2012-02-28 (Tue)✎
『オホーツク縦貫鉄道の夢』 第30回 いよいよクライマックスへ・・
点在する流氷と単行気動車
興浜南線の乗車証明書より
おそらく、これから取り上げる興浜南線と北線、そしてその間の結ばれる事のなかった『興浜未成線』が、この『オホーツク縦貫鉄道の夢』の中では最もクライマックスとなる部分だと思う。
だが残念な事に、この最も魅力的な区間に限ってあまり手持ちの画像を持ち合わせていないのである。
流氷を望みつつゆく
興浜南線の単行列車
それは、『オホーツク縦貫鉄道』の中で最も魅力的な路線ではあったが、同時にこの路線の営業成績も『国鉄再建法』の廃止対象路線に真っ先に指定される程の閑散線区だったのである。
それは、『オホーツク縦貫鉄道』の中で最も魅力的な路線ではあったが、同時にこの路線の営業成績も『国鉄再建法』の廃止対象路線に真っ先に指定される程の閑散線区だったのである。
そしてこの路線たちは、私自身が半ば義務教育である高校を卒業して(経済的に)自由気ままに旅に出られるようになる迄に廃止されてしまって、私がこの路線に抱く夢を追い求める前に再び出会える事のない“過去”となってしまったのである。
だが、幸いな事に少しの手持ち写真があるので、これを駆使してこの区間に抱く私の思いを記していこうと思う。 それでは、《興部》駅の真ん中のホーム・2番線に停車している興浜南線の単行気動車に乗り込もう。
車窓を眺めるなら、季節は何と言っても冬、それも2月だろう。 もちろん、座席は進行方向右側のオホーツク海側である。 単行気動車ではあるが、閑散線区ゆえに乗客で座席が埋まる事もないので、恐らく希望通りに海側の座席を確保する事は叶うであろう。
車窓を眺めるなら、季節は何と言っても冬、それも2月だろう。 もちろん、座席は進行方向右側のオホーツク海側である。 単行気動車ではあるが、閑散線区ゆえに乗客で座席が埋まる事もないので、恐らく希望通りに海側の座席を確保する事は叶うであろう。
列車はやや内陸に入った所に設けられた《興部》駅から、スイッチバックの如く《紋別》方向へ走り出す。
町外れの分岐点でオホーツク沿岸を南下する名寄本線と分かれて、180°反転して北上していく。
海岸段丘を形成する丘陵地帯と興部川が形成する沼地帯を越えると、いよいよオホーツク海の辺に踊り出る。
海岸段丘を形成する丘陵地帯と興部川が形成する沼地帯を越えると、いよいよオホーツク海の辺に踊り出る。
ワテの訪れた時は
流氷が点在する情景であった
流氷が浮かぶ海を挟んで
北オホーツクの大地を望む
2月の流氷接岸時なら、進行方向右側の車窓には流氷が眩いまでに白く輝いている事だろう。
流氷を眺めつつオホーツク海際の湿地帯を伝っていくと、やがて最初の停車駅である《沢木》に近づく。
駅が近づくと、海風を避けるが如く内側に集まる集落の方に向けて進み海より離れる。
《沢木》駅。 周囲は典型的な海沿いの小集落であった。 海からの潮風を避けるべく、岬の高台の麓の狭いスペースに寄り添うように民家が集まっていた。 廃止されてからも何度か訪れた事があるのだが、駅跡は路線バスが転回できるのか・・と思える程の手狭いロータリーとなっていて、沢木の駅名標が墓のように立てかけられていた。
流氷を眺めつつオホーツク海際の湿地帯を伝っていくと、やがて最初の停車駅である《沢木》に近づく。
駅が近づくと、海風を避けるが如く内側に集まる集落の方に向けて進み海より離れる。
《沢木》駅。 周囲は典型的な海沿いの小集落であった。 海からの潮風を避けるべく、岬の高台の麓の狭いスペースに寄り添うように民家が集まっていた。 廃止されてからも何度か訪れた事があるのだが、駅跡は路線バスが転回できるのか・・と思える程の手狭いロータリーとなっていて、沢木の駅名標が墓のように立てかけられていた。
沢木駅名所案内
この駅の付近には松前藩のオホーツク沿岸警備の烽火台跡であった《日ノ出岬》があり、距離も1km程なので徒歩で向かう事が可能であった。 また、この岬の高台よりオホーツク海と流氷、そして沿岸を行き交う興浜南線が俯瞰できたのである。 それではあの頃と同じく、この駅で下車して岬を訪れる事にしよう。
岬の烽火台跡に建つ櫓と流氷の絶景
日ノ出岬からは流氷浮かぶ
オホーツクと興浜南線の列車が望めた
私の訪れた時のオホーツク海は、流氷が点在する趣のある情景であった。 岬に着いたなら、岬の大地に設置された展望櫓の上に立とう。 そこからは、果てしなく広がるオホーツク海の蒼と点在する流氷、そして海岸に迫る海岸段丘の中腹を行く興浜南線の列車を一望できたのである。
もう、二度と出会えぬ情景をしっかり見ておこう・・と思う。
今はなき興浜南線の
唯一のまともな写真
:
取り返せぬ今となって
あの時の腕の下手さが悔やまれる
なぜなら、興浜南線の廃線はともかくとして、今はこの岬自体が観光地化されていて無粋な施設が建ち並ぶ興ざめな光景に変貌しているのであるから・・。 岬にはガラス張りの展望館(『北海道旅情報』さんよりリンク)が建てられ、その付近はオートキャンプ場(キャンプナビ・北海道より)となりバンガローが建てかけられ、国道より人を呼び込むべくの舗装道路が岬大地の上まで敷設されているのである。
もちろん、この舗装道路の終点は、岬大地のスペースに大きく設けられた駐車場である。
また、興浜南線が伝っていた海岸段丘の上には巨大なホテル(雄武町観光協会HPより)が建ち、その周囲は展望道路が張りめぐらされ、あの時に魅せられた感動の情景は廃止された路線と共に“過去のもの”となっていたのであった。
また、興浜南線が伝っていた海岸段丘の上には巨大なホテル(雄武町観光協会HPより)が建ち、その周囲は展望道路が張りめぐらされ、あの時に魅せられた感動の情景は廃止された路線と共に“過去のもの”となっていたのであった。
風光明媚な流氷風景を
見ながらの鉄路の旅は
遠い過去のモノとなっていた
温泉ホテルで風呂に浸かりながら眺めるオホーツク沿岸の情景は手軽であり、また一つの旅の形である。
旅という事柄にサービスを求めるのなら、それも悪くはないだろう。 だがそこには、あの時に私が抱いた感動はないのである。 わざわざ、遠くからその風景を目当てに赴く衝動も湧き上がってはこないのである。 この情景の変化を目にして愕然とした自分がいた事を決して忘れないだろうし、忘れてはいけないとも思うのである。
そして、直近の再訪時に見た日の出岬の塔であるが、観光用に建て直されたダイヤモンド状の展望櫓が早くも閉鎖扱いの如くに閉じられて、不要物に落とされた身の哀れさを魅せていた。
そして、その下を冬の荒れた波が打ち寄せていた。 鳴り物入りで建てられたハズなのに、その『日の当たる時』は何と短いのだろうか・・。
鳴り物入りで建てられたものの
「もはや用に供さず」と放置され
:
それは平家物語の一幕
「ひとえに風の前の塵に同じ」
との解そのままに佇んでいた
何か暗い話となってしまったが、駅に戻って旅を続けよう。 《沢木》からは先程にも記した通り、岬から連なる海岸段丘の中腹を横切っていく。 この区間も流氷を眺めるには絶好の区間だ。
右車窓の後方に、先程訪れた《日ノ出岬》の櫓が見える。 その背後は果てしなく続く海であった。
元沢木乗降場の駅名標
この海岸段丘の中腹を横切るように乗り越えると、屋根の低い民家が点在する集落に出る。
そこには簡易極まる駅名標が“挿して”ある板張りホームが見えてくるだろう。 ここが、《元沢木》の仮乗降場である。
板張りの元沢木仮乗降場
待合室もあった
隣の《栄丘》駅よりまとも
この駅は夏の情景もいい。 駅周辺に生い茂る夏草が、明日無き路線の素顔を語っているような気がするから。
《栄丘》を過ぎると海と別れて内陸に入って、酪農地帯の風景が広がるようになる。
《栄丘》を過ぎると海と別れて内陸に入って、酪農地帯の風景が広がるようになる。
《雄武共栄》という仮乗降場を過ぎて酪農地帯から市街地に飛び出ると、程なく終点の《雄武》である。
雄武駅の写真は若き日の失敗で
使える手持ちが少ないので
今回はこのスタンプのみで次回まわしでっす
《雄武》はどことなく寂れたイメージが先行するオホーツク沿岸の街とは対照的に活気が感じられた気がする。 駅のホームには、港から水揚げされた新巻鮭など海の幸の香りが漂っていた記憶があるのだが・・。 街の中心街に駅があったからであろうか。 なお、現在は周知の通り、雄武駅跡は『道の駅』となっている。 雄武駅の今昔は次の回に。
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No title * by 風来梨
タケちゃんさん、こんばんは。
街の大きさでは枝幸町の方が大きいのですが、雄武の街は活気がありますね。 北見枝幸の駅が町外れで閑散としていたのに対し、雄武駅では新巻鮭が列車に積まれるなど、当時も活気が感じられました。
でも、途中の日ノ出岬は、ホテルが建ち愕然としました。
この冬に訪ねた北見神威岬も、国道から冬季閉鎖の観光道に格下げられていて、鉄道の跡は20年の時を経て少しづつ確実に消えていっているみたいです。
それらのレポートは、次回以降にて・・。
街の大きさでは枝幸町の方が大きいのですが、雄武の街は活気がありますね。 北見枝幸の駅が町外れで閑散としていたのに対し、雄武駅では新巻鮭が列車に積まれるなど、当時も活気が感じられました。
でも、途中の日ノ出岬は、ホテルが建ち愕然としました。
この冬に訪ねた北見神威岬も、国道から冬季閉鎖の観光道に格下げられていて、鉄道の跡は20年の時を経て少しづつ確実に消えていっているみたいです。
それらのレポートは、次回以降にて・・。
私は廃線後にしか訪れてはいないのですが、目梨泊の灯台の麓の線路跡などはまだしっかりと残っていました・・・あぁ~、撮りに来たかったなぁ~、と思いましたね。
そしてその辺りをブラブラした時の印象は・・・おおぉ~、雄武の街、案外おっきい!でした。