2012-05-26 (Sat)✎
『私の訪ねた路線』 第94回 大糸線・電化区間 〔長野県〕
電化区間を取上げているが
大糸線を撮った写真は
非電化区間しかないの
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
松本~糸魚川 105.4km 5691 / 176
※JR東日本管内の数値
電化区間運行本数(’19)
松本~信濃大町 上下とも1時間毎1本
松本~有明・穂高に区間運行有
信濃大町~南小谷 10往復〔上り最終便は快速〕
松本〜南小谷 新宿より直通の特急【あずさ】1往復
《路線史》
この大糸線の生い立ちは、沿線の最大の町・信濃大町を境として二つに分かれている。 松本~信濃大町は、1915~16年に私鉄の『信濃鉄道』によって建設されている。 私鉄の建設路線という事で信濃大町までの駅間距離は極端に短く、停留所のような駅が多く設置されている。
一方、信濃大町以遠は、信濃大町・糸魚川の双方から建設され、1924~35年にかけて信濃大町~中土、糸魚川~小滝が開業している。 なお、この2つの路線が1本につながったのは、約20年後の1957年の事である。
沿線の西側には白馬三山を擁する北アルプス・後立山連峰がそびえ、黒部・立山アルペンルートの玄関口である扇沢や八方尾根など、沿線全てに山岳行楽地を擁する路線であるので、近年までスキー列車や東京発の夜行急行【アルプス】などの馴染み深い列車が運行されていた。 だが、利用客の減少と新幹線の開通で、運行廃止や臨時列車化されている。
鉄道ファンとしては、やはり糸魚川~南小谷の非電化区間を行き交う列車に視線が向けられる事だろう。 それはこの区間で、国鉄型車輌・20系列の最後の生き残りであるキハ52系が、かつての国鉄色ツートン塗装で運行されているからである。
一方、信濃大町以遠は、信濃大町・糸魚川の双方から建設され、1924~35年にかけて信濃大町~中土、糸魚川~小滝が開業している。 なお、この2つの路線が1本につながったのは、約20年後の1957年の事である。
沿線の西側には白馬三山を擁する北アルプス・後立山連峰がそびえ、黒部・立山アルペンルートの玄関口である扇沢や八方尾根など、沿線全てに山岳行楽地を擁する路線であるので、近年までスキー列車や東京発の夜行急行【アルプス】などの馴染み深い列車が運行されていた。 だが、利用客の減少と新幹線の開通で、運行廃止や臨時列車化されている。
鉄道ファンとしては、やはり糸魚川~南小谷の非電化区間を行き交う列車に視線が向けられる事だろう。 それはこの区間で、国鉄型車輌・20系列の最後の生き残りであるキハ52系が、かつての国鉄色ツートン塗装で運行されているからである。
キハ52の事を記してて良かった
写真が貼れる
この区間は雪深い谷筋をゆくので、これらの国鉄型車輌は周囲の風景にとけ込んで素晴らしい情景を魅せてくれるのである。 この姿をカメラに収めようとする鉄道ファンが、よくこの区間を訪れるとの事である(なお、キハ52は2010年3月のダイヤ改正で運用から外れ、新型気動車に置き換えられている)。
最後に、この路線の今後であるが、2014年に予定されている北陸新幹線が完成したなら、現在の主要幹線と共に第三セクターの道を歩む事が定められているようである。 個人的な感想であるが、もし金沢や富山などの主要都市を結ぶ路線やそれに連なる支線の全てが『第三セクター』という分断化された運営となれば、鉄道旅の魅力は吹き飛んでしまい、北陸は“遠くて行き辛い場所”になってしまう懸念があると思うのだが。
最後に、この路線の今後であるが、2014年に予定されている北陸新幹線が完成したなら、現在の主要幹線と共に第三セクターの道を歩む事が定められているようである。 個人的な感想であるが、もし金沢や富山などの主要都市を結ぶ路線やそれに連なる支線の全てが『第三セクター』という分断化された運営となれば、鉄道旅の魅力は吹き飛んでしまい、北陸は“遠くて行き辛い場所”になってしまう懸念があると思うのだが。
《乗車記》
スンマセン。 乗った事はあるのだが、一時期に筆者が抱いていた『気動車以外の○鉄写真は撮らん!』という偏固でしょもない思考に遮られ、またこの路線に頻繁に乗った時は残念ながら『山ノボラー』としての最盛期で、ほとんど鉄道へは振り向かなかった時期でもあった。
非電化区間なら山と列車は
かろうじて撮っていた
そういう訳で、電化区間の鉄道関連の写真は一切ナシ・・なのである。 でも今は、他の人の撮った北ア・後立山連峰をバックに行き交う姿を収めた写真に魅せられる思いが多々ある。 そして、究極の写真である『登って頂上に立った峰をバックに○鉄写真』というのも悪くないなぁ・・と思うようになってきている。
まぁ、これが撮れるのはいつの事やら・・とも思うが、撮ってみたいとも思う。 もちろん撮影のイデタチは、山の装備一式を背負って、登山靴で、三脚の代わりにピッケル・・である。 であるから、鉄道とは全く関係ない写真で埋めるので、怒ったりしないでね。
ヨタ話から入ってしまったが、乗車記を記す事にしよう。 松本駅の大糸線列車は、中央本線からの直通列車がある関係で、3~6番の4ホームが使用されていて、主に6番線が発着ホームに使用されている。
さて、その松本を出た電車は、すぐに次の駅に着く。 北松本だ。 駅間距離は700m程で、首都圏や関西圏の大手私鉄なみの駅間距離である。 駅舎は近代的な鉄筋コンクリート駅舎で、国宝・松本城に近いとの事である。 次の島内は交換可能駅で、国鉄時代からの駅舎をリニューアルして使用しているようだ。
次の島高松は待合室が乗っかるだけの棒線駅。 その次の梓橋から、安曇野の地に入っていく。
次の一日市場は難読駅。 これを最初に『ひといちば』とは読めないだろう。 次の中萱は、近くにある神社を模したデザイン駅。 何でも、この地で起こった農民一揆が題材の神社らしい。
豊科町(現 安曇野市)に入って、南豊科・豊科と停まっていく。 周囲の2村3町が合併して誕生した安曇野市の中心は、この旧豊科町の様である。 豊科の駅は安曇野市の代表として、アルペンの国・スイスをイメージした建物にリニューアルされている。 次の柏矢町は普通の田舎の駅という感じであまり面白みはない。
面白くなってくるのは、次の穂高からであろう。 なぜなら、これよりそろそろ北アルプスの山々が車窓に流れてくるからだ。 穂高は穂高神社の参拝駅としてのイメージを出すべく、寺社神殿を模した駅となっている。 また、かじかの里やわさび田への観光周遊コースがあり、レンタサイクルなども完備されている。 そして、山の民には、燕岳や槍ヶ岳へと続く表銀座登山道への登山口である中房温泉への下車駅となっている。
穂高は燕岳の登山口駅だ
次の有明駅は、山小屋風に丸太を組んだデザインの駅で、かつては中房温泉の登山口への最寄駅として登山者で賑わった駅だ。 だが、交通の中心が手前の穂高に移されると寂れてきて、今や優等列車の停まらないタダの駅と化してしまった感がある。
かつてはこの駅より
槍ヶ岳を目指したのであった
次の安曇追分は、観光地駅である穂高や有明から一転して、田圃に住宅の点在する静かな集落の駅だ。
細野・北細野と待合室が乗っかるだけの棒線駅を経て、信濃松川に着く。 この信濃松川は松川村の中心駅で、この地を題材に創作活動を展開した絵本作家・いわさきちひろ氏の美術館がある。 村も、安曇野の風土を描く美術の振興に力を入れているようだ。
安曇沓掛・信濃常盤・南大町と棒線小駅に停まって、次は線内の中心駅信濃大町だ。 この信濃大町からは扇沢へとアルプス道路が連なり、多くの観光客や登山者を迎え入れている。 扇沢からは、観光客の領域の黒部立山アルペンルートから、針ノ木雪渓や鹿島槍ヶ岳への登山ルートが展開している。
『日本三大雪渓』
針ノ木大雪渓
鹿島槍ヶ岳の勇姿
北アの山を車窓から眺めるなら、これより先がお勧めだろう。 北大町は待合室だけの棒線駅だが、駅ホームから後立山の盟主達を眺める事ができるだろう。 信濃木崎・稲尾・海ノ口は木崎三湖への最寄駅。
木崎三湖はバーベキューやキャンプ・釣りなどの軽アウトドアが楽しめる所だ。 ちなみに、海ノ口はアニメの聖地となっているらしく、そのアニメの放映終了直後はアニオタによる『聖地巡礼』下車が新聞紙上で取上げられる程に多くなったという。
遠見尾根より望む
鹿島槍と五竜岳
次の簗場は、木崎三湖の中綱湖への最寄駅。 周囲は観光ホテルと民宿街だ。 次のスキーシーズンだけの臨時駅・簗場スキー場前を通過して、南神城・神城と停まっていく。 神城は、五竜岳の登路・遠見尾根への最寄駅。 途中まではテレキャビンもあるが、五竜岳へは登りで5時間はかかる。
飯森という棒線駅を経て、北アの盟主・白馬岳への登山基地である白馬駅に着く。 この駅よりバスで猿倉を経て、白馬大雪渓を登高していく最も人気のある登山ルートが控えている。
白馬大雪渓を詰めていく
爽快なルートへと誘う駅
美しい山の情景へ是非
白馬岳頂上で迎える朝
次の信濃森上は、かつては登山ロッジが建ちならぶサブの登山基地であったが、白馬の街に集約されて寂れている。 その次の白馬大池は、白馬乗鞍岳の頂上付近にある白馬大池から名付けられた駅だが、その池に行くまでは車で栂池まで出たとしても、3時間以上の山歩きを強いられる。 なお、車道の終点である栂池は、水芭蕉の群生で有名な栂池自然園がある。
次の千国を経て、電化区間の終点でJR東日本と西日本の境界駅である南小谷に着く。 駅には電化区間の列車と北アの山々を撮りこんだ写真が掲載されているギャラリーがあり、目を楽しませてくれる。
これより気動車区間となるが、それはまた次回(第95回)に語るとしようか。
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No title * by 風来梨
こんばんは。
本来なら鉄道写真で飾るのが本道なのですが、当時は意固地なまでに架線下での撮影を嫌いましたので。 でも、幸い山の写真があったのでまとめる事ができました。
そういえば、急行車両も入ってましたね。 駅間距離が短く、加速性の悪い急行型は運転が難しかったでしょうね。
この頃鉄道のダイヤが悪く、夜行もなくなったので、登山に列車が使い辛くなって来ています。 残念な事ですね。
本来なら鉄道写真で飾るのが本道なのですが、当時は意固地なまでに架線下での撮影を嫌いましたので。 でも、幸い山の写真があったのでまとめる事ができました。
そういえば、急行車両も入ってましたね。 駅間距離が短く、加速性の悪い急行型は運転が難しかったでしょうね。
この頃鉄道のダイヤが悪く、夜行もなくなったので、登山に列車が使い辛くなって来ています。 残念な事ですね。
このような書き方、添付写真は またこれはこれで面白く読めました。
最初は飯田線みたいな感じだったのですね。私もなんどか乗っていますが、何と言うのか…165系電車だと駅とか周りの空間が狭く!見えたのです。これはよく覚えています。北アに行く時は世話になる線路に傑作!