風来梨のブログ

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廃線鉄道  第115回  名古屋鉄道・渥美線(廃止区間)

廃線鉄道  第115回  名古屋鉄道・渥美線(廃止区間) 〔愛知県〕

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渥美電鉄時代の三河田原駅と
黒川原行と思われる電車
※ ウィキペディア画像を拝借

名鉄・渥美線(めいてつ・あつみせん)は、愛知県豊橋市の新豊橋から愛知県渥美郡田原町(現・田原市)にあった黒川原までを結ぶ路線であったが、太平洋戦争が激化した1944年に現在の終点である三河田原~黒川原が不急不要路線に指定されて運行を休止し、レールなどの鉄資材は他線区へと転用されたり、軍需品として徴用された。 翌年に終戦を迎えて、休止期間は5年間の約定であったものの復活する事はなく、1954年の11月20日に正式に路線廃止となっている。

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デザイン駅舎に改築されるまでは
黒川原までの線路跡が
車止めとなって残っていた
※ ウィキペディア画像を拝借

なお、三河田原~黒川原が正式に廃止となる1954年の11月20日の約1ヶ月半前の10月1日に、渥美線の現存区間(新豊橋~三河田原)が豊橋鉄道に譲渡され、現存区間は豊橋鉄道線となったものの、休止区間の三河田原~黒川原は譲渡されずに線籍が名鉄のままで路線廃止を迎えた事で、名鉄の路線としての路線廃止となっている。

この廃止区間であるが、構想としては戦前の鉄道省の肝入りで、渥美半島の最先端集落である伊良湖岬の集落までを、現在の国道259号線に沿って路線を延伸する計画が立てられ、終点駅の仮名も『伊良湖岬』駅だったという。

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延伸が完成していれば
航空写真で写る伊良湖岬の岬集落まで
線路が延びていたのだろうか
※ ウィキペディア画像を拝借

その伊良湖岬への延伸計画は、伊良湖岬に陸軍の施設があった事から鉄道省の肝入りで国鉄線として建設され、路盤工事が旧渥美町の中心地である福江まで完成していたという。 また、1924年に渥美線を敷設した渥美電鉄(戦時の陸運統制令により、1940年に名鉄に合併吸収)も、独自に渥美町(現在は合併により田原市)の中心集落である福江までの路線延伸計画を持っていたとの事である。

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渥美半島縦貫鉄道の夢の跡
※『Pass-cass』より

鉄道省や渥美電鉄の路線延伸への思惑が示す通り、渥美線は渥美半島を縦貫する鉄道として計画され、1921年に渥美電鉄に対して豊橋市大字花田~渥美郡福江町の軌道敷設特許状が下付されて、師団口(のちの高師口)~三河田原が1924年中に開業したのが始まりである。 豊橋への乗り入れであるが、市街地である為に土地取得に手間取ったものの、1927年に現在の新豊橋までが開業している。

路線は1926年に黒川原まで延伸されたが、資金難から黒川原以西への延長は1934年に断念されている。 その後の渥美電鉄は、名鉄の経営傘下に入った後の1940年に合併されて名鉄渥美線となった。

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デザイン駅舎に改築された後は
黒川原駅へ向いていた線路跡の車止めは
向いていた方向はそのままに
移設されてモニュメントとなっている
※『Pass-cass』より

しかし、鉄道敷設法で『愛知県豊橋ヨリ伊良湖岬ニ至ル鉄道』として挙げられていた伊良湖岬までの延伸は、陸軍技術研究所(伊良湖試砲場)などがある事から国鉄線として建設する事とになり、黒川原~三河福江~堀切が新設線として着工されたが、戦局の悪化から建設は中断され、三河田原~黒川原が不要不急路線として休止された経緯を持つ。 同時に豊橋~黒川原の現存する渥美線を国有化する予定も、戦時不急不要線の指定でレールが剥がされた事で頓挫し、終戦により立ち消えとなっている。

線路敷設予定地と思われる所が愛知県田原市石神町の国道259号線付近にある。 伊良湖岬方面に向かう方は左側を、豊橋方面に向かう方は右側を見ると判明し辛いが、確かに線路敷設予定地と思われる形跡が残っている。

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名鉄・渥美線 廃止区間の予想路線図
ウェブサイトに載ってある地図を
真似て作成しただけなので
あくまでも『予想図』の範疇です

《路線データ》
廃止区間と路線距離(営業キロ): 三河田原~黒川原 2.8km
軌間:1067mm、電化区間:全線(直流600V)※ 豊橋鉄道となった現存区間の現在は1500Vに昇圧
複線区間:ナシ(全線単線)、
閉塞方式タブレット(通票)閉塞式 ※ 豊橋鉄道となった現存区間の現在は自動閉塞式(特殊)
駅数:3駅(起終点駅含む)〔三河田原〕・加治・黒川原
  ※ 戦前の鉄道省の主導の下で、計画線として伊良湖岬までの延伸計画があり、旧渥美町の
    中心地である三河福江駅予定地までの路盤も完成していた
未成線の設置予定駅黒川原・三河大久保・三河野田・馬草・宇津江・三河泉・伊川津・高木・
          三河福江・三河中山・三河亀山・伊良湖岬(堀切)
  ※ 三河亀山より南下して堀切に至る計画もあった
  ※ 伊良湖岬へは、現在の終着駅である三河田原の駅前で、伊良湖岬方面への豊鉄バス
    (自社路線バス)と連絡している

名鉄1500系w
恐らく名鉄1500系などの
600V用車両が使用されていたと思われる
※ ウィキペディア画像を拝借

  名鉄・渥美線 廃止区間 年表
1921年(大正10年)  4月12日渥美電鉄に対し、軌道特許状下付(豊橋市大字花田~渥美郡福江町)
1924年(大正13年)  1月22日渥美電鉄によって高師~豊島が、直流600Vで電化開業
           3月  8日豊島~神戸が開業
           4月25日師団口(後の高師口)~高師が開業
           6月10日神戸~田原(現在の三河田原)が開業
1925年(大正14年)  5月  1日新豊橋(初代)~師団口が開業
           6月  1日松山を柳生橋に、田原を三河田原に改称
1926年(大正15年)  4月10日三河田原~黒川原が開業

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2軸電動車の名鉄モ130系
昭和初期は2軸車が中心だった
※ ウィキペディア画像を拝借

1927年(昭和  2年)10月  1日豊橋駅前~新豊橋(初代)が開業
           10月13日豊橋駅前を新豊橋(2代)に、新豊橋(初代)を花田に改称
                新豊橋(2代)が開業した事で、新豊橋~黒川原の全線開業
1930年(昭和  5年)  3月24日:師団口が高師口(1944年駅休止→後に廃止)の位置に移設される
                司令部前の廃止が認可されて、当年中に駅廃止となる
           5月29日高師~黒川原を軌道法による軌道から、地方鉄道法による鉄道に変更

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軌道から鉄道に昇格し
1930年新製のモ180系などが
投入されたのだろう
※ ウィキペディア画像を拝借

1931年(昭和  6年)  5月  9日新豊橋~高師を軌道法による軌道から、地方鉄道法による鉄道に変更
                し、全線が地方鉄道法上の鉄道路線となる
1937年(昭和12年)10月  9日資金難の為、渥美電鉄が1921年4月12日に交付された免許区間の
                豊橋市渥美郡田原町~同郡福江町の起業廃止届を出し許可を得る
           12月28日陸軍病院前の臨時開業申請
1940年(昭和15年)  4月23日小池の移設認可(黒川原方面へ0.1㎞移設)
           8月11日陸軍病院前を常設化
           9月  1日名古屋鉄道が渥美電鉄を合併し、名古屋鉄道(名鉄)渥美線となる               
1943年(昭和18年)11月  1日 師団口を高師口に、兵器廠前を町畑に改称
1944年(昭和19年)  6月  5日名古屋鉄道により、渥美線の三河田原~黒川原の路線休止及び、
                花田・高師口・町畑・空池・芦原・谷熊・天白・神戸(初代)
                の各駅が休止となる
1946年(昭和21年) 月日不詳 陸軍病院前を病院前に改称
1947年(昭和22年)  1月10日病院前を南栄に改称
1954年(昭和18年)10月  1日名古屋鉄道が、渥美線の新豊橋~三河田原を豊橋鉄道へ譲渡
                休止中の三河田原~黒川原は譲渡されず
           11月20日名古屋鉄道が、休止中の渥美線の三河田原~黒川原を廃止

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廃線跡は工場内道路や
住宅地の生活道路に転用された他
※『Pass-cass』より

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草藪化した荒れ地となって
放置されている所もある
※『Pass-cass』より

  廃線跡
三河田原駅の前にある車止めの方向に線路が延びていたと思われるが、確証はない。 廃線跡は工場の敷地となった所(工場内道路となっている)を通って、砂利道を経た後に住宅地となった加治町の生活道路を経て、国道259号線と愛知県道28号線の交差点である大久保南交差点の手前まで延びていた。

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渥美半島を先端の伊良湖岬まで
縦断する路線であった渥美線の延伸計画
※ ウィキペディア画像を拝借

また、伊良湖岬までの延伸計画で、路線休止時には既に旧渥美町(現在は田原市)の中心である三河福江駅候補地まで路盤建設が進んでいた事から、微かに路盤跡の形跡が残っている所もあるとの事である。



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現在の三河田原駅
著名な建築家の設計による
デザイン駅となっている
※ ウィキペディア画像を拝借

三河田原駅(みかわたはらえき)は、愛知県田原市田原町東大浜にある豊橋鉄道・渥美線の駅で、1954年11月20日に当駅~黒川原が路線廃止(戦時不急不要路線として1944年6月5日より休止となっており、線路も資材供出の為に撤去されていた)となってからは同線の終着駅となっている。 1980年代まで貨物輸送を行っていた為に、広い構内を持っていた。

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現在の三河田原駅の構内配線図
※ ウィキペディアより構内配線図を拝借

駅構造は幾度かの駅舎改築と構内配線変更を経て、現在は頭端式ホーム2面4線と留置線1線を有する駅となっている。 2013年10月27日に、現在の4代目駅舎が供用開始している。 2014年までは1面2線であったが、ホームを増設している。 ホーム番号は駅舎側から見て、右側から1・2・3・4番線となっている。 2020年度の1日平均乗降人員は2330人との事である。

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直線進入できる
2番線が主に使用されている
※ ウィキペディア画像を拝借

通常は直進で入線可能な2番線のみが使用され、他のホームは夜間滞泊や始発と、ラッシュ時の数本の発車に使われているのみである。 3・4番線ホームは、早朝2本のみとほとんど使用されていない為に上屋が設置されていない。

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武家屋敷を模った
かつて(3代目)の三河田原駅舎
今のデザイン駅舎より
コッチの方が断然いいよ
※ ウィキペディア画像を拝借

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三代目駅舎当時の2面3線の構内配線
赤錆びた線路はかつて
黒川原まで続いていたのだろう
※ ウィキペディア画像を拝借

田原市の中心駅で有人駅であり、中部地方及び愛知県内の鉄道駅では最南端に位置している。 
豊鉄バスの伊良湖本線と接続し、渥美方面へバス路線が連絡している。



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現在は住宅地の生活道路となっている
廃線跡と唯一の途中駅・加治駅の跡地
※『フォートラベル』より

加治駅(かじえき)は、かつて愛知県渥美郡田原町(現・田原市)加治にあった名鉄・渥美線の駅である。 路線廃止となった三河田原~黒川原での唯一の中間駅であった。 1944年6月に三河田原~黒川原が太平洋戦争の激化による戦時不急不要路線の指定を受けて休止となり、線路等は資材供出されている。
5年の休止後に復活の約定があったものの復活する事なく、1954年11月20日の三河田原~黒川原の正式な廃止と共に駅廃止となっている。

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現在は住宅が更に造成されて
生活道路も改良されている
※『Pass-cass』より

駅の詳細は資料が残っていない為に不明だが、恐らく片面ホーム1面1線の停留所規格の無人駅だったと推察できる。 駅跡地の周辺は住宅地となり、駅跡地は住宅地の生活道路となって跡形もなく消滅している。



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黒川原駅の跡地と思われる
国道259号バイパス沿いの微妙な広さの空地
※『Pass-cass』より

黒川原駅(くろかわばらえき)は、かつて愛知県渥美郡田原町(現・田原市)にあった名古屋鉄道・渥美線の駅である。 渥美線の終点であった。 1944年6月に三河田原~黒川原が太平洋戦争の激化による戦時不急不要路線の指定を受けて休止となり、線路等は資材供出されている。 5年の休止後に復活の約定があったものの復活する事なく、1954年11月20日の三河田原~黒川原の正式な廃止と共に駅廃止となっている。

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黒川原駅が貨物ホームを含めて
3面3線だった事を考慮すると
看板が建つ位置からこの位置までの
敷地が必要と思われる
※『フォートラベル』より

駅構造は、片開きポイント式の2面2線千鳥式ホーム(本線と上り1番線)と、本線から片開きポイントで分岐した2面1線の貨物ホーム(コの字型の頭端式ホーム)を持つ、計3面3線の駅であった。
旅客ホームには車止めがなく、駅西側の『陸橋』と呼ばれた築堤を潜ってしばらく先まで、三河福江方向への線路が敷かれていた。

本線側のコの字ホームは駅前通りとの段差がなく、そのホーム上には駅舎・便所・貨物上屋があり、貨物ホームの先に糞尿貯溜槽があった。 上り1番線側の片面ホームとは構内踏切で結ばれ、その先には待合室が設けられていた。

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渥美半島の最南端である
伊良子岬までの延伸計画があった
※ ウィキペディア画像を拝借

h115-wirako (2)
その延伸計画は鉄道省によって進められたが
理由は今の観光開発ではなく伊良湖岬に
旧日本軍の軍事施設があったからである
※ ウィキペディア画像を拝借

当駅から更に先の伊良湖岬方面への延長計画があり、鉄道省による当駅~三河福江(現・田原市福江町)の路盤工事まで完成していたが、太平洋戦争により工事は中止し未成線となっていた。 計画では更に先の堀切(現・田原市堀切町)までの延長が予定されており、測量が行われていた。

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駅跡の形跡は全く残ってはおらず
国道259号線バイパスと県道28号線の
交差点である大久保南交差点の西100mの
位置に駅があったとだけ記録にある
※『Pass-cass』より

駅跡は現在の田原市大久保町で、国道259号(田原街道)と愛知県道28号田原高松線との交差点(大久保南交差点)の西側の約100 m付近と推測される。 道路の拡張や整備で、駅の痕跡は残ってはいない。


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