風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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私の訪ねた路線  第72回  湧網線 その1

『私の訪ねた路線』  第72回  湧網線 その1 中湧別~浜佐呂間  〔北海道〕
 

最後の力行
仁倉付近にて
 
《路線データ》
         営業区間と営業キロ       輸送密度(’79) / 営業係数(’83) 
         中湧別~網走 89.8km           177  /   2322    
              廃止年月日                転換処置
              ’87/ 3/20              網走バス・北見バス 
廃止時運行本数
                  中湧別~網走   5往復
                  中湧別~佐呂間 上り1本

   《路線史》
『オホーツク縦貫鉄道構想』の主軸を担う路線。 1935年に中湧別・網走の両端から建設が始まり、1953年に全線開通した。 網走湖・能取湖・サロマ湖といった海跡湖をめぐるように伝う風光明媚な路線であった。

だが、1960年代から始まったモータリーゼーションの進行や沿線の過疎化で利用客は減り続け、1980年の国鉄再建法では第二次の廃止対象路線に指定される。 一時は名寄本線や興浜線が掲げる『オホーツク縦貫鉄道構想』にも名を連ねたが、コンサルタントの試算で「毎年数億の赤字が出る」と断じられてからは反対運動が下火となり、「JRに引き継がせまい」とする国鉄の思惑通りに、JR引継ぎの僅か10日前の1987年3月20日に廃止バス転換された。
 

湧網線のあゆみ

この路線が廃止になった事により、観光地への玄関口の役目を果たしていた網走駅が途中駅然化し寂れ、また網走市街もバス等を利用する観光客からは単なる国道の通過点でしかなくなり、同様に過疎化し寂れていく・・という現実もある。 また、転換バスも非常に割高で利用客は減少しており、転換バスの撤退も新たなる問題として浮上しているという。

線路跡は、海跡湖を伝うサイクリングロードとして活用されている。 また、芭露・計呂地・卯原内の各駅跡は鉄道記念館となり、また数駅の駅舎が集落の集会場に転用されるなど、鉄道跡の遺構・遺跡は数多く残っている。
 


 

昭和62年3月19日をもって
時を止めた路線の証
 
  《乗車記》

『さよなら湧網線スタンプ』
中湧別駅

『本線』と名のつく路線で唯一廃止された名寄本線の主要駅・中湧別が始発駅となる。 中湧別の駅舎はコンクリートの平屋建ての建物で、公社の建物のような雰囲気があった。 その中湧別駅の母屋から最も離れた3番線が、湧網線と名寄本線の湧別支線の発着ホームだった。
 
この湧別支線は列車本数が僅か2往復しかなく、同じく列車本数の少ない湧網線と共通運用が図られていたようである。 故にこの支線は、時刻表上では湧網線の一部として表記されていたようである。

さて、湧網線列車は、3方向に分かれる線路の一番右側を行く。 ちなみに、真ん中が1日2本の湧別支線、左端が名寄本線の紋別方面である。 中湧別から3~4分行くと、板張りのバラックを通過する。
五鹿山仮乗降場だ。 旭川局設定の仮乗降場だが、「よくもまあこんな所に停留所を設けたな」と言う程に、夏は田圃、冬は雪原の中にある。 目を凝らさないと、通過した事も気づかないかもしれない。
なお、この駅の500m南に、春になると芝桜でピンク色に染まる丘のある五鹿山公園がある。
 
次の福島も同じような仮乗降場だ。 何でも、福島県からの入植者が多かった事からそう呼ばれるようになったとの事だが、レベルは五鹿山より僅かに集落が見える程度である。 もちろん、五鹿山と同じく駅舎もなく、車両の半分の長さの板張りホームである。
 
中湧別を出て最初まともな駅は、次の芭露である。 路線の創世記のこの駅は木材の積み出し駅であったらしく、駅舎と島式ホームと側線跡が見受けられた。 また、病院や郵便局などもあるそれなりの規模の集落でもあった。 また、廃止から2006年まで駅舎が存在し、ライダーハウスなどに供されていたが、残念ながら老朽化により取り壊しとなってしまった。
 
芭露から次の志撫子仮乗降所の区間が、サロマ湖に最も寄り添う区間となる。 湧網線を撮影した先駆者達の、この区間でサロマ湖をめぐる写真を見るにつけ、自分も撮りたかったなぁ・・と羨ましい気持ちでいっぱいとなる。 サロマ湖と少し離れると志撫子仮乗降所だ。
 

『さよなら湧網線スタンプ』
計呂知駅
 
この乗降場は、湧網線の乗降場としては格上だったらしく、ホーム長いっぱいの長さの寺子屋のような待合室があり、また全列車が停車していた。 次の計呂地は、交換可能の有人駅。 前の志撫子仮乗降所とは1.2kmの距離で、さしずめ浜側の集落の為の乗降場が志撫子仮乗降所の設置理由だったようだ。 
 
ちなみに、志撫子という集落は内陸側に2kmほど入った所にあり、志撫子集落住民の乗降場利用者は皆無であったろうと推測できる。 なお、現在の計呂地駅は、駅舎がお色直しされて交通公園として保存されている。
 

民家もあれば踏切もある
ごく普通の田舎風景をゆく路線だった湧網線
 
次の浜床丹も仮乗降場だ。 ジメジメとした湿地帯に待合室とバラックのホームがあった。
集落は湖畔にあり、その湖畔とは500mほど離れていたようだ。 次の床丹は、集落の規模で言えば浜床丹よりも小さかったようだ。 だが、駅としては正駅で、かつては交換設備もあったようだ。
今は広い荒地として、荒涼たる情景を魅せている。
 
次の若里も仮乗降場だ。 床丹と佐呂間との間が8kmあるので、その中ほどに乗降場を設けたって所だろうか。 駅名となる若里の集落も1kmほど離れて、乗降場の周囲草に埋もれた荒地であった。
 

『さよなら湧網線スタンプ』
佐呂間駅
 
次の佐呂間は、佐呂間町の中心駅。 町役場もこの地にある。 湧網線内の駅で、駅舎から出て住宅街が見える唯一の駅ではなかろうか・・と思う。 今はお色直しされて、鉄道資料館として保存されているが、なぜか当時の駅とは全く違う感覚を感じるのは気のせいであろうか・・。
 

佐呂間駅入場券
 
次の堺橋も乗降場。 しかも、駅名となった道道にかかる橋のネームプレイトには『境橋』とあるのだ。
そして、その字の違いの理由も不明である。 周囲には大規模農家が数件あるだけであった。
 
次の興成沢は完全に草むらの中の駅で、エトランゼなら駅を見つけるのも難しかったかもしれない。
駅の位置は、車道から砂利道を伝わねばならなかったようである。 そして、1日上下各2本停車の格下乗降場でもあった。
 
次の知来は廃止になってから『ゲートボール会館の駅』として知られるようになった駅である。
知られるようになったその通り、駅前はゲートボール場となり、駅舎はゲートボーラーのお茶会の場となっているようだ。
 

駅名に魅かれて
降りてはみたものの
 
次の紅葉橋は、名前に釣られて下りてみたものの、「欄干がガードレールの道路橋であった」という現実を突きつけられて愕然となった思い出のある駅だ。 その思い出の写真をごろうじろ・・という事で。
 

道路橋よりも立派な
“紅葉橋橋梁!?”を渡る


何とか紅葉橋も
“モノ”になったかな?
 
次の仁倉は知来と同じような駅舎があったが、こちらはゲートボール会館などに供される事なく、廃止と同時に撤去されたようだ。 郵便局がある小さな集落が周囲にあったようだ。
 

しっかりとした建付の駅舎の中には
煌々と燃える石炭ストーブが
人の温もりを感じる北国のローカル駅


全く無人地帯という訳ではないのだが
なぜか利用客がジリ貧だった湧網線
 
次の浜佐呂間は、一端大きく内陸部に入った路線が再びサロマ湖の湖畔に戻ってきた所に駅がある。
湖畔にも近く、春夏秋冬を通じてのワンダーランドの拠点ともなっている。 春の渡り鳥、夏のボートやカヌー、秋のサンゴ草の彩り、冬のワカサギ釣りやパラセール・スノーモーピル等の遊びを満喫できる。
 

冬の湖上は広大なワンダーランドだ
パラセーリングの絵葉書より
 
それでは長くなりそうなので、浜佐呂間以遠は次回の『湧網線 その2』にて・・

   ※ 詳細は、『魅惑の鉄道写真集』より『湧網線』を御覧下さい。
     また、『オホーツク縦貫鉄道の夢』の本編にも湧網線の項目があります。
     宜しければ、どうぞ。
 
 
 

 
 
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No title * by オータ
知来駅は 昔出ていた写真集に載っていて子供心に覚えていました。大森某氏のローカル線の駅を撮った本でしたが… 傑作!

No title * by 風来梨
こんばんは。

知来駅はゲートボール会館として残っているとの事ですが、私の降りた仁倉は、即効に駅舎は撤去されたみたいです。

それと紅葉橋は、当時はかなりかっくりきました。
けれど、結構お気に入りの写真が撮れたので、私的にはいい思い出の乗降場となっています。

コメント






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No title

知来駅は 昔出ていた写真集に載っていて子供心に覚えていました。大森某氏のローカル線の駅を撮った本でしたが… 傑作!
2011-12-25 * オータ [ 編集 ]

No title

こんばんは。

知来駅はゲートボール会館として残っているとの事ですが、私の降りた仁倉は、即効に駅舎は撤去されたみたいです。

それと紅葉橋は、当時はかなりかっくりきました。
けれど、結構お気に入りの写真が撮れたので、私的にはいい思い出の乗降場となっています。
2011-12-25 * 風来梨 [ 編集 ]