風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

TOP >  ネームトレイン >  ネームトレインな行 >  『ネームトレイン』 第49回  日南

『ネームトレイン』 第49回  日南

『ネームトレイン』 第49回  日南

t49-youcyubu
20系寝台と座席車を連結し
当時販売されていた周遊券で
乗車できるなど鉄道旅の
強い味方だった急行【日南】
※ ユーチューブ画像より

  急行【日南】 ・・   博多~西鹿児島を日豊本線経由で結ぶ夜行急行で、末期は運行区間が短縮されて門司港・小倉~宮崎となっていた。 最盛期には、門司港・小倉・別府を始発着駅に宮崎まで結ぶ昼行急行も運行されていた。 また、昼行列車が淘汰される直前は、車両運用の都合で博多~小倉~宮崎の運行だった事もあった。

t49-sindai (2)
急行【日南】は1960年に準急列車で登場以来
1993年に特急化されるまで京阪神対九州の
長距離夜行急行にもなるなど数多くの鉄道史を
刻んできた列車だがワテのなじみはやはり3代目の
門司港~宮崎を結んだ九州内運行の急行【日南】だ
※『夜行列車懐古写真集』より

急行【日南】は3期に渡って存在し、1968年~74年の2代目急行【日南】は、京都・新大阪~宮崎・延岡を結ぶ関西と九州を結ぶ夜行急行であった。 また、今回主として取り上げるのは、九州内運行に戻った1975年3月改正で名称復活した3代目の急行【日南】である。 なお、初代と2代目の急行【日南】に関しては、簡単な記述に留め置く事にしたい。

t49-df.jpg
絵入りテールマークをつけた
20系寝台時の急行【日南】
※『愛称別トレインデータファイル』より

【初代】1960年6月1日改正で、別府~西鹿児島(現・鹿児島中央)間の準急として登場した列車で、その後の国鉄の列車種別改定によって、1966年3月5日から急行に格上げされている。 

n429 (3)
日南線が全通してからは
鹿屋発着の付属編成も連結された
まだ大隅線の桜島に沿う区間は
開通していなかった
載せる手持ち写真がないからって
ムリヤリ大隅線の写真を載せるタワケ

1963年5月8日の日南線全通時には、宮崎で分割された付属編成が日南線~古江線(後の大隅線であり、大隅線の全通は1972年9月9日でこの時はまだ全通していなかった)の鹿屋発着となって、多層建て列車として華やかな時期を迎えていた。 なお、初代急行【日南】は1968年9月30日に、運行区間が全く異なる2代目に愛称を譲渡して終了している

t49-kunisaki・aso
急行【日南】は撮った事ないけど
急行【くにさき】・【阿蘇】と
急行【雲仙】・【西海】は撮った事ある
駅撮りさせたら今より小坊の方が
断然に上手いのでは?

【2代目】1968年10月1日改正では、急行【日南】は関西と九州を結ぶ夜行急行の愛称として抜擢されて、京都・新大阪・大阪~宮崎・都城・延岡(不定期)の運行となった。 10系客車・スハ43系などによる編成で、1975年3月10日改正で急行【くにさき】と改称するまで名乗っていた愛称である。

t49-suisei.jpg
新大阪駅に到着する特急【彗星】
小坊の小僧の頃は
駅撮りで寝台特急を撮っていたよ

また、寝台特急【彗星】が全盛期を迎えた頃でも特急に格上げ編入される事はなく、愛称が【くにさき】に変わったとはいえども長距離夜行急行として存続できた事は、今の急行全廃で全て格上げで特急化の流れからいくと奇跡的な事である。

t49-natukashi (4)
電車昼行3往復と夜行1往復の
堂々たる運行本数で復活した急行【日南】
※『懐かしの急行 日南』より

【3代目】九州内運行に戻った1975年3月改正で復活した3代目急行【日南】は、電車昼行3往復・客車夜行1往復(3年後の最盛期には急行【しいば】を編入して昼行4往復〔※急行【しいば】の代わりは気動車運行だった〕になった事もあった)の堂々とした運行本数であったが、電車による昼行急行の終焉は早く、1980年10月の改正には昼行は1往復に減便され、1982年11月15日改正で昼行は廃止されて客車列車による夜行のみとなっていた。

t49-nicinan・kimon
20系寝台となった急行【日南】
※『急行 日南・かいもん』より

t49-expnicinan.jpg
末期には24系25型寝台車が投入され
更にグレードアップとなった
※『急行 日南 小倉駅にて』より

客車による夜行急行日南は1993年3月18日改正時まで運行され、その編成は10系客車から20系+12系、さらに24系25形+12系へと徐々にグレードアップされていった。 また、イラスト入りテールマークが採用されたのも、この3代目の末期に夜行列車のみとなった急行【日南】である。

t49-sindai (3)
20系客車となってからしばらくは
ホームベース型のテールに
【急行】表示だけであった
※『夜行列車懐古写真集』より

20系になってしばらくは【急行】表示であったが、1985年9月30日に20系客車のホームベース型テールにもイラストが添えられている。 なお、24系25形に置き換えられてからは、かなりイラストのデザインが変更されている。

r317 (1)
特急に格上げされたドリームにちりん】には
昼行の特急車両である787系がそのまま
オール座席車として使用された

r317 (2)
昼行で運行する特急車両の間合いという
運用手法は30年前も今も全く同じだ
現在も間合い運用として1日1往復半となった
閑散区間の普通列車に使われている

3代目急行【日南】の終焉は1993年3月18日のダイヤ改正で、特急【にちりん】に格上げされて、新たに【ドリームにちりん】となった事でネーム消滅となったが、この特急ドリームにちりん】は昼行で運用されている787系特急車両をそのまま使用したオール座席車であったので、寝台の無い夜行列車になった。 この事で座席車はグレードアップしたが、寝台車がなくなるという結末ともなってしまった。

t49-df-tm.jpg
急行【日南】のテールマーク
24系25型寝台のテールマークは
テール表示幕のスペースの関係で
20系寝台の絵柄とかなり異なっている
※『ヘードマーク辞典』より

《列車データ》
運行区間と運行距離:【初代】別府~西鹿児島 345.0km
           ※ 付属編成として、1963年5月8日より別府~宮崎~鹿屋の運行アリ
             別府~宮崎~志布志~鹿屋 342.6km
           ※ 1966年3月の国鉄列車種別制度改正までは準急列車だった
          【2代目】京都・新大阪~宮崎・都城 
                京都~宮崎 955.7km・新大阪~都城 962.9km
           ※ 京都~宮崎と新大阪~都城の2往復が運行された
          【3代目】門司港・小倉・別府~宮崎 350.9km(門司港~宮崎の距離
           ※ 最盛期は昼行4往復・夜行1往復あり、始発着駅も門司港・小倉・別府
             と様々だったが、末期は門司港~宮崎の夜行1往復のみとなっていた
           ※ 宮崎~西鹿児島も運行していたが、普通列車に格下げとなっていた
運行期間:1960年  6月  1日:別府~西鹿児島に準急〔日南〕として登場
              ヘッドマークもつけられていたとの事
     1963年  5月  8日:日南線の全線開通により、宮崎で分割・併合して日南線及び古江線
              (のちの大隅線)経由の鹿屋行の付属編成を併結
     1966年  3月  5日国鉄の制度改正により、準急〔日南〕が急行【日南】に格上げ
     1968年10月  1日:急行【日南】の愛称を京阪神~九州の長距離夜行急行に譲渡して、
              今までの区間は急行【南風】に変更(1972年に【南風】は四国の
              土讃本線の特急で使用される事から急行【しいば】に再変更)
     1969年10月  1日:不定期で運行されていた大阪~南延岡が廃止となり、定期2往復の運行
              となる

t49-c57
最後のSLによる牽引となった
1973年の下り急行【日南3号】
※『C57牽引・急行 日南3号』より

     1973年10月  1日:下りの日南3号の宮崎以南の牽引にC57形蒸気機関車が充てられる
              このC57の牽引は、国鉄最後の蒸気機関車牽引定期急行であった
     1974年  3月   :無煙化対策によりDF50形電気式ディーゼル機関車に置き換えられて、
              C57による牽引の終了

t49-natukashi (3)
急行列車全盛期のこの時代は
急行列車にもグリーン車や
食堂車が連結されていた
※『懐かしの急行 日南』より

     1975年  3月10日京阪神~九州の長距離夜行急行の愛称が、急行【日南】より急行
              【くにさき】に変更し、急行【日南】は門司港・小倉~宮崎の日豊
              本線の急行列車の愛称として復活する
              この改正で九州内急行となった急行【日南】の運行本数は、昼行
              3往復と夜行1往復の計4往復だった
     1978年  3月17日20系寝台客車を2両連結

t49-natukashi (2)
急行【しいば】も気動車運行のまま
編入されて夜行を含めて
5往復体制となった事もあった
※『懐かしの急行 日南』より

     1978年10月  2日:急行【しいば】の編入により1往復増発
              但し、急行【しいば】に相当する列車は電車ではなく気動車での
              運行だった
     1980年10月  1日:昼行は1往復(博多~宮崎)のみに減便

t49-sindai (1)
DF50牽引によって牽引されていた
普通列車格下げ後の急行【日南】
3代目急行【日南】も当初は
上下列車とも宮崎以南を普通格下げで
西鹿児島までを結んでいた
※『夜行列車懐古写真集』より

       1982年11月15日:昼行列車が全廃となり、門司港~宮崎(宮崎~西鹿児島は普通
              格下げで運行)の夜行列車1往復のみとなる

24系客車
24系客車に置き換えられた
急行【日南】
※ デットリンク及びサイト名記載ナシ

     1986年11月  1日:寝台車が24系25型に置き換えられてグレードアップする
     1993年  3月18日特急【にちりん】に格上げされて、新たに【ドリームにちりん
              となった事で急行【日南】のネームが消滅
              特急ドリームにちりん】は昼行で運用されている787系特急車両
              をそのまま夜行に使用した為、寝台車の編成はなくなる
       2011年  3月12日:ドリームにちりん】運行廃止で、2010年3月に急行【能登】が
              臨時運行となってからは、全国で唯一の座席車のみの夜行列車だった
              が、この日の改正をもって博多~大分が特急【ソニック】、延岡~
              宮崎空港が特急【ひゅうが】に分割(大分~延岡は廃止)されて
              列車消滅
停車駅:3代目の夜行列車のみ運行時の停車駅
門司港・門司・小倉・行橋・宇島・中津・柳ヶ浦・宇佐・杵築・別府・大分・臼杵・津久見・佐伯・
延岡・南延岡・日向市・高鍋・佐土原・宮崎
  ※ 宮崎からも西鹿児島まで運行されたが、普通列車に格下げとなっていた
  ※ 宮崎~西鹿児島の格下げ普通列車による運行は、時期不詳であるがその後に宮崎で運行を
    打ち切られて消滅している

t49-w20.jpg
20系寝台車が
【急行】表示で運用されていた
※ ウィキペディア画像を拝借

使用車両:【初代】の準急から急行昇格期は詳細は不詳だが、キハ55又はキハ58が使用されていた
     と思われる
 
     【2代目】の京阪神~九州の長距離夜行列車時代は、10系寝台客車・スハ43系旧型客車
      などによる編成であったが、愛称が急行【くにさき】に代わってからは、14系客車
      によるオール座席車の夜行列車となっていた 

     【3代目】1975年3月改正の九州内運行が復活した当初は10系寝台と旧型客車の【2代目】
      と変わらない編成であったが、1978年3月に寝台車が20系寝台に、座席車が12系客車に
      それぞれ置き換えられ、1986年11月より寝台車が24系25型に置き換えられるなど
      時代に即してグレードアップされている

急行【日南4号】に乗った理由
soeda (4)
急行【日南4号】での寝不足で
『日本一の赤字線』では爆睡してしまって
撮影チャンスを逃した今のワテに
通じるタワケぶりだった

soeda (3)
それで『日本一の赤字線』の戦果は
上の黒潰れの駅撮り写真と
添田線のサボのみ

乗車経験:高校1年の時の冬の初めての九州旅行で、【3代目】時代の宮崎発急行【日南4号】に、
     宮崎~行橋で乗車(今は無き周遊券利用だったので、もちろん座席車に乗車)
     ちなみに、この時の乗車理由は廃止線の妻線の拠点駅であった宮崎から、『日本一の
     赤字線』と呼ばれた国鉄添田線に乗る為であった
     その他にも、『影を行く高原鉄道』国鉄宮原線に絆されて何度も通う事となったよ

急行【日南】に乗っての戦果が
あまりにも芳しくないので
t49-miyanoharu (1)
この駅を見て絆されて
絵が壊滅的に下手なのに
スケッチを取ろうと思い立ったよ
宮原線・町田駅

r410-3-3.jpg
完全に虜となって
学校サボっては宮原線の
追っかけを繰り返したよ

r410-3.jpg
四季を通じて5泊泊まって
宮原線追っかけの定宿となっていた
山小屋駅・麻生釣

t49-miyanoharu (2)
路線廃止となってから
国の重要文化財となった
『竹筋コンクリート』で有名な
宮原線・廣平橋梁でも撮ったよ
掲載写真が無いからって
完全に内容を無視した
過去の栄光写真を貼りつけてるな・・
このタワケ

撮影経験:ナシ(記事に該当する列車の写真がないので、国鉄廃止線の写真を代替掲載)←そんな必要
     あるか?


にほんブログ村 鉄道ブログへ
日本世界共通で経済不況になった
最大の原因は武漢コロナであるが
それに託けての大いなる失敗が
リモートワークだろうね

その最大の失敗はリモートワークを要望する
怠け者に市民権を与えてしまった事である
本来ならキチンと働いてるかどうかが
定かでないリモートワークには
徹底的な成果主義を導入すべきだったのだ

にほんブログ村 鉄道ブログへ
要するに成果を示さない限り
「仕事もしないでサボっていた」とみなして
給料を払わない方向に
持っていくべきだったのだ

そしてその方法は簡単だ
感染対策を万全にして3日に1回は出社させて
成果を提出させるか業務命令を出して
次の出社日までに成果を上げる
ように仕向けるべきだったのである

にほんブログ村 鉄道ブログへ
またなかなか世界的に経済が良くならず
社会もリモートワークが間違った手法だった
気がつくのも遅かったのである
それはリモートワークに味をしめた怠け者が
リモートワークを権利として要求し出したからである

要するに何の成果も上げす給料だけを要求する
給料泥棒が市民権を得てしまったのである
そしてこういった怠け者共はただ怠けたいだけなので
リモートワーク期間に会社からの連絡要求を
反故にしていたのが多かったという

にほんブログ村 鉄道ブログ
コレって似てると思わない?
ナマポ共の「たまには鰻食いたい」要求や
働いて税を納める者が4万の減税で
税を払ってない奴が給付金をタダもらいする
増税メガネのバラマキ施策に

要するに『働いたら負け』を正当化する施策である
本来減税対策と言うなら消費税減税なのだけど
税を払ってる者への4万の減税は置いといて
税を払ってない奴らにはバラマキではなく
仕事の斡旋と強制的な労働だろうがよ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ
役場の清掃とか道路の溝のゴミの除去など
軽作業に従事させて対価を払い税も払わせるのだ
そうすればバラまく7万以上の金が入るし
住民税も払えるようになるので
4万円減税の条件もクリアするのである

それにワテが経営者なら経営する会社にとって
害でしかないリモートワークは即廃止するし
それを要求するようなカスは
辞めてもらう方向に舵を切るね

にほんブログ村 鉄道ブログへ
そしてその方法は至って簡単だ
リモートワークの廃止と毎日の出社を
業務命令として出すだけでいいのだ
受け入れない怠け者は無断欠勤を繰り返すだろうから
労せずして懲戒解雇処分ができるのである

人手不足であろうが
足を引っ張る奴は要らないのだ
出社して業務命令に従う意思を示す者なら
喜んで給料を渡して仕事に励んでもらうね
ワテが経営者ならば・・

にほんブログ村 鉄道ブログ 廃線・未成線へ
しかもリモートワークを要求するような
怠け者を切った事で浮いてくる
怠け者に払っていた人件費を
業務命令に従う者に
「もっと頑張ってくれ」と分け与えるよ

PVアクセスランキング にほんブログ村
最もワテは人を雇うほどの器量がないので
立ち上げた合同会社も社員はワテ一人だけど
けれど副業って人を雇ってまで
する事ではないのでコレでいいのだ





関連記事
スポンサーサイト



No Subject * by hanagon60
「日南」は最終的にはかなり車両がグレードアップされていたんですね。
自分にとっての日南は関西と九州を結んでいた上り「日南3号」の印象が強いです。早朝、線路を走る姿をよく目にしていました。青色塗装の旧客だったのでおそらくスハ43系だったのかと。
九州内夜行時の「日南」にも国鉄全線乗り潰し時に乗っているはずなんですが、いまいち印象に残っていないのです。「かいもん」はよく覚えているのですが。
結局は写真を撮っていないという事で、いつもながらの”残念”に行き着いてしまうという。。(涙)

Re: No Subject * by  風来梨
hanagonさん、おはようございます。
hanagonさんより6〜7年後の世代の私は、同じ❴日南3号❵でも、門司港から宮崎の夜行列車ですね。 そして、旧客には間に合わず、直角椅子の12系客車でしたね。

寝台は全く縁のない小僧の頃だったので20系だったとは思いますが、スルーして記憶にないですね。 ❴かいもん❵も12系客車だったと思います。 旧客で乗ったのは、普通列車〔ながさき〕ですね。

でも、1番記憶にあるのが、特急車両を使った❴ドリームつばめ❵ですね。 北海道で『ガシャーン』の半自動リクライニングモドキの14系を体験した身には、あのリクライニングは快適過ぎました。

コメント






管理者にだけ表示を許可

No Subject

「日南」は最終的にはかなり車両がグレードアップされていたんですね。
自分にとっての日南は関西と九州を結んでいた上り「日南3号」の印象が強いです。早朝、線路を走る姿をよく目にしていました。青色塗装の旧客だったのでおそらくスハ43系だったのかと。
九州内夜行時の「日南」にも国鉄全線乗り潰し時に乗っているはずなんですが、いまいち印象に残っていないのです。「かいもん」はよく覚えているのですが。
結局は写真を撮っていないという事で、いつもながらの”残念”に行き着いてしまうという。。(涙)
2023-12-05 * hanagon60 [ 編集 ]

Re: No Subject

hanagonさん、おはようございます。
hanagonさんより6〜7年後の世代の私は、同じ❴日南3号❵でも、門司港から宮崎の夜行列車ですね。 そして、旧客には間に合わず、直角椅子の12系客車でしたね。

寝台は全く縁のない小僧の頃だったので20系だったとは思いますが、スルーして記憶にないですね。 ❴かいもん❵も12系客車だったと思います。 旧客で乗ったのは、普通列車〔ながさき〕ですね。

でも、1番記憶にあるのが、特急車両を使った❴ドリームつばめ❵ですね。 北海道で『ガシャーン』の半自動リクライニングモドキの14系を体験した身には、あのリクライニングは快適過ぎました。
2023-12-06 *  風来梨 [ 編集 ]