風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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『ネームトレイン』 第56回  さくら

『ネームトレイン』 第56回  さくら

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約40年前の広島駅で撮った
白地にピンクの【さくら】

  寝台特急【さくら】 ・・ かつての鉄道省・国鉄、及びそれを引き継いだJR各社で運行されていた特別急行列車の列車愛称で、日本の鉄道史上で【さくら】の愛称は次の4列車で使用されている。

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寝台特急【さくら】のテールマーク
※ ウィキペディア画像を拝借

一つは戦前の東京~下関で運行されていた下り第3列車と上り第4列車で、【櫻】の称号がつけられた。

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桜のある風景は
日本人が春を思う情景だ
※ 南伊勢・七浦の波止場にて

が日本の事実上の国花であり、国民に好まれる花である事から、第1・第2特別急行列車の【富士】と共に、鉄道省が最初の列車愛称として採り入れたものであった。

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変色した小坊の時に
三島で撮った急行【銀河】

次に、戦後の国鉄創設時に東京~大阪の臨時特急にも【さくら】が使われた事があったが、特急の走行区間が九州まで延長されると東京~大阪は急行【銀河】に譲って、1959年より東京~長崎・佐世保で運行された寝台特急列車が【さくら】を名乗る事となった。

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2005年の廃止まで東海道本線の
花形列車にて下り列車はトップナンバーたる
列車番号『1』だった寝台特急【さくら】

本項目では、これ以降国鉄からJRに渡って、2005年の運行廃止まで運転された『ブルートレイン』と呼ばれた寝台特急【さくら】を取り上げる事としたい。

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ピンク色を使っている以外は
全く愛称と相容れない
新幹線の【さくら】
※ ウィキペディア画像を拝借

残りの1つは、2011年の九州新幹線の鹿児島中央までの全通以来、山陽新幹線から九州新幹線に直通する準速達タイプの新幹線列車が【さくら】を名乗っているが、あまりにも不似合いであり話題にするに値しないので、少しだけ記述するに留めようと思う。

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国を代表する列車として
つけられた愛称が
国の花に通じる【さくら】だ

前述のように【櫻】・【さくら】の列車愛称は、鉄道省・国鉄・JRの歴史上において国を代表する列車の1つにつけられた愛称で、最初は第二次世界大戦前の1923年7月に鉄道省が東京~下関で運行を開始した第3・第4特別急行列車に対し、1929年9月に【櫻】と命名したのが起源である。 これは、戦後恐慌後の慢性不況で落ち込んだ世情を活況をもたらすべく、鉄道省が当時欧米で広まっていた列車愛称を日本の列車にもつけて親しみを持ってもらおうと、民間公募によって名づけたものであった。

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1951~58年は東海道本線の
特急【はと】や【つばめ】の
補完列車で臨時扱いだった【さくら】
※ 写真は20系寝台車を使用した
臨時の特急【あさかぜ】

終戦となり鉄道省が解体されて国鉄が創設されると、1951~58年の間で東京~大阪で運行していた臨時・不定期特別急行列車の愛称として使用されたが、この時は現在と同じく平仮名の【さくら】が採用されたが、あくまでも臨時列車扱いであった。

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初代の【さくら】は
時代的に旧字体が使用された
※『漢字辞典オンライン』より

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2代目とこの記事の本題となる
『ブルートレイン』たる3代目寝台特急は
【さくら】の平仮名が使用された
※『ヘッドマーク辞典』より

そして、【さくら】の列車名は国を代表する列車名として、1959年に運行を開始した東京~長崎(1965年よりは佐世保行きも併結)の寝台特急列車の愛称として用いる事となり、以後2005年の寝台特急列車の淘汰期まで使用された。

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在来線の特急列車淘汰の流れを受けて
2005年に運行廃止となった
寝台特急【さくら】

寝台特急列車の淘汰により、寝台特急列車【さくら】も2005年に運行を打ち切られて、以降は【さくら】の愛称が一時途絶えたが、2011年3月の九州新幹線が全線開にあたって、JR九州とJR西日本は九州新幹線と山陽新幹線を直通運転する列車名の公募を行い、その結果に基づいて【さくら】の愛称を復活させている。

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【さくら】を名乗るには
あまりにもブサイクなシンカンセン車両
※ ウィキペディア画像を拝借

だが、新幹線車両は【さくら】の花とは相容れぬブサイクな車両であり、名づけのコンセプトである『日本の美しさ』とはかなりかけ離れた違和感を感じるのである。

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鹿児島まで行くのは
【はやぶさ】か【富士】だと
思っていたが
戦前の【櫻】も鹿児島行きがあったみたい

1929年9月に鉄道省が運行した【櫻】は、1942年11月の関門トンネルの開通時には東京~鹿児島に延長されたが、戦争激化と共に翻弄される事となる。 戦争の激化と共に物資不足によって『贅沢は敵』の思想が持ち上がり、この思想の元に『贅沢品』とされた特急列車は豪華な一等客車の連結は元より寝台車や食堂車の連結が中止となり、石炭の消費をセーブすべく減速運転も行われた。

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戦争激化でついに列車の愛称さえ
取っぱらわれた大戦末期
絵入りテールが入るまで
20系寝台急行は
『急行』表示のみだった
※『消えゆくブルートレイン』より

更に戦局が悪化した1943年には石炭の不足による大減便処置が講じられ、1943年7月には愛称も取り外されて単なる第一急行の下り第3・上り第4列車となった。 また、運転区間も下関止まりとなっていた。

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東京~大阪は特急【つばめ】や【はと】が
主幹列車で【さくら】は補完列車だった
展望車が連結されていた
特急【つばめ】
※ ウィキペディア画像を拝借

第二次世界大戦後は鉄道省が解体されて国鉄となり、その国鉄によって1951年4月より東京~大阪の特急【つばめ】・【はと】の補完列車として【さくら】の名称は復活するが、それは臨時・不定期列車としての扱いであった。 これも、東海道本線に電車特急が投入された1958年10月に廃止となる。

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電車特急の先駆けとなった
151系特急【こだま】
※ ウィキペディア画像を拝借

東海道本線に151系特急型の電車(いわゆる【こだま】型)が投入されるなど高度経済成長時代に入ると、1959年7月には東京と九州を結ぶ長距離寝台特急列車として、最初となる【あさかぜ】に続く形で長崎本線系統の特急列車として運行を開始した列車に【さくら】の名が与えられた。 1965年からは一部の編成が佐世保線の佐世保まで乗り入れるようにもなった。

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ブルートレインの先駆けは
【さくら】より2年早い
1956年11月に運行開始した
東京~博多の【あさかぜ】だった

なお、東京から長崎本線を経由する系統の長距離寝台特急列車には、当初【あさかぜ】と同じく風に関する愛称の列車として【さちかぜ】の愛称が取り入れられたが、【あさかぜ】と紛らわしい為、1958年10月のダイヤ改正時に【平和】に改称される。 だが、戦争の影を引きずる【平和】は今イチ不人気で、1959年7月に再び愛称が改められて寝台特急【さくら】が誕生した。

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日豊本線経由で西鹿児島まで運行していた時は
走行時間24時間超えだった寝台特急【富士】

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やっぱり特急【はやぶさ】はコレですね

以降は後に運行を開始する鹿児島本線系統の【はやぶさ】や日豊本線系統の【富士】と共に、いわゆる『九州ブルートレイン』の一角として国鉄並びにJRの花形列車となったが、同じ国鉄・JRの新幹線(東海道・山陽新幹線)や、完全な競合である航空機などの競合交通手段に対して、所要時間の圧倒的に不利な事など抗しきれなくなっていた。

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末期は編成を半分以下にされて
【はやぶさ】と併結運転となった【さくら】
併結運転で仕方がないとはいえ
イッキに興ざめとなった
このヘッドマーク
※ ウィキペディア画像を拝借

それに加えて1970年代から続いた相次ぐ運賃・料金の値上げ、1990年代以後の航空運賃の多様化による実質的な値下げや格安ビジネスホテルの台頭、車両の老朽化などによって乗客は減少の一途を辿り、1999年に佐世保発着列車が廃止され、【はやぶさ】との併結運転で残っていた長崎発着列車も2005年3月に廃止となった。

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寝台特急【さくら】の
白地にピンクのヘッドマーク
※『ヘッドマーク辞典』より

《列車データ》
  ※ 1959年の寝台特急【さくら】のデータ(戦前や戦後の臨時列車及び新幹線は割愛)
運行区間:東京~長崎・佐世保 1350.5km(東京~佐世保は1313.6km)
  ※ 1997年に寝台特急【はやぶさ】が東京~熊本、【富士】が東京~大分に運行区間が短縮と
    なってからは、東京~長崎の【さくら】が定期の寝台特急列車の中では最長の運行距離となった
    なお、臨時運行も含めると、大阪~札幌の【トワイライトエクスプレス】である
  ※ 2000年3月11日のダイヤ改正以降は、下り列車が博多~長崎で後続の特急【かもめ】 に
    鳥栖・肥前山口・湯江で追い抜かれるなど、『九州ブルトレ』は昼行特急の運行を優先
    したダイヤが組まれていた

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少年の心をわしづかみにした
ヘッドマーク付きの
『ブルートレイン』特急【さくら】

運行期間:1959年  7月20日:東京~長崎で運行されていた寝台特急【平和】を【さくら】に愛称
              変更し、同時に20系客車による運行を開始
     1962年  6月10日:山陽本線の岡山~広島電化完成により、EF58形電気機関車の牽引区間
              が岡山より広島まで延長
     1963年12月20日:東京~広島の牽引機がEF60-500に置き換えられる
     1964年10月  1日:山陽本線の全線電化完成により、東京~下関の本州区間全てでEF60-
                500の牽引となる

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こんな機関車あったのね
現在は九州鉄道記念館に
トップナンバーのみ
静態保存されているED72
※ ウィキペディア画像を拝借

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ED72の後継機がED73だ
※ ウィキペディア画像を拝借

     1965年10月  1日:本州での牽引機がEF65-500に変更となる
                下関以西では関門トンネルがEF30、九州内はED72・ED73、非電化
                区間はDD51が牽引
              佐世保発着の編成がつながれ、早岐~佐世保を無煙化となる1968
              年10月までC11が逆機で牽引
     1972年  3月15日:14系客車を投入
         10月  2日長崎本線の新線完成し、長与経由から新線の市布経由に変更となる

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関門トンネルは交直流機のEF30と
※ ウィキペディア画像を拝借

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後継機のEF81-300番台が使用された
関門トンネル専用機関車が
ステンレスボディなのは
海風による錆を防ぐ為との事
※ ウィキペディア画像を拝借

     1973年  9月  EF81-300の使用が開始され、EF30と併用される
     1975年  3月  :九州内でのヘッドマーク使用が中止となる


     1976年  7月 1日:長崎本線及び佐世保線の全線電化が完成
               門司~長崎でED73・ED75、肥前山口~佐世保でED76の牽引となる
     1978年 7月28日:牽引機がEF65-1000に置き換えられる

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寝台特急【さくら】の絵入りテールマーク
※ ウィキペディア画像を拝借

     1979年 7月   :絵入りテールマーク導入
     1980年頃    :門司~長崎でED76牽引に変更
     1983年11月  :B寝台車の2段化改造工事開始

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九州で復活したヘッドマークは
緑地にピンクだった
※『ヘッドマーク辞典』より

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九州を担当するED76につけられた
緑地にピンクのヘッドマーク
※ ウィキペディア画像を拝借

     1984年  2月  九州でもヘッドマーク復活
           7月20日:カルテット(B寝台4人用個室)を連結開始及びB寝台の2段化完了

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車両の内装改良等でよりハイパワーな
牽引力が必要になった事から
貨物用のEF66が寝台特急の運用に就いた
※ ウィキペディア画像を拝借

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EF66に取り付けられた
緑地に薄ピンクのヘッドマーク
※『ヘッドマーク辞典』より

     1985年  3月14日:EF66牽引に変更
              ヘッドマークが緑背景のものに変更

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寝台特急【さくら】の終焉まで
使用された14系15形寝台客車

     1986年11月  1日:14系15形の投入及び車両置き替え開始
     1988年  3月13日:2両減車となり14両編成になる
     1993年  3月17日:食堂車の営業が廃止となり、食堂車のスペースは売店扱いとなる

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盟友だった寝台特急【みずほ】は
『九州ブルートレイン』のトップを切って
1994年12月に運行廃止となった

     1994年12月  3日:寝台特急【みずほ】の廃止により、編成等の変更が行われる
     1997年11月29日:使用車両を14系15型に変更され、カルテットが編成から外れる
     1999年12月  4日:佐世保発着の廃止により、寝台特急【はやぶさ】との併結運転を開始
               【はやぶさ】が電源車を含めて9両、【さくら】が6両の15両編成となる
              ソロ(1人用B個室寝台車)の連結が開始となり、オハネ15形2000
              番代(オハネ25形1000番代の改造車)が充てられる
     2002年  3月23日:【はやぶさ】が電源車を含めて7両、【さくら】が5両の12両編成に
              減車となる

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運行最終日の下り【さくら】は
運用の都合で鳥栖止まりとなっていた
※ ウィキペディア画像を拝借

     2005年  3月 1日:この改正により寝台特急【さくら】廃止
               なお、最終日3月1日着の最終列車は運用の都合で鳥栖止まりとなった
              ペアを組んでいた寝台特急【はやぶさ】は【富士】と併結する事と
              なる

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ブルートレインってヘッドマークの
ついた前面以外は没個性となって
撮るのがムズいですね

停車駅:東京・横浜・熱海・沼津・富士・静岡・浜松・豊橋・名古屋・岐阜・京都・大阪・広島・
    岩国・(柳井)・(下松)・徳山・(防府)・小郡・宇部・〔厚狭〕・下関・門司・小倉・
    博多・鳥栖・佐賀・肥前山口・肥前鹿島・諫早・長崎
佐世保行は肥前山口で分割され、武雄温泉・有田・早岐・佐世保と停車
  ※ 1999年11月30日より運行廃止までは、下り【さくら】が柳井・下松・防府に停車
  ※ 1999年11月30日より運行廃止までは、宇部が下り【さくら】のみの停車となる
  ※ 1999年11月30日より運行廃止までは、上り【さくら】が厚狭に停車
  ※ 下り列車が米原・岡山・肥前竜駅・肥前飯田・肥前大浦・湯江・肥前三川信号場に、
    上り列車が湯江・肥前浜・肥前白石・中原・岡山・米原に運転停車していた
  ※ 下り列車の下松~長崎は、立席特急券でB寝台を座席として利用できた

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【さくら】に使用された
14系15形寝台客車
24系25形との違いは14系15形は
佐世保行きの分割・併合の為に
電源車が分散している事である
※ ウィキペディア画像を拝借

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1959年の登場時は20系寝台客車だった
1980年代には補完車両に格下げとなって
急行や臨時運用についていた20系
※ 写真は臨時特急【あさかぜ】

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寝台車両のグレードアップの一環として
導入されたB寝台個室『ソロ』
※ ウィキペディア画像を拝借

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B寝台個室『ソロ』の室内
※ ウィキペディア画像を拝借

使用車両:客車は1959年の登場時は20系客車、1972年より14系客車を使用していた
     また、1986年11月より14系15形の投入が開始され、廃止時まで使用された
     1人用個室B寝台車『ソロ』1両と開放式B寝台車4両の5両で組成していた

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最も『ブルートレイン』が輝いていた時が
EF65-1000番台が牽引していた時だった

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EF65-1000番台に花形の地位を譲って
貨物輸送に充てられていたEF65-500番台

     牽引する機関車は、本州側では『ブルートレイン』の黄金期はFE65-500と貫通扉付の
     EF65-1000が就いていたが、『カルテット』などの車両連結で牽引重量が増した為に
     EF66に置き換えとなった
     また、関門トンネル内はステンレスボディのEF81-300、九州内はED76が牽引していた

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ピンク地に白桜は
以外にもこの1枚だけだった

乗車経験:ナシ(寝台特急で乗車経験があるのは、【富士】と【日本海】のみ)
撮影経験:EF65-1000の牽引時に、三島と広島で撮影経験アリ


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「自分には無理だ」「自分には出来っこない」
こういうネガティブな言葉を聞くと
大概の者は「やりもしないで何を言ってる」
というお定まりの反応をするだろうけど

ワテは「自分には無理だ」「自分には出来っこない」
という直感は大切にした方がいいと思うのだ
それは『見切る』力でこの力はムダな力の消費と
ムダな時間の浪費を防ぐアラートだからである

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無理だと直感で思った事に労力を使っても
ほとんど結果が伴う事はなく
労力・時間共に損をするだけだ

努力すれば何とかなるとか言う奴は
他人の事だから無責任に
正論を振りかざしているだけなのだ

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努力して何とかならなければ
「自分には無理だ」と回避した何倍も
痛手を負い時間もムダにするのである
だから無理だと直感で思った事は
回避する事が身を守る術でもあるのだ

だが「自分には無理だ」と思っても
その事自体を諦める必要はなく
それ以上にその次の行動が大切となるのだ
「自分には無理だ」と思うその方法に固執せずに
違う方法を考えればいいのである

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「自分には無理だ」と思った事に
『努力』とかいってムダに労力を使う程
愚かでバカな事はないのだ

「そのやり方では達成出来ない」と
『直感』というアラートが鳴っている=
見切る力が発動してるのだから
努力という資源のムダ使いをせずに
別の方法を考えればいいのだ

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『物事を思い通りに実現させる』のは
努力や勤勉などではなく自分に合った
最適な方法を考えて実行する事なのである
だから自分の力をしっかり把握して
実現可能な方法を構築していくのである

コレは金を稼ぐ事も同じで金を稼ぐには努力しても
ほとんど結果には結びつかないのである
ならば自身にあった金を稼ぐ方法を模索して
計画を立てて計画通りに実行して
結果を吟味して修整していくのである

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コレが『裏付け』という奴で計画を立てて
実行するうちに何が足りず何が必要で
何が余計なのかが分かってくるのである
そこに『努力』なんて文言は存在しないし
特別な能力もスキルも不要なのである

必要なのは自分ができるかできないかの判断力と
達成までにかかる費用と時間の算定だけである
そしてやるなら全ての事で『損得勘定』を駆使して
より『得』により『利』がある事を選択していく事だ

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現実として努力と相手に与える『ギブ』だけでは
潰れるかタカられまくるだけである
世の中そんなに甘くないのである
タカリ屋は努力やギブ&ギブとか言ってる
甘い奴に取り付いてジャブリついてくるのだ

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自身の利益や取り分をキッチリ把握して
主張する所は主張しないと便利屋としていいように
使われるバカな『いい人』になるだけである
そして着いてくるのは『人柄のいい人』という
褒め言葉やおべんちゃらだけなのだ





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No Subject * by hanagon60
「さくら」といえばやはり東京~九州の寝台列車ですよね
今の九州新幹線にはおっしゃる通り、私も違和感を覚えてしまいます
これが走っていた時に乗れなかったのは残念です
「あさかぜ20系」「富士」「銀河」には乗る事ができたのですが。。

Re: No Subject * by  風来梨
hanagonさん、こんばんは。

東京発のヘッドマーク付の5大特急❴さくら❵・❴はやぶさ❵・❴あさかぜ❵・❴富士❵・❴みずほ❵と、2つの寝台特急❴出雲❵・❴瀬戸❵は、当時の少年の心をわしづかみにしてましたね。 なりふり構わず追っかけました。 結構ドン引きなエピソードと共に。

そして、大阪発の寝台特急がヘッドマークをつけられない事に、小僧ながら憤っていましたね。 いつも話題で取り上げられる巨人が嫌いになる理由と似てました(笑)。

かつての食堂車や夜明けとともに旅先の車窓といった旅の醍醐味がシンカンセンで失われてしまいました。

タブーな言葉ですが、「あの頃は良かったなぁ」ですね。

コメント






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No Subject

「さくら」といえばやはり東京~九州の寝台列車ですよね
今の九州新幹線にはおっしゃる通り、私も違和感を覚えてしまいます
これが走っていた時に乗れなかったのは残念です
「あさかぜ20系」「富士」「銀河」には乗る事ができたのですが。。
2024-04-02 * hanagon60 [ 編集 ]

Re: No Subject

hanagonさん、こんばんは。

東京発のヘッドマーク付の5大特急❴さくら❵・❴はやぶさ❵・❴あさかぜ❵・❴富士❵・❴みずほ❵と、2つの寝台特急❴出雲❵・❴瀬戸❵は、当時の少年の心をわしづかみにしてましたね。 なりふり構わず追っかけました。 結構ドン引きなエピソードと共に。

そして、大阪発の寝台特急がヘッドマークをつけられない事に、小僧ながら憤っていましたね。 いつも話題で取り上げられる巨人が嫌いになる理由と似てました(笑)。

かつての食堂車や夜明けとともに旅先の車窓といった旅の醍醐味がシンカンセンで失われてしまいました。

タブーな言葉ですが、「あの頃は良かったなぁ」ですね。
2024-04-03 *  風来梨 [ 編集 ]