風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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岬めぐり・・  宗谷岬

岬めぐり・・  宗谷岬
新年、明けましておめでとうございます。
2024年の謹賀新年の記事も、季節記事の『岬めぐり』おば・・。 けれど、宗谷岬は観光地化されていて写欲が湧かずに、あまり撮ってないので持ちネタ満載の『オホーツク縦貫鉄道』でめぐった岬を2つほど追加しまっす。 でも、この年賀記事書いてるのは、去年の12月上旬だったりして・・。



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宗谷岬にある
『日本最北端の地』を示すモニュメント

  宗谷岬 そうやみさき 
北海道稚内市にある岬で、地名ともなっている。 我が国の本土における最北端の地であり、一般の人が通常訪れる事のできる最北端の地となっている。 なお、日本国政府の実効支配が及ぶ範囲における最北端の地は、宗谷岬の沖合い西北西約1kmに位置している無人島の弁天島であり、領有権を主張する範囲における最北端の地は択捉島にあるカモイワッカ岬である。

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宗谷岬全景
※ ウィキペディア画像を拝借

宗谷岬からロシア連邦の実効支配地である樺太(サハリン島)最南端の西能登呂岬(ロシア名ではクリリオン岬)までは約43kmの距離がある。 晴れた日には樺太の姿を見る事ができる。

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宗谷の海を守って命を散らした
旧日米海軍の戦没者を慰霊する
宗谷海域海軍戦没者慰霊碑』及び『平和の碑』
※ ウィキペディア画像を拝借

周辺は宗谷岬公園として整備されており、日本最北端の地碑はじめとする記念碑・祈念碑・慰霊碑などが建立されている。 岬の後背地には宗谷丘陵が広がっており、周氷河地形を形成している。

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岬の後背地にあって目につかず
岬に訪れた観光客が立ち寄る事は少ないが
岬の防人である岬灯台は存在する
※ ウィキペディア画像を拝借

宗谷岬の地名の由来はアイヌ語の『ソー・ヤ』で磯岩の岸を意味しているが、アイヌ民族の間では『ノテトゥ』と呼ばれており、『ノ』は顎・岬、『テトゥ』は鼻・岬の意味するなど、直接的な表現となっていたようである。

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日本最北端の岬での初日の出
※ ウィキペディア画像を拝借

『ソー・ヤ』の由来は諸説あり、現在の珊内(さんない)地区の海中にあったソウヤ岩という大岩が起源とする説や、宗谷岬沖の弁天島をアイヌ語で『ソヤスマ』と呼んでいた説がある。

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『オホーツク海に沿って北上して日本最北端へ』の行程図

   行程表
稚内駅から宗谷岬まで、国道238号線経由で31.2km                                                       
稚内駅よりバスで宗谷岬まで1日4往復・稚内駅から宗谷岬までの所要時間は約50分
  ※ なお、バスは1989年4月末で路線廃止となった天北線の代替交通機関となっており、
    宗谷岬を経由した路線バスは猿払村の中心の鬼志別又は浜頓別まで直通している
マイカー・レンタカーなら約40分で宗谷岬

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宗谷岬バス停と宗谷バス
※ ウィキペディア画像を拝借

普通の岬めぐりを志す旅行者なら、宗谷岬へは全てと言っていいほどに稚内駅を起点にして、レンタカーや路線バスや乗り合いタクシーなどで岬に向かう事だろう。 また、極稀に浜頓別方面から北上して岬に至る旅人もいるだろう。 こういった旅人は、オホーツク海を北上して最北端の宗谷岬へ向かう事を旅の主目的としているのであろう。

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歳食ってから訪れた時は
さすがにレンタカーで訪れたよ
宗谷岬の手前にある
豊岩遺跡の案内板

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けれどこの時の北上は
納沙布岬から宗谷岬までの完全なる
オホーツク縦貫だったよ
※ 納沙布岬灯台

だが、こういった北上する旅人も、岬へのアプローチは全てと言っていい程にレンタカーの利用だろう。 まかり間違っても小僧の頃のワテのように、歩いて岬へ向かうような『トウヘンボク』というか『基地外』は存在すまい。 そういう意味では、当時村営バスの終点である東浦バス停から約15kmの道のりを歩いて宗谷岬に到達したワテは、『基地外』なるも貴重な体験者だったりするのである。

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言い換えれば天北線があったから
こんな『トウヘンボク』な事ができたのだ
※ 宗谷丘陵を弧を描いてめぐっていた
天北線の花形列車・急行【天北】

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この宗谷丘陵をめぐる天北線を
『光の輪』として撮った
ワテ生涯きってのお宝写真

それは、まだ音威子府から浜頓別を経由して稚内に至る雄大なローカル鉄道・天北線の在りし頃の事である。

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天北線と並走していた道道と
極寒で日輪を描いた太陽

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天北線の跡を追って訪れた
恵北の大原野でこの情景を魅た時
思わず涙が出たよ

その天北線は中頓別と浜頓別と猿払村の中心の集落以外は湿地帯を中心とする原野に線路が敷かれていて、猿払村の中心である鬼志別から大回りとなる宗谷岬は通らずに、宗谷丘陵の原野地帯を通して稚内に向かっていたのである。

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猿払村の役場所在地駅・鬼志別駅
この駅が今回の岬めぐりの出発点となった
※ 天北線沿線郵政協力会発行の
『さよなら天北線タトウ』より

従って、忠実にオホーツク海に沿って日本の国の最北を目指す手法であるが、駅のあった猿払村の中心地・鬼志別から村営バスで最北集落の東浦まで出ると、その先は岬の手前まで全く集落が無く路線バスも無かったのである。 故に、オホーツク海沿いに北上して最北の地・宗谷岬を目指すなら、マイカー・レンタカー以外にアプローチ手段がなかったのである。

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鬼志別駅跡は宗谷バスの
バスターミナルとなっている
だが当時は天北線があった為
遠回りとなる宗谷岬経由の
路線バスは存在しなかった
※ ウィキペディア画像を拝借

そして、約35年前のこの頃のワテは車どころか運転免許も原チャリのみで、通常ならオホーツク海沿岸の北上による日本最北端到達は諦めて、大人しく稚内から路線バスで宗谷岬を目指すしか手が無かったのである。

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猿払村営のマイクロバスで
岬方向へ行けるところまで北上して
残りは歩いて岬にたどり着くという
アホ過ぎる計画だった

だが、当時から往生際が悪いワテ(良く例えれば『成せぬなら成してみしょうホトトギス』なワテ)は、公共交通機関で最北となる猿払村営バスの東浦バス停より岬まで歩く壮大な計画をブチ上げたのである。
それでは、その壮大なプロジェクトを成し得たワテが旅日記に書き記した文章を転載しようと思う。

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『オホーツク縦貫鉄道』
それは根室と稚内を結ぶ夢路線であった
※ 今はなき名寄本線の『流氷列車』

  『オホーツク縦貫鉄道の夢』より
・・オホーツク海に沿って忠実に北上し、北の最果てである《宗谷岬》に立ちたい。 ある『思惑』とはこの事なのである。 それでは、『思惑』プロジェクト!?を始動させよう。 駅前に出て、先程に“いわく付き”と述べた猿払村営バスに乗る。 バスはオホーツク海沿いを北上して《宗谷岬》に至る国道238号を、沿線の最北集落の《東浦》まで運行している。 その初乗り運賃は、何と『チロルチョコ』の10円(当時)であった。

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猿払村役場
人口2700人足らずの
過疎の漁村とは思えない
近代的な役場である
※ ウィキペディア画像を拝借
 
何でもこの猿払村は、「我が国で最も財政の豊かな地方自治体である」と耳にした事がある。
なぜなら、『ホタテ御殿』なる立派な屋敷が建つ程にホタテ漁が盛んだから・・との事である。
まぁ、現在は値上げしてる事だろうけど(今でも初乗り『10円』なら、賞賛に値するな)。

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当時はこの小学校まで
村営バスが通っていた
過疎の進行で宗谷岬の大岬小学校と
統合されて廃校となっている
※ 稚内市のウェブサイトより

バスは猿払村の行政区を越えて、稚内市の《東浦》集落までゆく。 終点は《東浦小学校前》。 
約30分の乗車で、料金は260円位だったような。 宗谷岬までは、残り15km余り・・。
ここからは、公共交通機関はない。 そして、店屋も見当たらない。 つまり、歩いていくしかないって事だ。 当時はガキだった事もあって、無謀にもこれにチャレンジしてみた。

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冬にしては穏やかな海と
飛び交う一羽のウミネコ
小僧の立てた無茶な計画ゆえに
歩くだけで必死となり
道中でほとんど写真は撮らなかったよ

《宗谷岬》までの道は、右手には果てしない海が広がり、左手は崖が壁のように迫り立つだけの単調な風景だった。 民家は全くなく、目標となるようなものも何もない。 ただ風が強くうねる中を、地図で見た以上に起伏が激しい『峠もどき』をいくつも越えていかねばならない。

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レンタカーで宗谷岬を再訪した時
看板のアップを撮るのを忘れたので
稚内教育委員会の豊岩遺跡の
写真をお借りしますた
※『稚内教育委員会・豊岩遺跡』より

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豊岩遺跡前のオホーツク海にある竜神島
この遺跡の縄文人はこの岩礁の島を
『神の宿る島』と崇めたのだろうね
※『めっちゃ北海道』より

途中、唯一の目標となる地点としては、《豊岩》にある《豊岩遺跡》であろうか。 遺跡といっても案内板が一つあるだけで、インターネットでも見つける事がてきなかったが・・。 恐らく、竪穴式の住居などが確認された遺跡だろう。

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豊岩遺跡を調査する
ウェブサイトがあったよ
※『豊岩遺跡群』より

  ※ ちなみに歳食ってから訪れた再訪時には、稚内市教育委員会設置の案内板が設置
     されていて、ネットでもこれを取材するウェブサイトが2~3サイトあったよ。

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樺太を発見した間宮林蔵も
宗谷丘陵が宗谷岬で尽きて海となる
あの情景に感銘を受けたのだろうね

この遺跡を越えて切り立つ崖を周り込むと陸地の果て・・、即ち《宗谷岬》が海に突き出しているのが見えてくる。 これが見えてくると、あとひと息だ。

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石碑が建立される程に
有名な曲となっていた
「♪そぉ~うやのみさきィ~」

やがて、小中学校や集落のある《大岬》という《宗谷岬》地区の居住区を越えて、ドライブインやら土産物屋やらが出てきて、「♪そぉ~うやのみさきィ~」と演歌のカラオケが周囲に流れ出したら、我が国の最北端の地・《宗谷岬》到達だ。 この旅の目的であった、根室と宗谷の岬をめぐる旅を達成できたのだ。

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アホ極まる企画だったけど
大きな達成感があった
日本最北端まで歩く旅

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やっぱりモニュメント単体の写真より
コッチの方がいいよね
珍しく冴えてるな・・
小僧のワテ

岬のモニュメントの前に立ち、しばしその充実感に身を委ねよう。 もちろん、『日本最北端到達証明書』も手に入れよう。 この証明書は、自分の中できっと力強い証となると思う。 なぜなら、本当に自分の足で到達したのだから。

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もちろん
『日本最北端到着証明書』
買いますた

帰路はバスで稚内市内へ戻るのがセオリーだが、金の無かったワテはバス代を惜しんで本気で往路を戻ろうとしたが、宗谷岬から0.6km戻った《大岬》という集落で運よくヒッチハイクに成功して、天北線の駅(沼川まで送ってもらった)に戻れたのである。

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帰りはヒッチハイクに成功して
無事に沼川駅で駅寝できますた
※ 天北線沿線郵政協力会発行の
『さよなら天北線タトウ』より

何でも、車の中からワテが岬に向けて歩いているのを見て、気になってワテに声をかけたのだという事だった。 やっぱり、小僧というのはこういう時に得だわな。 中年となった今の歳なら、歩いていても声も掛けられないだろうしィ。



冒頭で『宗谷岬は観光地化されていて写欲が湧かずに、あまり撮ってないので持ちネタ満載の『オホーツク縦貫鉄道』でめぐった岬を2つほど追加しまっす』と記したけど、記事を作成してみると宗谷岬だけでも『お腹一杯』な記事になっちゃいましたので、『オホーツク縦貫鉄道』がめぐった岬の2つほど・・は、内容と合致するその時まで掲載を延期しようかと。

筆者のタワケのように過去の遺産だけで食いつなぐ極意は、期待を持たせるべく煽る事と出し惜しみと『使い回しの美学』の行使である。 この極意を用いれば、ブログの寿命を30年以上延ばす事ができマス(30年後は、ワテの寿命が尽きてるかもしれないけど)。


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No Subject * by 朝弁
新年明けましておめでとうございます
昨年はご訪問を賜りありがとうございました

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引き続きよろしくお願いいたします

Re: No Subject * by  風来梨
明けましておめでとうございます。
こちらこそ、本年も宜しくお願いします。

只今、朝の6時。 北海道に来ていますが、氷点下9度と放射冷却で冷え込んでいるので、初日の出も期待できます。

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No Subject

新年明けましておめでとうございます
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2024-01-01 * 朝弁 [ 編集 ]

Re: No Subject

明けましておめでとうございます。
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