風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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オホーツク縦貫鉄道の夢  第24回  呼称と現実のギャップ

『オホーツク縦貫鉄道の夢』  第24回  呼称と現実のギャップ
 

湧網線さよなら乗車記念証より
 
サロマ湖で思う存分楽しんだなら、その日は浜佐呂間近くの宿にでも泊まるとして、翌朝の列車で《浜佐呂間》以降を語るとしようか。 《浜佐呂間》を出ると《サロマ湖》より離れ、内陸方向に進路を変える。
佐呂間町の中心集落へ向かう為だ。
 

現在も“ケートボール会館”
として残る仁倉駅舎
 
石炭ストーブの思い出が残る《仁倉》を経て、《紅葉橋》乗降場へ。 ここでも降りてみる。 
なぜ降りる気になったか・・というと、単純に『紅葉橋』という駅名に魅かれたからである。 
だが、下車して数分後に、“看板倒れ”の現実を見せつけられるのであるが・・。
 

駅名に魅かれて降りてはみたものの
実物は少年の指がシャッターを
押すには至らなかった

この駅名の元となった『紅葉橋』だが、駅近くに架かる橋長10m程でガードレールが欄干の代りをしている“何の変哲もない”橋だったのだ。 ガードレールの端に“もみじばし”と表示してあったのだが、これを目にして直感した事は“見なければ良かった”っていう思いである。 まぁ、降りてしまった事だし、何枚か列車の写真を撮ったのでそれをごろうじろ。
 

道路橋よりも立派な“紅葉橋橋梁!?”を渡る


何とか紅葉橋も“モノ”になったかな?
 
《紅葉橋》を出ると、内陸部分の単調な田舎風景が続く。 《知来》、《興成沢》、《境橋》の2つの乗降場と伝っていく。 この区間での印象は、《境橋》は(“もみじばし”に比べて)立派だったなぁって事位である。 まぁ、国道に架かる橋みたいだったからね。 続いて、線内最大の駅《佐呂間》、乗降場の《若里》、《床丹》と伝っていくが、この辺は単調な風景が続き眠気を催すかもしれない。
現に、ワテは寝ていたし。
 


佐呂間駅・計呂地駅のスタンプ
『さよなら湧網線・記念切符』より
 
《浜床丹》も『浜』は付くものの、《サロマ湖》は見えないらしい。 湖に寄り添うのは、《計呂地》の次の《志撫子》乗降場の先の僅かな区間位のものである。 後は、福島県からの開拓者が多かったから名づけられた《福島》と、芝ザクラとツツジの名所《五鹿山公園》が近くにある《五鹿山》と2つの乗降場を通り過ぎ、終着《中湧別》に着く。
 

中湧別駅のスタンプ
『さよなら湧網線・記念切符』より
 
湧網線の列車と名寄本線の湧別支線とは共通運用だったみたいで、湧別支線の2往復は全て湧網線に入る列車が担当していたようである。 なお現在の中湧別駅は道の駅となり、駅舎の一部が鉄道資料館として移設されている。 この道の駅は『中湧別・チューリップの湯』というクアハウスを併設していて、今もオホーツクへの入口の要衝として賑わっている。

次は、いよいよ“流氷”路線の名寄本線区間だ。 本線と呼ばれながら廃線の憂き目にあった哀しき地方幹線に乗ってみよう。 そして、あの頃に果たせた“車窓から流氷を望む旅”を語ろうと思う。

  ※ 詳細はメインサイトより、架空旅行『オホーツク縦貫鉄道の夢・湧網線編』を御覧下さい。
 
 
 
 
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No title * by タケちゃん
こんにちは。
昭和62年頃、仕事で3日間ほど計呂地や芭露あたりをウロウロしたことがあります。
特に早朝に時間を余してウロウロした芭露駅構内は今でも記憶に残っていますよ・・・残念ながらあまりに時間が早すぎて列車は来ませんでしたが。
確か、路線廃止後も「ライダーハウス」として利用されていたこの芭露の駅舎も、取り壊しになってしまったのでは・・・

No title * by 風来梨
タケちゃんさん、こんばんは。

私も2004年だったか、芭露駅に通りかかった事があります。
あの時は確かにライダーハウスとなっていて、土間にマットレスを敷いて泊まるようになっていたようですが、利用客はほとんどいなかったみたいです。 そして、ウィキによると、2年後の2006年に取り壊しと相成ったみたいです。

貴重な木造駅舎だったので、あの時撮っていれば・・と悔やまれます。

No title * by オータ
計呂地駅は撮りましたが…芭露はあったかしら? 探してみます…

湧別へ入る時は「湧別行き」とだけ言っていましたね。「名寄本線」とは言わなかった記憶があります。

勝手ながら blogs.yahoo.co.jp/orofure2001/13165432.html に
芭露-計呂地間の 志撫子仮乗降場の記事があります。よろしければご覧ください。

No title * by 風来梨
オータさん、こんばんは。

計呂地・芭露とその間の志撫子(仮)ともども降りた事はありますが、若き日の最大の過ちで写真は全部ボツになりました。

その過ちとは、ISO感度に惑わされ、タングステンフイルムで撮って全てボツという悲惨な出来事でした。 次に訪れた時は紅葉橋と東富丘に熱中してこちら側は手薄になっちゃいました。

そして、芭露駅は上記の如く撮ってません。

つくづく間抜けだなぁ・・って思います。

コメント






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No title

こんにちは。
昭和62年頃、仕事で3日間ほど計呂地や芭露あたりをウロウロしたことがあります。
特に早朝に時間を余してウロウロした芭露駅構内は今でも記憶に残っていますよ・・・残念ながらあまりに時間が早すぎて列車は来ませんでしたが。
確か、路線廃止後も「ライダーハウス」として利用されていたこの芭露の駅舎も、取り壊しになってしまったのでは・・・
2011-12-03 * タケちゃん [ 編集 ]

No title

タケちゃんさん、こんばんは。

私も2004年だったか、芭露駅に通りかかった事があります。
あの時は確かにライダーハウスとなっていて、土間にマットレスを敷いて泊まるようになっていたようですが、利用客はほとんどいなかったみたいです。 そして、ウィキによると、2年後の2006年に取り壊しと相成ったみたいです。

貴重な木造駅舎だったので、あの時撮っていれば・・と悔やまれます。
2011-12-04 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

計呂地駅は撮りましたが…芭露はあったかしら? 探してみます…

湧別へ入る時は「湧別行き」とだけ言っていましたね。「名寄本線」とは言わなかった記憶があります。

勝手ながら blogs.yahoo.co.jp/orofure2001/13165432.html に
芭露-計呂地間の 志撫子仮乗降場の記事があります。よろしければご覧ください。
2011-12-11 * オータ [ 編集 ]

No title

オータさん、こんばんは。

計呂地・芭露とその間の志撫子(仮)ともども降りた事はありますが、若き日の最大の過ちで写真は全部ボツになりました。

その過ちとは、ISO感度に惑わされ、タングステンフイルムで撮って全てボツという悲惨な出来事でした。 次に訪れた時は紅葉橋と東富丘に熱中してこちら側は手薄になっちゃいました。

そして、芭露駅は上記の如く撮ってません。

つくづく間抜けだなぁ・・って思います。
2011-12-11 * 風来梨 [ 編集 ]