2011-11-28 (Mon)✎
『私の訪ねた路線』 第69回 左沢線 〔山形県〕
今回は山の帰りに
チラっと立ち寄りました
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
北山形~左沢 24.3km 4686 / 397
'14年運行本数
山形~左沢 12往復 、 山形~寒河江 下り4本・上り5本 、 寒河江~左沢 1往復
《路線史》
1921年に軽便鉄道法による左沢軽便線として山形 ~羽前長崎が開業し、翌1922年に左沢までが全通した。 また予定では、左沢から長井線(現 山形鉄道)の荒砥を結ぶ延長線(左荒線・さこうせん)及び奥羽本線の楯岡と寒河江を結ぶ分岐線(寒楯線・かんだてせん)の計画がなされたが、いずれも着工されずに終わっている。
利用客の多くは学生の典型的なローカル線区だが、沿線に中核都市の寒河江市があり、また県都・山形に直通している事でそれなりに利用客がある事から、同じ県内の長井線が第三次廃止対象に挙げられて第三セクター転換される中、廃止の諮問をされる事はなかった。
だが、並走する山形自動車道の開通により存続を危ぶむ状況にある事も確かである。 その対抗策として、沿線の豊かな果物の産地から『フルーツライン』との愛称をつけ、季節には観光イベントを立ち上げる事や、周囲の素晴らしい景観を題材に観光客と鉄道マニアを呼ぶべくSLイベント列車を仕立てるなど、努力の様子が伺える。
なお、難読地名の『あてらざわ』であるが、左沢駅の説明板によると、寒河江城主・大江氏が城の建つ寒河江の街から見て、最上川の対岸に位置するこの地域を『あちら』と称していたのが訛ったものである・・というのが語源だという。
利用客の多くは学生の典型的なローカル線区だが、沿線に中核都市の寒河江市があり、また県都・山形に直通している事でそれなりに利用客がある事から、同じ県内の長井線が第三次廃止対象に挙げられて第三セクター転換される中、廃止の諮問をされる事はなかった。
だが、並走する山形自動車道の開通により存続を危ぶむ状況にある事も確かである。 その対抗策として、沿線の豊かな果物の産地から『フルーツライン』との愛称をつけ、季節には観光イベントを立ち上げる事や、周囲の素晴らしい景観を題材に観光客と鉄道マニアを呼ぶべくSLイベント列車を仕立てるなど、努力の様子が伺える。
なお、難読地名の『あてらざわ』であるが、左沢駅の説明板によると、寒河江城主・大江氏が城の建つ寒河江の街から見て、最上川の対岸に位置するこの地域を『あちら』と称していたのが訛ったものである・・というのが語源だという。
秋はすぐに暗くなるね
1/30を稼ぐのもキツイ
柴橋にて
また、羽前高松からは山形交通三山線が分岐していたが、1974年に廃止されている。 この路線は地方鉄道としては大きな町に接続もなく、また左沢線が非電化路線に対してこちらは電化と、特異な面を持った路線であった。
なぜ、このように特異な面を持ち得たかというと、出羽三山詣や西川町に数多くあった小鉱山(金・銀・銅・亜鉛の産出)からの鉱石輸送と、寒河江川水系の強力な発電設備のバックアップのおかげであったという。 また、冬の季節にはスキー観光客の輸送でも賑わっていたといい、鶴岡までの路線延伸も目論まれる程に順調な経営がなされてた・・との事である。
だが、この路線が抱く特異な面は、それを支えていた鉱山の閉山と、道路の開通・改良によるモータリゼーションにより、鉄道経営を維持できなくなる原因となってしまったのである。 街に接続しない路線は、そして周囲の民家が一家に一台以上の車を持つに至って利用客は激減し、鉱山が閉山されるまでの栄光の日々から僅か10年あまりで全線廃止になってしまったようだ。
この路線の遺構は、始発駅の羽前高松駅に切欠ホーム跡がある事と、路盤跡がサイクリングコースとして整備されて残っている。
この路線の遺構は、始発駅の羽前高松駅に切欠ホーム跡がある事と、路盤跡がサイクリングコースとして整備されて残っている。
三脚の代わりにピッケル
カメラバックの代わりに
18㎏詰めのザックを背負って撮りました
《乗車記》
山形新幹線の開通で線路配置が標準軌と狭軌に分断されてしまった山形駅が、左沢線の始点駅となる。
厳密に言えば次の北山形ではあるが、全列車が山形発となっているので、事実上の始発駅といっても差し支えはあるまい。
発着番線は、狭軌側の6番線だ。 山形を発車した角食パン型の気動車は、同じく狭軌の仙山線と共用の線路で北山形まで進んでいく。 北山形の駅は、進行方向が左へ反れる左沢線ホームが分断されて斜めにホームを構えている。 北陸本線の越前花堂駅のようなホーム配置である。 また、この駅は元々左沢線の開業と共に設置された駅なので、左沢線側にも『西口駅舎』という専用駅舎がある。
北山形より、本線と離れて左へそれていく。 周囲は住宅半分水田半分となってゆき、山形市街に建つ高層ビル群が程よく小さくなると、次の駅である東金井に着く。 駅舎はログハウス状の小さな六角形の待合室に建て替えられたが、何故か爬虫類っぽく見えてあまり印象は良くない。 まぁ、ワテ自身の感想なのであるが。
次の羽前山辺は、山辺町の代表駅。 委託ながらも駅員はいる。 もちろん、列車交換も可能な設備を有する。 駅舎は昔ながらの国鉄の有人駅の標準タイプの建て付けだ。
次の羽前金沢も、奇を衒う建て付けの待合室に建て替えられたようだ。 デザイナーに依頼して待合室を発注したのだろうか? 奇を衒うだけの無意味な屋根など、『?』の着くデザインの駅だ。
ワテとしては、以前の「これぞ待合室」といった感じの待合室の方が心が落ち着くのだが。
食パン(牡丹餅の代わり)とススキ
あぁ、秋の風物詩
次の羽前長崎は東と西に駅舎を持つ駅だ。 東側は、木材をふんだんに使ったデザイナーズ駅舎だ。
跨線橋で元島式の棒線ホームを挟んで、下り線の線路を撤去して設けられた西口駅舎へとつないでいる。
駅員は寂れている西口に配置されている。 西口より、楽天イーグルスのファーム(2軍)の本拠地である山形球場まで徒歩15分位との事。
次の南寒河江より、大江氏の城下町・寒河江市内に入る。 今までの水田が広がる中に住宅が点在する風景から、市街地や温泉宿を案内する看板がちらほらする旧城下町の風景に変わっていく。 なお、南寒河江駅は、デザイン化された無人待合室の乗る棒線駅である。
次の寒河江駅は、初めてこの路線を乗る方なら、少しギョっとするかもしれない。 ローカル線には場違いの駅ビル駅だからだ。 『みどりの窓口』があり、喫茶店やコンビニも入り、コンコースには電飾の温泉宿案内もある近代的な駅だ。
この寒河江駅で1/3の列車が折り返しとなり、終点まで行く列車は減少する。 昼間の時間帯などは、3時間近くも運行列車のない時間帯が生じている。 次の西寒河江は、寒河江市街の住宅地にある棒線駅。
利用者は近くにある県立高校の通学生が大半だ
次の羽前高松は、路線史で記した山形交通・三山線の分岐駅だった所。 だがその形跡は、切欠ホームが埋められた跡が視認できる程度である。 また、この駅から徒歩20分程の所に名刹で重文指定の慈恩寺があり、その慈恩寺を模したデザイン駅舎に建て替えられている。
次の柴橋は、羽前高松よりも西寒河江の方が地理的に近い。 つまり、羽前高松駅は大きく迂回した位置にある。 これは政治路線からだとも、沿線の集落形成地に寄った為だからとも云われているが、真相は藪の中に。
暮れの柴橋駅
柴橋は高台の土手上にあり、階段で下の道路につながっている。 国道とは程よく離れ、バスの影響はあまり受けない駅ではあるが、奥まった位置にあるので利用客も少ない。 待合室が西寒河江と同じタイプのデザインの棒線駅だ。
そして次が、終点の左沢だ。 駅舎は大江町の交流センターとの合築となっているが、そのほとんどが交流センターの用途に使われている。 地元の観光案内所を兼務するので、建物は展示ホールを尖がり屋根に設けたデザイナーズの造りとなっている。 中は大江町の祭りに関連した獅子舞が展示され、町の特産品であるフルーツを使った土産物の菓子類が売られている。
駅務部分は、この尖がり屋根より続く平屋部分に細々とあるだけだ。 そして左沢の町はスーパーの撤退など、左沢駅と同じく町勢が減退気味なのが気がかりだ。
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No title * by 風来梨
おがちゃんさん、こんばんは。
御覧頂いて有り難うございます。
左沢線は、長閑な雰囲気をゆく魅力的な路線ですね。
秋の山を訪ねた後で立ち寄りましたが、ススキの群落が秋を感じさせて良かったです。
こういう風景って、何か懐かしい味がありますね。
御覧頂いて有り難うございます。
左沢線は、長閑な雰囲気をゆく魅力的な路線ですね。
秋の山を訪ねた後で立ち寄りましたが、ススキの群落が秋を感じさせて良かったです。
こういう風景って、何か懐かしい味がありますね。
No title * by おがちゃん
そうですね!
永遠に残したいものですね♪
これからも楽しみにしています!
永遠に残したいものですね♪
これからも楽しみにしています!
No title * by トレインフォト789
こんばんわ
とても自然溢れる路線ですね
最後から2番目の写真が気に入りました
夕日に照らされた列車、とても美しいです、ポチ!
とても自然溢れる路線ですね
最後から2番目の写真が気に入りました
夕日に照らされた列車、とても美しいです、ポチ!
No title * by 風来梨
おがちゃんさん、御返信有り難うございます。
これからも、魅力的な路線を訪ねて行けたら・・と思います。
これからも、魅力的な路線を訪ねて行けたら・・と思います。
No title * by 風来梨
トレインフォト789さん、こんばんは。
御覧頂いて有り難うございます。
華やかさはないけれど、何か心落ち着くローカル線です。
ただ、関西圏の私からはちょっと遠すぎて、山に行った帰りとかでなければなかなか立ち寄る事ができないですね。
トレインフォト789さんの石北線・北見峠越えの写真、羨ましく思いながら拝見しています。 私も奥白滝と白滝の俯瞰場所で撮った事ありますが、1回やそこらでは十分には撮れませんね。
それでも、周囲の景色が素晴らしいので、それなりのものが撮れて満足しています。
御覧頂いて有り難うございます。
華やかさはないけれど、何か心落ち着くローカル線です。
ただ、関西圏の私からはちょっと遠すぎて、山に行った帰りとかでなければなかなか立ち寄る事ができないですね。
トレインフォト789さんの石北線・北見峠越えの写真、羨ましく思いながら拝見しています。 私も奥白滝と白滝の俯瞰場所で撮った事ありますが、1回やそこらでは十分には撮れませんね。
それでも、周囲の景色が素晴らしいので、それなりのものが撮れて満足しています。
No title * by オータ
遅くなりました…
1983年初秋に 大学サークルの夏合宿を朝日鉱泉で行なった時に乗りました。あまり記憶にはなくて残念です。左沢のスタンプは押しています。
子供の頃、時刻表を見ていると 山形交通の支線があるのが奇異な感じでした。確かに国鉄は非電化なのに、電化されていたわけですから…古い写真だと、ローカル色豊かな路線だったようです。
1983年初秋に 大学サークルの夏合宿を朝日鉱泉で行なった時に乗りました。あまり記憶にはなくて残念です。左沢のスタンプは押しています。
子供の頃、時刻表を見ていると 山形交通の支線があるのが奇異な感じでした。確かに国鉄は非電化なのに、電化されていたわけですから…古い写真だと、ローカル色豊かな路線だったようです。
No title * by 風来梨
オータさん、こんばんは。
私もこの秋の朝日連峰登山のついでに寄りました。
鉄道の歴史は、調べれば調べるほど面白いかも・・と思います。
近鉄の歴史などは、思わずのめり込んでしまった記憶があります。
私もこの秋の朝日連峰登山のついでに寄りました。
鉄道の歴史は、調べれば調べるほど面白いかも・・と思います。
近鉄の歴史などは、思わずのめり込んでしまった記憶があります。
先日ランダムにてお邪魔しておりました!
左沢線 そう10年ほど前まで山形に住んでおり
電車には乗ったことはないですが 営業であちこち
走り回ったことを思い出しました!懐かしい
ありがとうございます♪ また寄せていただきます! ポチッ☆