風来梨のブログ

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私の訪ねた路線  第68回  小坂製錬・小坂鉄道

『私の訪ねた路線』  第68回  小坂製錬・小坂鉄道  〔秋田県〕
 

まだ列車運行中の
閑散線の無人駅のような
 
《路線データ》
   営業区間と営業キロ      旅客営業廃止日      旅客営業廃止時運行本数
     大館~小坂 22.3km                 ’94/10/ 1                   5往復〔休校日は4往復〕
                  廃止年月日                    廃止時運行本数                        転換処置
         ’09/ 4/ 1            2往復〔濃硫酸輸送貨物列車〕     小坂鉄道・レールパーク
 
   《路線史》
小坂鉱山の鉱石輸送の為に建設された路線。 開通は1908年。 大館~小坂と茂内~二ッ星(長木沢)〔後の長木沢支線・1951年4月廃止〕に、藤田組が《小坂鉱山専用鉄道》を敷設したのが始まりである。翌年には、『小坂鉄道株式会社』が設立される。

その後、鉱山の最盛期となる昭和一ケタ年代(1928年頃)に小雪沢~小坂が電化されていた事もあったが、1962年に762mm特殊狭軌から1062mmに改軌されたのを機に電化運行は廃止となっている。

小坂鉱山は終戦時に資源の枯渇で採鉱が中止となったが、1950年代後半より新たな鉱脈の調査が開始され、それに伴って鉄道事業も復活する。 なお、鉱脈調査の開始で鉱山が活況を呈し始めた1958年に、鉄道輸送部門は同和鉱業(創業時の藤田組)に合併吸収されて『同和鉱業・小坂鉄道』となっている。

そして、1959年に新たな鉱脈が発見されてからは、製錬技術の向上も伴って製錬鉱石の輸送に活況を呈した。 だが、1980年代に入ると、我が国の資源産業の衰退と共に小坂鉱山も衰退が始まる。
そして、閉山が確定した1989年(閉山は翌年の1990年)に、同和鉱業は小坂鉱山施設の精算を始める。 撤退を決めた同和鉱業は『小坂製錬』を分離し、鉄道事業も同社に引継がせて《小坂製錬・小坂鉄道》となる。
 

廃止された最初の秋
キロポストの白さが哀愁を誘う

鉱山閉山後は『小坂製錬』によって鉱山施設を利用した製錬事業が行なわれ、製錬の過程で発生する濃硫酸の輸送に鉄道施設は供される事となる。 また、貨物輸送の合い間に細々と営まれていた旅客営業は、鉱山の閉山に伴う著しい過疎化で1994年9月末をもって廃止されている。

旅客営業を廃止した同鉄道は、濃硫酸輸送専用の貨物鉄道として細々と運行されていたが、運営会社であり荷主である『小坂製錬』が濃硫酸を産出しない新炉を完成させた事により、濃硫酸の生産を終了して石膏の製造に切り替えたのである。 これにより、この貨物鉄道の命運は決したのであった。 

2007年2月末より、濃硫酸を発生させない新炉運転に切り替えられる。 
これによって、濃硫酸のストック輸送のみとなる。 また、石膏の輸送は全てトラック輸送に転換されている。 そして2008年の3月4日、製造ストック最後の濃硫酸輸送を終えた同鉄道は運行休止扱いとなり、続いて同年9月に『小坂製錬』により鉄道輸送事業の廃止届が提出される。

その後、この鉄道を町の観光資源として活用しようとする動きが若干見られたが、到底復活運行までには至らず2009年3月末をもって全線が廃止となった。
 

そのまま放置して朽ちていくのを待つのか
廃止後何ら手付かずに放置

この路線は、小坂~茂内の25‰の急勾配を3重連の機関車で牽引する迫力ある姿が見られた・・という事で、鉄道ファンの人気が高かった。 それ故に復活運転を願うファンなどが、今も復活運動を繰り広げているという。
 

 

いつまでも穏やかな時のまま
廃止線の無常感に苛まれ
 
  《小坂駅訪問記》
小坂町は、『鉱山の町』として栄えた所である。 町には鉱山で栄えた事の証であるレトロ洋風の鉱山事務所や日本最古の芝居小屋などの史跡・旧跡が多い。

だが、鉱物資源の枯渇と共に町は寂れ、鉱山鉄道であった同和鉱業の鉱山輸送鉄道も休止(事実上は廃止)となった。 その鉱山の町の鉱石輸送に供した小坂駅を訪ねてみた。
 
駅は『鉱山の町』より鉱山施設跡などを公開する『観光の町』として再起を図ろうとしている小坂町の中心部にある。 町を見た感じでは、団地のような集合住宅が立ち並んでいた記憶がある。
恐らく、鉱山住宅を賃貸などに切り替えたのであろう。
 

広い構内に立派な駅
長いプラットホーム

かつてはこのホームを目一杯使って
荷の仕分けをしていたのだろうか
 
駅は国道282号より、『十和田大館樹海ライン』と名づけられた秋田県道2号線に折れてすぐの所にある。 駅前は小さなロータリーとなっていて、駅の改札が前面にある。 訪ねた時は秋で、コスモスが夕日を浴びて哀愁漂う情景を魅せてくれた。
 
この写真を見る時、鉄道を追っていたあの時に少しでも地方私鉄線に目を向けていたなら・・と、常々思い返している。

  ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『小坂製錬・小坂鉄道』を御覧下さい。
    また、メインサイトの『撮影旅行記』に『小坂駅訪問記』を記していますので、
    宜しければどうぞ。
 


 
 
 
 
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No title * by オータ
うっかりしていました…旅客運転の終了と共に廃止されたと思っていたのです。そうですか…貨物のみ輸送の運行は近年まで続いていたのですね。道内で言えば、三井芦別(炭鉱)鉄道のような感じでしたか…
これは傑作!です。

No title * by 風来梨
こんばんは。 廃止後で放置されたままの駅施設は、堪らない位の哀愁感が漂っています。 そしてコスモスも、鮮やかな分儚げで哀愁をより強くしています。

これだけでも撮れて良かったな・・と。

コメント






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No title

うっかりしていました…旅客運転の終了と共に廃止されたと思っていたのです。そうですか…貨物のみ輸送の運行は近年まで続いていたのですね。道内で言えば、三井芦別(炭鉱)鉄道のような感じでしたか…
これは傑作!です。
2011-11-26 * オータ [ 編集 ]

No title

こんばんは。 廃止後で放置されたままの駅施設は、堪らない位の哀愁感が漂っています。 そしてコスモスも、鮮やかな分儚げで哀愁をより強くしています。

これだけでも撮れて良かったな・・と。
2011-11-26 * 風来梨 [ 編集 ]