風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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私の訪ねた路線  第67回  指宿枕崎線

『私の訪ねた路線』  第67回  指宿枕崎線  〔鹿児島県〕
 

逆光で撮って沈んじゃいました
開聞岳と
 
《路線データ》
         営業区間と営業キロ                    輸送密度 / 営業係数(’15)
       鹿児島中央~枕崎 87.9km             3534  /   232   
運行本数
     鹿児島中央〜喜入 20分~30分ヘッド運転
     鹿児島中央〜山川 40分~1時間ヘッド運転(内 特急3往復、快速下り4本・上り3本 含)
     指宿~枕崎       6往復(内1往復は山川発着、3往復は鹿児島中央より直通運転)
     指宿~西頴娃      2往復
 
   《路線史》
路線の起点寄り区間と末端区間のギャップが大きな路線である。 そして、開通の歴史も、戦前の1936年までに山川までが開通したのに比べ、その先は1960年の西頴娃までの開業と1963年の枕崎までの全通と、かなり時間がかかっている。

前述の如く、起点の鹿児島中央寄りは沿線が鹿児島市内のベットタウンとなっており、通勤通学客の需要がかなり多い。 だが、沿線の主要都市である指宿市と鹿児島南部の港町である山川を越えると、1日の列車運行が数本の超閑散区間となる。

駅にしても、山川までの区間の約2/3が業務委託などの有人駅なのに比べ、山川~枕崎は唯一西頴娃のみが列車交換可能の有人駅である。 また、現在の終点の枕崎に至っては、元駅舎跡地に建つスーパーマーケットの裏手に押し出され、簡易一面のホームのみで駅舎もなければ待合室さえない悲惨な境遇の駅となっている。

以前の枕崎駅は、名駅舎と評される程の立派な門構えの駅舎があった。 所有者の鹿児島交通線の廃止後も駅舎は租借されて使用されたが、2006年に駅舎用地が売却されて、それに併せて駅舎も撤去解体となってホームが移設された。 従って前述の様に、現在は哀れ極まる終着駅の様相を呈している。

他の駅も保守・保全の簡略化から駅舎の撤去が行なわれ、前述の西頴娃を除くと山川~枕崎の全ての駅がホーム一面のみの待合室や便所さえない駅となっている。

だが、路線的な魅力でいうと、山川~枕崎の閑散区間が秀でているのである。 
なぜなら、薩摩の名峰・開聞岳を望みつつ、鉄道ファンの人気が高い旧国鉄型車輌が運行の任に着いているからである。
また、山川から2つめの西大山は『全国JR線の最南端駅』として有名で、駅ホーム端にそれを示した標柱があり、開聞岳と列車とこの『最南端標柱』を入れて撮るのが、この駅の訪問者の撮影パターンとなっている。
 


 

くすんだ空の時は
このように撮った方がしっくりくるかな
 
   《乗車記》
この路線は鹿児島中央(以前の西鹿児島の方がピンとくる)からの路線だが、山川までは乗った列車の列車速度があまりにも遅い事と、かつてあった夜行からの乗り継ぎであった事もあって、完全爆睡してしまって全く覚えていない。 終点で車掌に起こされるまで寝ていたのだから。
 
だから乗車記は、山川からの閑散線区のみを取り上げようと思う。 ちなみにこの閑散区間は、開聞岳の登山の際に乗ったので、おぼろげに沿線風景は覚えている。 それでは、山川で分断された閑散区間を乗車してみよう。
 
駅舎の造りが終着駅然としている山川駅の仮ホームである2番ホームが、閑散区間に割り当てられた発着番線だ。 主ホームの1番線は、この線区を支えている鹿児島中央から指宿を経て山川までの幹線区間の列車に割り当てられている。
 

池田湖に咲く菜の花
 
さて山川を出ると、トンネルで抜けて更に南下する。 しばらく進むと大山。 駅舎もない棒線駅だが、かつては交換設備があったらしく、線路のあった所は芝生となっている。 この駅は、完全な火口堰き止め湖(流入・流出河川が全くない)の鰻池と鰻温泉(泉温がかなりの高温で有名)の最寄り駅だが、4kmも離れている。
 
そして次が、あまりにも有名な『日本最南端の駅』である西大山だ。 駅舎は駅舎もない棒線駅だが、開聞岳が裾野から美しい姿を魅せ、最南端駅を示す標柱と列車とセットで撮影するのが、写真撮りの『お約束』となっている。
 

『お約束』のアングルも
空がくすんで今イチに・・
 
次の薩摩川尻も同じような駅舎のない棒線駅。 暖かい南国の地だからであろうか、無人駅は徹底的に粗雑な造りになっているような気がするのだが。 東開聞も同じような・・というか、全く同じ造りの駅。
開聞岳の立ち位置で、「列車が進んでいるのだな」と認知できる程に変わり映えのない駅が続く。
 

掲載写真の開聞岳が
あまりにも今イチなので
小市民の筆者による
名誉挽回!?の一品を
 
次の開聞は、旧開聞町(現 指宿市)の中心駅で駅舎もあったが、今は駅舎は取っ払われて広々としたバスの転回場となっている。 そして、哀れかな・・開聞駅は、今までに通った棒線駅同様の駅舎なしの棒線駅とされてしまった。 そして、転回場を与えられたバスは、開聞岳登山口を経由する便と国道直行の便を併せて日に20本程の運行があり、鉄道の利用客を根こそぎ奪っているようである。
 

山だけに気を取られたので
前の緑が真っ黒になっちゃった
 
開聞を出て程なく列車は北西に向きを変える。 従って、次の入野では開聞岳を真後ろに見るようになる。
次の頴娃も、同じような棒線駅。 変化といえば、周辺が田園地帯や茶畑(頴娃茶の産地)となっている位である。
 
次の西頴娃が閑散区間での最大駅で、旧頴娃町(現 南九州市)の中心駅だった。 そして、枕崎駅が《路線史》で記述したように駅舎が取り払われた後は、閑散区間唯一の駅舎存在駅となっている。
また、列車交換もこの駅のみが設備を残している。
 
次の御領は、鉄道を通す為に小山を切り通して、その中に設けられた駅である。 相変わらずの駅舎ナシの棒線駅だ。 次の石垣も同じ造りの棒線駅。 カーブ上に駅ホームがあるので、ホームが湾曲してたの棒線駅より長く見える。
 
次の水成川も「以下、同文・・」という言葉以外にはなさそうだ。 次の頴娃大川は、御領と同じく小山を切り通して設けられた駅で、周囲は濃い森となっている。 撮影の観点から言うと、次の松ヶ浦は使えそうだ。 小高い丘の茶畑に挟まれたカーブ状の切り通しの中に駅があり、棒線駅ではあるが茶畑を手前に軽い俯瞰撮影ができる所である。
 

雰囲気的にはいいが
開聞岳は出すべきだったか
 
次の薩摩塩屋は、一転してだだっ広い荒地の中に二面ホームのような上屋を持つ駅である。 
駅自体はもちろん駅舎のない棒線駅だが、元は交換可能駅だったのか、それとも交換設備を設ける予定だったのかは謎の二面ホーム用上屋である。
 
次の白沢も、何もない棒線駅だ。 真に「以下、同文」以外に言葉が出ない。 比べると、周囲が荒地の白沢に対して、次の薩摩板敷の方がサツマイモ畑が周囲に広がる分だけホッとする。
 
そして、悲劇の終着駅・枕崎である。 南国の駅らしい風通しの良さそうな建築美を誇る駅舎があったのだが、2006年に駅敷地が地元のスーパーに転売されて、駅舎は取り壊された上に駅は100m指宿寄りへ移転させられ、今は途中駅と同じような駅舎も待合室もない棒線駅の終着駅となっている。
 
そして、この終着駅はスーパーの真裏の隠れるような場所に位置し、枕崎市の市街地であるにも拘らず、1日数本の列車が発着する為だけにポツネンと存在する『日陰駅』となっていた。
 
そこで思うのが、「何故にあの美しい駅を撮影しておかなかったのだろう」という後悔の念である。
これは無くなってから惜しむ心そのままなのであるが、この駅舎の所有者である鹿児島交通のポンコツ列車の未乗車や未撮影と共に、私の“大いなるミステイク”の一つに挙げられる事柄だと思う。

   ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『指宿枕崎線』を御覧下さい。
     また、メインサイトの旅行記『滝と鉄道の旅・九州』の《4日目》にも
     撮影記を記していますので、宜しければどうぞ。
 
 
 

 
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No title * by tmisatojp
撮影旅行記集
素敵なホームベージを作っておられるんですね。

時々訪問して下さっていますが、私のでは物足りないでしょうが、見て下さっているんだなぁと感謝です。

No title * by 風来梨
tmisatojpさん、こんばんは。

撮影旅行記集を見て頂いて、有難うございます。
嬉しいです。


tmisatojpさんの所も、多和平とか北海道の情景が満載で、時々立ち寄らせて頂いてます。 違う観点から見た北海道は、とても新鮮です。

No title * by オータ
昔の枕崎駅は某氏の鉄道写真集で、鹿児島鉄道の車両と共に見たことがあります。 たとえば、当地の室蘭駅も伝統の駅舎が移転して、つまらない新しい建物に変わっています。仕方ないのかもしれませんが…

No title * by 風来梨
こんばんは。

北海道で最も唖然としたのは、厚床駅ですね。 標津線のあった頃と、今の棒線駅とのギャップに肩を落とした事があります。

No title * by オータ
拝復、
客レに乗って嵐の中降りた 小さな駅舎の厚床駅。初めての北海道旅行であまりにも淋しくなり、駅前の電話ボックスで小銭が無くなるまで実家の母親と話していました… 私の青春、北海道の一ページです

気をとりなおして駅の待合室へ戻ると、キオスクの片隅に小さな「ほたて弁当」が置いてあり、買い込んで標津線に乗ったのです。1982年のことでした…

No title * by 風来梨
こんばんは。

常時閑散としている厚床駅が息を吹き返す瞬間・・。
それが、標津線列車が真ん中のホームに入線する時でした。

標津線列車は根室線の上下線に接続してたので、必ず根室線上下の列車がやってきたからです。

だから、標津線の列車が入った時の厚床駅の風景は大好きでした。

コメント






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No title

撮影旅行記集
素敵なホームベージを作っておられるんですね。

時々訪問して下さっていますが、私のでは物足りないでしょうが、見て下さっているんだなぁと感謝です。
2011-11-19 * tmisatojp [ 編集 ]

No title

tmisatojpさん、こんばんは。

撮影旅行記集を見て頂いて、有難うございます。
嬉しいです。


tmisatojpさんの所も、多和平とか北海道の情景が満載で、時々立ち寄らせて頂いてます。 違う観点から見た北海道は、とても新鮮です。
2011-11-20 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

昔の枕崎駅は某氏の鉄道写真集で、鹿児島鉄道の車両と共に見たことがあります。 たとえば、当地の室蘭駅も伝統の駅舎が移転して、つまらない新しい建物に変わっています。仕方ないのかもしれませんが…
2011-11-26 * オータ [ 編集 ]

No title

こんばんは。

北海道で最も唖然としたのは、厚床駅ですね。 標津線のあった頃と、今の棒線駅とのギャップに肩を落とした事があります。
2011-11-26 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

拝復、
客レに乗って嵐の中降りた 小さな駅舎の厚床駅。初めての北海道旅行であまりにも淋しくなり、駅前の電話ボックスで小銭が無くなるまで実家の母親と話していました… 私の青春、北海道の一ページです

気をとりなおして駅の待合室へ戻ると、キオスクの片隅に小さな「ほたて弁当」が置いてあり、買い込んで標津線に乗ったのです。1982年のことでした…
2011-11-27 * オータ [ 編集 ]

No title

こんばんは。

常時閑散としている厚床駅が息を吹き返す瞬間・・。
それが、標津線列車が真ん中のホームに入線する時でした。

標津線列車は根室線の上下線に接続してたので、必ず根室線上下の列車がやってきたからです。

だから、標津線の列車が入った時の厚床駅の風景は大好きでした。
2011-11-27 * 風来梨 [ 編集 ]