2012-03-19 (Mon)✎
『オホーツク縦貫鉄道の夢』 第32回 鉄路の奏でる鎮魂歌
浜北線・車内補充権
乗降場を除く沿線の全駅が表記してある
列車は、《北見枝幸》駅の母屋の真向いに設置された島式ホームの『美幸線のりば』に入線する。
駅には跨線橋はなく、線路を直に渡って乗り換える。 さて、これからいよいよ、興浜線のクライマックスの区間を乗車する事になる。 雰囲気満点の駅前食堂で腹ごしらえでもしながら、列車の発車時間が来るのを待つ事にしよう。
駅には跨線橋はなく、線路を直に渡って乗り換える。 さて、これからいよいよ、興浜線のクライマックスの区間を乗車する事になる。 雰囲気満点の駅前食堂で腹ごしらえでもしながら、列車の発車時間が来るのを待つ事にしよう。
《北見枝幸》駅を出ると、すぐに《ウスタイペ千畳岩》という景勝地が現れる。
オホーツクの海岸に荒波に洗われた巨大な岩礁が広がり、その様相は一面に畳を敷きつめたかのようである。 そして、この自然の造形である広大な岩礁の上で、春夏秋冬で様々なイベントが行なわれるとの事である。
冬のウスタイペ千畳岩
季節的には?がつくが、とにかく獲れたてのカニの味覚三昧を楽しめる・・との事。
また、冬の流氷接岸時は、流氷と朝日を望む絶好の展望台となろう。
海際をゆく国道にピッタリと並走しつつ北上していくと、程なく《問牧》に到着。 車窓のハイライトは、この駅を出てからである。 線路が少し高度を上げると、海際をゆく国道が窓下に隠れる事で視界から消えて、オホーツク海が車窓いっぱいに広がるようになる。 もし、季節が流氷接岸時だったなら、その美しさは言葉では表せない程だろう。
海際をゆく国道にピッタリと並走しつつ北上していくと、程なく《問牧》に到着。 車窓のハイライトは、この駅を出てからである。 線路が少し高度を上げると、海際をゆく国道が窓下に隠れる事で視界から消えて、オホーツク海が車窓いっぱいに広がるようになる。 もし、季節が流氷接岸時だったなら、その美しさは言葉では表せない程だろう。
海際に迫り立つ切り立った岩の中段に刻まれた軌道をゆく鉄道の風景は、駅を降りて端から眺めるのもいい。 流氷に閉ざされたオホーツク海と果てなく続く切り立った断崖の海岸線(『えさしの海』 枝幸町HPより)、そこに単行の気動車が細々と伝う姿は崇高でさえあった。 おそらく、日本的な鉄道風景とはかけ離れた、それでいて西洋かぶれした大味な風景でもない。 きっとこれは、心の奥底に忘れずにしまって置かれた大切な風景なのだと思う。
目梨泊の漁港より望む北見神威岬
やがて、岩崖の中腹に刻まれた鉄道軌道の小さなスペースに、車輌の半分強ほどの板張りの乗降場が現れる。 《山臼》仮乗降場である。 これが先程の正規駅より格上の“仮乗降場”である。
《山臼》を出ると、《目梨泊岬》という小さな突起地形を忠実にめぐって《目梨泊》駅を過ぎた後、いよいよクライマックに差しかかる。 《北見枝幸》駅を出る時に鉄道走行の難所と記した《斜内山道》めぐりである。
斜内山道の突端・北見神威岬に建つ海の“防人”
切り立った断崖がダイレクトに海へ突き出し、その崖の中腹に立つ真に“防人”たる白黒帯の灯台。
真下は夏ならはどこまでも蒼い海、冬ならば彼の地まで続くかのように敷きつめられた流氷の眩い白銀が広がる。 その灯台へ向けて、単行の気動車が孤独な任務を果たすべく行き交う。
真下は夏ならはどこまでも蒼い海、冬ならば彼の地まで続くかのように敷きつめられた流氷の眩い白銀が広がる。 その灯台へ向けて、単行の気動車が孤独な任務を果たすべく行き交う。
何と叙情的な風景なのだろう。
岬灯台の下をめぐる興浜北線列車
わが国でも屈指の鉄道風景であった
灯台下の岬をめぐる急カーブでは、車輪がキーン、キーンと悲鳴を上げる。
日暮れ時の最も寂しい時間帯ならば、その孤独感を癒すべくの悲痛な叫びのようにも聴こえてくる。
そして時を経た今・・レールは剥がされ、その真下をめぐった国道も斜内山を直接貫くルートにその任を譲って“岬めぐりの遊歩道”と化し、より一層哀愁が漂う眺めとなっていた。
夏草揺れる中に建つ無人の灯台上に昇り、レールを剥がされた軌道跡と海を眺めつつ、あの時の車輪の軋み音を思い描くと、あの軋み音は鉄路の奏でる鎮魂歌(レクイエム)だったのか・・とも思える。
あの時に耳にした鎮魂歌は
もう聞く事は叶わない
灯台の真下で轍の軋み音を
響かせた鉄路はもうそこにはなかった
だが白黒帯の灯台だけは
あの頃と何ら変わる事なく海を見守り続ける
灯台が見守る海は果てしなく穏やかだった
それはあの鎮魂歌が夢まぼろしだったのかと思えるほどに
駅跡に咲く野花が
時の無常を語っていた
馬蹄形に岬をめぐり、断崖の中腹より少しづつ高度を下げて国道の位置と高さを合わせる《斜内》駅に着く。 簡易カプセルの駅だがそれでも北国の駅らしく、中に誰でも使用できるようストーブが置いてあった。 夏でも15℃前後という厳しい気候の中では、このストーブは年中の働き者となる訳である。
廃止になってからのカプセル駅舎は付近の民家に払い下げられたらしく、夏のある時に久方ぶりに訪ねてみるとホームには夏草が生い茂り、駅と国道とを結ぶ通路は草花が風にそよいでいた。
それは、斜内山をトンネルで貫くルートに付替えられた国道跡の道と共に、何とも無常感に苛まれる情景であった。
その北見神威岬の今は、前述の如く斜内山道の絶壁を内側から刳り貫くトンネルが開通した事で、岬をめぐった旧国道は遊歩道に格下げられて、冬季は除雪もされる事なく閉鎖されていたのだった。
そう、冬に訪れた時は近づく事も叶わず、ただ遠くより見つめるのみだった。 今は冬の荒波の寄せる音が、岬をめぐった旧道の魂を慰める鎮魂歌となっていたのだった。
冬は道が閉ざされて近寄る事さえ叶わない
その情景は棄てられた道の魂を
冬の波濤が慰めているようであった
それは鎮魂歌を奏でるかのように
北オホーツクの海岸沿いは
原生花園の宝庫だ
エゾツツジ? ヒオウキアヤメ
合流すると、程なく《浜頓別》駅に到着する。 《浜頓別》駅は北の要衝らしく、風格のある門構えの駅だ。 そして、路線が延びる方向からであろうが、その母屋寄りの『1番線』が興浜線の発着ホームであった。
この長い鉄路の旅路も、残るは天北線の1区間を残すのみとなった。 季節感や時間観念を完全に無視した支離滅裂な旅行記なれど、続けていけば楽しいものである。 まぁ、見て頂く方がいるとするなら、「ここまで見て頂いたのも何かの縁だから、もう少しこのおバカな空想旅行記にお付き合い下さいね」と願うばかりである。 それでは、駅構内の跨線橋を渡って天北線の“ラストランナー”にバトンタッチしよう。
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No title * by 風来梨
タケちゃんさん、こんばんは。
興浜北線は、復活して欲しい路線の№1ですね。
何とか撮影は叶いましたが、できれば流氷が敷き詰められた時・・、というのは贅沢すぎますかね・・。 あぁ、あと3年、88年まで持ってくれたら、この北見神威岬で流氷列車がとれたのに・・。
廃止になって久しい時に再訪した時に見た斜内駅跡の野花のシーンが、今も目に焼きついています。 無常観が漂っていましたから・・。
興浜北線は、復活して欲しい路線の№1ですね。
何とか撮影は叶いましたが、できれば流氷が敷き詰められた時・・、というのは贅沢すぎますかね・・。 あぁ、あと3年、88年まで持ってくれたら、この北見神威岬で流氷列車がとれたのに・・。
廃止になって久しい時に再訪した時に見た斜内駅跡の野花のシーンが、今も目に焼きついています。 無常観が漂っていましたから・・。
灯台の下を走るキハ22・・・これぞ是非とも撮りたかった写真でした。
結局願いは叶いませんでしたが。
今では灯台しか残っていませんものね~・・・。
あの風景こそ、北海道の鉄道写真としては最高の部類に入る、と私も思っています。