2012-02-02 (Thu)✎
『私の訪ねた路線』 第75回 花輪線 〔岩手県・秋田県〕
《路線データ》
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
好摩~大館 106.9km 403 / 256
運行本数 (’16)
盛岡~大館 6往復
盛岡~鹿角花輪 1往復
盛岡~荒屋新町 1往復
鹿角花輪~大館 2往復
《路線史》
私鉄の秋田鉄道が1914~23年にかけて建設した大館~鹿角花輪と、国が1922~31年にかけて軽便鉄道規格で建設した好摩~鹿角花輪を併合した経緯を持つ路線。 1934年に秋田鉄道は国有化されている。
路線の位置付けとしては『東北横断鉄道』なのだが、新幹線に供出されて都市間輸送を担う同じ位置付けの田沢湖線と比べると、完全なるローカル輸送に徹した路線となっている。 その為か、新型車の投入などの近代化は後回しとなっていた様である。
運行的に劇的に変革したのは、東北新幹線の開業による東北本線の盛岡~八戸の第三セクター移管であろう。 全列車が好摩から盛岡に乗り入れていた花輪線列車は、この区間の第三セクター化で大きな影響を受ける事となる。
路線の位置付けとしては『東北横断鉄道』なのだが、新幹線に供出されて都市間輸送を担う同じ位置付けの田沢湖線と比べると、完全なるローカル輸送に徹した路線となっている。 その為か、新型車の投入などの近代化は後回しとなっていた様である。
運行的に劇的に変革したのは、東北新幹線の開業による東北本線の盛岡~八戸の第三セクター移管であろう。 全列車が好摩から盛岡に乗り入れていた花輪線列車は、この区間の第三セクター化で大きな影響を受ける事となる。
この区間がJRから切り離された事で、運行を共にする花輪線もこちら側に組み込まれる事になったのである。 これによって盛岡駅では、花輪線はJR線の路線でありながら改札を出なければ乗換ができない状態となってしまったのである。
先述の如く、新型車輌の投入が後回しにされていた事で、往年の名車・キハ58や20系列最後の生き残りであるキハ52が運行されていて、旧国鉄型を好む鉄道ファンなどを中心に人気の高い路線であった。
Webサイトでも、沿線のシンボル・岩手山を背景に旧国鉄型の車輌の勇姿を描く映像を載せるものが少なくない。
先述の如く、新型車輌の投入が後回しにされていた事で、往年の名車・キハ58や20系列最後の生き残りであるキハ52が運行されていて、旧国鉄型を好む鉄道ファンなどを中心に人気の高い路線であった。
Webサイトでも、沿線のシンボル・岩手山を背景に旧国鉄型の車輌の勇姿を描く映像を載せるものが少なくない。
八幡平を背景に
刈田を入れてみましたが
だが、旧態依然の車輌運行は利用客にとっては不評だったようで、2007年の3月のダイヤ改正で新型車輌への切換が計られる事となる。 以来、このダイヤ改正期日が近づくにつれ、旧国鉄型との別れを惜しむ鉄道ファンが全国より押しかけた・・という事である。
この年は雪が少なく
1時間もすればこんなに雪が解けて
:
コレ・・岩手県の正月風景ですよ
北森~松尾八幡平
北森~松尾八幡平
なお、現在は線内快速【八幡平】を含め、全て新型車輌に置き換えられており、秋田~鹿角花輪の快速列車だけが運用の都合で元急行【よねしろ】用に改装されたキハ58となっている(現在は、この列車は大館止でキハ110系の運行となっている)。
《乗車記》
路線史でも記したように、東北新幹線の八戸開業(現在は新青森まで全通)によって第三セクター化した東北本線の盛岡~八戸間(現在は青森まで第三セクターに転換)と共通運用の路線であった為、JR路線でありながら、盛岡に発着するJRの他の在来線とは完全に引き離されて他の線の如く独立している。
従って、盛岡駅の改札を出なければ乗継ができないようになってしまった。
スキー場のカクテルライトが明る過ぎて
夜空が飛んでしまって今イチに
従って盛岡駅は、いわて銀河鉄道(IRG)のホームからの発車となる。 第三セクターに転換された盛岡~好摩は、いわて銀河鉄道の乗車券が必要となる。 まぁ、盛岡~好摩は他の路線なので、内容は割愛して、好摩駅から始めよう。
石川啄木ゆかりの駅・好摩を出ると、列車は岩手山がそびえる西の方向へそれていく。 岩手山の裾野を巻くように、弧を描きながら北西方向へ進路を撮る。 盛岡市を出て八幡平市に入ると、東大更だ。
簡易の待合室だが、建替えられたのか建付けは良い。
裾野の平野部を真っ直ぐ進み、国道282号が寄り添ってくると、これに沿って北に進路を変えて程なく八幡平市の代表駅である大更に着く。 八幡平市は、西根町・安代町・松尾村が合併できた市である。
なお、この大更は列車交換可能駅である。
次の平館は、東北らしい奥州藤原時代の流れを受けた地名だ。 駅舎は美築の木造駅舎だったが、無人駅化と同時に今風のスレート葺の駅舎に建替えられている。 次の北森は、最も岩手山が美しく見える位置に駅舎がある。 筆者も、ここで岩手山と列車の撮影の為に下車している。
この年の冬は
雪が少なかったのが残念
:
美しい山と
ほのかな朝の光と
旧国鉄型の列車と
絵になる風景を撮る
北森にて
次の松尾八幡平は、列車交換駅可能駅。 2009年までは、この駅で折り返す列車が設定されていたが、減便という形で廃止されている。 駅舎は、無人化以降に簡易駅舎に建替えられている。
次の安比高原は以前は竜ヶ森と呼ばれていたリゾート地で、周囲にはゴルフクラブやスキーゲレンデ、リゾートホテルが建ち並ぶが、駅はその賑わいからは外れ、廃ペンションのようにポツネンと存在している。
かつては有人駅だった事もあり、なおさらに人の手が入らなくなって荒廃が目立ち始めてきている。
赤坂田・小屋の畑と待合室だけの棒線駅を過ぎ、荒屋新町に着く。 なお、小屋の畑の東4kmには、『日本の滝百選』の不動ノ滝があるので興味のある方は立ち寄るのもいいだろう。 荒屋新町は、八幡平市の旧安代町地域の中心駅である。 駅舎は2階建ての職員宿舎付の立派な木造駅舎である。
日本の滝百選・不動ノ滝
駐車場から徒歩10分で滝見物ができるので
時間があれば立ち寄りたい
次の横間は、田園地帯に小さな待合室があるだけの棒線駅。 田山は元は委託駅だったが、合理化で簡易駅舎に建替えられた上に交換設備が撤去されたようである。 次は、岩手県最後の県境の駅・兄畑である。
この辺りは原野地帯で、後からできた高速道路と改良された国道282号が、花輪線の線路が通る細い通路に集約されるように建設された為か、三つ巴となって交差を繰り返す。
県境を越えて秋田県に入ると、秋田県の奥座敷である湯瀬温泉郷の一帯に入る。 その玄関口が湯瀬温泉駅だが、駅前はかなり狭く大型バスの乗り入れは難しいようだ。 この駅から次の八幡平までの間に『秋田三十景』の一つの湯瀬渓谷があり、春夏秋冬を通じて花輪線列車の好撮影地となっている。
一面に白い綿帽子を被ると
旅気分が大きくなる
湯瀬温泉~八幡平
湯瀬渓谷を渡る
湯瀬温泉~八幡平
湯瀬温泉~八幡平
渓谷を車窓から堪能しつつ八幡平に到着する。 八幡平の駅舎には喫茶店が入っていて、渓谷めぐりや列車撮影の後にひと息着くのにいいだろう。 次の陸中大里は、秋田県なのに陸中とついている違和感はあるものの、駅自体は何の変哲もない棒線無人駅である。
次の鹿角花輪は、沿線の中心自治体である鹿角市の代表駅。 ここも以前は、陸中花輪と秋田県内で『陸中』が着いていたが、’95に現在の駅名に改称されている。 駅は線内最大駅として、キヨスクや駅そば・みどりの窓口がある。
鹿角花輪を出ると、鹿角市郊外の無人棒線駅・柴平を経て、行き止まり式スイッチパック駅の十和田南に着く。 この駅がなぜスイッチバック駅なのかは解らないが、もしかしたなら当初は大館より大きな町である弘前を目指して建設されたからなのだろうか?と想像してみる。
この十和田南のスイッチバック駅で進行方向が変わると、車窓情景も一変する。 美しい森や渓谷・山風景から、荒れた不毛の荒野のような情景に変化する。 駅も、待合室が乗るだけの棒線駅が続く。
末広・土深井・沢尻と民家が点々とするだけの荒野のような情景で、あまり面白みはない。
十二所はちょっと高台にあり、集落も増えてきて荒涼とした雰囲気からは一時抜け出せる。
次の大滝温泉は、同温泉の玄関口。 かつては急行も止まった有人駅だったが、今は無人化されている。
この駅は交換可能駅だ。
次の扇田は、大館市の郊外駅。 元々有人駅であったが、今は無人化されている。 次の東大館も、扇田の駅をひと回り大きくしたような駅だ。 こちらは今も業務委託の駅員が配置され、みどりの窓口も設置されている。 なお、この東大館は大館市街地の南西に位置するのだが、駅の位置が昔の武家屋敷があった所で、武家屋敷=内町=東(東は西よりも格上)という所からつけられている様である。
東大館を出ると、大館のヤード跡の広大な荒地を馬蹄形にぐるりと周り込む。 そして、広大なヤード跡の荒涼とした荒地の先に、砂漠のオアシスの如く高層のビルが建っている街が視界に入ってくるのである。 何とも日本の情景とかけ離れた情景である。 これを魅せられて、思わず固唾を呑んだであるのだが。
やがて、終点の大館の母屋より最も離れた3番線に花輪線列車は入線する。 この大館は、かつて貨物鉄道(以前は旅客輸送もしていた)の小坂精錬・小坂鉄道が乗り入れていたが、2009年の春に廃止となっている。
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