2012-05-12 (Sat)✎
『オホーツク縦貫鉄道の夢』 第37回 空と大地に輝く光の輪
在りし日の樺岡駅
天北線沿線郵政協力会発行の
『さよなら天北線』タトウより
《沼川》よりは、大平原となった恵北原野の中をゆく・・。 大規模酪農牧場が広がる中にある《樺岡》駅は、駅舎はあるのだが手入れは行き届いていないようで、木造駅舎はボロボロだった。
地割れした駅舎内のコンクリート土間が、冬季の厳しい寒さを偲ばせる(冬は土間がバリバリに凍っていたような)。
バス停の横に移設された樺岡駅標
時が過ぎて四半世紀たった今、駅名標は記念碑の如く立てかけられて、廃線が昔の出来事だった事を示していた。 そして、《恵北》。 この駅を出ると、線路は原野の中を左へ大きく旋回していく。
ここも、絶好の撮影地だろう。
駅裏の高台に登り、この原野の大カーブを俯瞰しよう。 雄大な原野風景と細々と伝う列車の対比が面白い。 また夕暮れを待って、原野に大きな“光の輪”を描くのもいいだろう。 筆者も拙いウデながらチャレンジしてみたので、その成果をごろうじろ。
広大たる北の大平原を
光の輪で表現してみた
この恵北も、鉄道が通じていた事が四半世紀前の『ひと昔』である事を周囲の情景が示していた。
鉄道のかけらは跡形もなく、今は強い季節風より道路を守るべく風防が道に沿って建ち並んでいた。
その風防の背後には、不毛の雪原野が地平線を示す程に延々と広がっていた。
その原野に沈み行く陽光が大きな日輪を描いていた。 日が暮れてスカイブルーから重苦しい紫色に変わる空にスペクトルの日輪を描く様は、空や大地が何かの暗示を示しているかの様だった。
雪の原野に沈みゆく太陽が
日輪を描いていた
その荘厳たる情景に、叶わぬ妄想を抱く自分がいた。 それは、「もし・・四半世紀前にも、こんな情景を目にしたなら・・」という妄想。 もし、あの時の天北線が行き交っていた時にもこのような情景であったなら・・、さぞかし素晴らしくも儚く重い情景を見る事が叶っただろうに・・という妄想だ。
でも、「その情景を捕らえて、写真として表現できた」と思うほどに自惚れる事はない。
所詮、あの当時は年端も行かぬ小僧だったのだから。 だから願わくば、もう一度あの情景を・・との気持ちを抱いたのである。
原野の情景を魅せる《恵北》を出てしばらくすると、《宗谷岬》をめぐっていた国道238号とオホーツクの海が前方に見えてくるだろう。 《声問》は稚内市の街外れで、ここまで来ると街の様相を呈してくる。
ちなみに《宗谷岬》へは、コチラから行くのが常道であろう。 国道沿いにバス停もあり、岬までは1日4往復のバス便がある。 もう、ラストスパートだ。 この続きは、次回の最終回にて・・。
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No title * by 風来梨
こんばんは。
天塩国と北見国に通ずる小学校ですか・・。 壮大ですね。 でも、学年1クラス15名ほどだったりして・・。
傑作に推挙頂き、有難うございます。
1年以上に渡った長い旅も、次回が最終回です。
次回も、宜しくお付き合い下さい。
天塩国と北見国に通ずる小学校ですか・・。 壮大ですね。 でも、学年1クラス15名ほどだったりして・・。
傑作に推挙頂き、有難うございます。
1年以上に渡った長い旅も、次回が最終回です。
次回も、宜しくお付き合い下さい。
No title * by オータ
まさに凍てつく最果ての寂しい風景ですね。ひたすら撮られたご苦労が偲ばれます。 傑作!
No title * by 風来梨
こんばんは。
光の輪・・、あの時と本年と、こんな素晴らしい写真が撮れた偶然に感謝したいです。 天北線の最後を語るに相応しい情景が撮れた事に・・。
光の輪・・、あの時と本年と、こんな素晴らしい写真が撮れた偶然に感謝したいです。 天北線の最後を語るに相応しい情景が撮れた事に・・。
No title * by ナポレオン
おはようございます。
初めまして!
初めて貴殿のブログに訪問し、いきなりコメントを書き込んで申し訳ありませんでした。
いやー、どれも雄大な写真で、私にとっても懐かしい写真ばかりですね。
最北のローカル線・天北線は私も大好きでした!
しかし、この線のクイーンである急行天北号は客車時代に撮影したことがありますが、キハ時代は一度も撮影や見たこともなかったので、かえって新鮮に思えます。
ところで、貴殿のブログを「お気に入り」登録させていただきましたので、よろしくお願いいたします。
初めまして!
初めて貴殿のブログに訪問し、いきなりコメントを書き込んで申し訳ありませんでした。
いやー、どれも雄大な写真で、私にとっても懐かしい写真ばかりですね。
最北のローカル線・天北線は私も大好きでした!
しかし、この線のクイーンである急行天北号は客車時代に撮影したことがありますが、キハ時代は一度も撮影や見たこともなかったので、かえって新鮮に思えます。
ところで、貴殿のブログを「お気に入り」登録させていただきましたので、よろしくお願いいたします。
No title * by 風来梨
ナポレオンさん、こんばんは。
見て頂いて有難うございます。
天北線は広い原野を走る路線でしたので、どこを切り取っても雄大な写真が撮れますね。 でも、まとめるのが難しい路線でもありました。
急行【天北】の客車時代は乗るには乗りましたが、興浜南北や相生・渚滑などを優先してしまって、塩狩で適当撮りしただけに終わりました。 今思えば勿体無い。
見て頂いて有難うございます。
天北線は広い原野を走る路線でしたので、どこを切り取っても雄大な写真が撮れますね。 でも、まとめるのが難しい路線でもありました。
急行【天北】の客車時代は乗るには乗りましたが、興浜南北や相生・渚滑などを優先してしまって、塩狩で適当撮りしただけに終わりました。 今思えば勿体無い。
「樺岡」「恵北」「声問」どれも懐かしい地名です・・・バス停の横にぽつんと置かれた樺岡の駅名票、よ~く覚えております。
恵北小学校は、私が稚内に住んでいた当時に付近の学校を統合して「天北小学校」と名を変えたハズなんですよね。
おそろしく広大な名前の小学校です。
前照灯の光跡が弧を描く写真、痺れました!素晴らしいです。
ポチさせていただきます。