2012-03-01 (Thu)✎
『私の訪ねた路線』 第80回 士幌線 その3 湖に沈んだ路線 〔北海道〕
《路線データ》
営業区間と営業キロ 路線付替による閉鎖日
糠平~幌加 9.9km ’55/ 8/ 1(’78/12/25に糠平~十勝三股 運行休止・バス代行)
廃止年月日 転換処置
’87/ 3/23 上士幌タクシー(’03に撤退)
《旧線区間の路線史》
今回は1953年に着手され、3年後の1956年に完成した巨大な糠平ダム湖に水没した区間を取り上げようと思う。 もちろん、1950年代といえばまだ道路整備も完全にはなされておらず、今やゴーストタウンとなっている幌加や十勝三股にも林業を生業とした集落が形成されていた時の事だ。 そして鉄道は、木材輸送の主幹として携わっていた絶頂期でもあったのである。
1953年のダム着工時に今のダム堤体の下付近にあった糠平の駅は移転し、温泉地として当時からも知れ渡っていた糠平の街も同時に現在の地に移転したという。 そして、ダム完成間近の1955年には、完全に新線に付け替えられた歴史がある。 それ以降は、湖の東岸を通った大半の区間がダム湖の中に水没したのである。
美しい山々と埋もれた橋
だが、時と共に開拓鉄道は、トラック輸送への転換で不要の烙印を押されて、25年ほど前に新線も含めて全線廃止となってしまった。 そして時を越えた今、ダム湖の放流による水位の下降時に水没した橋梁跡が、古代ローマの水道橋の如く神秘的な姿を現すのである。 その白亜の美しさと神々しさは周囲の風景に溶け込み、魅惑的な風景をかもし出すのである。
だが、50年を越える時を厳しい北海道の気候や湖水に晒されている事や、構造が鉄筋コンクリートの型の中に石を詰めているだけの粗雑工法の為に、一度崩れ出すと急速に崩壊が進んでしまうとの事である。 『北海道遺産』にも選定されている同橋梁だが、いずれは崩壊する命運を辿るとの事である。
半世紀に渡って風雪と水にさらされた
『まぼろしの橋』の傷みは激しく
時の経てと共に“魅せる”
時の経てと共に“魅せる”
役割を終えようとしているとの事
『まぼろしの橋』へ・・ 厳冬のタウシュベツ橋梁めぐり
帯広でレンタカーを借りて出発する。 道中はアイスバーンのパリパリに凍った雪道ゆえに、ゆっくりと2時間半かけて《糠平温泉》に着く。 温泉でひと風呂浴びて、残るは「行ける所までいくか」である。
帯広でレンタカーを借りて出発する。 道中はアイスバーンのパリパリに凍った雪道ゆえに、ゆっくりと2時間半かけて《糠平温泉》に着く。 温泉でひと風呂浴びて、残るは「行ける所までいくか」である。
それは、《三国峠》越えの国道273号が冬季通行止ならその時点でこの計画は“ポシャり”だし、行けたとしてもパリパリに凍った大晦日の北海道の道である。 そして年越しは、恐らく氷点下15℃位まで下がる中での『車寝』である。
こうなると、何も考えない事が突破の秘訣となるのである。 幸い何事も無く、午後8時前に《丸山橋》を渡った先にある《糠平湖東岸林道》の入口に着く。
こうなると、何も考えない事が突破の秘訣となるのである。 幸い何事も無く、午後8時前に《丸山橋》を渡った先にある《糠平湖東岸林道》の入口に着く。
林道の入口から200m位は圧雪してあって車の往来は可能だったが、林道ゲートの先からは轍はついているものの「軍用ジープでもなければ無理」な程に雪が吹き溜まっていた。 これで、《タウシュベツ》までの残り4kmは、夜明け前に歩いていく事が義務づけられたのであった。
タウシュベツから続く
士幌旧線の路盤跡
5時少し前、寒さで目が覚める。 ダウンジャケットを着込んでシュラフに潜ったのだが、さすがに車内温度氷点下4℃で目が覚めた。 行きがけにコンビニで買い込んだおにぎりを食って、5:40頃出発。
外は真っ暗というほどではなく、雲間より月明かりが差し込んでいた。
気温は氷点下12~3℃だろうか。 気が入っている事もあり、あまり寒さは感じなかった。
後は、延々と月明かりの中歩くだけだ。 道は轍が掘られてあり、迷う事はない。 また、轍は通った車の車重で踏み固められていたので、ズボズボとハマる事もない。
好条件の中で快調に歩き続けた・・はずなのだが、なかなか4kmは手強く、『タウシュベツ入口』とある掛札の分岐に着いた頃には7時前と空はもう明るくなっていた。 最後の300mをラッセルしながら突き進むと、厳冬の神秘がそこに・・「ほとんど雪に埋もれていた」。 これは、予想以上に埋もれているなぁ。 ほとんど、湖の減水が行なわれていないようである。 夜明け前に着くという目論みも潰え、初日の出も雲がかかりダメっぽそうである。
その上、これほどまでに埋もれていようとは。 「アーチの間から初日の出の斜光」などと、脳ミソいっぱいに『薔薇色の汁』を浸していたのだが。 まぁ、目論みは半分以上達成できなかったが、せっかくきたのだからこのような状況も“良し”として撮りまくる事としよう。 それでは、その結果をごろうじろ。
これに初日の出を絡めるのが
当初の目論みだったのだが
湖面に下りて橋の中ほどまで踏み入って、「もうちょっと露出してくれないと何だか判らんデキになるなぁ・・」とブツブツ念じながらシャッターを切る。 そして振り返ると、白銀となった大雪の山なみがそびえ立っていた。
振り返ると
東大雪の白峰が・・
「あれは東大雪の隠れた名峰・ウぺぺサンケ山 1835メートル かな。 それとも、東大雪の孤高の峰・ニペソツ山 2013メートル かな」などと思い浮かべながら、山を強調するべく露光をアンダーに仕立てる。
少しアンダーで
大雪の白嶺を強調してみる
そうこうしてると、時は瞬く間に過ぎ去り、もう9時半となっていた。 そして、足元を見て“ギョッ”とする。 今まで踏み歩いた足跡から水が染み出して水溜りとなっていたのである。 「こりゃぁ、下手すりゃドボンやぞ」と、慌てて橋の袂に戻る。 その時、サイレンと供にダム湖放水の警告放送が流れてきた。 このサイレンによって、今年の正月の冒険はひとまず幕を閉じたのである。
『まぼろしの橋』が
その姿を完全に魅せる季節<とき>に
また来るとしよう
《タウシュベツ訪問記 その2》
幻の橋・再訪・・へ
糠平には一般で言う夕方6時過ぎに着いた。 恐らく都会では、どの放送局も『6時のニュース』を放映して、まだ夕食の段階でもない位だろう。 でも、ここの6時は、深夜にドップリとハマった雰囲気だった。 店の全ては閉店し、ホテルも豆球のような補助灯のような光を出している。 人は全く出歩かず(まぁ、氷点下14℃で出歩く奴もどうかしていると思うが)、車も峠を越えてきたトラックが疾走するだけ。
それに加えて、「コンビニの一つも・・」というアテが外れて、途端に夕飯に干上がってしまった状況。
それに加えて、「コンビニの一つも・・」というアテが外れて、途端に夕飯に干上がってしまった状況。
これで、前回のように完全に人里離れたタウシュベツへの林道まで車を回送してそこで寝るっつ~のは、かなりリスクが高いよな・・と思えてきた。 それで、糠平の観光用の駐車場で寝る事にした。
全てはこの情景に
魅せられる為に
さすがに「少しヤバめ」と感じてエンジンをかける。 なぜエンジンをかけたかと言うと、朝にエンジンがかからなかったらジエンドだからである。 どこまで気温が下がるとエンジンがかからなくなるかは解らんが、とにかくここで10分ほどエンジンをかけて冷却水を暖めておいた方が無難か・・と思ったので始動キーをひねる。
幸いエンジンは一発でかかり、「さすがは寒冷地仕様の車だ」と感心する。 10分でエンジンを止めて再び就寝。 この後、4:25まで3時間グッスリ寝る。 氷点下14℃の中で、都合7.5時間寝たよ。
で、寒さで何回か小用を催して起きたが、AM1:20の時点で、車の中が氷点下14.0℃まで落ちてやんの。 車中で氷点下14℃という事は、外は氷点下20℃を越えているだろう。 ダウンジャケットを着てシュラフに包まり、首に毛糸の服を巻きつけたらそんなに寒くは感じなかったけど、山でのテントで味わった氷点下20℃や、旧天北線・松音知の氷点下26℃に匹敵する温度だ。
さすがに「少しヤバめ」と感じてエンジンをかける。 なぜエンジンをかけたかと言うと、朝にエンジンがかからなかったらジエンドだからである。 どこまで気温が下がるとエンジンがかからなくなるかは解らんが、とにかくここで10分ほどエンジンをかけて冷却水を暖めておいた方が無難か・・と思ったので始動キーをひねる。
幸いエンジンは一発でかかり、「さすがは寒冷地仕様の車だ」と感心する。 10分でエンジンを止めて再び就寝。 この後、4:25まで3時間グッスリ寝る。 氷点下14℃の中で、都合7.5時間寝たよ。
でも、車の中では風に煽られる事も、結露で濡れる事もないから、テントで山の中での氷点下3℃(この時です)よりも体感温度は暖かいのである。
さて、風に煽られぬとはいえ、車内温度は-14℃。 2リットルボトルの伊藤園「お~い、お茶」は、至凍園「おぉ・・氷茶(こおちゃ)」になっとるがね。 まぁ、天北線の松音知の膨張氷結よりはマシだがね。
さて、ここからタウシュベツの入口である糠平湖東岸林道まで10km。 パリパリに凍ったアイスバーン道を約30分だ。 着いてすぐに林道に繰り出す。 車を止めた所は前と同じだったが、今回はゲートが設けられて施錠されていた。 施錠されたゲートの脇をすり抜けて、林道を歩いていく。
今回はゲートで車を締め出していたので轍がなかったが、前回より道が広く感じたし、思ったより歩きやすかった。 どうやら、雪は少ないみたいだ。 それに一度歩いた強みからか、周囲の状況が思ったよりも目に入ってきた。
さて、ここからタウシュベツの入口である糠平湖東岸林道まで10km。 パリパリに凍ったアイスバーン道を約30分だ。 着いてすぐに林道に繰り出す。 車を止めた所は前と同じだったが、今回はゲートが設けられて施錠されていた。 施錠されたゲートの脇をすり抜けて、林道を歩いていく。
今回はゲートで車を締め出していたので轍がなかったが、前回より道が広く感じたし、思ったより歩きやすかった。 どうやら、雪は少ないみたいだ。 それに一度歩いた強みからか、周囲の状況が思ったよりも目に入ってきた。
タウシュベツへの足跡
前回は轍を見つめて必死に歩いた感があったが、今回は空の縁が徐々に明けて紫色からオレンジ色に変りゆくのを目にできた。 また、糠平湖が湛える氷も視認できた。 そして、ちょうど1時間の6時40分、空がおぼろげに明るくなった頃にタウシュベツの前に着く。
夜明け前の素晴らしき情景だったが
橋はほぼ雪に埋もれていた
で・・、そのタウシュベツは、御覧のようにこの前よりも更に埋もれてた。 橋のアーチ部分が完全に雪に埋もれてる。 でも、天気は雲一つない快晴で、その分放射冷却も凄く、時計についてる温度計は氷点下18.5℃まで落ちていた。 昨日、耳ワッカ買っといて良かったよ。
でも、周囲の山は朝日に程よく染まって美しい。 また7:20頃には、御来光が氷に埋まった橋のやや左後ろという絶好のポジションから橋と氷上を金色に染め上げながら上がっていく。 これだけでも、夜明け前から歩いてきた甲斐があったというものだ。
雪に埋もれた朽ちた橋は
朝の光を浴びて
湖から現われる金の龍の如く
キラキラと輝き始めた
糠平湖を囲む周囲の山々は
美しく染まっていた
その空の美しさに
しばし呆然となる
タウシュベツの露出部分と
朝に染まる東大雪の山なみ
ただの氷に埋もれた橋が、氷の湖から現れる金の龍の如くキラキラと輝いている。 我を忘れて写真を撮りまくった。 やがて、その黄金のショーも終わって、朝の情景も一段落する。 こうなると、そろそろに引き上げ時たろう。 帰りは、黄金のおりなす情景に興奮も醒めやらなかったので、あっという間にゲートまで戻りきる。
歩いてきた道を逆光で撮る
タウシュベツを通った旧線の跡
車に戻って、今朝におっかなびっくり通ったアイスバーンを戻っていくが、途中に士幌線付け替え線のアーチ橋がいくつか見えてくる。 「一応、これも撮っておこうか」と、車を止めて写真を撮る。
「これも撮っておこうか」と評したこの橋梁たちは、今やこの糠平郷の主観光資源となっていて、駐車を止めて観覧するスペースが国道沿いにいくつもある。 遊歩道として渡れる橋もある程である。
士幌線のアーチ橋群
タウシュベツと共に
北海道文化遺産である
だが、タウシュベツのような『オーラ』の漂う橋は残念ながら見当たらないが。 まぁ、湖水の中に晒されて65年の年季が入ってるタウシュベツは、もはや魂が宿っているかのさえの錯覚を覚えるので、比べるだけ無駄なのかも。
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