2012-04-18 (Wed)✎
『私の訪ねた路線』 第88回 五能線 その2 深浦~川部 〔青森県・秋田県〕
コレ【青池号】らしいです
でもコレ見て『青池』の
イメージは湧かないなぁ
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
東能代~川部 147.2km 629 / 250
運行本数(’17)
東能代~能代 下り19本、上り17本
能代~岩舘 下り7本、上り6本
岩舘~鯵ヶ沢 上下とも5本
鯵ヶ沢~川部 上下とも10本
※ 週末や多客時は五能線経由で秋田~青森に
快速【リゾートしらかみ】2往復運行
《路線史》(再掲)
五能線は、“奥羽本線と接続する”という同じ目的をもった両端の鉄道線が延伸という形で結合した路線である。 能代側は、1908年の東能代~能代の開業が始まりである。 これは、当時の奥羽本線が地元民の強い反対に遭い能代市街の中心部に入る事ができなかった為、その接続支線として建設されたものである。 当時は、『能代線』と呼称されていたようである。
一方、川部側は私鉄の『陸奥鉄道』が奥羽本線の弘前と五所川原を結ぶ目的で建設したものである。
一方、川部側は私鉄の『陸奥鉄道』が奥羽本線の弘前と五所川原を結ぶ目的で建設したものである。
この両端の鉄道を結ぶ事が旧鉄道敷設法の予定線として挙げられ、それに従って1924年より順次延長されていった。
能代側は1926~32年にかけて岩館・陸奥岩崎と延伸し、五所川原側は1925~34年にかけて鯵ヶ沢・深浦へと延伸する。 なお、延伸工事最中の1927年に『陸奥鉄道』は国有化されている。 そして、1936年に最後の区間である深浦~陸奥岩崎が開通し全通となる。
この路線は日本海の波打ち際を伝う路線から、行楽シーズンにはパノラマ形式の特別車輌が運行される。 また、沿線には世界遺産に指定された白神山地を始め、神秘的な十二湖や千畳敷海岸・不老不死温泉などの自然景観の優れた観光地が目白押しとなっている。
能代側は1926~32年にかけて岩館・陸奥岩崎と延伸し、五所川原側は1925~34年にかけて鯵ヶ沢・深浦へと延伸する。 なお、延伸工事最中の1927年に『陸奥鉄道』は国有化されている。 そして、1936年に最後の区間である深浦~陸奥岩崎が開通し全通となる。
この路線は日本海の波打ち際を伝う路線から、行楽シーズンにはパノラマ形式の特別車輌が運行される。 また、沿線には世界遺産に指定された白神山地を始め、神秘的な十二湖や千畳敷海岸・不老不死温泉などの自然景観の優れた観光地が目白押しとなっている。
十二湖の大観
神秘的な蒼を魅せる青池
運行に関しては以前は青森~深浦に急行【深浦】が走っていたが、青森~川部のみの快速で五能線内は普通列車に格下げられている。 また、深浦を境に列車運行が別系統となっており、深浦を越えて先に進む列車も列車番号が変更となる。
運行本数に関しては開業当初の建設目的の通り、東能代~能代と弘前~鯵ヶ沢の便が1~1.5時間に1本と重点的に設定されている。 鯵ヶ沢~能代の延伸区間は、1日上下各5~6本程度にとどまっている。
運行本数に関しては開業当初の建設目的の通り、東能代~能代と弘前~鯵ヶ沢の便が1~1.5時間に1本と重点的に設定されている。 鯵ヶ沢~能代の延伸区間は、1日上下各5~6本程度にとどまっている。
深浦海岸に点在する
奇岩を眺めながら
《乗車記》
前回の第87回『五能線 その1』の続きを記して行こう。 この回で取り上げる深浦付近は何回か撮影した事があり、持ちネタ(写真)もあるので、前回のように苦しまなくて済みそうだ。
さて、前回も記したように、五能線は147.2kmと長い。 そして、全線通しの列車に至っては、定期列車では下りの1本しかない。 ネットとかで見て「ウソだろ!」と思って時刻表を開いたが、東能代を7時台に出る1本しかないのだ。 そして、運転系統が分断される深浦では、乗り継ぎができる列車は下りが2本、上りに至っては僅か1本と『深名線の朱鞠内状態』になっているのである。
列車は全て深浦止(直通列車も列車番号が変わる)で、朝の下り2本・上り1本を除いて全て1時間以上の列車待ちとなる。 即ち、朝の始発に乗る以外は、その日の内の全線通し乗車は不可能なのだ。
更に言えば、この路線の完乗が主目的ならば、写真を撮るなどの途中下車は諦めなさいという事なのである。 まぁ、鉄道撮影が目的ならば、大概は車でやってくるだろうけど。
さて、深浦を出た列車は、山が迫る海辺の狭い隙間に建て込んだ深浦の町を見やって、国道と共に町から離れていく。 やがて、深浦海岸の景勝地・行合崎にさしかかる。 ここは、日本海の荒波に洗われた奇岩や洞穴が連なり、これをバックに五能線を撮る鉄道撮影の名所だ。 深浦の駅から徒歩30分程で向かう事もできるので、列車利用の撮り鉄にお勧めの所だ。
列車は行合崎を見ながら、海岸線の縁をめぐって広戸駅に着く。 広戸駅の海側には防波堤が立てかけられていて、駅ホームからは海は見えない。 次の追良瀬は、元々は交換駅。 駅舎側の線路は剥がされて空スペースとなり、待合室化された駅舎とホームが離れている。
次の驫木は、難読駅と日本海の波打ち際にあり、「落日の情景が美しい駅」として有名になった駅だ。
ワテは朝にしか降りた事しかないが、またいつか日本海への落日を望む時に、この駅に下り立ちたい・・と思うのである。 そうなると、確実にこの駅での駅寝かな。
駅舎と列車を入れた写真だけど
欲張りすぎて自滅しちゃった
次の風合瀬も難読駅として有名だ。 海を見るホームからは、かなり疲れた防風林を見る事ができる。
シケ波と海風が吹き寄せる厳しい自然条件に、暴風避けを担った木々達もその身体を痛めつけられたのだろうか。
次の大戸瀬は、新幹線の新青森延伸開業を期に駅舎が建て替えられたようだが、駅としての機能を持った旧駅舎に比べ、デザイン化されたものの貧相な待合室のみとなってしまった。
次の千畳敷は元臨時駅で、ホームの造りは乗降場の規格であった。 だが、観光に供されるようになって、季節運行の臨時列車〔リゾートしらかみ〕も停車する駅へと昇格した。 駅前には土産物屋が並び、その裏は千畳敷の岩礁が広がっている。 ただ、かなり俗化しているようで、敢えて下車しようとは思わない所である。
下りるならこういう
最涯て感のある所の方がいい
驫木駅にて
次の北金ヶ沢は、千畳敷から一転して小さな漁村町の情景に戻る。 情景としては、コチラの方が心が和むのである。 この駅は木造駅舎が残り、交換設備もある鉄道の駅らしい造りである。
次の陸奥柳田は、ブロックの待合室のみの棒線駅。 続く陸奥赤石は放置状態で荒れてきている木造駅舎がある。 元々交換駅だったというが、完全に撤去されている。 五能線のこの区間は、今や5往復しか列車がないのだから。
次の鯵ヶ沢は、近代的な駅舎のあるターミナル仕様の駅母屋がある。 弘前・川部からの列車の半数以上がこの駅で折り返す。 そして、この駅は鉄道の駅であると共に、バスのターミナルでもあるようだ。
鉄道が来ない時間帯でも、頻繁にやってくる町内循環バスの切符を売りさばく窓口は開いているようだ。
この鯵ヶ沢からは、列車本数は倍増する。 だが、海の情景とはお別れで、列車は内陸部へと分け入っていく。 次の鳴沢は、木造の簡易駅舎の駅。 周囲は小集落のようだ。 続く越水は、単面のホームだが、駅を通り抜ける為の立派な跨線橋がある。
次の陸奥森田は、旧森田村(現 つがる市)の代表駅。 駅舎も村の中心駅を示す様相をした木造駅舎が建つ。 続く中田は、広々とした田園地帯に長い棒線ホームの駅がたたずんでいる。 駅からは岩木山が望め、雰囲気としては趣のある駅だ。 「撮り鉄の為に降りてみようか」との思いをもたげる駅である。
次の木造は、旧木造町(現 つがる市)の亀ヶ岡遺跡で出土した土偶にちなんで、駅にドデカイ斜光器土偶(愛称・シャコちゃん)が貼り付けられたデザイン駅だ。 この駅についての論評は、敢えて避けようと思う。
五能線・五所川原駅の
観光スタンプ
次の五所川原は、線内最大の駅である。 また、ストーブ列車と太宰治の生誕地で有名な金木方面を結ぶ津軽鉄道の乗換駅である。 シーズン中ならば、デジタルカメラ・大型三脚を持った鉄軍団が集団移動するシーンが見られる。 まぁ、ワテも撮り鉄(ナンチャッテだけど・・)だが、あんな重たいモノと偽造の代名詞で、ある意味『人間能力破壊兵器』であるデジタルを担いで大移動する気は起きないのだが。
次の陸奥鶴田は鶴田町の代表駅で、町のコミュニティプラザとの合築されたデザイン駅である。
ワテはどうも、こんな駅の用途とはかけ離れた奇抜なデザイン駅舎は好きになれないのだが。
続く鶴泊も、ログハウス調に建て直された駅のようだが、こちらのシンプルなデザインは心が落ち着いて良い。
次の板柳は、平成の大合併でも合併・淘汰されずに残った板柳町の中心駅。 町の中心駅なだけに、交換設備と立派な木造駅舎がある。 続く林崎は、りんご畑が広がる中に待合室だけの棒線駅がポツンとある構図だ。 どちらかいうと、こういう景色の方が落ち着くのである。
次の藤崎は、渋い木目の木造駅舎である。 『名駅』の称号を得ている駅舎の造りの駅である。
このレトロな雰囲気とは相反して、周囲は弘前市郊外の住宅地となっている。
そして次が、長い乗車の旅の終点・川部である。 列車は青森方向へ向かう快速〔深浦〕以外は、全て弘前駅発着となっているようだ。 だが、この項目は五能線の乗車記であるので、この駅で下車して終わりとしたい。
また、この区間の撮影記は、コチラをどうぞ。
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