2012-05-23 (Wed)✎
『オホーツク縦貫鉄道の夢』 第38回 長い旅の終わり
根室の納沙布岬灯台をスタート地点に、途中で季節が合わなくなって3ヶ月程中座したが、オホーツク沿岸の鉄路をめぐって今、物語の終点の稚内にたどり着こうとしている。 その距離は約600km。
季節は飛び飛びで、未成線などでは考証もなく、自身の思いのままを記するハチャメチャ旅紀行であったが、記していて楽しかった。 そして、何度も「願わくばもう一度・・」という叶わぬ夢・妄想に捉われた。 これはやはり、「鉄道で旅するなら、恐らく最も旅してみたい所」であるからだろう。
そして、「鉄道で最も旅をしたい所」は、自然風景も魅せてくれた。 ただ単に車窓から眺めるだけでなく、実際にその風景を訪ね歩いた事で、更に面白い記事(ワテ自身にとって・・であるが)が書けたと思う。
その思い入れのある旅紀行が「コレで終わり」だと思うと、寂しい思いが募るのである。
でも、始まりがあれば、いつかは終わるもの・・。 だから、その「終わり」を旅を終えた時の感慨をもって締めようと思う。 それでは、最終回を始めよう。
声問駅と南稚内駅
『天北線沿線郵政協力会』発行の
“さよなら天北線”タトウより
宗谷岬から戻り、声問から最終区間を伝うべく列車に乗り込む。 もう、ラストスパートだ。
市街地の中に板張りのホームが設けられた《宇遠内》仮乗降場(近くに私学の高校があるそうで、乗降客は線内でも五指に入っていた・・との事)を過ぎ、宗谷本線との接続駅である《南稚内》を経て、我が国最北端の駅《稚内》に到着する。
稚内港の北防波堤ドーム
かつてはここより樺太への船が出港していた
設定メチャクチャのオチャラケ空想旅行とはいえ長かった。 そしてこんなのでも、“完遂した喜び”は多分にある。 こんなオチャラケ空想旅でも熱中できたのは、間違いなく『オホーツク縦貫鉄道』という路線計画が、“旅人の抱く夢”そのままの雄大な構想であったからだろう・・と思う。
稚内に着いたなら、夢から現実に戻った旅をしよう・・と思う。
稚内公園の代名詞『氷雪ノ門』
ロールを借景に利尻富士を望む
・・「最後を締める」というのは口で言うは簡単だが、実際にその場面に立ち会うとなると、今イチスッキリこない文しか思いつかない事が多々あるようだ。 そして今回も、その思いを強く感じたのである。
・・「最後を締める」というのは口で言うは簡単だが、実際にその場面に立ち会うとなると、今イチスッキリこない文しか思いつかない事が多々あるようだ。 そして今回も、その思いを強く感じたのである。
それは、やはり「旅の思い出」が大き過ぎて言葉では語り尽くせないからだと思う。
そして、このスケールのデカい空想の旅は、ちょっとやそっとの文章表現力ではまとめ切れないのだなぁ・・と改めて感じ入るのである。 それでなくても、いろいろな思い出があったから・・。
それでは、次回は『後半総括』で、この偉大な空想旅をもう一度顧みる事にしようと思う。
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No title * by 風来梨
こんばんは。
つながらなかった区間を含めて、恐らく最も四季折々に豊かな情景を魅せてくれるであろう・・路線でした。
今も思います。 もっと乗りたかった・・、もっと撮りたかった・・と。 今は、鉄道そのものが都市間輸送以外に用に供さない様になってきています。 利益を求める・・という事を主題に掲げると、地方鉄道全体が存続の危機に陥りますね。
つながらなかった区間を含めて、恐らく最も四季折々に豊かな情景を魅せてくれるであろう・・路線でした。
今も思います。 もっと乗りたかった・・、もっと撮りたかった・・と。 今は、鉄道そのものが都市間輸送以外に用に供さない様になってきています。 利益を求める・・という事を主題に掲げると、地方鉄道全体が存続の危機に陥りますね。
素晴らしい夢ですね。今では大幅な人口減で、恐らくは鉄路が復活することはないのが残念です。ポチッ!