風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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『オホーツク縦貫鉄道の夢』めぐりのハズが・・、北海道の無意味なたらい回しツアー その4

『オホーツク縦貫鉄道の夢』めぐりのハズが・・、北海道の無意味なたらい回しツアー その4
 
   行程記録
《前夜》  大阪より夜行バス→東京・池尻大橋
《1日目》  池尻大橋→大門(浜松町)→羽田空港→釧路空港→釧路→根室→道の駅・根室スワン44
《2日目》 根室スワン44→温根沼→野付半島→中標津→美幌峠→卯原内→佐呂間→中湧別→
      道の駅・紋別
《3日目》 道の駅・紋別→コムケ湖→興部→日ノ出岬→雄武→北見枝幸→ウスタイペ千畳敷→
      北見神威岬沼川→宗谷岬→ノシャップ岬→抜海→勇知
《4日目》 勇知→稚咲内(サロベツ・オロロンライン)→筬島→美深峠→添牛内→雨竜→札幌→
      道の駅・えにわ
《5日目》 道の駅・えにわ→インクラの滝(雪深く断念)→勇払→あつまの湯→道の駅・むかわ
《6日目》 道の駅・むかわ→豊郷→節婦の浜→豊郷→苫小牧→札幌→千歳空港→関西空港→自宅

    ※ 《3日目》は前回の(その3)を御覧下さい。
 

夜の抜海駅
思ったより寒くなかった
 
昨日の夜の抜海駅から続けよう。 抜海で何をしたかというと、完全に鈍ったウデで夜汽車の撮影を敢行したのである。 ウデが下手になると、空想だけでお腹いっぱいになる。 つまり、撮る前から出来映えを空想固定してしまう訳である。 そして数日後、仕上がったのを見て“テンカウントゴング”が乱打された状態となるのだ。 もちろん、マットの上にうつ伏せとなって、意識朦朧状態で聞いている方に当てはまるのであるが。 それでは、その2枚をごろうじろ。
 

このコマが上がった瞬間
頭の中はテンカウントゴングが鳴り響いていた


この撮り方は
空に星が流れてないと今イチですね
 
さて、これを撮ると就寝タイムだが、この抜海駅の半分である駅務室は民家として払い下げられたようで、どうもこの駅前で車を止めて寝るのは躊躇われたので、次の貨車駅である勇知まで進む事にした。
これは大正解で、駅前の通りには自動販売機はあるし、駅だけポツネンとして人は寄り付きそうにないし、寒ささえ凌げば快適な駅前カプセルホテルinパッソ(レンタカーはパッソ)となる。
 
でも、4半世紀前は、この貨車駅よりも保温状態の悪い木造駅で駅寝してたんだよね。
溜息のダイヤモンドダストを顔面に浴びた体験が、今蘇ってくる。 まぁ、起きながらの寝言は置いといて、この日からやや寒くなり、車内温度は氷点下7度まで落ちていた。 車内で氷点下7度と言う事は、外で氷点下10度前後だろう。
 
さて、そんな中でも8時間近く寝て、5時前目覚める。 今日は昨日と違って、ウインドゥガラスの視界がクリアになるまで30分はかかる。 でも、目的の『宗谷本線と利尻山』撮影の列車通過時刻は、6時台は光量不足でダメだろうから、朝の7時過ぎ。 まだ2時間もある。 寒い所ではどんなに怠惰な筆者でも、日常のいつもの行為でできない事がある。 それは『二度寝』である。 それをしてしまうと、またウィンドウの氷を解かす所から始めないといけないからだ。
 
まぁ、そんなヨタ話の如くの訳で、ダラダラと勇知駅から500mほど離れた利尻島の望める踏切の所にいく。 道は田舎道にしては広く、また勇知集落の生活道路となっているので、除雪もしっかりとされている。 また、車も時間で2~3台位で、撮ってる姿をあまり凝視されなくて済む。
実は、これが一番大きかったりして・・。
 
勇知6:48発の上りは、まだ日の出前で薄暗い。 一応撮ったものの、シャッタースピードが稼げずに流れてしまった。 そんな事よりも、その流れた列車の背後は分厚い雲の灰色で覆われている。
つまりここまで来て、利尻山バックは限りなくダメっぽいのである。
 

利尻富士に単行列車
これの再現を目論んだのだが
 
となると、ここまで来て限りなく平凡な写真を、完全に鈍ったウデで更に今イチに仕上げてしまいかねないなぁ・・。 次の7:03の下りも、まだ陽が昇っていないのか、薄暗くて今イチな上に、白樺で車両の前面が真剣白刃取り(完全に樹にカブった)となってボツ。
 

東の空はいい天気だったが
 
次の特急は想定してなかった(もちろん、時刻表は重いので持って来ず)ので、踏切が鳴ってから撮ったら、タマタマ特急だった・・というオチでした。 でも、この時が日の出時で、車両に朝日が当たって輝いてやんの。 利尻山が映し出される日本海側は厚い雲に覆われているが、陽の昇る東の空は晴れ間が広がっているようだ。 今日は、とりあえずいい天気となりそうだ。
 

朝日とドンピシャ
どうでもいい特急が
それなりに良く撮れて
 
次の、この撮影地最後の撮影予定列車である勇知8:40発まで、1時間ほど車の中で呆けるだけだ。
それで車に戻って暖を取ろうとした瞬間にもう一度踏切が鳴り、慌てて車から出てカメラを構えると、ラッセルが仕事をせずに回送していった。 これは今イチなので掲載せず。 「でもこの筆者、稚内まで何しに来たんだろ」って本人が強く感じるのである。
 
「さすがに同じ撮り方では芸がないな」と漸く気づいた筆者は、ラストは雪を蹴る姿を撮るべく正面撮影に切り換える。 これは好を奏したようで、何とか掲載に耐えるモノが撮れた様だ。 それでは、その分をごろうじろ。
 

利尻山が現れないとなると
北の雪原野を題材にしようか


あまり面白みのない写真となりましたが
何とか戦果は残せました
 
さて、宗谷本線の勇知は、ほぼ失敗に終わったね。 今日はオロロンラインを経由して札幌へ、そして明日からの道央・日高の撮影行につなげる為の移動だけである。 今思えば、稚内で車を返して、列車で札幌に向かって、札幌で車を借りた方が楽だったかも。 でも予約というのは、料金が安くなる恩恵を受ける代わりに、現場での急な予定変更に対しては無力であるのだ。 次は、もっと考えて予約しよっと。
 

オロロンラインのギンギンギラギラ
ここに限らず稚内で写真を撮るとなると
絶対に車がいるんだよね
 
さて、オロロンラインでは、完全な氷結の世界だった。 野鳥も海沿いにはいたが、思った程には空に舞ってはいなかった。 でも、コイツだけは、デカかったなぁ。 初めは、人間かと思った位にデカかった。
 

オオワシかな
遠目から見ると『黒いジャンバーを着たオッサン』に見えたよ
 
基本的には移動が主で、しかも最低札幌までのロングランなので、「ちょっといいかな」といった氷結樹氷を撮ったりしながら気分を紛らわす。 寄道しながら、こうやって時折車を止めて撮影しながら行くと、程よい時刻に音威子府手前の筬島の天塩川沿いの国道を走っているようになる。 『程よい時刻』とは、筬島12:55発の上り普通列車の30~40分前って事である。
 

順光で広がりバージョン


望遠(といっても210mm)で
凍った枝を引き寄せてみた


でも逆光の方が引き立つね
 
だが、不安な点もある。 天塩川と線路は国道40号に沿っているので、国道上で車がビュンビュンと行き交う所に生身を晒さねばならぬ事と、車の置き場所である。 でも、狙ってるのか何なのか、まるで鉄道撮影の為だけの除雪スペースがあり、車2~3台なら止められるのである。 そして、運のいい事に誰もいないのである。
 

狙いは川が9割・鉄道1割の風景鉄道
20年前の佐久~筬島の天塩川にて
 
早速、除雪された雪盛りの上に登ってカメラを構えていると、2台ほど車がやってきた。
すると、その3分ほど後に、ラッセルが仕事をせずに回送でやってきた。 後発の2台でやってきた人は「今日は仕事してないよ」といって、撮影せずに去っていった。 私の目的である普通列車は、全無視のようである。 どうやら、ラッセル以外は眼中にないようですね。 まぁ、コッチは、ラッセルの時刻さえ知らない“ナンチャッテ”だし。
 

ラッセルが仕事せずにやってきた
ワテとしては撮れただけで
『お腹いっぱい』なのだが


来年は雪を飛ばす姿を見たいなぁ


目的の普通列車はくすんでしまったね
 
これの撮影が終われば、札幌まで車を転がすだけだ。 でも、旭川を通ると街中で渋滞に捕まる恐れがあるので、美深から深名線ルートを行く事にする。 でも、我が国でも極寒の地のアイスバーンを車で行く事を雪をほとんどと知らない内地の人間が行くとは、結構度胸あるね・・この筆者。 このアホ度胸が、明日墓穴を掘る事は藪の中に。
 
標高444mの美深峠はズル滑りだったものの何とか通過。 下りはセカンドを駆使して下りる。
やはり、スタッドレスも1000km近く走っているとヘタってくるみたいだ。 これを期に、何度もズル滑りの軽い制動不能状態を引き起こすようになる。 まぁ、この筆者は天然なので、あまり気にしなかったが。
 

かつては小吹雪の中で
3時間待つ情熱があった
情熱とバカは紙一重
 
峠を下って母子里。 ここから永遠の秘境駅・白樺や蕗ノ台への道道688号線は、北母子里で冬季通行止のようだった。 そういえば以前は、雪の中を白樺の方向へ3kmも入り込んで撮ったよな。
この頃は情熱がアツかったなぁ・・。 そのアツかった時を思い出して、旧深名線の遺構めぐり。
添牛内と政和は駅舎が残っていたよ。
 

真正面から廃駅舎を撮れば廃屋と同じ


だから樹を入れたり
あかね雲を漂わせたり・・
努力するのデス


政和駅舎は食堂となったらしいが
やっはり廃業?
 
その他、沼牛や鷹泊も駅舎が現存するらしいが、急に空が崩れて大雪が降ってきたので、エトランゼらしく車の運転に集中しよう。 雪が降り出してからは急激に暮れて、深名線エリアを出て沼田に出る頃は、もう5時で空は真っ暗となっていた。
 
国道275号は交通量の割には道幅が広く、また信号もほとんどないので良かったが、雪道を連続1000km以上走ってヘタったタイヤは、ブレーキを踏むと確実にタイヤロックを起こしていた。
もう、対策としては、セカンドからローへのギアチェンジ・・、即ちインバータ制動である。
 
それと、後ろに来たら、「早よ抜けよ」である。 抜かれる瞬間は雪煙で視界がなくなって怖いが、制動が不安定なら仕方がないだろう。 でも、信号がないとはすごい事で、こんな状況でも札幌まで2時間・平均50km/hでゆけるのだ。 ワテで平均50km/hと言う事は、一般の北のドライバーは何km/h出してんだよ・・。
 
後は札幌で飯食って、札幌近郊の恵庭の道の駅で寝る。 温度は車内で氷点下3~4度であった。
恐らく、外は氷点下5~7度って所だろう。

   ※《5日目》は、次回(その5)にて・・
 
 
 
 
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