風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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私の訪ねた路線  第93回  羽幌線

『私の訪ねた路線』  第93回  羽幌線  〔北海道〕
 

羽幌駅観光記念入場券
 
《路線データ》
   営業区間と営業キロ    輸送密度(’79) / 営業係数(’83)   廃止年月日    転換処置
  留萌~幌延 141.1km        540  /  967         ’87/ 3/30     沿岸バス 
廃止時運行本数
               留萌~幌延  6往復
               留萌~羽幌  下り1本・上り2本
               留萌~鬼鹿  下り1本

    《路線史》
留萌本線の支線として、軽便鉄道法によって計画された路線である。 この計画により、1927年に留萌~大椴が開業する。 その後、翌年には鬼鹿、1931年には古丹別へと延伸開業する。 この年に留萌線の支線扱いから羽幌線として独立し、その翌年には線名の羽幌までの延伸を果たす。

そして1941年には、北海道きっての優良炭鉱・築別炭鉱のある築別まで延伸された。 この築別炭鉱にまつわる事柄では、計画線の名羽線構想や、炭鉱の最盛期には未成線の一部が国鉄非営業路線ながら、羽幌炭鉱鉄道の借受により石炭輸送に使用された事実などがあり興味深い。 
また、この炭鉱の閉山へ到る過程や、放置された炭鉱跡の残骸も“産業文化史跡”といっていい程に重要な歴史資料である。

羽幌・築別より先は、改正鉄道敷設法による建設となる。 この路線建設は天塩線と命名され、幌延から羽幌へ向かって進められる。 1935年の幌延~天塩の開業を皮切りに、翌年には遠別までが開通する。

天塩線の建設は南側の既成線である羽幌線・築別からも延伸工事が着手されたが、太平洋戦争が起こって建設は中断する。 戦争が終わり、戦時中に建設が中断されたり不急不要線として休止となった鉄道路線の復旧・建設工事がピークとなる1957年~1958年に、南側が築別~初山別、北側が遠別~初山別を開通させで全通となったのである。

前述のように築別炭鉱が閉山となる1970年辺りまでは、石炭輸送や日本海の羽幌沖で獲れるニシンの輸送で活況を呈したが、それ以降は石炭から石油への産業の転換による衰退と、追い討ちをかけるが如くのニシン漁の不振で貨物・旅客輸送量が目減りしていく。

輸送量の減少と並走する国道232号線の整備によって路線の存在意義を問われ、国鉄再建法で第二次の廃止転換線候補に指定される。 これは長大路線である事を理由に一時承認が保留された(1985年に追加承認)ものの、民間バスによる札幌~羽幌~遠別~豊富の直行運転が開始されると、所要時間や便数などで劣る羽幌線は更に窮地に追い込まれる。

1984年には貨物営業が全廃し、札幌~幌延を結ぶ路線の唯一の優等列車である急行【はぼろ】号が1986年・秋の改正で姿を消すなど堀を全て埋められた状態となり、国鉄からJRに移行となる僅か2日前の1987年3月30日に路線廃止となった。 この路線は知る人ぞ知る、国鉄最後の廃止線という結末となったのである。
 

 
  《乗車記》
スンマセン。 幌延~留萌~深川と、乗車時間が延々5時間半と長い事と、夜行の急行【利尻】を朝4時過ぎに幌延で下車して、眠いままに羽幌線に乗った事から、ほぼ全線を通じて爆睡していました。
また、湧網線や士幌線の廃線が同時期に重なっていて、「こちらまで手が周らなかった」のが実情であった。
 
憶えているのは、幌延で清涼飲料(缶ジュース)で、UCCガラナが『永遠の味・ドクターペッパー』より不味い事を知った事と、幌延の次の乗降場である作返の待合室に掲げられた駅名版が、木をスライスしたデカイ看板だった事だけである。
 
従ってここは、インターネットや駅を語る上での“永遠のバイブル”『宮脇俊三・原田勝正 著の北海道690駅』などで羽幌線の駅を調べて記していこうと思う。 もうこうなったら、企画を維持する為だけの悪あがき・・に敢えて突っ込もうと思う。
 
幌延駅での羽幌線は、母屋より最も離れた3番線より発車する。 列車は蛇行した天塩川を避ける為なのか稚内方向へ進み、幌延の街の外周を周って南西方向へ下っていく。 北の大河・天塩川を渡って程なく、唯一記憶のある木をスライスしたデカイ看板の駅名標が待合室に掲げてある作返に着く。 インターネットのサイトなどで見ると、この駅名標の字はかなり達筆で、掲げられたエンビの波板で囲んだ待合室から激しく“浮いて”いた。
 
次の振老・北川口と、同じ形の駅舎だ。 たぶん、ローカル駅の補修が集中的に行われた1975~80年にまとめて建替えられたのだろう。 次の中川口乗降場は秘境駅と言っていいかもしれない。 とにかく周囲は広大な牧草地で、人家は500m近く離れた国道沿いにしかなかった。
 

天塩駅“寿”入場券
 
次の天塩は、かつて急行【はぼろ】が停車した線内主要駅。 だが、今は撤去されてその敷地はバイパス道の改良に供されていて、駅の痕跡は全くない。 僅かに、郵便局や元天塩町役場、農協などが連ねた『駅前通り』がかつて駅があった事を語るのみである。
 

天塩駅“寿”入場券の裏面
 
次の干拓は乗降場だ。 待合室も収容所の檻の如く、形も塗装の色も薄ら寒い様相であった。
次の更岸は、振老や北川口と同じ造りの駅舎だ。 もちろん、棒線無人駅である。 次の丸松は、さいごまで国鉄型の木造駅舎が残っていた。 無人駅ではあったが、駅前の商店で切符の委託販売を行っていた。 また元有人駅で、かつては交換設備を有した島式ホームであった。
 
次の啓明は、局設定の乗降場。 乗降場であるが、割と大きな待合室を持つ。 また、待合室は黄色く塗装されていた。 次は沿線の主要駅・遠別だ。 駅員の配置された鉄筋コンクリートの立派な駅舎であったが、廃止後すぐに解体されて、今は遠別バスターミナルとなっている。
 
次の天塩金浦は乗降場の啓明よりも粗末な駅であるが、正規駅だ。 周囲は稲作地帯で民家はまばら。
次の歌越は、元は主要駅に準じた長いモルタルの駅舎で、島式ホームの片面だけが使われていたようだ。 この辺りが日本海に最も接近しているようだ。
 
共成・天塩大沢と、天塩金浦のような待合室の乗っかる棒線駅を過ぎ、歌越と同タイプの木造モルタルの駅舎と島式ホーム片面仕様の豊岬に着く。 駅前は意味なく広いロータリーがあったようだ。
 

初山別駅入場券
 
次の初山別の前に、列車は羽幌線で最も有名な撮影地であった『金駒内陸橋』を通る。 ここは海岸線を空中でオーバーハングに跨ぐ絶景で、当時のワテが「この地の存在に気が付いていれば・・」と悔やむ事しきりである。 だが今は、地滑り防止の為に完全に撤去されようだ。 そして、初山別。 ブロック造の駅舎と駅員・交換設備のある村の中心駅で、急行【はばろ】の停車駅。だが今は、デザイン化された四角形のバスターミナルとなっている。
 
次の天塩栄は、共成と同じような棒線駅。 次の天塩有明は、手作業工場の作業場のような駅舎があった。 今は砂利の空き地となっていて、トラック等の停泊所に使われているようだ。
 
次の築別は、かつては北海道・・いや我が国でも有数の産業街であった所だ。 それは、黒ダイヤ・石炭の出炭に沸いた為である。 かつては山奥に映画館・パチンコ屋・小学校・スーパーマーケット、ともすれば炭坑夫目当ての売春宿もあったという。
 

羽幌駅観光記念入場券の裏側
その裏面(駅名の起源など)
 
次は、線内最大の駅・羽幌だが、駅舎は廃止と同時に解体され、バスのターミナルとなっている。
だが、主要駅の全てが廃止後すぐに解体されてバスターミナル化されている所を見ると、よほど鉄道敷地はバス会社にとって美味しい存在だったのであろう・・という事であろうか。
 
次の興津は、海岸べりの波止場に設けられた乗降場だが、列車は1日上下2本づつしか停車せず、待合室も存在しない羽幌線では最低規格の乗降場であった。 次の苫前は苫前町の中心で、急行【はぼろ】の停車駅。 駅舎も木造の立派な駅舎を有していた。
 
上平駅は旧国鉄時代からの木造駅舎が残っていたが、その姿は廃止直前のローカル線に有りがちな、天井や壁が剥がれ落ちた哀れなものだったらしい。 次の古丹別も、バスターミナル化された駅である。
もちろん、急行【はぼろ】停車駅で、ともすれば役場所在地の苫前より利用者のあった駅であるが、ここも鉄道の遺構はバスに侵食されて全くない様である。
 
次の番屋ノ沢は、委託で乗車券を販売していた乗降場として知られていた。 それは、次の正駅である力昼が力昼の中心集落である同地区から離れていた為に設けられた乗降場で、正駅の2倍の利用者がいたという。 駅舎も乗降場とは思えない立派な木造駅舎があった。
 
そして、正駅の力昼であるが、こちらは寂れるだけ寂れ、駅舎も振老と同じ簡易駅舎に建て替えられていた。 次の千松は、乗降場規格に戻った乗降場。 農具の物置のような待合室があった棒線駅。
海が近く、波音が聞こえてきそうな位置にあった。
 
次の鬼鹿は、小平町の北端集落にある駅。 急行【はぼろ】も停車した。 駅舎は苫前の駅を少し小振りにした木造駅舎であった。 交換可能な設備を有した有人駅であった。 次の富岡乗降場は、興津と同じような線内で最も格下の乗降場。 付近には民家は見当たらず、平行する国道と海だけのロケーションだった。 列車も1日上下2本づつの停車しかなかったようだ。
 
次の大椴は、国鉄時代の木造駅舎を有する駅。 付近は稲作地帯が広がっている。 次の花岡は乗降場である。 待合室も木造の物置のような粗末なものであったが、待合室に掲げられた駅名板は横はデカイ看板で、妙に印象深い。 実際にこの付近だけは爆睡から醒めて目にしたので、記憶にしっかり残っている。
 
次の小平は、小平町の中心駅。 駅員配置の交換設備を有した駅であった。 今は公園として整地されているようだ。 次の臼谷は近くに海水浴場があり、古き良き時代の夏のシーズンには、海水浴客を捌く為に駅員か派遣され、急行【はばろ】も臨時停車したという。 終点1つ手前の三泊も、海岸へりの駅。
駅舎は簡易のカプセル駅舎に建て替えられたようである。 今は、この簡易駅舎はバスの待合所に転用されている。
 
そして、長い羽幌線の旅も、次の留萌で終わりを迎える。 当時の留萌駅は深川機関区の留萌支所があり、また留萌港の荷揚げ貨物の為の貨物側線を有していた。 その広大な敷地の外側に斜めを向いて羽幌線のホーム(4・5番線)があった。 線路配置としては、母屋側の留萌本線と駅に入る前に分岐し、長い跨線橋で駅母屋とつながっていた。 羽幌線の列車の一部は深川方面へと連絡していたようである。

   ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『羽幌線』を御覧下さい。



 
 
 
 
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No title * by タケちゃん
こんばんは。
私は仕事で羽幌に5年間赴任しておりました。
平成4年から5年間ですので、羽幌線の遺稿はまだ残っていましたし、金駒内の陸橋もまだ残っていましたよ。
その金駒内の陸橋・・・・廃線跡をを見て、「悔しい」と思ったのは初めてでした。
「乗ってみたかった」と・・・・絶景に決まってますもの。

今でも羽幌在住時にお世話になった方々とはお付き合いを持たせていただいております。

「ドクターペッパー」・・・・ひっくり返って笑わせていただきました。
いったいあの「清涼」と称する飲料水は何だったのでしょう!
確かに、美味くなかったもの・・・・。懐かしいですけどね。

No title * by 風来梨
こんばんは。

いゃぁ・・、「ドクターペッパー」が通じる世代ですね。
小学校時代の同級生でアレを『美味しい』といっただけで、クラス内で孤立した子もいた位のシロモノでした。

やはり、撮り鉄でも○鉄でも、あの橋をゆくシーンは撮りたかった・・と思います。 私がそれを知ったのは、廃線になってからです。

あの時は廃線ラッシュで、時間が少なすぎましたね。

No title * by オータ
なぜか 羽幌線は学生時代に乗る機会がなかった分、廃止前には長大だったこともあり、1日掛けてじっくり乗りとおしました。なので、いっぱい写真を撮っています。入場券とかも買いました。私は廃止一週間ほど前に、留萌から北上していき幌延へ至り、札幌行き利尻で帰りました…でも、鉄道ファンは全然いなかった記憶があります。今なら、葬式鉄で大騒ぎでしょうね。 傑作!

番屋の沢乗降場…確かに駅と変わりませんでしたね。私もその仔細は承知していてマークしていました(笑)廃止間際でも乗り降りがあって、写真にも撮っています。私のブログの 「乗降場」カテゴリにupしているはずです。

No title * by 風来梨
こんばんは。

拝見させて頂きました。 番屋ノ沢・・、いい駅舎ですね。
それと、廃止間際でも空いていた・・は、やはり同時期に士幌線と湧網線が廃止になったからだと思います。 当時の私の心もコッチ側に行っちゃって、羽幌線は残念ながらおざなりでした。

コメント






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No title

こんばんは。
私は仕事で羽幌に5年間赴任しておりました。
平成4年から5年間ですので、羽幌線の遺稿はまだ残っていましたし、金駒内の陸橋もまだ残っていましたよ。
その金駒内の陸橋・・・・廃線跡をを見て、「悔しい」と思ったのは初めてでした。
「乗ってみたかった」と・・・・絶景に決まってますもの。

今でも羽幌在住時にお世話になった方々とはお付き合いを持たせていただいております。

「ドクターペッパー」・・・・ひっくり返って笑わせていただきました。
いったいあの「清涼」と称する飲料水は何だったのでしょう!
確かに、美味くなかったもの・・・・。懐かしいですけどね。
2012-05-23 * タケちゃん [ 編集 ]

No title

こんばんは。

いゃぁ・・、「ドクターペッパー」が通じる世代ですね。
小学校時代の同級生でアレを『美味しい』といっただけで、クラス内で孤立した子もいた位のシロモノでした。

やはり、撮り鉄でも○鉄でも、あの橋をゆくシーンは撮りたかった・・と思います。 私がそれを知ったのは、廃線になってからです。

あの時は廃線ラッシュで、時間が少なすぎましたね。
2012-05-23 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

なぜか 羽幌線は学生時代に乗る機会がなかった分、廃止前には長大だったこともあり、1日掛けてじっくり乗りとおしました。なので、いっぱい写真を撮っています。入場券とかも買いました。私は廃止一週間ほど前に、留萌から北上していき幌延へ至り、札幌行き利尻で帰りました…でも、鉄道ファンは全然いなかった記憶があります。今なら、葬式鉄で大騒ぎでしょうね。 傑作!

番屋の沢乗降場…確かに駅と変わりませんでしたね。私もその仔細は承知していてマークしていました(笑)廃止間際でも乗り降りがあって、写真にも撮っています。私のブログの 「乗降場」カテゴリにupしているはずです。
2012-05-27 * オータ [ 編集 ]

No title

こんばんは。

拝見させて頂きました。 番屋ノ沢・・、いい駅舎ですね。
それと、廃止間際でも空いていた・・は、やはり同時期に士幌線と湧網線が廃止になったからだと思います。 当時の私の心もコッチ側に行っちゃって、羽幌線は残念ながらおざなりでした。
2012-05-27 * 風来梨 [ 編集 ]