2012-04-16 (Mon)✎
『オホーツク縦貫鉄道の夢』 第35回 宗谷岬へ・・
岬に到達すると心が高揚する
更にその岬がこの国の最北端であれば尚更だ
この《芦野》で広大な北オホーツク湿原帯も端となり、村の中心集落にさしかかってくる。
中心といっても原野のオアシスが如く、少しまとまった集落が確認できるだけの事であるが・・。
猿払村の中心駅は次の《鬼志別》である。 もちろん、急行【天北】も停車する駅だ。
この駅で、ある『思惑』をもって下車しよう。
中心といっても原野のオアシスが如く、少しまとまった集落が確認できるだけの事であるが・・。
猿払村の中心駅は次の《鬼志別》である。 もちろん、急行【天北】も停車する駅だ。
この駅で、ある『思惑』をもって下車しよう。
キハ56時代の急行【天北】
天北線の路線はこれよりオホーツクを離れて内陸の丘陵部へ分け入るのだが、ここは天北線は後回しにして、オホーツク海に沿って忠実に北上し、北の最果てである《宗谷岬》に立ちたい。
ある『思惑』とはこの事なのである。 それでは、『思惑』プロジェクト!?を始動させよう。
駅前に出て、先程に“いわく付き”と述べた猿払村営バスに乗る。 バスはオホーツク海沿いを北上して《宗谷岬》に至る国道238号を、沿線の最北集落の《東浦》まで運行している。
天北線の路線はこれよりオホーツクを離れて内陸の丘陵部へ分け入るのだが、ここは天北線は後回しにして、オホーツク海に沿って忠実に北上し、北の最果てである《宗谷岬》に立ちたい。
ある『思惑』とはこの事なのである。 それでは、『思惑』プロジェクト!?を始動させよう。
駅前に出て、先程に“いわく付き”と述べた猿払村営バスに乗る。 バスはオホーツク海沿いを北上して《宗谷岬》に至る国道238号を、沿線の最北集落の《東浦》まで運行している。
その初乗り運賃は何と『10円』(当時)であった。
何でもこの猿払村は、「我が国で最も財政の豊かな地方自治体である」と耳にした事がある。
なぜなら、『ホタテ御殿』なる立派な屋敷が建つ程にホタテ漁が盛んだから・・との事である。
まぁ、現在は値上げしてる事だろうけど(今でも初乗り『10円』なら、賞賛に値するな)。
バスは猿払村の行政区を越えて、稚内市の《東浦》集落までゆく。 終点は《東浦小学校前》。
約30分の乗車で、料金は260円位だったような。 宗谷岬までは、残り15kmあまり。
ここからは、公共交通機関はない。 そして、店屋も見当たらない。 つまり、歩いていくしかないって事だ。 当時はガキだった事もあって、無謀にもこれにチャレンジしてみた。
なぜなら、『ホタテ御殿』なる立派な屋敷が建つ程にホタテ漁が盛んだから・・との事である。
まぁ、現在は値上げしてる事だろうけど(今でも初乗り『10円』なら、賞賛に値するな)。
バスは猿払村の行政区を越えて、稚内市の《東浦》集落までゆく。 終点は《東浦小学校前》。
約30分の乗車で、料金は260円位だったような。 宗谷岬までは、残り15kmあまり。
ここからは、公共交通機関はない。 そして、店屋も見当たらない。 つまり、歩いていくしかないって事だ。 当時はガキだった事もあって、無謀にもこれにチャレンジしてみた。
豊岩遺跡は撮らなかった
撮ってたら、かなり貴重だったのにね
高2になる前のガキに
高2になる前のガキに
それが重要なものかどうか知る由もない
途中で撮ったのは
途中で撮ったのは
ウミネコが飛び去るこのシーンのみ
大岬の手前にて
《宗谷岬》までの道は、右手には果てしない海が広がり、左手は崖が壁のように迫り立つだけの単調な風景。 民家も全くなく、目標となるようなものも何もない。 ただ風が強くうねる中を、地図で見た以上に激しい高低差の峠もどきをいくつも越えていかねばならない。 途中、唯一の目標となる地点としては、《豊岩》にある《豊岩遺跡》であろうか。
まぁ、遺跡といっても、大理石に刻まれた案内表示が置かれているだけで、インターネットでも見つける事がてきなかったが・・。 たぶん、竪穴式の住居か何かが確認された遺跡だろう。
この遺跡を越えて切り立つ崖を周り込むと陸地の果て・・、即ち《宗谷岬》が海に突き出しているのが見えてくる。 これが見えてくると、あとひと息だ。
まぁ、遺跡といっても、大理石に刻まれた案内表示が置かれているだけで、インターネットでも見つける事がてきなかったが・・。 たぶん、竪穴式の住居か何かが確認された遺跡だろう。
この遺跡を越えて切り立つ崖を周り込むと陸地の果て・・、即ち《宗谷岬》が海に突き出しているのが見えてくる。 これが見えてくると、あとひと息だ。
「♪そぉ~うやのみさきィ~」
の歌詞が掲げてあった
やがて、小中学校や集落のある《大岬》という《宗谷岬》地区の居住区を越えて、ドライブインやら土産物屋やらが出てきて、「♪そぉ~うやのみさきィ~」と演歌のカラオケが周囲に流れ出したら、我が国の最北端の地・《宗谷岬》到達だ。 この旅の目的であった、根室と宗谷の岬をめぐる旅を達成できたのだ。
最北端のモニュメントと点在する流氷
北方の開拓者・間宮林蔵の碑
岬のモニュメントの前に立ち、しばしその充実感に身を委ねよう。 もちろん、『日本最北端到達証明書』も手に入れよう。 この証明書は、自分の中できっと力強い証となると思う。
なぜなら、本当に自分の足で到達したのだから。
こんなに流氷が敷き詰める事は
滅多にないだろうね
日本最北端到着証明書より
日本最北端到着証明書より
帰路はバスで稚内市内へ戻るのがセオリーだが、行程上は往路を戻る事にする。
もちろん、架空の特権を最大に活かし、往復にかかる時間(片道3時間チョイ)は考えない事にしよう。
ちなみに自身の復路は、ヒッチハイクに成功して天北線の駅(沼川まで送ってもらった)に戻れたのであるが・・。
日本最北端の宗谷岬
始まりは納沙布岬だったなぁ
最終回ぽいけどあと数回あるよ
これぞ『地ノ涯テ』も踏破したし
知床岬・アブラコ湾にて
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No title * by 風来梨
タケちゃんさん、こんばんは。
この頃は、飛ぶ鳥も落とす勢いの現役ワンゲル部時代でした。
大げさに言えば、この頃の無茶は、無茶でも何でもなかった気がします。 でも、時を経るにつれ、無茶の結末がオチャメになり、笑いのネタになっています。 それでも、あの頃の事を思い描いてはオチャメ道に邁進しております。
今の所は、まだ「笑えるオチャメ」で収まっているのでいいのですが・・。
この頃は、飛ぶ鳥も落とす勢いの現役ワンゲル部時代でした。
大げさに言えば、この頃の無茶は、無茶でも何でもなかった気がします。 でも、時を経るにつれ、無茶の結末がオチャメになり、笑いのネタになっています。 それでも、あの頃の事を思い描いてはオチャメ道に邁進しております。
今の所は、まだ「笑えるオチャメ」で収まっているのでいいのですが・・。
これまた懐かしい風景ですね~。
記事を拝見しまして、何に驚いたかって・・・東浦から大岬まで歩いたんですか!しかも厳冬とまではいかないもののこの時季に!
結構なアップダウンですよ~、あのあたりは・・・・若さって素晴らしい。