風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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第573回  月山富田城址

『日本百景』 冬  第573回  月山富田城址 〔島根県〕

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月山富田城址
難攻不落の『天空の城』と呼ばれていた
※『安来市観光ガイド』より

  月山富田城址 がっさんとだじょうし 
島根県安来市広瀬町富田にあった日本の城で、現在は三ノ丸の石垣だけが残る。 月山(標高183.9mに建築された典型的な山城である。 出雲源氏・富田氏の世居した城で、京極氏に支配権を奪われてからは、その守護代・尼子氏が在城した。 後に尼子氏は主家・京極氏を追放して戦国大名となり、この城を本拠とした。 城郭跡は国の史跡に指定されている。

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標高191.5mの月山の頂上に建てられた
典型的な山城であった月山富田城
※ ウィキペディア画像を拝借

月山富田城は靴のような形の月山(標高191.5m)山上に本丸を置く典型的な山城である。 
山稜が続く南東以外の三方は急峻な斜面であり、北側を正面として山麓部から山頂部へ郭を連ねる構造である。

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山中御殿跡の石垣と
頂上に本丸の建つ標高191mの月山
※ ウィキペディア画像を拝借

進入路は北麓の菅谷口(すがたにぐち)からの大手道(おおてみち)、富田橋を渡った正面の御子守口(おこもりぐち)からの搦手道(からめてみち)、南麓の塩谷口(しおだにぐち)からの裏手道(うらてみち)の3か所がある。 これらの全ての登り口には城門を構え、門の外には深い堀がめぐらされ、そこから飯梨川(現在より2~400m西側を流れていた)までが城の外郭となっていた。 全ての進入路は山腹の山中御殿に通じ、急峻な一本道『七曲り』で、詰の城である山頂部と結んでいた。

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月山富田上の絵図
整備された観光地となっても
この地図より険しい山城だったよ
※ ウィキペディア画像を拝借

現存する古絵図では石垣や瓦葺きの櫓などが描かれているが、これらの古絵図が描かれたのは江戸時代である(『月山古城絵図』などが有名)、発掘されている石垣が作られたのは、関ヶ原の戦い後の堀尾氏による改築と推定される。 尼子氏・毛利氏が城主であった時代の姿は、定かではないが、尼子氏の館(平素の住居)は菅谷口にあって『里屋敷』と呼ばれ、周りに侍屋敷を設けたとされている。

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尼子氏の家紋『平四ッ目結』
月山富田城は謎多き戦国大名
尼子氏の栄枯盛衰を物語っている
※ ウィキペディア画像を拝借

出雲源氏・富田氏の世居した城で、出雲国守護代の居城が塩冶より富田に移ってからは、守護代が在城した。 1396年~1566年のいわゆる戦国時代には、戦国大名となった尼子氏の本拠地となり、以後尼子氏の繁栄と共に山陰の要衝の地となる。 尼子氏は中国地方の覇権をめぐって周辺の戦国大名達と争い、尼子経久の時期に出雲に基盤を造り上げた。

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尾根が延びる南東以外の三方が
急峻な崖地の難攻不落の『天空の城』
※ ウィキペディア画像を拝借

その孫・尼子晴久の代には山陰・山陽八ヶ国守護の大大名となり、その居城である月山富田城は天然の地形を利用した難攻不落の要塞城と云われ、『天空の城』として戦国の世に伝わったという。
その後、城を巡っても度々攻防戦が行われたが、尼子晴久の没後は尼子氏の勢力が急速に衰えて、最終的に尼子氏は毛利氏によって滅ぼされ(大名家としては滅びたが、氏としては毛利の家臣となって、長州藩士(佐佐木氏と改名)として明治維新を迎えている)、城も毛利領となっている。

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取り合えず寝台特急【出雲】の
ヘッドマークおば・・
出雲国を表す持ちネタが
小坊の時に撮ったコレしかなかったので

関ヶ原の戦いで、西軍の将に祭り上げられた毛利家は多くの領地を没収され、当城の建つ出雲国も1600年(関ヶ原の戦い)以降は堀尾氏が城主となるが、1611年に堀尾忠晴が松江城へ移ると戦国の城・月山富田城は廃城となっが、それまでは当城の建つ広瀬が出雲国の国府となるなど、山陰の首城たる地位を失わなかった。 1934年に国の史跡に指定された。 日本五大山城の一つとされているが、予算の関係で建物の木造復元計画は立っていない。



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本当だったら能義平野に飛来する
ハクチョウの優雅な姿を
ネタにするつもりだったのが
この1枚以外は流れまくって
白い物体としか写ってなかったよ

本当だったら、出雲の能義平野(安来市にあり、中海のすぐ南の平野)に飛来するハクチョウを撮ってネタにしたかったのであるが、訪れた日は大雨で撮る気が挫けてサブカメラの『ミノルタ α-303i ←絶版となって、たぶん国宝級な貴重な存在のカメラとなってるよ』で撮ったものだから、レンズが暗くて(300mmだけど開放値がF6.7と極暗レンズ)てシャッタースピードが稼げず、しかも傘を差しながら手持ちでカメラをぶん回して撮っていたので、全部流れて訳の分からん白い物体となっていますた。

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リベンジでは
最低でもコレ位は撮りたいね
※ クッチャロ湖にて

なので、来月(ぢ・つ・わ・・この記事は去年の12月中頃に書いてたりして)にでも、天気のいい日を選んで、メインカメラの『canon F-1』でリベンジ予定を立てている。 望遠は最大210mmまでしか使えないが、F4と開放値もまだマシで、北海道のクッチャロ湖などで実績もある(但し『写真床』としての実績)から、それなりにヤル気を出せば『二番星』位は撮れると思うしィ。

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という事で赤線の
行程の旅となった訳デス

・・という訳で、もう一つの立ち寄り予定である謎の戦国大名・尼子氏の遺構めぐり+ほんとはバス停として建築されたものだけど、いつの間にか1960年に廃止となった一畑電気鉄道の広瀬線の終着駅である旧出雲広瀬駅舎(路線廃止後に現在地に移築された事になっているらしい)に祭り上げられた『広瀬バスターミナル』を訪ねる旅となったのである。

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月山富田城址案内板
行程はちょっとした
『ハイキングコース』だったりする

この月山富田城とハクチョウの飛来する冬の能義平野は、中海が宍道湖に知名度で圧倒的大差をつけられて目立たなくなっている事から、安来市の数少ない観光資源なのである。

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だが最近はこのバスターミナルも
葬式鉄の『聖地』になっていたりする

それゆえに、普通なら旅する者にとっては乗車がムズい『コミュニティバス』ではあるものの、旧一畑電気鉄道の広瀬線の代替交通機関として、日中でも毎時1本の運行があったりするのである。
だが、経由先が数多くあり、複数の目的地に行くならかなり緻密な計画を必要とするけど。

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広瀬の街を行く安来市の
コミュニティバス『イエローバス』
※ 安来市のウェブサイト
『安来市広域生活バス(イエローバス)の路線案内』より

月山富田城址を経由するバスはさすがに本数が少なく、バスルートのメインは広瀬町の市街地の入口に当たる市民病院を経由するルートとなっている。 なので、月山富田城址に行くには、市民病院経由の広瀬バスターミナル行きに乗ればいい。 ちなみに、この市民病院の建つ敷地の北側に、一畑電気鉄道広瀬線の終着駅である『出雲広瀬駅』があったと言われている。 

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『出雲広瀬駅』と書かれた文字が
削り落とされているなど
旧鉄道駅を移設して使っているっぽいが
残念ながら建てられた当初からバス停
だったりする出雲広瀬バスターミナル待合所

『イエローバス』(安来市のコミニュニティバス)は、市民病院の玄関に設けられた屋根付きロータリーにあるバス停で止まり、降り際にバスの運ちゃんが「右に見える坂を上って川を渡るとすぐにある『道の駅』が城への入口で、坂を上がれば『道の駅』が見えますよ」と行き方をアドバイスしてくれたよ。
このように、このコミニュニティバスの広瀬線に乗れば、多少経由先が違っても徒歩でリカバーできるのである。

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『道の駅・広瀬富田城』にはこの歴史資料館と
飯屋1件とトイレと駐車場のみの設備しかない

バスの運ちゃんに教えてもらった通りに進むと『道の駅・広瀬富田城』があり、『道の駅』としては店屋はかなり貧弱(雨空だと余計に貧弱)だったが、敷地の端に歴史資料館があって城跡の概要が模型で示されてあって、コレを覚えてから敷地の奥の脇にある細い通路から城跡に登っていく。

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とどのつまりこの『道の駅』は
城址へ向かう観光客の
駐車場でしかない訳である
※ ウィキペディア画像を加工

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城への道を登っていく毎に
広瀬の街並みが視界に入ってくる

雨の中傘をさして、『天空の城』と称される月山富田城の本丸まで約30分で登っていく。
標高差にして約120m位だろうか・・、城への道はつづら折りの階段で整備されてはいるものの、折からの雨と標高差にして120mとは思えない高度差感で結構キツいかも。

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登り始めて程なくの所に
尼子復興軍を指揮した
山中鹿之助の銅像がある

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城の下にある
千畳平(せんじょうひら)の鳥居
ここで戦の前に兵を集め
戦勝を祈願したという

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城の建つ山の前に構える
侍所の『花の壇』

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城前の曲輪で石垣が建ち
重要な防御地点となった
山中御殿平(さんちゅうごてんひら)
石垣の上に館が建てられ
平時は城主の居館となったという

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山中御殿平から
月山富田城・本丸の建つ
月山への登城路を見上げる

なお、途中には、尼子再興軍を指揮した山中鹿之助の銅像や、侍所となった屋敷跡を復元した『花の壇』などの見所がある。

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つづら折りの階段で登っていくが
城の往時はただの崖で
攻め手は上から狙い討ちされて
転げ落ちていったのだろう

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登り着いた崖の端に建つ
三ノ丸の石垣

登り着いた山の端の三ノ丸跡の石垣の上に上がると、広瀬の街が一望できた。 天気が良ければ、さぞ領主の気分を味わえるだろうね。 続いて二ノ丸を伝って何もない本丸跡へ・・。 

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本丸のあった区画は奥に勝日高守神社が
あるだけで眺めも今イチで立て看板も
風化して文字が読めなかった

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三ノ丸の石垣上に鳥居があり
工夫しようと思ったけど
雨だし何も思い浮かばなかったよ

だが、本丸跡は周りの木が茂って展望的には今イチで、本丸の先は城の守り神となる勝日高守神社が建って行き止まりとなっていた。 本丸からは、二ノ丸と三ノ丸に建つ鳥居や大きく茂った大モミジの樹をアテにした絵が撮れそうだ。

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一番のお勧めは二ノ丸だろうか
休憩所があって雨宿りできるし
本丸を囲むように建つ
大モミジの樹もアクセントになるし

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奥の薄っすらとした帯は雨雲か?
それとも安来の海の幸を育む中海か?

『天空の城』からの眺めで最も良いと思われるのは、武家屋敷を模造した休憩所のある二ノ丸跡だろう。 ここから北の日本海側を望むと、雨雲の錯覚かもしれないが中海が見えたような気がする。
また、天然の濠となる飯梨川の対岸に、山と川の間に細長く横たわる広瀬の街並みも一望できる。

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二ノ丸からは山と川に挟まれた
細長い広瀬の街が見下ろせる

出雲の国の国府として築城され、戦国の世でも一度も落ちた事のない『天空の城』は、その片鱗を想像させるだけで、石垣以外の遺構は全く残ってはいない。 けれど、空想力で満たされる歴史のロマンを感じさせる名城跡だ。

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下り始めに望む広瀬の街
標高199mの山でこの眺めは
「どんなに広瀬の街の標高が低いんだよ」
って思ってしまうよ

だが、説明版によると、城の建っていた月山の標高が199mで、あのつづら折りの階段での標高差を考えると「広瀬の街の標高は20~30mしかないのか?」と思えたりする。 それほど、城が急な崖上に建っていたという事であろう。

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城への道は整備されているとはいえ
かなりの急階段が続くので
雨だと滑りやすく
下りは特に注意が必要だ

本降りの雨という事もあり、傘を差しならなら滑りやすいので緩っくり目に下っていくが、目当ての尼子氏の英傑・尼子経久公の銅像が見当たらない。 てっきり城跡にあると思っていたので「見逃したか」とも思ったが、道の駅でスマホ(城の上では通信不能)で調べると、川の対岸にある公園にあるという。

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城跡ではなく対岸の川岸にある
三日月公園にあった
尼子氏随一の英傑・尼子経久公の銅像

なので、尼子経久公の銅像に立ち寄ってから、ウェブサイトで「移設された駅舎が使われている」と記されてあった広瀬バスターミナルまで歩く。

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旧街道のような街並みが並ぶ
広瀬バスターミナル前の国道432号線
※ 安来市のウェブサイト
『安来市広域生活バス(イエローバス)の路線案内』より

川を渡って市民病院の建つ元駅跡周辺まで戻ると、一畑電鉄が廃止となってから広がった市街地を進んでいく。 途中にスーパーや弁当&洋食屋などがある町の中心部(でも閑散としている)を通って、元役場の跡と思われるボロボロのコンクリート建屋のJA島根で直角に折れる国道432号に入り、格子窓があるような古い町並みの街道を200mばかり伝っていくと、明らかに『出雲広瀬駅』の文字が削り取られた駅舎然とした建物の建つ広瀬バスターミナルに着く。

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隣は廃業したガソリンスタンドのようで
バスの給油設備として活用してるのだろうね
※ 安来市のウェブサイト
『安来市広域生活バス(イエローバス)の路線案内』より

このバスターミナルは奥にバス車庫があって、道路に沿った前面は元ガソリンスタンドのような敷地であった。 そして、バスターミナルの前面道路となる国道432号も、昔の街道筋同然の1車線半道路で、寂れきった町を印象づける眺めだったよ。 そして、ネットで「一畑電鉄廃止後に移設された」と囁かれる広瀬ターミナルの営業所の建物には、確かに『出雲広瀬駅』の文字が削り取られた跡がクッキリと残っていた。

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コリは「旧駅が移設された」と
勘違いする奴が出ても
不思議ではないね

そういった訳で、多くのウェブサイトで「この建物は一畑電鉄廃止後に旧駅から移設されたモノ」と記述されて既成事実化しているが、この建物は一畑電鉄廃止直後に自社バスのターミナルを駅の約1km南の町の中心集落部に設置し、バスターミナルではなく一畑電鉄バスの『出雲広瀬駅』とした事から、営業所の建物にも『出雲広瀬駅』の文字が掲げられたのである。

そして、一畑電鉄バスが広瀬町域からバス路線を撤退させて、ついでに2004年に広瀬町が安来市に合併吸収されて、バスの運行も安来市のコミュニティバスである『イエローバス』となって、駅舎(営業所)の文字が削られたという経緯との事である。

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出発時刻前の数分のみ灯の点く小さな窓口
所狭しと貼り付けられたお知らせ紙
地域の穴場紹介と町民の寄贈した町の文庫
この駅には魅惑的なモノがいっぱいつまっていた

でも、経緯がどうであれ、この建物が『出雲広瀬駅跡』である事に変わりはないのである。 
建物の中も、昔の駅の雰囲気を持つ窓口や、町民が寄贈した本が並ぶ『町の文庫』のある待合室など、田舎の駅員一人だけ駐在する終点駅の様相を魅せていた。

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旧市街地にある小駅だった荒島駅
飯梨川に架橋する事ができず
米子への接続を断念し松江を目指すが
国鉄山陰本線がある為にそれも適わず
苦肉の策で松江寄りの小駅で接続する事となって
利用が奮わず廃止となる要因となった

この『駅』のバスターミナルで40分ほどバスを待って、荒島駅前行きの一畑電鉄広瀬線の代替バスに乗って荒島駅に出る。 荒島駅へのバスはほぼ1時間毎に出ていて、料金は200円と格安だ。
一畑電鉄バスのままだと、恐らく400円以上になっていただろうね


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大阪万(の税金のムダ使い)博(打の
イカサマより質が悪い)のあの気色悪い
マスコットキャラはいったい何なの?
モロに朝鮮デザインじゃね?

それに誘致決定時の予算見積りの800億が
いつの間にか2300億と
三倍満に膨れ上がってるしィ
もう維新は大阪をコイツら朝鮮ヤクザの
シマ(縄張り)扱いにしてるよね

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大阪は税金の取り立てが過酷だと言うしね
二度までも住民投票で否決された都構想も
大阪市から税金をぶん取って
維新が握り『朝鮮ヤクザのテラ銭』
として使う構想だったのだろうね

だから2度否決されても手を変え品を変えて
条例案の行使で大阪市税をぶん取れるように
画策するなどモロにヤクザだよね

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そしてぶん取った金は大阪での利権と
シマの維持の為に外国ファンドとか
ヤクザ仲間の朝鮮パチンコ屋
そして親分のシナに貢ぐのだろうね

でもコレって武漢コロナを感染爆発させて
日本人を都合8万人殺害した東京五輪とそっくり
そのままっていうかミニ東京五輪じゃね?

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日本はあの感染爆発のせいで経済が壊されて
不況なのに増税の流れとなってるしィ
それにウヨク共は日本を潰す東京五輪には賛同したのに
全く同じで大阪を食い物にする
大阪万博にはなぜ反対するのかね?

違いと言えば日本の国を潰す武漢コロナ
蔓延下での東京五輪と大阪を潰す大阪万博の
違いだけでどちらも在日チョンの望む通りの
日本が害を食らって苦しむ展開じゃねえの

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もしかしてテメエらの利益に関係のない
大阪だからと言うだけで反対なの?
それともテメエらと与しない維新の会の
主導イベントだから反対なワケか?

ともかくこんな朝鮮ヤクザのシマの維持と
外人利権の為に税金が使われると
大阪の行政は財政管理団体に陥りかねない
大赤字を抱える事になるよ

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そうなれば大阪府によって変な名目での増税や
協力金制度が立ち上がったり
認可手続きの諸経費が上がったり
地方財政の窮地で地方交付税が増大したという
理由づけでムリヤリな増税を諮問するかもね





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