2012-01-22 (Sun)✎
『オホーツク縦貫鉄道の夢』めぐりのハズが・・、北海道の無意味なたらい回しツアー その3
行程記録
《前夜》 大阪より夜行バス→東京・池尻大橋
《1日目》 池尻大橋→大門(浜松町)→羽田空港→釧路空港→釧路→根室→道の駅・根室スワン44
《2日目》 根室スワン44→温根沼→野付半島→中標津→美幌峠→卯原内→佐呂間→中湧別→
道の駅・紋別
《3日目》 道の駅・紋別→コムケ湖→興部→日ノ出岬→雄武→北見枝幸→ウスタイペ千畳敷→
北見神威岬→沼川→宗谷岬→ノシャップ岬→抜海→勇知
《4日目》 勇知→稚咲内(サロベツ・オロロンライン)→筬島→美深峠→添牛内→雨竜→札幌→
道の駅・えにわ
《5日目》 道の駅・えにわ→インクラの滝(雪深く断念)→勇払→あつまの湯→道の駅・むかわ
《6日目》 道の駅・むかわ→豊郷→節婦の浜→豊郷→苫小牧→札幌→千歳空港→関西空港→自宅
この日の紋別は暖かった。 車内温は+3℃。 たぶん、着込んでシュラフに潜り込んでいる身としては、最も快適な温度ではなかろうか。 お陰で9時間寝れたよ。
・・で、起きたのは5時前。 ウインドゥガラスもあまり凍ってはおらず、デフロスタもいつもの1/3位で視界がクリアとなった。 さて、20分程で出発準備が整って、道の駅でモンモンとするのも何なので、コムケ湖に立ち寄る為に中湧別方向へ向けて車を出す。 目的は、ラムサール条約の批准湖であるコムケ湖で野鳥でも撮れたらな・・という事である。
約20分程南下して、コムケ湖のキャンプ場への道へと向かうが、完全に通行止であった。
それは全く除雪もされておらず、歩いていくのは不可能とは言えないまでも、かなりの徒労が必要な状態であったのでパスとした。 「ここがパスならば他の湖畔沿いは・・」という事で、湖に向かう枝道を入っていったが、どうも湖を見渡せる所は無い様である。
取り敢えず、車の止めれそうな枝道で車を止めて夜明けを待ってみたが、除雪トラクターがやってきたので撤退する。 「野鳥もいなさそうだったし、戦果ナシの撤退でもいいか・・」と、6時半過ぎに再び北上を始める。
今日は、旧名寄本線から興浜南北と未成線、そして天北線を経て宗谷岬へと到達する『オホーツク縦貫鉄道』の核心部分を伝っていくのである。 まずは、あの沙留の『流氷の丘』であるが、やっぱり流氷がないと情景的には今イチだった。 そして、沙留の駅跡は所狭しと、公営と思しき全く同じ造りの戸建住宅が立ち並んでいた。
それは、「ただ春の夜の夢の如し」という平家物語のあの一節の如く、流氷を望む風光明媚な鉄道路線が在った事は夢の如く・・で、今はその存在さえ見出せない眺めへと変貌を遂げていた。
この眺めを見ていると多少切なくなってきたので、写真も撮らず早々に引き上げる。
もうこの国には存在しない鉄道風景
それは「ただ春の夜の夢の如し」だったのか
国道に戻って暫くオホーツク沿いを行くと、やがて街中を行くようになり興部町の中心部に入る。
旧興部駅は、今は『道の駅・おこっぺ』となっていて、道の駅と交通公園兼バスターミナルとなっているようだ。
だが、期待した『列車ホテルに供された緑色に塗られたキハ22』は、中湧別の道の駅と同じくブルーシートでグルグル巻きにされていた。 また、交通公園も冬季は閉鎖のようだ。 となれば、もうトイレ以外に使い様はないみたいなので、トイレだけで引き上げる。
これまでだが、全くといっていい程に廃線の風景がなくなっている。 全て今風に変貌しているのだ。
これはやるせないし、もうこのネタ自体を切り上げようか・・とも思ったが、ここまできたら取り敢えず宗谷岬までは・・と車を進める。
興部からは旧興浜南線のエリアとなるが、海から離れた国道からは点々と路盤跡が確認できる位だ。
そして私も、その路盤跡を確認してまわる程の廃鉄趣味は持っていないので、そのまま流す。
やがて沢木。 夏ならば児童公園脇に駅名版が飾られているのが確認できる・・との事だが、公園自体が雪に埋もれて判別不能だった。
そして、岬をめぐるようにつけられていた路線の上に道路ができて、その上に観光ホテルがデンと建つ・・これまた今風の情景へと変貌を遂げていた。 これは以前に通った時に、これを目にしてかなり『ガックリ』きたので、よく覚えている。
かつては風光明媚な情景だけの所であった
往時の日ノ出岬と流氷
絶好の位置を通っていた興浜南線
だが、そのホテル前の道から望む日の出岬の塔は、観光用に建て直されたダイヤモンド状の展望櫓が早くも閉鎖扱いの如くに閉じられて、不要物に落とされた身の哀れさを魅せていた。 そしてその下を、冬の荒れた波が打ち寄せていた。 ここにきて、初めてカメラのシャッターを切る気になる情景が現れたのだ。
これを撮って、ちょっと気を持ち直して先に進む。
鳴り物入りで建てられたものの
「もはや用に供さず」と放置され
それは平家物語の一幕
「ひとえに風の前の塵に同じ」の解を著していた
道の入口にホテルの案内看板がデカデカと建つ、日の出岬の周遊道路から国道に戻って少しゆくと、割と活気のある街に突入する。 雄武町である。 比べた感じであるが、興部の町より活気があるようだ。
そして、興浜南線の雄武も、『道の駅・おうむ』となっていた。
少年時の大失敗により
記念タトウでしか持ち得ない雄武駅
道の駅にはミニ鉄道資料館があって鉄道資料を展示していたが、あまりそそるモノはなかったみたいだ。
まぁ、ロビーでの常時展示モノに、プレミアがつくモノは展示しないだろうけど。
そしてこの道の駅は、道の駅というよりスーパーの駐車場として機能しているようである。
さて、これより興浜線の未成線区間だが、未成線区間は概ね国道より内陸側を行く予定だったようで、常時左側に路盤と思しき雪の吹き溜まりが並行する。 そして、何の感想もない情景が続くのだ。
なぜなら、本当に何の特徴もない所だからである。
何もないので快適に飛ばして、途中の『道の駅・岡島』でトイレ休憩をして、北見枝幸の街へと入っていく。 この北見枝幸は、宗谷館内では稚内についで№2の町勢を有しているらしい。
だが、海沿いのひなびた港町である事には相違ないのである。 ここでは、モニュメントとなっている北見枝幸駅碑を撮る。 そして、廃線跡道路の《興浜線通》を伝って国道に戻る。
北見枝幸駅名標
少年時の大失敗(使用フイルムの間違い)で
残るのはこれのみ
北見枝幸駅跡の碑
何かあまり情感が涌かない石碑だね
ここで少し息抜きと、この地の景勝地であるウスタイペ千畳敷に立ち寄ってみる。
美しい岩礁が荒波に洗われる景勝だが、ちょっと規模は小さめだ。 それでは、この地の写真をごろうじろ。
冬の荒波が千畳敷を洗う
このウスタイペ千畳敷を越えると、いよいよ『オホーツク縦貫鉄道』のクライマックスとなる情景地だ。
そう、北見神威岬と斜内山道である。 取り敢えず、北見枝幸より興浜北線の駅跡を訪ねていく。
問巻の駅跡に建てられた公民館のような建物は、ひと目で解る。 次の目梨泊は判らず終いだが、港に出ると斜内山道の切り立った断崖が、港越しに望める。
目梨泊の漁港より望む北見神威岬
だが、肝心の北見神威岬は、岬断崖をぶち抜くトンネルの開通により冬季閉鎖の遊歩道に格下げられたようだ。 そして、斜内地区の住民も移転したようで、海沿いの遊歩道はゴーストタウンとなってしまったようだ。 物置として使われていた斜内の駅跡はどうなったのだろうか?
野花が時の無常を語っていた
そして、もう一度冬の岬灯台を見てみたかったが、岬まで1km近くの雪の吹き溜まりをラッセルするのは今では不可能だし、またその用具も持ち合わしていないのでパス。 でも、昔のブリバリ時代なら行っていたかも・・。 それでは、未練タラタラの情景をごろうじろ。
今は遠く離れたここで
見つめるのみだった北見神威岬
さて、最大の目的の北見神威岬までも不完全に終わってしまったのである。
「このままではさすがにアカン・・」と、少し気を入れ直す。 だが焦れば焦る程に結果は伴わない。
現存するという豊牛駅舎も見逃し、気づけは浜頓別に出ていた。 「もう、ここは野鳥もいなさそうなクッチャロ湖はパスして、天北線の遺構めぐりをしよう」と決めて、天北線の宗谷丘陵の区間へ向かう。
浜頓別から鬼志別までは前回に訪れているので、今回は鬼志別からの丘陵越え区間を訪ねたいと思う。
鬼志別から宗谷岬へと別れる国道238号と別れて、内陸へと入っていく。 国道を離れると途端に道はアイスバーンとなる。 ともすれば、スタットレスタイヤでもズル滑りする道だ。
この道を7kmほど入ると、立派な公民館が建てられた小石駅跡だ。 だが、公民館は正月休み中で、周囲は全く除雪がされていなかった。 そして、この地に立ち寄る主目的であった『望郷』の石碑は、またもや雪で吹き溜まっていた。 掘り返したい気持ちは山々だが、その姿を見られるのは怪しいを通り越してしまうので、泣く泣く諦める。
小石駅跡に建てられた交流センター
:
右後ろの白い雪の吹き溜まりが
撮りたかった『望郷』の石碑
次の曲淵までが、17.7kmの完全無人地帯をゆくのである。 だが、その脇にあるトドマツの樹氷の美しい事。 もう夕方の勢いが見えてきた午後2時過ぎの斜光と相俟って、魅せられる情景となっていた。
コレに惹かれて、何度も車を止めて写真を撮る。 やがて、無人地帯のオアシスが如く、小さな集落の塊が見えてきて、曲淵に着く。 駅舎跡のモニュメントは雪に埋もれて、程よい被写体となっていたのでカメラに収める。
雪に埋もれたモニュメントに
斜光が当たって
そして、沼川。 駅跡に駅名標が立てかけられて雪に埋もれていたが、傍にある1本の白樺が絵になっていた。 ここにきて、漸く『オホーツク縦貫鉄道の夢』をめぐる事ができたみたいだ。 次の樺岡も、バス停の標識の横に駅名標が立てかけられて廃線の様相を呈していて良かったし、恵北は鉄道遺構はなかったものの、荒涼とした雪原野に沈みゆく太陽が日輪を描いていた。 最後の最後にて、「あぁこの企画もまんざらではないな・・」と思えたのである。
雪の原野に沈みゆく太陽が
日輪を描いていた
後は、ギリギリ日の沈む16時までに宗谷岬に立ち寄り、25年ぶりにあまり情感の涌かない岬を拝んで、ついでに夜のノシャップ岬に立ち寄って岬灯台にタッチして、オホーツクの主要な岬の全踏破の達成と『オホーツク縦貫鉄道』の遺構めぐりを終える事ができた。 ちなみに主要な岬は、納沙布岬・野付竜神崎・知床岬・能取岬・日ノ出岬・北見神威岬・宗谷岬・ノシャップ岬ですね。
岬の中でも最も感慨の湧かない宗谷岬
後は、ノシャップ岬の近くにある童夢という近代的なクアハウスで風呂に入って、抜海で完全に鈍ったウデで夜汽車の撮影をして、明日の『利尻島バックの宗谷本線』を夢見て、貨車駅・勇知の前に車を止めて寝る。 でも、稚内って、道の駅がないんだよね。 ・・今日は久々に、車内温が氷点下7度まで落ちていた。
※《4日目》は、次回(その4)にて・・
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No title * by 風来梨
タケちゃんさん、こんばんは。
診ていただいて有り難うございます。
天北線は独特の情景を魅せてくれた路線でした。
特に、宗谷丘陵の鬼志別~声問の間がシベリア風の情景を魅せてむいました。
あの広い風景をどうにかしてモノにしたいな・・と思ったのが、光の輪です。 何枚か撮った内の1枚だけの成功例ですが、私のお宝です。
次の4日目はは宗谷本線を追ってみました。
診ていただいて有り難うございます。
天北線は独特の情景を魅せてくれた路線でした。
特に、宗谷丘陵の鬼志別~声問の間がシベリア風の情景を魅せてむいました。
あの広い風景をどうにかしてモノにしたいな・・と思ったのが、光の輪です。 何枚か撮った内の1枚だけの成功例ですが、私のお宝です。
次の4日目はは宗谷本線を追ってみました。
元稚内市民としては、懐かしい写真の数々です。
居住当時も「天北線がまだ動いていればなぁ~」と残念な思いをしながら線路跡を見ていました。
特に沼川と樺岡バス停横の駅名標・・・「あぁ~、まだあるんだ」と感激しております。
曲渕と小石は・・・渓流釣りにいつも通っていた場所、これまた懐かしく拝見しました。
抜海や勇知の駅前・・・光景が浮かびますね~。
目梨泊、トンネルになっちゃったんですか!知りませんでした。
以前、国道を走った際に灯台を見上げて「ここの麓を走っていたんだよねぇ」と感慨にふけっておりましたので・・・ん~、ちと残念かな。
大きく弧を描く天北線の列車の光跡・・・素晴らしい写真だと思います。