風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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オホーツク縦貫鉄道の夢  第36回  時と共に埋もれて・・

『オホーツク縦貫鉄道の夢』  第36回  時と共に埋もれて・・
 

天北原野をゆくキハ56の急行【天北】
 
前回に宗谷岬へ向かうべく下車した時に述べた通り、《鬼志別》からは内陸部の宗谷丘陵へ分け入っていく。 やがて、《小石》到着。 かつて、この駅の周辺には《天北炭田・藤田坑》があって栄えた村落であった。 聞く所によると、パチンコ屋まであったという。 だが今は、『望郷』と刻まれたモニュメントだけが残る原野となってしまったようである。
 

小石駅駅舎
天北線沿線郵政協力会編集の
“さよなら天北線”タトウより


小石ゆき乗車硬券
 
この《小石》からは、いよいよ宗谷丘陵のサミット越えとなる。 駅間距離も17.7kmと、信号所などの中継点が全くない区間としては日本一の距離であった。 それゆえに、閉塞区間を仕切るべく《小石》駅には運転要員が配置されていた。 駅員配置の駅だったので、清掃の行き届いた綺麗な駅であった。
 
廃止から四半世紀近く経った今は、当然の如く駅舎は撤去されて集落の交流センターとなっていた。 
あり丁寧にいうと、ちょっと良さげな公民館って所だろう。 そして、その脇にあの『望郷』と刻まれたモニュメントがあるのだが、冬に訪れた時は雪で埋もれていた。
 

小石駅跡に建てられた交流センター
右後ろの白い雪の吹き溜まりが
撮りたかった『望郷』の石碑
 
立派な交流センターの正面玄関は小石の小集落に向いており、建物裏手の線路が通っていた所は原野に回帰していた。 交流センターの脇に、僅かながら鉄道通信施設のボックスが残っていた。
鄙には希な位に立派な交流センターと駐車場が建設されてやや薄くなった気がするが、周囲の情景は真に『望郷』の念を心に抱く情景であった。 鉄道が無くなって、その跡地が原野に回帰して久しい故郷の姿が・・。 しばし、あの時の心の故郷を思い描こう。
 
《小石》を出た列車は、進行方向を左右に振りながらサミット越えに挑む。 サミット頂点付近は、絶好の撮影地として有名な所。 未舗装の山道(現在は舗装)はサミット付近まで並走し、高い位置にある山道から下の線路を俯瞰すると、天気のいい日は利尻山と列車の絶好のアングルが広がるのだ。
私も撮ってみたかったが、その地点まで向かう“足”がなかった為に残念ながら撮影は叶わなかった。
 
残雪の天北原野にて

キハ22は単行で峠越え



キハ56の急行【天北】

列車が接近する瞬間はドキドキした



木林を交えて雪深き
ローカル線区を表現してみたのだが

そして今は、樹氷の衣をまとったトドマツの美林が並ぶ無人原野の一本道となっている。
道路の左側にあった天北線の跡は、時折100m単位のキロポストが雪原野の中にポツンと立ちかけてあるが見られるのみだ。 よく見ればガーターや橋桁などもあるのであろうが、敢えて踏跡が皆無の雪原野に踏み込む気にはなれなかった。
 

完全無欠のアイスバーンだった
宗谷丘陵の峠道
 
サミットを越えると随行運転となり、幾分軽やかにジョイントを刻んでいく。 23分という微妙に長い時間を経て、稚内市の最奥集落である《曲淵》に到着。 こちらもかつては炭鉱で栄えた所で、炭鉱住宅跡や出炭施設などの残骸が残っている。
 

侘しき雰囲気漂う曲淵駅
 
また、閉塞区間の北側という事で駅員が配置され、列車交換も行なわれていた。
直接線路を跨いで母屋へ至る駅構内は、古き良き日の鉄道駅の雰囲気を醸し出していた。
 

都会ではすし詰めとなる通勤時間帯でも
北の廃止ローカル線では利用客はごく僅か
 
そして今は、長い峠道を下ってきてのオアシスのような情景の小集落となっている。
元炭鉱であった事から、ブロック造りの鉱山住宅の廃屋が立ち並び、集落の規模以上に大きなオアシスに見えた。 だが、人の住んでいるのは一軒家の建物ばかりであった。 僅かな人しかいない小集落には、集合住宅は必要ないのだ。
 

雪に埋もれたモニュメントに
斜光が当たって
 
これよりは稚内市という事もあって、次第に乗客は増えてくる。 乗客といっても、そのほとんどが学生であるが。 なぜなら、学校の通学区分となる為だ。 《曲渕》より更に丘を下って《沼川》(ちなみに、ここでも駅寝した)に着く。 駅前には数件の雑貨屋が並び、明らかに街が近づいてきたのが判る。
 

沼川駅駅舎
天北線沿線郵政協力会編集の
“さよなら天北線”タトウより

その《沼川》の跡地は、最も鉄道があった事を思わせる記念碑が建っている。
国鉄で使っていた型式の駅名標と、在りし時の駅舎の写真を掲げた案内板が設置されていた。
そして、その傍には、1本の白樺が哀愁を漂う影枝姿を空に向かって伸ばしていた。
《沼川》よりは、大平原となった恵北原野の中をゆく。
 

沼川駅跡に立つ1本の樹

  ※ 詳細はメインサイトより、架空旅行『オホーツク縦貫鉄道の夢・天北線編』を御覧下さい。
     また、天北線の駅跡を辿った旅に興味のある方はコチラをどうぞ。
 
 
 
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No title * by オータ
こんばんは。
小石、曲淵 は18km近い駅間長距離ランキング上位にあったので、昔から知っている駅名でした。さらに 沼川は晩秋から初冬にかけてたびたび北海道内の最低気温を記録する場所だったりします。

厳冬期によく行かれましたね。予想通り、超過疎な風景にしみじみと見入りました。 傑作!

No title * by 風来梨
オータさん、こんばんは。

今年の冬にこの地域を旅した目的の一つに、記事に挙げた『望郷』の石碑が撮りたかった事があります。 22~23年ぶりに戻ってきた情景・・、あの時に憧れた情景の今に戻ってきた=『望郷』の念に通ずるかなぁ・・と思ったからです。

でも、雪で吹きだまっていました・・ 残念。

No title * by タケちゃん
おはようございます。
曲渕や小石・・・いずれも見覚えがあります。懐かしいですね~。
稚内居住時に、いつもヤマベ釣りに通っていたのが小石であり曲渕でもありました。

また機会があったら、竿持って遊びに行きたいんですがね~。

No title * by 風来梨
こんばんは。

この辺りは清流が流れているようですね。 ヤマメやイワナは本当に清らかな沢瀬でないと生息できない・・との事ですね。

関西なら、世界遺産の大峰や大台の源流沢位でしょうか。
私がイワナを釣ったのは、東大雪のニペソツ山・十六ノ沢(登山口の十六ノ沢でテントを張っていると、イワナ釣のおじさんに釣り糸をもらって遊んでいたら、1匹だけ釣れた)ですね。 それを焼いて食ったけど、生涯一美味い焼き魚でした。
17~18年前のいい思い出ですね。

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No title

こんばんは。
小石、曲淵 は18km近い駅間長距離ランキング上位にあったので、昔から知っている駅名でした。さらに 沼川は晩秋から初冬にかけてたびたび北海道内の最低気温を記録する場所だったりします。

厳冬期によく行かれましたね。予想通り、超過疎な風景にしみじみと見入りました。 傑作!
2012-04-26 * オータ [ 編集 ]

No title

オータさん、こんばんは。

今年の冬にこの地域を旅した目的の一つに、記事に挙げた『望郷』の石碑が撮りたかった事があります。 22~23年ぶりに戻ってきた情景・・、あの時に憧れた情景の今に戻ってきた=『望郷』の念に通ずるかなぁ・・と思ったからです。

でも、雪で吹きだまっていました・・ 残念。
2012-04-26 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

おはようございます。
曲渕や小石・・・いずれも見覚えがあります。懐かしいですね~。
稚内居住時に、いつもヤマベ釣りに通っていたのが小石であり曲渕でもありました。

また機会があったら、竿持って遊びに行きたいんですがね~。
2012-04-28 * タケちゃん [ 編集 ]

No title

こんばんは。

この辺りは清流が流れているようですね。 ヤマメやイワナは本当に清らかな沢瀬でないと生息できない・・との事ですね。

関西なら、世界遺産の大峰や大台の源流沢位でしょうか。
私がイワナを釣ったのは、東大雪のニペソツ山・十六ノ沢(登山口の十六ノ沢でテントを張っていると、イワナ釣のおじさんに釣り糸をもらって遊んでいたら、1匹だけ釣れた)ですね。 それを焼いて食ったけど、生涯一美味い焼き魚でした。
17~18年前のいい思い出ですね。
2012-04-28 * 風来梨 [ 編集 ]