風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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私の訪ねた路線  第81回  深名線  その1 深川~朱鞠内

『私の訪ねた路線』  第81回  深名線  その1 深川~朱鞠内 〔北海道〕
 

深名線
朱鞠内駅スタンプ

《路線データ》
       営業区間と営業キロ        輸送密度(’79) / 営業係数(’83) 
     深川~名寄 121.8km            168  /   3157

         廃止年月日                転換処置
                      ’95/ 9/ 4                   名士バス
 
廃止時運行本数
       深川~名寄  1往復(車両は直通・列車番号は朱鞠内で変わる)
       深川~朱鞠内 下り3本・上り2本
       深川~幌加内 下り1本・上り2本
       朱鞠内~名寄 2往復
 
    《路線史》
この路線は深川~名寄が1本で結ばれているものの、建設目的は朱鞠内を境として全くの別物であった。 深川~朱鞠内は、『雨竜第一土堰堤』(朱鞠内ダム)の建設と、雨竜川の水運に頼っていた森林資源の輸送と開発を目的に造られた路線で、1932年に開通。 当時は『幌加内線』と称した。 

朱鞠内湖の観光スタンプ
 
一方の名寄~朱鞠内は名寄から羽幌への計画路線で、全通までは『名雨線』と呼ばれていた。
朱鞠内へは1941年に開通。 路線の建設目的は、当時出炭量100万トンを越える優良鉱であった羽幌・築別炭鉱からの運炭である。 これは羽幌から建設された炭鉱鉄道の羽幌炭礦鉄道とつなげるもので、『名羽線』構想の一環である。 

この『名羽線』は、羽幌炭礦鉄道の曙から三毛別の羽幌本鉱(築別炭鉱には、築別の他に三毛別の羽幌本鉱と上羽幌鉱の3つがあった)まで、国鉄非営業路線ながら運炭を担っていた事実もある有名な未成線である。だが、1970年の築別鉱山会社の倒産による閉山で、羽幌炭礦鉄道共々廃止されている。
なお、この両線は、1941年に朱鞠内でつながった事により『深名線』と改称された。

廃止転換であるが、廃止83線構想や特定地方交通線の二次廃止路線の候補にも挙げられていたが、沿線が道内でも有数の豪雪地帯であり、冬季の代替輸送に問題がある(積雪によるバスの運休が年10日以上ある)として、廃止問題が棚上げされJR北海道に継承された経歴を持つ。
 

添牛内駅跡
豪雪地帯に放置さている
 
だが、国道275線の整備(特に朱鞠内~美深の朱鞠内湖東岸の整備)をもって、代替バス輸送上の問題がクリアされたとして1995年9月に廃止される。 朱鞠内湖の西岸をめぐった路線区間上にある白樺・蕗ノ台の代替に関しては、この地帯が「ゴーストタウン化した無人地帯である」として無視された形である。

先程に述べた蕗ノ台・白樺と途中の雨煙別の各駅は、周辺がゴーストタウン然の無人廃村となった事もあって利用客が皆無で、冬季通過の臨時駅に格下げられ、その後に廃駅となったエピソードを持つ。 

運行形態に関しては、朱鞠内を境に路線建設の目的が違った為か、全線通しの列車設定は車輌運用上の都合による1往復(表立った理由は、雪の為の遅延を最小限にする為・・とされた)のみで、また朱鞠内で列車を乗り継ぐ旅客は至って少なく(一説によると、鉄道趣味の者以外にないと揶揄されていた)、同駅での列車接続は全く考慮されていなかったみたいである。
 

 

白樺越しに狙ってみた
共栄(仮)~朱鞠内
 
   《乗車記》
深川駅の母屋より最も離れた5番線が深名線の発着ホームであった。 北海道でも最も寒い地帯を往来する路線だったので、いつも車両の前面・後面が雪と氷でシバれている姿でやってくる。
 
運行本数の少ないこの線に乗車して、なおかつ撮り鉄をしよう・・と欲するなら、深川に朝5時前後に到着する網走や稚内からの夜行急行で下車して、深名線の始発に乗り込む事が最低条件となろう。
だから・・か、列車がいつも氷結した姿でやってくるのを目にするのである。
 
その凍えるような車両の姿を目にして単行車両のデッキ内に入ると、何とも言えない暖かさを感じるのだ。 やがて、列車の発車時間がやってくる。 夜行列車の途中下車で寝不足は否めないものの、これより車窓を流れる貴重な情景を見逃すまい・・と力が入る。
 
列車は深川駅のヤードを抜け、そして深川の市街地を抜けて、ただっ広い丘状の所を行くと円山仮乗降場だ。 棒線ホームだけの仮乗降場だが、待合室はあった。 この乗降場を利用する乗客は極僅かなのであろうが、北海道でも有数の寒さ故に待合室は完備されているのだろうか。 なお、近くに深川市街を一望できる円山展望台がある。
 
次の多度志まで、深川から10km以上離れてしまった。 もう、周囲は一面の雪原である。 
そしてあるのは、この雪原の下に埋まる田園の農家の家屋のみがひと塊に寄り添っているだけである。
また、人の流れも深川ではなく、ここより旭川までをショートカットする道道に沿っているようである。
 
次の多度志は、かつては駅に貨物の小ヤードが設置される位の線内主要駅であった。 最盛期は農家が700軒を数えるそれなりの集落で、裏の小ヤードは木材や農産物の集積の用途に当てられていたようである。 だが、廃止直前は全てが撤去され、棒線駅化していた。
 
次の宇摩は、局設定の乗降所として設置された仮駅。 ホームは、乗降場のスタンダードと言うべき板張りホームであった。 だが、ここも待合所は設置されている。 周囲は民家がポツリポツリと存在している。
 
次の幌成は、国鉄時には幽霊屋敷のような倒壊寸前の木造駅舎があったが、JRになってこの駅舎は撤去されて貨車駅となった。 深名線が廃止となった今、この貨車駅舎は近くの工場の詰所に再利用されている。
 
次の下幌成も、局設定の仮乗降場である。 だが、先述の宇摩よりは状態の良い待合室が板張りホーム上に据え付けられていた。 次の鷹泊は、山間に分け入る前の小集落と言った所だろうか。 駅周辺には郵便局や何でも屋っぽい商店、農協の支所などがひと塊に集まっている。
 
また、あまり褒められた事ではないが、筆者曰く駅寝のし易い駅であった。 なぜなら、大人が大の字になって十分な大きさのカーペットを敷いた台があって、ベット代わりになったからである。 駅舎は現在も存在しているとの事である。
 

とっても“ベタ”な画像ですね
でも、キハ22だから許す
共栄(仮)~朱鞠内
 
次の沼牛も駅舎が現存しているとの事だ。 だが、現役当時から農具倉庫のようなボロボロの木造駅舎で、よく放置状態で倒壊せずに残っているな・・と感心する。

次の新成生も局設定の仮乗降場だが、奥に入れば入るほどに乗降場の待合室の質が良くなっているようである。 やはり、奥に入る程に自然環境がより厳しくなっているからであろうか。
 
次の幌加内は、長大路線である深名線の約2/3を占める広大な面積の町・幌加内町の中心部。
駅に近づくと、併走している国道沿いに商店街や市街地が形成されている。
 

駅舎の焼失で少しプレミアが出た
幌加内駅入場券
 
だがこの町は、巨大人造湖の朱鞠内やゴーストタウン化した雨煙別、原生林の中の無人廃村・白樺・蕗ノ台といった地域も含む広大な町で、人口は1700人足らず。 人口密度2.2人/km²と、北海道随一の人口の少ない町である(ちなみに、人口密度では福島の檜枝岐村についで全国2位との事)。 なお、現在の駅舎は火災焼失でモニュメントを残すのみとなっている。
 
次の北幌加内も、局設定の仮乗降場だ。 もちろん、ブロックの待合室と板張りホームの乗降場のスタンダードな造りであった。 今は駅があった事を示すモニュメントが残っている。
 
次の雨煙別は、深名線の廃止前に利用客皆無として先行して廃駅となっている。 何でも気象条件が悪く開拓地が放棄されて廃部落化したとの事。 またかつてあった駅舎は、雪で倒壊したとの事である。
「そういえば駅舎あったよな」って記憶はある。 なお、駅の背後には3つの頂が分かれる三頭山がそびえている。
 
次の政和温泉仮乗降場も、最盛期は温泉旅館もあったのだが、温泉が閉鎖されると利用客はゼロとなり雨煙別と共に廃止となった。 ちなみに、ワテはこの乗降場で下車した事がある。 残念ながら駅ホームは撮らなかったが、付近で深名線列車撮影をした。その写真が下のモノである。 なお政和温泉は、乗降場廃止後に道の駅内にクアハウス《せいわ温泉・ルオント》として復活している。
 

深名線は名にしおう豪雪地帯だ
政和温泉(仮)~政和
 
次の政和は、駅舎が食堂となっていた。 だが、その食堂も閉店しているようだ。 ちなみに下の写真は、2012年の冬に撮った政和駅跡の姿である。
 

政和駅舎は食堂となったらしいが
やっはり廃業?
 
次の新富は正駅であったが、利用客激減の為に廃駅となった。 だが、唯一の利用者であった老夫婦の承諾を取らずに廃止に至った為に問題として取り上げられた経緯がある。 周囲は沼牛と同様に何もなく、夏は荒れた休耕地が広がり、冬はそれが広大な雪野原となる。
 

駅横に立つ椴松だけが
立派に成長していた
 
次の添牛内は、現在も駅舎が残る。 上の写真でも判る様に、駅舎の保存状態は良いようだ。
駅前の国道に郵便局・農協・商店が1件づつあるような典型的な過疎集落であった。 なおここは、士別から日本海側の苫前を結ぶR239と幌加内国道のR275が十字に交差する要所となっている。
 
次の共栄は、板張りホームに待合室の典型的な仮乗降場だが、より集落に近づけるべく移設した為か、待合室が新しくてサッシの滑りも極上であった。 下りた本人が言うので本当である。
 

共栄(仮)乗降場
駅舎も立派で出入口のサッシも軽い!
本駅を凌ぐ乗降場だったよ
 
そして次の朱鞠内は、形上では全ての運行列車の終点となる。 これは、この朱鞠内で深川方面と名寄方面に運行系統が完全に分断されているからである。 そして《路線史》でも記した如く、「この駅で乗りついて名寄あるいは深川へ跨ぐ利用客は鉄以外にない」と揶揄された駅である。 もちろん、接続はバラバラである。 深名線の列車撮影と完乗の『2兎を追う』なら、恐らくこの朱鞠内で宿泊するなどしないと、諺通りに『一兎も得ず』となる事だろう。
 
この続きの深名線の旧名羽線構想区間であった名寄方面は、次回で汽車旅をするとしよう。

  ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『深名線』を御覧下さい。




 
 
 
 
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No title * by タケちゃん
こんばんは。
いや~、こころをくすぐるイイ路線を攻めてきますね~。
添牛内・・・たまらないです。
羽幌に居住していた時は、所用で旭川へ行くことがよくありまして・・・・国道239号線の跨線橋からチラと見えた添牛内駅、必ず立ち寄った幌加内の蕎麦屋・・・・仕事を適当に片付けてしまった後に政和温泉でのんびりしたこと等々・・・・もう、随分と年月が経ってしまいましたね。

No title * by 風来梨
タケちゃんさん、こんばんは。

「こころをくすぐるイイ路線」ですが、最初に訪れた夏は痛恨(というよりおマヌケ)のフイルム間違い(ISO感度につられてタングステンを使ってしまった)でボツてしまって、冬の写真しかないんですよね。

だから、駆け込み乗車ならぬ、3月までの駆け込み掲載です。
『オホーツク縦貫鉄道の夢』で夏に流氷の写真を出した時は、胸に圧迫感を感じましたので・・(笑)

No title * by オータ
こんばんは。
深名線についてはいろいろ書かれていますが、かつて国鉄民営化前に鉄道J誌で詳しく路線について分析した記事を読みまして、これが秀逸だったと思っています。
私も長々と深名線の歴史…特にダイヤから見た経緯を書きましたが、確かに朱鞠内を境に、深川方面と名寄方面に生活圏が分かれていたとか…今は幌加内町が上川管内になりましたが、空知管内だった時も特例として幌加内から名寄(上川管内)の高校へ通学が認められていたこともありました。ダイヤ上からも深川の高校に通えなかった朱鞠内の数少ない通学生たちは、名寄の学校へ行っていたわけです。

駅ごとの詳しいルポ、恐れ入りました。私は三度ほど乗りとおしただけで、途中で降りようとは思いませんでした… 傑作!

No title * by 風来梨
オータさん、こんばんは。

鉄道撮影の合間に鷹泊・政和温泉・政和・共栄・朱鞠内・湖畔・白樺・北母子里には実際に下りた事があります。 また車で乗降場のほとんどと、上多度志・多度志・沼牛・幌加内・雨煙別・添牛内などに立ち寄った事があって、けっこう深名線の駅は立ち寄っていたみたいです。

今年の冬も、添牛内と政和の駅舎跡を訪ねました。
まだ、廃線から15年と時が浅く、遺構は結構残っているみたいですね。 でも今は朱鞠内より先はR275と名母トンネルによって、朱鞠内湖の西岸をゆく深名線ルートとは完全に離れてしまいましたね。
もちろん、朱鞠内湖の西岸は、冬は完全通行止でした。

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No title

こんばんは。
いや~、こころをくすぐるイイ路線を攻めてきますね~。
添牛内・・・たまらないです。
羽幌に居住していた時は、所用で旭川へ行くことがよくありまして・・・・国道239号線の跨線橋からチラと見えた添牛内駅、必ず立ち寄った幌加内の蕎麦屋・・・・仕事を適当に片付けてしまった後に政和温泉でのんびりしたこと等々・・・・もう、随分と年月が経ってしまいましたね。
2012-03-06 * タケちゃん [ 編集 ]

No title

タケちゃんさん、こんばんは。

「こころをくすぐるイイ路線」ですが、最初に訪れた夏は痛恨(というよりおマヌケ)のフイルム間違い(ISO感度につられてタングステンを使ってしまった)でボツてしまって、冬の写真しかないんですよね。

だから、駆け込み乗車ならぬ、3月までの駆け込み掲載です。
『オホーツク縦貫鉄道の夢』で夏に流氷の写真を出した時は、胸に圧迫感を感じましたので・・(笑)
2012-03-06 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

こんばんは。
深名線についてはいろいろ書かれていますが、かつて国鉄民営化前に鉄道J誌で詳しく路線について分析した記事を読みまして、これが秀逸だったと思っています。
私も長々と深名線の歴史…特にダイヤから見た経緯を書きましたが、確かに朱鞠内を境に、深川方面と名寄方面に生活圏が分かれていたとか…今は幌加内町が上川管内になりましたが、空知管内だった時も特例として幌加内から名寄(上川管内)の高校へ通学が認められていたこともありました。ダイヤ上からも深川の高校に通えなかった朱鞠内の数少ない通学生たちは、名寄の学校へ行っていたわけです。

駅ごとの詳しいルポ、恐れ入りました。私は三度ほど乗りとおしただけで、途中で降りようとは思いませんでした… 傑作!
2012-03-08 * オータ [ 編集 ]

No title

オータさん、こんばんは。

鉄道撮影の合間に鷹泊・政和温泉・政和・共栄・朱鞠内・湖畔・白樺・北母子里には実際に下りた事があります。 また車で乗降場のほとんどと、上多度志・多度志・沼牛・幌加内・雨煙別・添牛内などに立ち寄った事があって、けっこう深名線の駅は立ち寄っていたみたいです。

今年の冬も、添牛内と政和の駅舎跡を訪ねました。
まだ、廃線から15年と時が浅く、遺構は結構残っているみたいですね。 でも今は朱鞠内より先はR275と名母トンネルによって、朱鞠内湖の西岸をゆく深名線ルートとは完全に離れてしまいましたね。
もちろん、朱鞠内湖の西岸は、冬は完全通行止でした。
2012-03-08 * 風来梨 [ 編集 ]