2012-03-26 (Mon)✎
『私の訪ねた路線』 第85回 宗谷本線 その3 幌延~稚内 〔北海道〕
利尻富士をバックに
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
旭川~稚内 259.4km 746 / 489
運行本数〔音威子府~稚内〕(’18)
音威子府~稚内 特急 3往復、普通 3往復
幌延~稚内 普通 上り1本
《下車駅ガイド》
長い宗谷本線を語るべく・・の苦肉の策が、この下車駅ガイドである。 それも全線を語るには、3回もの回数を要したのである。 そしてこの3回目が、宗谷本線の『クライマックス』の区間を通るのだ。
豊富から徳満への“寿”乗車券
:
裏面には
裏面には
「徳が満ちて豊かな富をえる」
と記されてあった
徳満駅
この駅は、宗谷本線に特急が走るようになってから訪れた事がある。 その時の駅舎は老朽化の為に取り壊されて、建築現場のプレハブ事務所そのままの待合室が設置されていた。 また、訪れた手法は駅めぐりにはタブーな車での訪問で、目的は車寝の場所を求めてうろついていたという事である。
ちなみに、この時は徳光の東にそびえる山の中腹にある宮の台展望台で車寝。 なお、鉄道撮影は宮の台から夜の宗谷本線を俯瞰したが、お見せできるようなモノは撮れませんでした。
駅の裏が不毛の湿地帯では
人の居住も望めまい
芦川駅の裏は上サロベツ原野である
:
サロベツ原野と水生植物のコウホネ
芦川駅
この駅も徳満駅と同じ時に車で訪れたのだが、訪れた時はもう駅は廃止となり、バスが転回できる程の広場となっていた。 線路には跨げる位の低い柵が設置されていて、ホームと線路の間に駅である事を否定するように、V字の溝が掘られていた。
利尻山は見えなかったが
撮る予定のなかった特急は
それなりのデキに
兜沼駅
ここも先出の2駅同様に車で訪れた駅である。 近くには、サロベツ原野の湿地からの流入水が沼となった兜沼がある。 この辺りでは利用客が最も多いのだろうか・・という事で、駅舎はモダンな簡易駅舎に建て替えられている。
勇知駅
今年の正月に駅前に車を止めて車寝をした駅である。 この時は氷点下10℃位だった。 この駅で夜を明かした理由は、上出の場所で利尻山をバックに普通列車を撮る事であったのだが、見事に利尻島の浮かぶ日本海側は雪雲に覆われて、どこで撮っても同じような写真となってしまったのである。 駅前は、『何でも屋』の商店と簡易郵便局が駅前交差点に対峙する、典型的な小集落の駅であった。
利尻富士の見える丘にて
宗谷丘陵を伝う
孤独なランナー
抜海駅での夜のファンタジーを
狙ってみたが何か今イチ
空に星が流れてないと
今イチですね
抜海駅
宗谷本線のクライマックスと言えば、この駅から南稚内にかけての利尻山の勇姿であろう。
そして、宗谷丘陵の起伏の富んだ大地と、起伏を避けるようにカーブで往来する宗谷線列車だろう。
また、抜海駅は木造駅舎が残っていて、この駅舎を絡めると幻想的な風景鉄道の情景が撮れそうだ。
それを目論んで狙ってみたが、1発で仕留められる程に写真の道は甘くなく、星も出ずに今イチの出来となってしまった。 それらは上記に掲載したので、とくとごろうじろ。
先に南稚内まで延伸し
かつては宗谷本線と名乗っていた
天北線も廃止となって久しい
:
宗谷丘陵の原野地帯をゆく
急行【天北】
南稚内駅
ここは天北線から急行【礼文】に乗り換えた時に下りただけである。 この辺りから稚内は市街地となる。 また、この駅前の踏切から延びる道が、サロベツ原野へ向かうオロロンラインへの道である。
稚内港の北防波堤ドーム
かつてはここより
樺太への船が出港していた
稚内公園の代名詞
『氷雪ノ門』
稚内駅
宗谷本線の終着駅である。 かつてはサハリンへの稚泊航路が就航していて、その遺構が稚内ドームとなっている。 また、稚内港よりは、利尻富士を抱く利尻島や花の浮島・礼文島への観光拠点となっている。
なお、この2つの島めぐりに興味のある方はコチラをどうぞ。 鉄道は夜行列車【利尻】の不定期化で、純に鉄道だけを使っての旅は難しくなってきているようだ。
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No title * by 風来梨
こんばんは。
国鉄の運行ダイヤの正確さは、世界に誇れるものがありましたね。
そして、利用者が数人という所でも秒単位で正確無比な所、また気象による障害をものともせず毎日欠かさず列車を運行したあの頃の日本の力強さ・・が国鉄だったと思います。 傍目から見ても鉄道マンはかっこ良かった。
でも、今はあらゆる事に余裕がなくなって、また自信も喪失気味で痛々しいな・・と思います。 旅情がなくなってきたのも、あながち旅における余裕がなくなってきたせいなのかも・・と思います。
国鉄の運行ダイヤの正確さは、世界に誇れるものがありましたね。
そして、利用者が数人という所でも秒単位で正確無比な所、また気象による障害をものともせず毎日欠かさず列車を運行したあの頃の日本の力強さ・・が国鉄だったと思います。 傍目から見ても鉄道マンはかっこ良かった。
でも、今はあらゆる事に余裕がなくなって、また自信も喪失気味で痛々しいな・・と思います。 旅情がなくなってきたのも、あながち旅における余裕がなくなってきたせいなのかも・・と思います。
No title * by 風旅記
こんばんは。
宗谷本線の連載、楽しく拝見させて頂きました。
まさか夜行列車がここまでなくなってゆくとは思ってもいませんでした。旅の手段が本当に狭まってきていますね。新幹線や特急列車で移動してビジネスホテルに泊まるスタイルだけが旅の方法ではないですし、そのときの懐具合に合わせてでも遠くに行きたいという欲求を満たしてくれる手段から、鉄道が離れていっていることを、寂しく感じます。
お写真にある急行列車、私も乗りました。
そして宗谷本線の各駅から枝分かれしていた多くの路線、乗ることは叶わず、今となっては夢のまた夢、写真を見ながらその魅力的な風景を想像しています。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
宗谷本線の連載、楽しく拝見させて頂きました。
まさか夜行列車がここまでなくなってゆくとは思ってもいませんでした。旅の手段が本当に狭まってきていますね。新幹線や特急列車で移動してビジネスホテルに泊まるスタイルだけが旅の方法ではないですし、そのときの懐具合に合わせてでも遠くに行きたいという欲求を満たしてくれる手段から、鉄道が離れていっていることを、寂しく感じます。
お写真にある急行列車、私も乗りました。
そして宗谷本線の各駅から枝分かれしていた多くの路線、乗ることは叶わず、今となっては夢のまた夢、写真を見ながらその魅力的な風景を想像しています。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
No title * by 風来梨
風旅記さん、こんばんは。
更に、現在は普通列車が利用に耐えないほどに減便されてますね。 特急も札幌からの直通は1往復のみで、あと2便は旭川乗換となり、ますます使えなくなりました。
稚内方面への観光は、レンタカーが定番となってます。 あと、夜行を含めて日に6本あるバスでしょうか?
急行【宗谷】、【天北】、【礼文】と夜行の【利尻】のあった頃は楽しく魅力的だった宗谷本線。 そして、期間内なら乗り放題の周遊券。 このアイテムを手に、いつも北の鉄道旅を夢みてましたね。 でも、今の鉄道では夢を見ることは、ほぼ不可能ですね。
自分の撮った写真をブログにアップしながら、いつもあの時の素晴らしき鉄道での旅を思い返しています。
更に、現在は普通列車が利用に耐えないほどに減便されてますね。 特急も札幌からの直通は1往復のみで、あと2便は旭川乗換となり、ますます使えなくなりました。
稚内方面への観光は、レンタカーが定番となってます。 あと、夜行を含めて日に6本あるバスでしょうか?
急行【宗谷】、【天北】、【礼文】と夜行の【利尻】のあった頃は楽しく魅力的だった宗谷本線。 そして、期間内なら乗り放題の周遊券。 このアイテムを手に、いつも北の鉄道旅を夢みてましたね。 でも、今の鉄道では夢を見ることは、ほぼ不可能ですね。
自分の撮った写真をブログにアップしながら、いつもあの時の素晴らしき鉄道での旅を思い返しています。
近年のDC化された車両がダメというのではありませんが… 前にも述べた通り、かつて走っていたSL・C55~DD51の牽引した客レの印象が強すぎて、若干物足りなさを感じてしまいます。
その頃も過疎化は起きていたとはいえ、まだ国鉄に多くの住民が信頼をおいていた頃でしたね。私のブログの話と絡めれば、急行の特急格上げ=名寄以南の高速化は、やはり高速バスへの対抗策です。そのかわり、この壮絶な風景をのんびりと味わえる旅情が失われてしまったのではないでしょうか?