で30km以上の平均乗車距離)と、北海道の日高支庁の支庁舎所在地が浦河にある事などから、かろうじて指定を免れた経歴がある。

1987年にJRに経営母体が変り、1990年には北海道の地方路線経営健全化のモデル路線として、経営を地域密着型に変えて改善する目論みで日高線運輸営業所が開設されて、線区内の権限委譲と独立採算制が取られるようになり現在に至る。
 

利用状況は特定地方交通線より
幾分マシだが
ローカル線である事に変わりはない

沿線は中央競馬のサラブレットの生産地として知られ、襟裳岬と共に観光客を呼び込む要素は多いものの、路線建設が中途で途切れている事と道都・札幌との直通優等列車が廃止された事によって、観光輸送はほぼ全て道路利用になってしまっている。

また半島には未開の日高山脈が横たわり、山脈の西側をつなぐルートは襟裳岬をめぐる国道336号線と、《天馬街道》と呼ばれる国道236号線しかない状況で、国道336号線の襟裳岬西側は維持に多額の費用がかかる為に《黄金道路》と呼称される程である。 その厳しい気候による自然災害で、道路自体が長期間不通となる事も多々発生している。 従って、現有の日高本線は、生活路線としての比重が重い路線運営となっている。
 

 

彼はいったい
何を見つめているのか
列車を見つめる彼の名演技が
駄作を救ってくれた
 
  《乗車記》
特定地方交通線の大方が廃止となった今、ワテの心の中では“最後のローカル線”の情景をいだくのが、この日高本線であろうと思う。 だから、特定地方交通線・・いわゆる『ローカル線』があった頃は、一度乗ったきりで見向きもしなかった路線である。 そして、特定地方交通線が廃止となり、約20年のブランク(この間、山や滝をめぐっていました)を経て、初めて撮影に赴いた路線なのである。
 

この路線に魅せられて
鉄道写真を再開した
といっても過言ではない
 
だから車窓風景と言っているが、正直言うと車の運転席から見た情景と撮影地に立って見た情景が大半なのである。 まぁ、こんなのでも宜しければお付き合い下さい。 それでは、始発駅の苫小牧を発車しよう。
 
苫小牧は南側のメイン改札口寄りの1番線から発車する。 これは、南側から日高本線が分岐するからである。 苫小牧を出ると5kmほど室蘭本線や国道36号線と並走し、札幌へ延びる国道36号線が北に進路を取るあたりで、室蘭本線と分かれて南側にそれていく。
 

原野の中の楼閣
湿地帯に建てられた
湾岸工場を見ながらゆく
 
線路は南下し、太平洋まで出ると勇払に着く。 ここは日本製紙の工場と港のコンビナートが立ち並ぶ荒涼とした風景で、かつては日本製紙に原料チップを輸送する貨物の取扱もあったとの事。
そして急行【えりも】も停車したというが、今は交換設備は廃され、駅舎の駅務室は完全に埋め込み閉鎖された哀れな状況となっている。
 
勇払を出ると、太平洋に注ぐ安平川の河口付近を渡る。 この河原は葦の原生地で、これを活かすといい撮影場所となりそうだ。 列車は海に沿って進み、石油備蓄コンビナートや湾岸施設を見ながらゆく。
やがて浜厚真に着く。 今は駅舎は取り壊され交換設備は撤去されて、貨車の棒線駅となっている。 
この駅が形上は苫小牧東港の最寄駅(港まで2km)だが、当然として接続駅としての機能は皆無だ。
 

背後の分厚い雪雲と
夕日となり始めた光で
得も云えぬ美しいシーンとなる
 
次の浜田浦は、ホームだけの棒線駅。 駅の側に街灯もないブロック造りの待合室があるだけだ。
周囲は工業地帯を過ぎ去って、海沿いの原野地帯となる。 市街地が見えてくると、海から少し離れて鵡川に着く。 鵡川はかつて富内線が分岐していたが、1986年に廃止となっている。 富内線の廃止後に、バスターミナルとの併用駅舎に建替えられた。 路線内でも中心駅的な存在だが、今は合理化で無人駅となっている。
 

夜明けの前の町をゆく
 
鵡川を出ると再び海よりに進路を取り、再び海沿いの原野をゆく。 やがて、棒線ホームの汐見に着く。
ここは浜田浦と同じような駅だが、待合室はちょっとマシのようである。  次の富川は、まとまった町の形成された駅でかつては急行も停まったが、今は交換設備は廃されて棒線駅となっている。
駅舎も今ふうのログハウス駅舎に建替えられている。
 
次の日高門別は旧門別町(現 日高町)の中心駅でかつては急行も停車した駅だが、今は無人化されて、町の物産展示場を兼ねた合築駅舎となっている。 駅のデザインは、西部劇風にアレンジされている。
日高門別を出ると、岬状に突き出た地形に沿って半周して豊郷に着く。 駅は駅は待合室だけの棒線駅だ。 豊郷あたりから、サラブレットが放牧されているのが見られるようになる。
 

馬と岬をめぐる列車
 
次の清畠も、駅舎は豊郷と同じ造りだ。 ホームから太平洋の海岸線が見渡せ、視界のいい時は苫小牧の街並みも見渡せる。 海岸線を進んでいくと、小さくまとまった集落地に入り、厚賀に着く。
この駅もかつては急行停車駅て゛あったが、他の急行の停まった駅と同じく交換設備は廃されて無人化されている。 また駅舎も、ログハウス調の立派なモノに建替えられている。
 
次の大狩部は最も海に接近した駅。 海風の害を防ぐ為に、木の杭と廃タイヤで支えられた木塀が立てかけられている。 比較的到達が容易(オーバークロスする国道のガード下をくぐると駅に着く)だが、電気設備皆無の待合室と、吹きつける強い海風が印象的で『秘境駅』の指定を受けているらしい。
 

日高本線は東の海岸沿い
を走るので逆光の所が多い
 
次の節婦は貨車駅からプレハブの駅舎を有する駅に“昇格”した駅。 だが、かつては交換設備のある有人駅だったようだが。 この節婦と次の新冠の間に、判官義経のチンギスハン伝説の由来となる判官岩が海に迫り出していて、列車はこの海際の岩壁を半周めぐるように往来する。 この岩壁の新冠側は、日高本線随一の有名撮影地となっている。
 
だが、ヒネクレ者の私はその逆(節婦側)で狙ってみたが、その場所は有名撮影地のロケーションを凌いでオツリがくる程に素晴らしい場所に感じたのであるが。 それでは、そのシーンをごろうじろ。
 

毛嵐が沖に湧き立って
神秘的な情景を魅せていた
 

美しい自然現象に
カメラを持つ手が震える
 

裏側の有名撮影地より
コッチの方がいいね
ワテの主観であるが
 
次の新冠は、サラブレットの町の代表駅。 当然、急行停車駅であった。 だが、現在は他の急行停車駅同様に無人化と交換設備の撤去が行われている。 駅舎は観光案内場と町の物産展示場を兼ねた合築駅舎となっている。
 
次の静内は、路線内の最大の駅といっていいだろう。 終日駅員が配置され、線区内の列車の運用を取り仕切る駅である。 駅舎は観光案内センターとの合築駅舎に改装され、広いロータリーを有する地方都市の代表駅然とした造りとなっている。
 
次の東静内は、東とはついているが、静内より9km近くも離れている。 棒線無人駅で、駅舎はかつては貨車であったが、西部劇をアレンジしたデザインのブロック造のモノが建てられている。 次の春立も棒線無人駅で、貨車駅からサイディング造の駅舎に建替えられている。 日高東別も棒線無人駅。
ホームの上にブロック造の待合室がある。
 

ウミネコが
金色のシジマに羽ばたく
車窓からこんなシーンが
見られるかも
 
日高東別でいったん海際を離れるが、再び海に寄り添って日高三石に着く。 ここは旧三石町の中心駅で急行停車駅であったが、今は交換設備は撤去されて無人・棒線駅化している。 駅舎はコミュニティセンターとの合築駅となっている。 日高三石から浦河まで、海を離れて内陸の集落を縫っていく。
 
待合室だけの棒線無人駅・蓬莱を経て、本桐に着く。 本桐は島式ホームで交換設備のある無人駅だ。
今はスプリングポイント化されているので、運転要員は必要ない。 また、日高本線では、希少の国鉄時代からの木造駅舎を有する。
 
貨車駅の荻伏、公園の公衆便所のようなブロック造の待合室の絵笛と棒線駅を経て、日高支庁の所在町・浦河町の代表駅・浦河に着く。 だが、線区内の代表駅・静内と比べると小さな駅舎で、駅員は配しているものの、棒線駅で改札業務はナシのようである。
 

こういうのを撮りたくて日高線へ
 
次の東町は元は仮乗降場であったが、近くに高校があるようで、今や路線内でも指折りの乗降客数の駅となっている。 駅は元々乗降場だったので、もちろん棒線駅だ。 次の日高幌別は棒線の無人駅であるが、レストランや郵便局の入った合築駅舎で、様相は西部劇風の建物となっている。 なお、この地は、名馬・シンザンの故郷との事である。
 
日高幌別を出ると、鵜苫・西様似と棒線貨車駅を経て、終点様似に着く。 駅務はJR北海道バスに委託していて、主にバス用の観光案内所を併設している。 この地より襟裳岬を周回して、旧広尾線(’87年廃止)とつなぐ壮大な路線計画であった日高本線。 だが、その壮大な計画は頓挫し、今はバスが襟裳岬や『黄金道路』をつないでいる。
 

「襟裳の春は、何も無い春です・・」
心に染入る詩歌だ
 

岩礁が沖へ連なる情景は
地ノ涯テに辿り着いた感慨を呼び起こす

   ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『日高本線』を御覧下さい。
 
また、『撮影旅行記集』より、
 
 
 
 
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No title * by タケちゃん
おはようございます。
気嵐を横目に走るキハ40の写真、いいですね~。
空の色もまた、たまらないものがあります・・・・さぞや寒かったことと。

日高本線は、実のところ私自身あまり馴染みがないのですが、ふらっと勇払駅に赴いたことがあります。
駅舎からホームまでの距離、あれは間違いなく多数の引き込み線があった証でしょうし、ホームからもかつての賑わいを想像できる痕跡があり、一人感慨にふけっていましたよ。

ま、鵡川には時期になると柳葉魚を買いに走るのですが、この日高本線、乗ったことも無いんですよ・・・・。

No title * by 風来梨
タケちゃんさん、こんばんは。
いつも見て頂いて有難うございます。

私も冒頭で記しているように、日高本線は3年前の撮影が初めてで、全線通して乗ったのは白糠線の頃です。 その後、山にアプローチしよう(林道が閉鎖していて行けず終い)と静内まで乗った時に、キハ40より早く消えたキハ130(だったっけ)に当たった事があります。 北海道でデッキなし車両とは、すぐに消え去るフラグが立っていましたね(笑)。

勇払はかつて急行停車駅だったそうで。 今も道路はトレーラーが轟音を上げながら走り去る所で、一応歩行者扱いの撮り鉄としては、ここで撮るのはかなりおっかないですね。

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No title

おはようございます。
気嵐を横目に走るキハ40の写真、いいですね~。
空の色もまた、たまらないものがあります・・・・さぞや寒かったことと。

日高本線は、実のところ私自身あまり馴染みがないのですが、ふらっと勇払駅に赴いたことがあります。
駅舎からホームまでの距離、あれは間違いなく多数の引き込み線があった証でしょうし、ホームからもかつての賑わいを想像できる痕跡があり、一人感慨にふけっていましたよ。

ま、鵡川には時期になると柳葉魚を買いに走るのですが、この日高本線、乗ったことも無いんですよ・・・・。
2013-01-21 * タケちゃん [ 編集 ]

No title

タケちゃんさん、こんばんは。
いつも見て頂いて有難うございます。

私も冒頭で記しているように、日高本線は3年前の撮影が初めてで、全線通して乗ったのは白糠線の頃です。 その後、山にアプローチしよう(林道が閉鎖していて行けず終い)と静内まで乗った時に、キハ40より早く消えたキハ130(だったっけ)に当たった事があります。 北海道でデッキなし車両とは、すぐに消え去るフラグが立っていましたね(笑)。

勇払はかつて急行停車駅だったそうで。 今も道路はトレーラーが轟音を上げながら走り去る所で、一応歩行者扱いの撮り鉄としては、ここで撮るのはかなりおっかないですね。
2013-01-21 * 風来梨 [ 編集 ]