風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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『ネームトレイン』 第45回  あおぞら

『ネームトレイン』 第45回  あおぞら

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♪アイツはアイツ顔デカ~イ
by Dr,スランプ(2期目)の主題歌より

  団体専用列車【あおぞら】 ・・  伊勢志摩や奈良・京都など修学旅行先を沿線に持つ近鉄では、専属の団体列車【あおぞら】の運行開始以前からも修学旅行などにおいて団体専用列車を運行してきたが、1959年に登場した特急列車用の10100系『ビスタカーⅡ世』が好評だった事もあり、2階建て電車の人気をフィードバックする形で専用の20100系が開発され、1962年にデビューした。

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世界初のオール2階建て電車として
デビューした団体専用列車【あおぞら】の
愛称を持つ近鉄20100系
※ ウィキペディア画像を拝借

その新製された専属の団体列車【あおぞら】は世界初のオール2階建て電車で、主に修学旅行の小学生を中心とした団体専用列車(修学旅行列車)向けとして設計・製造されている。 この車両の開発の経緯となったのが、一部車両を2階建てにした10100系『ビスタカーⅡ世』(1958年に試作的要素を兼ねた初代ビスタカーの10000系が1編成のみ製造されている)である。 

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人気を博し最盛期の
【名阪ノンストップ特急】の
主力として使用された
10100系『ビスタカーⅡ世』
※『私鉄特急列車』廣田尚敬 著 より

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ビスタカーの初代は
試作的要素で1編成だけ製造された
犬顔の10000系
7両編成中の中3両ユニットが
2+1配置の二階建て車両で
ビスタユニットを分割して
他の電動車と組む事もできた
※『鉄道ファン 1979年4月号』より

この10100系『ビスタカーⅡ世』は1959年に登場し、名阪ノンストップ特急で運用されて、東海道新幹線が開通する1964年10月までは、名阪間の輸送シェアを着実に伸ばしていた。

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晩年は伊賀線で改番されて
余生を送っていた
関西急行電鉄(近鉄大阪線の前身)
の特急車だったモ5000系電車
もしかしたら
団体列車として使用されていたかも

だが当時は、伊勢志摩方面へ向かう修学旅行の車両までは行き届かず、修学旅行の生徒達は2200系・2250系(大阪線)、6421系(名古屋線)など、かつて急行として使用されていた旧型車両が団体臨時列車に充てがわれていた。

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小学校の修学旅行生にも人気の
2階建て車両を充てがう事や
短編成で多くの生徒を運べる
コンセプトで設計・開発された
『オール2階建て』の20100系電車
※『私鉄特急列車』廣田尚敬 著 より

10100系『ビスタカーⅡ世』の登場で2階建て電車が人気を得る中で、小学生を中心とした生徒達にも2階建て車両に乗るチャンスを与える事、また短編成で多くの乗客を運べる事などのメリットを生かして開発・製造されたのが、専属の団体列車用の20100系電車である。

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前面に公募により採用された愛称の
【あおぞら】と記された旧エースカーと同じ
特急明示看板を提げ車体側面上部に
『あおぞら』の明示がなされていた20100系
※『鉄道コム』より

なお、【あおぞら】号の愛称は、公募によって大阪市立玉川小学校の児童の案が選ばれたとの事である。

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『鉄道友の会』創成期の
ブルーリボン賞受賞明示プレート
※ ウィキペディア画像を拝借

この専属の団体列車【あおぞら】は開発における構想が奇抜で、当時は不可能に近いとされた
全車2階建て車である事が評価され、1963年に鉄道友の会の『ブルーリボン賞』を受賞している。

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全車ボギー車で車両の両端に
片開きの乗降扉を備えていた
※『鉄道ホビタス』より

3両編成の全車が台車間を2階建て構造としているが、3車体連接車とした10100系とは異なり、全車とも20m級の一般的な2軸ボギー車となっていた。 車端部は平屋となっていた。 乗降扉は平屋部に設けており、片引き戸で1両に2か所設けられていた。

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2階席の車内
両端の電動車は車内全てに
座席が配置されている
※『近鉄 20100系の解説』より

両端の電動車は共に1階・2階を全て客席としている為、台車間は1階部の客室スペースとなっており、通常の電動車のように主要機器類を搭載するスペースが一切なく、台車に主電動機を搭載するのみである。
これに対して中間車のサ20200形は、付随車でありながら電動車に必要な機器のほとんどとトイレを1階客用扉間に集中搭載し、パンタグラフを両端の平床部分の屋根に搭載していた。

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好みが分れる
左右非対称の前面ウインドウ
ちなみにワテは今イチ・・かな
※『サイレンス・エキスプレス』より

全車とも2階建ての為に大型断面車体となっていて、前面は同時期の10100系貫通型先頭車に準じて車掌室側と貫通扉の窓の上下寸法を運転室側の窓より大きくした左右非対称のデザインとしつつ、幕板部を広くとった特徴的な形状となっていた。

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車体を引き立てる
『VISTA CAR』のロゴステッカー
※『サイレンス・エキスプレス』より

塗装はクリームとマルーンレッドのツートンカラーで、車体側面には10100系と同様の字体で『VISTA CAR』のロゴも入れられていた。

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20100系の1階席

大人には窮屈な3人と2人掛けの
ボックスシートに座席を配された
生徒全てが荷物を置けるように
背もたれの上に網棚が設けられていた
※『近鉄 20100系の解説』より

   車両構造と車内設備
当時修学旅行用電車として運行していた国鉄155系電車を模範として、立席は設けずに通路を挟んで片側を3人掛け反対側を2人掛けのボックス型クロスシートとし、座席と並行に網棚を設置(座席の背もたれの上に網棚があった)して収容力を高めた。 だが、スペース的に無理を生じて、クロスシートの通路側にはひじ掛けを装備していない。 また、階上席の階段近くはロングシートとなっている。

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車内に設置された階段部より
1階席と2階席を見る
※『近鉄 20100系の解説』より

平屋部分にある乗降扉の脇に階段を設け、1階席・2階席(サ20200形は2階席のみ)に出入りする車両構造だった。 階段の反対側の車端部にも、ボックス型クロスシートを設置していた。 また、運転席後部の座席は引率者席である。

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テーブルが着いた引率者席
※『近鉄 20100系の解説』より

引率者席のうちの一方のボックスには放送装置と固定式大型テーブルを設置し、もう一方のボックスは通常は4人掛けの座席であるが、背もたれを引き出す事で救護用ベッドとなる仕組みを有していた。

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車内アイテムとして
速度計が設置されていた
※『近鉄 20100系の解説』より

妻部分の貫通扉には自動扉(マジックドア)が採用されていて、運転室後方には電子発光板を使用した速度計を設置していた。 トイレであるが、中間のサ20200形の乗降扉付近に和式トイレが2か所設置されていた。 冷房装置の搭載は、特急車ではない事や設置スペースの問題から見送られており、側窓は開閉可能なユニット窓で、2階席と平屋部は上段下降・下段上昇式、1階席は上段下降・下段固定式であった。

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このムリヤリドーム構造に冷房装置を
取り付けるスペースなどなく
冷風扇(濡らした布に風を当てて
外気温より少し温度を下げて送風する装置)
の吹き出し口を設けていた20100系
※『近鉄 20100系の解説』より

また、設計段階では、天井高さの関係で扇風機や通風器を設置する事も不可能であった為、屋根上の外気吸入口から外気を送風機で吸気し、小型冷風装置で2℃程度温度を下げた空気を車内に送る形としていた。 各座席の窓上に冷風吹き出し口を設けており、シャッターとフィンにより風量・風向を調節できる構造となっていた。

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そのゴツイ姿から『マンボウ号』との
セカンドネームもあったらしい
※『レイルラボ』より

   運用
5編成が製造され、3編成が大阪線・2編成が名古屋線に配備されていた。 主に大阪・名古屋方面から伊勢志摩への修学旅行を始めとする団体輸送に用いられていた。 近畿地方3府県(大阪府・兵庫県・奈良県)の小学校における修学旅行での利用については、現在の公益財団法人『全国修学旅行研究協会』の大阪事務局に『あおぞら号近畿地区運営協議会』が置かれ、調整を行う事としていた。 この協議会の活動は、【あおぞらII】に代わった現在も引き続き行われている。

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天理教のイベント時に
参拝者輸送に駆り出される事もあった
※『レイルラボ』より

その他には、夏期の一般旅客向け臨時快速急行列車や大阪線・名古屋線沿線の高校野球応援輸送列車、天理臨に運用された事もあった。 その際は、本来20100系が就くべき団体輸送にはクロスシートの一般車両である2600系や2610系が充当されていた。 この処置は団体輸送に冷房搭載車を充てるという方針から、本来の製造目的とは入れ替わった使い方となったとされている。

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当時は近鉄特急車両の中でも
最低レベルの11400系イノブタでも
冷房があるだけマシだったみたい

また、登場当初から特急車の増備によって運用に余裕が生じる1970年頃までは臨時特急にも充当されていたが、本系列による臨時特急では特急券の発売方法を一部変更し、3人掛けシートは2人分、2人掛けシートは1人分での発売としてロングシート部分は発売されなかった。

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名阪特急運用から退いて余裕ができた
30000系『ビスタIII世』に
活躍の場を奪われつつあった

登場後ほどなくして非冷房である事が問題となったが、冷房装置を搭載するスペースが車内に確保できなかった為、運用終了まで冷房装置が搭載される事はなかった。 末期には本来の主任務である修学旅行輸送に充当されつつも、第二次ベビーブーム世代が過ぎ去って修学旅行の輸送人員自体が漸減した事もあって、21000系【アーバンライナー】の登場により運用に余裕ができた30000系『ビスタIII世』や一般特急車に次第に取って代わられていた。

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『さよなら運転』を終えて
車庫に引き上げる
オール2階建ての20100系
この後程なく4編成が廃車解体となり
残り1編成も運用から外れ休車となった
※『鉄道コム』より

   終焉
約四半世紀に渡って運用された当形式だが、非冷房車である事に加えて老朽化・陳腐化も進んだ為、1989年10月に18200系を改造したあおぞらIIと1988年に登場した転換式クロスシートの一般車両である5200系を代替車両として、『さよなら運転』を実施して事実上の運行終了となった。 運行終了後には第1編成を残して廃車解体され、残った第1編成も休車状態となり、1993年12月に『保有車両数2,000両突破記念』のイベントで走行したのを最後に1994年1月に廃車となって現存しない。

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階段付近に掲示された座席案内版
A~E席まで1列5名で1両の合計148席と
座席数の日本一の収容力を誇っていた
※『近鉄 20100系の解説』より

この車両の開発コンセプトにもあるように、我が国に存在した車両で1両あたりの座席数が日本一だったのが、このオール2階建てで、1両目と3両目に148席の座席を要する近鉄20100系電車である。
20100系引退後は上越新幹線で使用されたJR東日本の新幹線E1系MAXのE158形100番台が135席との事で、1962年のデビューから【あおぞら】号の持つ148の座席数は破られていない。

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上越新幹線で使用されていた
オール2階建て新幹線のE1系MAX
※ ウィキペディア画像を拝借

オール2階建て車両はJR東日本で用いられ、上越新幹線で使用された新幹線E1系MAXの他にも215系の近郊型通勤車両があるが、これも座席数120と【あおぞら】号の持つ148の座席数には及ばなかった。

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やがて2階建て車両に注目されなくなり
二階建て車両の老舗である近鉄も
30000系の『ビスタカーⅢ世』では
1階席はグループ専用席のみで実質2階席だけの
ハイデッカー構造となっていく

やがて2階建て車両が注目されなくなった事や、維持費・コストの割には運用が限られた2階建て車両から手を退き始め、今ではグリーン車や唯一の寝台列車である【サンライズ瀬戸・出雲】及びクルージング用の列車、車両の一部のみ2階建てといった車両のみとなっている。 近鉄でも30000系の『ビスタカーⅢ世』があるが、1階席はグループ専用の固定サロン席が2ヶ所のみと、ほとんどハイデッカー車のような構造となっている。

だが、近鉄20100系の148の座席数も、当時(1960年台)だったからこそ設計が成し得た座席数なのである。 それは、20100系には6人掛けのボックスシートと4人掛けのボックスシートが並んでいたのだが、ほとんどの利用者が小学生の修学旅行生であり、その専用車という事で小学生向けにシートピッチが狭く、一人分の座席は極めて狭かったのである。

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伊勢志摩の定番・夫婦岩
タワケもたまには
こういう写真撮るんだね

それは、当時の西日本の小学生の修学旅行の行先は、ほとんどが伊勢志摩方面への旅であったからである。 それゆえ、20100系は小学校の修学旅行生を主たる乗客として想定して設計した車両だったのである。 座席数を増やせたのはそういった理由があったからである。

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体調を崩した生徒の為の
救護ベットもあるなど本当の
小学生向け団体列車であった
※『近鉄 20100系の解説』より

20100系以降は、どの鉄道会社でも修学旅行専用電車は新造されていない。 それは、私学では海外も有り得るなど修学旅行先が多様化した事や、修学旅行というイベントに特別な思い入れが失われた事、修学旅行が鉄道から小回りの利くバス利用に転換した事などが要因となっている。 また、修学旅行から、住み込みの体験学習に切り替える学校も見られるようになった。

従って、鉄道での修学旅行生輸送という需要はほとんど失われ、近鉄20100系の座席数148を塗り替える車両は今後日本には現れないだろう。 近鉄においても、20100系の後継車両が新造される事はなかったのである。

20100系は歳月を経る毎に『オール2階建て』という無理な設計からの陳腐化・老朽化が各所で表面化し、中でも冷房装置を取り付ける場所がない為に冷房ナシという事が災いして、1989年10月の『さよなら運転』をもって運用から外され、5編成中4編成が廃車となり、残る1編成も休車扱いとなった。
その残る1編成も1993年12月のイベント運行を最後に、月が替わって翌年の1月に廃車解体されて現存しない。

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京都線特急車両で余剰車となっていた
18200系が『ヒゲ』を撤去されて
『あおぞらⅡ』として代替え就任した
※ ウィキペディア画像を拝借

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特急車両としていた当時の18200系
行先と特急の種別プレートが
ヒゲの如く設置されていた

20100系以降の団体専用車両は、京都・橿原線用の特急車両18200系と18400系が改造と塗装変更上で代替え使用され、現在は引退した『スナックカー』12200系列でも比較的新しい車両を、改造の上で15200系と改番して代替えに当てている。

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近鉄特急のステイタスを上げた
功労車両の12200系の新たなる働き先が
団体列車【新あおぞらⅡ】だった
12200系は特別改装されて
【かぎろひ】や【あおによし】
などにも使用されている
※『レイルラボ』より

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けれどワテが憧れた12200系の
『近鉄特急』はこの塗装で
この特急エンブレムの車両だったよ

なお、平屋建て車両に変更された現在でも、【あおぞら】は近鉄の団体専用車両の愛称として用いられて、現在は【あおぞらⅡ】(15200系に代替えされた際に【新あおぞらⅡ】に変更)となっている。

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この『顔デカイ』は
乗る事は叶わなかったけど
撮る事は叶ったよ

《列車データ》
運行区間と運行距離:大阪・上本町及び近鉄名古屋~宇治山田・鳥羽・賢島
          京都及び奈良からの発着もあった
          大阪上本町~賢島 174.9km、近鉄名古屋~賢島 144.8km
          京都及び奈良~賢島 195.2km(奈良~賢島 165.0km)
  ※ 近鉄難波~上本町の地下線は、車両断面の大きさから走行が見合わせられていた
  ※ 団体専用の車両ではあったが、車両不足の際に通常の特急にも使用された事があった
    その際は小学生向けのシートピッチから、3人掛けのボックス席は一般乗客2名分、2人
    掛けボックス席は1名分の座席指定券が発売され、車端のロングシート部は座席券が発行
    されなかった
  ※ 団体専用列車で小学校の児童の修学旅行が主な利用者であったが、甲子園の応援列車や
    天理教の参拝イベント時に運行される『天理臨』にも使用される事があった
運行期間1962年  2月27日:近畿車両において、20100系の第1編成が竣工
              以降、4月16日までの約2ヶ月間で5編成全てが竣工
              愛称は公募となり、大阪の小学生が提示した【あおぞら】が採用となる
     1963年        :オール二階建てなどの発想が評価され、鉄道友の会主催で前年に
              デビューした新型車両1形式のみに贈られる『ブルーリボン賞』を受賞
     1989年 10月      :オール二階建ての20100系が、車両の老朽化や冷房装置のないなど
              車内設備の陳腐化が露呈した事に加え、修学旅行の多様化で修学旅行
              の輸送実績が減った事から『さよなら運転』を実施し、運用終了となる
              運用を外れてまもなく4編成が廃車解体となり、1編成も休車扱いとなる
              20100系の代替車両には、京都線で使用されていた特急車両の
              18200系が改造・塗装変更されて【あおぞらⅡ】として就任
     1993年 12月      :休車扱いだった残る1編成も『保有車両数2000両突破記念』イベント
              で走行したのを最後に引退し、月が替わった1994年1月に廃車解体
              されて、20100系は全車廃車となり形式が消滅
     1997年        :18200系【あおぞらⅡ】の老朽化により、同じ京都専用の特急車両
              あった18400系に代替
     2005年        :特急車両として定期運用を終えた12200系『スナックカー』のうち、
              比較的新しい車両が18200系・18400系の代替車両に指定されて、改造
              と塗装変更を受けて【新あおぞらⅡ】として就任し、現在に至る
停車駅:大阪・上本町・近鉄名古屋及び京都・奈良と、団体列車チャーター元の学校の最寄り駅から
    の発着となり、修学旅行のプランに合わせて停車していた為、修学旅行プランにない駅は
    運転停車以外には停車しなかった

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オール二階建てで2編成だと
全校生徒さえ輸送できる
定員700人の輸送力があった
団体専用列車【あおぞら】号
※『鉄道ファン 1979年4月号』より

使用車両:全国的に名を馳せたのが、1962年~1989年に就任していた『オール二階建て』車両の
     20100系で、以降の代替車両には京都線の特急車であった18200系・18400系が改造等
     を経て充てがわれ、現在は特急の定期運用から退いた12200系の比較的新しい車両が
     改造等を経て就任している

乗車経験:ワテの小学校の修学旅行先は愛知県犬山市の明治村でナシだったが、2歳上の血のつな
     がった姉は乗った事あったようである(ちなみに姉は鉄道やヤマには全く興味がない
     普通の主婦で、『ロクデナシ道』を邁進したのはこのタワケだけである)

t45-aozora2.jpgワインダーで撮った連写3枚目は
顔が大きすぎて一部が
フレームアウトしてしまいますた
♪アイツはアイツ顔デカ~イ
浮き輪が上から入らなぁ~い
by Dr,スランプ(2期目)の主題歌より

撮影経験:中坊なりたての頃、競馬で勝った親父が息子の為でなく気まぐれで買ってきた一眼レフ
     『PENTAX ME-Super』に、中坊なり立ての小僧の持ち金でギリギリ買えた叩き売り
     望遠ズームレンズ『シグマ・ズームカッパー』を装着して伊賀神戸付近で撮った
     『顔デカイ』写真が3枚ある


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今の増税一辺倒で使うのは
支持者をつなぎとめるバラマキと
悪政の一途を辿る岸田政権
その為に自民党を支援しない労連系企業の
関連産業には一切支援金を出さない

電気料金が爆上げなのも電力会社の労組の
ほとんどが野党系の知事を支援したり
野党系の知事が原発の再稼働を
妨害したりしているからである

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ガソリンも自民党を支持する石油業界には
補助金を渡して石油業界も補助金欲しさに
トリガー条項の発動に反対する一方
購入者・消費者には補助金の財源を
確保するとの理由で一切の減税をしない

またマイナカードの紐付けの真の目的は
富△通などIT産業大手からの要望で
政治献金欲しさと保険証などで使用するごとに
盗み読みして庶民の資産状況を
キッチリ把握して増税につなげる為である

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この増税・資産情報の盗み読み・
支持者だけへの支援金バラマキを防ぐ為には
チョンに乗っ取られている今の政治を
完全に刷新するしかないのだ

そしてそれができる唯一の方法が
チョンの背乗り天皇をチョンと看破して追放し
『皇室を騙って日本を乗っ取ろうとした
憎き仇敵・チョン』との口実を得て
全てをチョンに追い払う事なのである

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天皇信奉右翼の奴らが海産物を取り扱う業者を
「シナと取引するアホ共は潰れるがいい」
と宣うがおまエラこそチョンの背乗り・天皇に
下賜づいて戦後80年の間日本の国を
チョンの手を使って汚染し続けた張本『モノ』なのだ

今の増税一直線の自民党政治も
チョンの背乗り天皇が支配を受けるチョンや
その宗主国・シナの息がかかった奴らが
与野党問わず国会を乗っ取った成れの果てである

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コイツらに日本人の血が流れているなら
感染爆発確実な状況で東京五輪を開催して
日本の国民・経済共に
殺しにかかる事なんて絶対にしない
それをしたって事が日本人ではない事の証明だ

一方野党もシナ・チョンの忠実な下僕となり
原発再稼働に反対して電気代高騰を仕向け
国防強化を軍拡と言って妨害するなど
日本のシナ・チョンへの隷属化を推進している

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与党の自民党もチョンの背乗り天皇を
国家元首に据えてマリオネットに操って
日本を乗っ取る在日チョンの思惑通りに動き
物価高騰時に増税を模索したり紐付けで
日本国民の資産を牛耳ろうとしている

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この状況では選挙をしたってムダなのだ
だから最善は何度も言うように
チョンの背乗り天皇の追放で
それができないならば選挙を経ずに
内閣総辞職に追い込む事なのである





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