風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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オホーツク縦貫鉄道の夢  第29回  名寄本線・山線区間

『オホーツク縦貫鉄道の夢』  第29回  名寄本線・山線区間
 

闇に星の光
名寄本線は海と山に魅力満点の路線だった
 
流氷が広がる素晴らしき眺めの車窓を満喫した後に望む、寂しきローカル線の“夜の闇と光”も哀愁の風情があっていい。 山間部の区間は、冬ともなると氷点下20℃以下の猛烈な冷え込みとなり、雪と光が幻想的な風景を魅せてくれる。
 

「思い出お~い 名寄本線」のオレンジカード
冬の姿が最も美しかった路線・名寄本線
 
だが、氷点下20度以下の世界は半端ではない。 もう、“寒い”という感覚はなくなり、“痛い”という刺激が主となる世界だ。 その中で『寂しきローカル線の夜の闇と光』を撮りたい・・と欲するならば、寒い時の最も寒い時間帯に列車を待ち続けなければならないのだ。
 
これは少しオーバーかもしれないが、半分『命懸け』である。 なぜなら、ともすれば氷点下20度を下る程の極寒の夜に、列車を待って待機せねばならないからだ。 車でもあれば別だが、当時の私は車の免許どころか原付免許がせいぜいの小僧だったのである。 だから、私自身がこの地で『寂しきローカル線の夜の闇と光』を撮るとするなら、寒さに耐えつつ一晩をやり過ごす必要があるのである。
正直言って、アホ以外の何者でもない覚悟が必要なのだ。 
 
だが、この当時の私には、このアホを成就すべくの『武器』を持っていた。 
この時の『武器』というのは、『情熱とバカは紙一重』の如く、形振りかまわぬ情熱を注ぐ事ができる程の『情熱大陸バカ』だった事と、山の知識が多少あった事によって氷点下でのビバーク知識を持ってた事と、氷点下での駅寝・野宿に何とか耐え得るグッズを持っていた事である。 それでは、その『情熱大陸バカ』の写真をごろうじろ。
 

『起』 

闇を切り裂く光

六興(仮)~西興部



『承』

カクテルライト輝く上興部駅へ

最終列車がやってくる



『転』 
この日の気温は-26℃

猛烈にシバレた夜であった



『結』
闇にテールランプを残して去ってゆき
六興(仮)~西興部
 
この後、予告通りに耐寒訓練(西興部て駅寝)となったのは言うまでもない。
まぁ、山でも同じような事をしているし、駅は扉を閉めると吹きっさらしの山よりも生活環境は数段上なので・・。 しかも、この時はまだ10台と若かったしぃ~。
 

日本一暑くて寒い町
下川駅の観光記念入場券
この辺りは冬は氷点下30℃
夏は30℃オーバーとなる所だ
 
その冬の強烈な寒さは、夏に豊かな自然の情景を魅せてくれる。 山線区間の魅力は、鉄道情景だけではない。 美しく神秘な自然情景を創造するのである。 その代表的な景観は、《西興部》の奥にそびえる《ウエンシリ岳 1142メートル》の麓にある自然の神秘・『氷のトンネル』である。
 

中興部駅スタンプと入場券


高山の雰囲気を漂わすウエンシリ岳



ウエンシリ岳の谷筋にある
氷のトンネル
 
西興部から20kmと少し離れているが、この地を訪れるなら立ち寄る価値は十分にあるだろう。
万年雪と中を脈打つ鉱泉がおりなす自然の造形、そして天然の冷蔵庫からそよぐ涼風を体験してみては如何だろうか。


上興部駅スタンプと入場券



周辺は自然の宝庫
美瀑・行者の滝

 
最初と最後に少し寄り道をしたが、これにて名寄本線の区間は終わりとしよう。
次の区間は、恐らく“復活を望む路線№1”となるであろう興浜南線と北線、そしてその区間をつなぐ未成線の区間である。
 

次は“復活を望む路線№1”の
興浜線めぐりだ
 
後に訪ねてみると、鉄道の在りしあの頃とずいぶんと変わった所もあれば、今にも列車がやってきそうな所もあった・・。 そして、海沿いに風化する侘しき鉄道の名残りも点在していた。 この旅行記に書き記す間だけ、その名残りに復活の夢を馳せよう・・と思う。
 
 
  ※ 詳細はメインサイトより、架空旅行『オホーツク縦貫鉄道の夢・名寄本線編』を御覧下さい。
 
 
 
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No title * by タケちゃん
おはようございます。
10歳代の時の「情熱」・・・確かに私にも覚えがあるモノの、風来梨さんの仰る「アホ」加減、素晴らしい根性ですよね~・・・それだけ余計なことを考えずに鉄道に没頭出来たのかもしれませんね。若いし。

闇夜にぽつんと光る前照灯・・・素晴らしい写真です。

No title * by 風来梨
タケちゃんさん、こんばんは。

いい時代でしたね。 今のように便利グッズがないから、何かをする為には全て自らの手でセッティングが必要だった。

だから、旅もより楽しかったと思います。 そして、手作りの旅だからこそ、思い入れも大きいと思います。 その頃にローカル線があって、それに情熱を注げた事は幸せな事だと思います。

No title * by ntn*t3*3
名寄本線の興部には行ったことがあります。当時、96というSLが確か走っていたと思います。昔の国鉄時代は、周遊券というものがありそれを購入して北海道をブラブラしておりました。

No title * by 風来梨
ntn*t3*3さん、こんばんは。

そうですね。 あの頃の周遊券・・使えました。
首都圏や私の住む関西圏なら20日有効で、しかも冬割までありましたから。 そして、夜行列車があったので、夜行の有効利用で宿代浮きましたし、私のようなアウトローでも、駅寝可能な立て付けのいい木造駅もあって念願成就が叶ったし・・です。

私の頃はキハ22の全盛期で、廃止ローカル線が次々と廃止になっていたローカル線が最も注目されていた時ですね。

コメント






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No title

おはようございます。
10歳代の時の「情熱」・・・確かに私にも覚えがあるモノの、風来梨さんの仰る「アホ」加減、素晴らしい根性ですよね~・・・それだけ余計なことを考えずに鉄道に没頭出来たのかもしれませんね。若いし。

闇夜にぽつんと光る前照灯・・・素晴らしい写真です。
2012-02-23 * タケちゃん [ 編集 ]

No title

タケちゃんさん、こんばんは。

いい時代でしたね。 今のように便利グッズがないから、何かをする為には全て自らの手でセッティングが必要だった。

だから、旅もより楽しかったと思います。 そして、手作りの旅だからこそ、思い入れも大きいと思います。 その頃にローカル線があって、それに情熱を注げた事は幸せな事だと思います。
2012-02-24 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

名寄本線の興部には行ったことがあります。当時、96というSLが確か走っていたと思います。昔の国鉄時代は、周遊券というものがありそれを購入して北海道をブラブラしておりました。
2012-03-03 * ntn*t3*3 [ 編集 ]

No title

ntn*t3*3さん、こんばんは。

そうですね。 あの頃の周遊券・・使えました。
首都圏や私の住む関西圏なら20日有効で、しかも冬割までありましたから。 そして、夜行列車があったので、夜行の有効利用で宿代浮きましたし、私のようなアウトローでも、駅寝可能な立て付けのいい木造駅もあって念願成就が叶ったし・・です。

私の頃はキハ22の全盛期で、廃止ローカル線が次々と廃止になっていたローカル線が最も注目されていた時ですね。
2012-03-03 * 風来梨 [ 編集 ]