風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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私の訪ねた路線  第89回  三木鉄道

『私の訪ねた路線』  第89回  三木鉄道  〔兵庫県〕
 

荒地となった耕地に
春のいぶきが芽吹いて
西這田~別所にて
 
《路線データ》
     営業区間と営業キロ         廃止年月日        転換処置
     厄神~三木 6.8km        ’08/ 4/ 1       神姫バス
(旧国鉄・三木線からの第三セクター移管線)

廃止時運行本数 
19往復(土・休日は17往復)
 
   《路線史》
美嚢川の水運に頼っていた貨物輸送の転換を目的に建設された路線で、旧国鉄三木線である。
路線建設の目的通り、加古川や高砂などの川の下流に栄えた港へ向けて線路が敷かれる事になる。
だが、その為に神戸へと向かう人的交流ルートとズレを生じる結果となり、利用客は開業当初よりジリ貧であったという。 建設目的がこの路線の命運を決したといっても過言ではないだろう。
 

国鉄時代の入場券

この為、貨物輸送の廃止後は更に業績が悪化して、国鉄再建法による第一次の廃止転換の対象路線となるが、各地の廃止対象線で相次いで発足した『第三セクター鉄道』運営の機運に乗じて、利用向上の裏づけもなく『第三セクター・三木鉄道』が設立され、1985年4月に国鉄から経営移管される。

だが、国鉄から離れた事で加古川からの直通運転もなくなり、更に利便性が悪くなった・・という弊害を受けて更に利用客が減少するという悪循環となっていた。 当然の如く、転換時に受けた転換交付金を充てがっていた運営基金が底をつくと、存廃問題が再燃する事となる。
 

「ありがとう三木鉄道」
記念乗車券

この問題を受けて2006年に地元・三木市で行なわれた市長選挙で、“市財政再建の為に三木鉄道の廃止”を公約に掲げる候補が当選し、廃止表明を公約に掲げた市長がこの鉄道会社の社長に就任するという異常事態となる。 早速、就任早々に公約通り路線廃止を表明し、市の定例議会でも“廃止は止むなし”と正式承認される。 これを受けて、三木鉄道の取締役会でも廃止の正式決定がなされ、2008年3月末をもって全線廃止となった。
 


 

廃止2日前
夜の三木駅
 
  《乗車記》
撮影に行ったのは廃止される前年の春であるが、実際に乗車したのは国鉄三木線の時代である。
従って、《乗車記》とはいうものの、車で撮影地を求めて流した時に見た沿線風景が主として入ってしまう事になるだろう。 まぁ、鉄道趣味人の心得には反するかもしれないが。
 
以前は平屋建ての木造駅舎だった厄神駅は、建て替えられて近代的な橋上駅となっている。 
だが、先程に記したように、ワテは平屋建ての味のある木造駅舎しか知らない。 まぁ、近代的になったのではあろうが、駅舎としての建物的な魅力は皆無となってしまったので、わざわざ訪れる事もなかろうと思う。
 
さて三木線は、今も昔も母屋から離れた3番線から発車していた。 そして、国鉄時代は加古川線から三木線への渡り線が設けられていたが、第三セクター運営となって直通列車がなくなった事から撤去されていたようだ(渡り線の撤去については未確認)。 これで加古川への直通運転がなくなり、利用者が更にジリ貧になってしまった・・という、先程に記述した《路線史》があるのだ。
 

ほそぼそと咲く観賞用の桜の枝
を配してみましたが
 
「もし・・」という言葉は禁句かもしれないが、加古川を通る新快速電車が高速性を発揮する現在、三木駅を起点にして神戸電鉄経由で神戸市内に出るよりも、三木から直通列車で加古川へ出て、新快速電車に乗り換えた方が数分早くなる事もあるようだ。 もし、三宮を目的地とするなら、所要時間は完全に逆転するらしい。 だから・・である。 「もし、三木線がJRで直通列車だったなら」とするなら、料金面でも逆転したかもしれない。
 
まぁ、「もし・・」という夢物語はここでお終いとして、三木鉄道線の車窓の旅に出よう。 
厄神を出ると、のどかな住宅地をゆっくりと伝っていく。 田畑があり、新興住宅地があり、旧家の屋敷のような邸宅があり・・といった片田舎を進んでいく。
 

耕畑とニュータウン化した
民家がおりなす
“現代の田舎風景”の中をゆく
 
全線が6.8kmの短い盲腸線であるので、次の国包にはすぐに着く。 この国包駅はカプセル駅と呼ばれるコンクリートブロック駅待合室で、この駅はこのカプセル駅舎の『建立第一号』との事である。
この駅のこの建物を先駆けに、全国の駅にこの改良型が建設された・・との事である。 だが、その『第一号』の末期はすす汚れてボロボロとなり、トイレの前に木が生えて使用不能となるなど、そして路線廃止と散々な憂き目にあったようだ。
 
次の宗佐・下石野と、第三セクターに転換されてから設けられた駅に停まっていく。 駅としては庇だけで駅舎もないホームだけの棒線駅で、駅としての魅力は皆無だ。 まぁ、急ごしらえの駅なのだから仕方がない事だが。 なお、この2つの駅間の距離は500mと、バス停なみとなっている。
 
次に国鉄時代からの駅・石野に着く。 国鉄時代は有人駅だった事もあり、立派な木造駅舎を持った駅だ。
また、有人時代は相対式ホームだったらしく、使われなくなった対向ホームが朽ち果てていた。
なお、駅トイレは、もはや重文級の全穴便器であったとの事。
 
次の西這田も、第三セクター移管以降に設けられた駅。 国鉄時代からの駅と比べると一目瞭然の簡易棒線駅だ。 次の別所は国鉄時代からの駅で、趣のある木造駅舎が残っている。
この駅も有人駅であったようだ。
 

昼下がりの停留所では
眩いばかりに春が謳歌していた
高木駅 にて
 
次の高木も第三セクター以降の設置駅である。 造りも庇があるだけの棒線駅だが、駅前には菜の花畑があり、春は眩いばかりの山吹色に染まる。 そして、次は終点の三木駅だ。 威厳のある木造平屋建ての駅舎は市の代表駅の様相を呈していたが、駅の位置は三木市街地より離れた所にあり、常時長閑な雰囲気をかもし出していた。
 

威厳のある
鬼瓦の門構えの三木駅


通勤時を終えて閑散とした駅で
気動車がつかの間の休息を取っていた
 
なお、神戸電鉄の三木へは、徒歩で15分ほど離れている。 三木鉄道の経営改善計画として、道路とレール兼用の車両で三木鉄道線から神戸電鉄を直通させる案もあったらしい。 また、残った神戸電鉄の粟生線も赤字運営からの脱却ができず、県や沿線自治体の支援が打ち切られたならば路線廃止も視野・・との状況となっているようだ。

  ※ 詳細は、メインサイトより『魅惑の鉄道写真集』の『三木鉄道』を御覧下さい。

    
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