2023-09-13 (Wed)✎
『日本百景』 夏 第563回 奥穂・西穂 その3 (西穂独標でビバーク) 〔長野県・岐阜県〕
夜明けの光に
穂先が光る西穂高岳
:
穂高連峰では最も低い標高なれど
最も危険な岩稜を抱いている
西穂高岳 にしほたかだけ (中部山岳国立公園)
長野県松本市と岐阜県高山市にまたがる標高2,909 mの飛騨山脈(北アルプス)南部の山である。
山域は中部山岳国立公園に指定され、花の百名山にも選定されている。 また、我が選びし【名峰百選】の一座でもある。
ピラミット峰から煽るように撮ると
険悪な岩稜が表現できるなぁ
:
この記事の時は
落日後で撮れなかったので
捻挫した時に撮った写真で
槍・穂高連峰の稜線上では最も南にある峰で、上高地や東西の方角から眺めると鋸歯状に岩稜が連なる山容が特徴となっている。 槍・穂高連峰の稜線上では唯一標高3000mを割り込んでいるが、難易度は西穂独標から先は峻険たる岩稜が連なり、西穂~奥穂の最も危険な岩稜を含めて、穂高連峰では最も多くの墜死者を出している。
2階建てのロープウェイで
数分で2150mまで上げてくれる
新穂高ロープウェイに乗って
軽装登山者が次々と稜線に上がってくる
※『じゃらん』より
1998年に新穂高ロープウェイの第二線区が開業すると、容易に稜線上に立てるようになった事から、無雪期の登山シーズン中は新穂高ロープウェイの終点の西穂高口や上高地からの登山者で大いに賑わう。
その為もあってか、下手すればスニーカーといった安易ないでたちで西穂に挑んで、鎖のない岩稜で墜死事故を起こす登山者が年に数人は出るとの事である。
西穂独標までは多少岩登りがある程度の
お気楽ルートなのだが・・
西穂独標(独立標高点の略で、山岳地図を作成する際の基準測量点となった高点を示している)までは穂高連峰の入門コースとなっているが、西穂独標から山頂までは毎年数人の墜死者を出す鎖のない一枚岩のトラバースなどがある熟達者向きのコースで、山頂から奥穂高岳までの岩稜は北アルプスの主稜線上では屈指の難コースとなっている。
ピラミットピーク手前のこの斜め一枚岩が
西穂で墜死事故が最も多い所だ
:
登り時に下りとなるので
往路で滑落事故が多発している
※『ヤマレコ』より
西穂高岳落雷遭難事故(1967年に高校生の登山部のパーティが落雷事故に遭い、生徒11名が死亡)の現場でもあり、今でも慰霊碑が鎮座し、慰霊登山を含む関係者らを迎えている。 また、西穂独標から西穂高岳の間に鎖が設置されない理由は、この落雷遭難事故が発生した事によって金属である鎖が撤去された為である。
地図作るの面倒いので
奥穂~西穂の地図を使い回し
:
独標より下は地図での説明を
要する所なんてないしィ
あっ・・ロープウエー駅の手前700m地点で
『ローリングサンダートライ』を決めて
足に全治半年の捻挫を負った所があったよ
行程記録 駐車場・トイレ・山小屋情報
《アプローチ》 大阪駅より夜行高速バス利用・所要約8時間で上高地バスターミナル着
《1日目》 上高地バスターミナル(2:45)→横尾(2:50)→涸沢(3:40)→穂高岳山荘(泊)
《2日目》 穂高岳山荘(1:00)→奥穂高岳(1:40)→ジャンダルム峰基部(2:30)→天狗ノコル
(1:20)→天狗ノ頭(1:00)→間ノ岳(1:40)→赤岩岳(1:30)→西穂高岳
(2:30)→西穂独標 ※ タイムオーバーでナシナシビバーク
《3日目》 西穂独標(1:30)→西穂山荘(1:00)→西穂高口よりロープウェイ
(0:30)→新穂高温泉よりバス利用(1:35)→JR高山駅
※ 前回『第562回 奥穂・西穂 その2』の続き
今思えば『奇跡の体力』があった
この時に縦走しておくべきだったよ
:
歳食ってヘタレてから行くと
夜明け前の穂高の山なみが撮れたりするしィ
※ 別の時に撮影
《3日目》 「ナシナシビバーク」の荒行を経て下山
着いたのは19:20頃で、着いてから数分で縁の茜色も消えて完全な日没を迎えたよ。 取り敢えず猛烈に危ない奥穂~西穂及び、西穂~独標までの岩稜帯は越えたので、この時点での『墜死』となる事は皆無となったよ。←問う所はそれか?
西穂下山時の名物・鎖ナシの
長大下降地点
:
西穂頂上直下のココの通過時は
まだ明るかったので素で降りれたよ
※ 別の時に撮影
最もヤバい斜め一枚岩は登りで
薄暗くても何とかなったよ
:
行けなかったら斜め一枚岩手前の
ハイマツの中で路上寝だったな
※ 別の時に撮影
でも、カンテラは登り時は足元を照らしてくれるが、下り時は手に持って足元に光を当てねば真っ暗闇で、これ以上進むのはせっかく回避した『墜死』という『遭難フラグ』を立てるだけなので、ここでの『ビバーク』を決める。 だが、難関極まる奥穂・西穂の岩稜を伝ったという事で、いつも担いでいるテントもなければシュラフもない訳で、一般人なら別の『遭難フラグ』がはためく『ナシナシビバーク』の遂行となる。
西穂独標は展望のいい休憩場所で
野宿する所ではナイ
※ 別の時に撮影
取り敢えず『ナシナシビバーク』を決めた通り、早速に寝転がれて風の吹きつけない所を探す。
見渡すと三角点標柱のすぐそばに、寝そべっても背中に突起物の当たらない一枚岩があり、そこを寝床と決めて寝転がるが、この岩は平らな一枚岩で『寝転び心地』はいいのだが、風の通り抜ける『寒さ満開』の岩で、1時間と持たずに撤収する。 だが、この岩からの撤収となると、再度寝転がれる『寝床』を探さねばならなくなるのである。
西穂のベンチ周りは上高地の好展望地で
ベンチの下でゴロ寝する所ではナイ
※ 別の時に撮影
・・で、今度は、西穂独標の頂上広場の最も下手側(西穂山荘側)の奥穂~西穂の主稜線を展望するベンチに目をつける。 もちろん、吹きッさらしのベンチの上に寝るのではなく、ベンチの下に足を突っ込んで、砂地の地べたに寝っ転がるのである。 これなら、ベンチの高さまで生えたハイマツが風を遮断してくれるし、また砂地の地べたは多少ゴツゴツするが耐えられない程の突起物はないし、あっても『砂や小石』の類なので取り除けばいいのだしィ。
でもここで8時間ほどガマンすると
こんな素晴らしい情景に
魅せられる特典がありますよ
・・で、寝床を確保して寝に入る。 10時位まで1時間半程ウツラウツラしたが、それ以降は寒さで寝てられなかったよ。 この時の空は、西穂の頂上に着いた時の「夕立一歩手前」から回復して満点の星空となっていて、よけいに寒さが身に染みたよ。 温度計付の時計を見ると、12℃とちょっちヤバイ気温まで下がっていたしィ。
合羽を入れていた赤い5L袋を
頭にかぶって『平安貴族』となっていた
※『百人一首・烏帽子』より
かなり寒いので、防寒着代わりに持ってきた雨合羽を着込んで、寒く感じる頭に雨合羽を入れていた袋を烏帽子のように被って、何故か持ってきていた替えの靴下を手袋替わりに手に被せる『平安貴族』もどきの格好で胡坐を掻いてまどろむ。
コレよりもっと凄い
『満点の星』の空だったよ
※『フォートラベル』より
この時の満点の星空は、それはもう綺麗だったよ。 もう、溜息と涙で滲んで、流星群に見えたりしたかも・・ね。 ラッキーだったのは雨が一切降らなかった事と、この『平安貴族』もどきの格好は結構保温力があって、寒さで身体が震える事が無かった事ですかね。
夜明け前は明るくなる空の縁と
満点の星の夢空間だったよ
※『リトリップ』より
そして時間の経過も案外早く、胡坐を掻いたままでウツラウツラしていると、もう丑三つ時を周って空の縁が白らみ出し始めていたしィ。 まぁ、この『平安貴族』もどきの格好が『ヒット』だったので、ウツラウツラする危険極まりないマネをしても、そのまま永遠に眠りに着く事はなかったけれど。
空の縁が赤く染まり
対峙する前穂高岳の岩稜が
シルエットとなり姿を魅せ始める
空の縁が僅かながらに白み始めて、真っ暗闇で黒影でしかなかった奥穂~西穂の主稜線も、姿かたちを魅せ始めてきた。 奥穂~西穂の主稜線が姿を現わし始めてから30分ほどたった4時過ぎ、日の出を見に来たトップの登山者が登ってきた。
普通は夜明け前のヤマの頂上で
頭に赤い合羽の収納袋を
烏帽子のように被って手に靴下を履いた
奴がいたら目を背けるわなぁ
:
・・という事はこの兄ちゃん
なかなかの大物でないかい?
登ってきた若い兄ちゃんの登山者は、『平安貴族』もどきの格好で胡坐を掻くワテを見て「おはようございます (登り着くのが)早いっスね~」と、半分驚きで声をかけてきた。 まぁ、『平安貴族』もどきの格好に、「コイツ、キショっ!」と驚いたのでなくて良かったよ。
でも『ナシナシビバーク』するほどの
こんな情景が魅れたのですよ
↑
コレしかないのでコレで食らいつくよ
でも、正直にいうと、『早く着いたからではなく、タイムオーバーでビバークして一夜を明かしたから』で、この兄さんの問いに笑って誤魔化すしかなかったのである。 でも、烏帽子頭の『キショい』格好を見たら薄々感づくはずなのだが、この兄さんは独標にトップで登りつけなかった事の方が驚愕に値する事だったようで、ワテはあくまでもこの日のトップに独標に登り着いた猛者の称号を得たようである。
吹雪いた翌日は
頂上の祠が凍って
神秘的に輝く絶景だったよ
でも、標高2701mのこの独標『ナシナシビバーク』するのも、違った意味で『猛者』なんでないかい? そういえば、甲斐駒ヶ岳の秋も午後に小吹雪となって鋸岳への縦走を断念して、頂上でビバークしたっけなぁ。
この時はココで
テントを張りますた
この時は鋸への縦走って事で、テント一式担いでいたから小吹雪の中ぐっすり寝れた(ある意味『オチャメ』ってからの度胸は据わっているなぁ・・、このタワケ)けど、朝一快晴の下りで同じくすれ違う登りの登山者すべてに『驚愕の速さ』と驚かれたよ。
この時は正直に頂上ビバークを『ゲロ』したので、『驚愕の速さ』から『驚愕のアホ(命知らずのタワケ)』となったようだけど。 けれど判断としては、小吹雪となった午後の下りの危険より、天然の風避けとなる甲斐駒ヶ岳の大岩の袂にテントを張った方が安全で正解と思うのだが・・っていうか、『下り三倍満』と云うその下りの『驚愕の遅さ』を何とかするのが先だろうが・・よ。
西穂独標・夜明けの絶景 その1
対峙する前穂高の岩稜が
シルエットを浮かび上がらせて
ピンク色の空に浮かぶ笠ヶ岳
霊峰・富士もお目見え
焼岳に朝日が当たり始めて
常念の山々の先に八ヶ岳が
やがて、数組の登山者が登り着いてくると、写真が撮れる程に明るくなってゆき、奥穂~西穂の主稜線もスペクトルの空に浮かび出してきた。 後は『平安貴族』もどきの格好を解除して、「御来光を見るべく西穂山荘のテント場より登ってきた者の一人」に身を隠して、朝の絶景を撮る。 まぁ、今夜の『ナシナシビバーク』の偉業!?を語ると、この時のように蜂の巣を突いた様な騒ぎでピエロ系のヒーローになったかもしれないけれど。
西穂独標・夜明けの絶景 その2
西穂と奥穂へ続く
鋸刃のような岩稜のシルエット
裏銀座・双六方向は
雲海が川のように流れていた
奥穂・西穂は西穂からが正ルートと
思われがちだが西穂からの
この下りでの墜死者は
『馬ノ背』より多かったりする
笠ヶ岳の『笠』に
完全に日が当たって夜が明けて
『ナシナシビバーク』は終わりを告げた
中央アルプスの山なみが
かぎろい色に染まって
やがて前穂高の岩稜の間から
朝日が昇り始める
焼岳の後ろに控えるは乗鞍岳
乗鞍の背後には
雲海の海原がなびいていた
絶景最後の掲載写真は
朝日に輝く焼岳おば・・
『ナシナシビバーク』の荒行の鬱憤を晴らすが如く、朝の写真を撮りまくって時間を潰し、明るくなってから危険の去った西穂独標を下る事にする。 でも、そういえば、昨日の18時前に最後のロールパンと最後の水を口にしてから12時間一切の呑まず食わずだったけど、不思議に喉も乾かず空腹も感じなかったよ。 でも、『安心して下山できる状況』を確保したなら、この2つの欲求が出てきたよ。
2日がかりで
宿泊予定地の西穂山荘へ
「あぁ、あの兄さんに(驚愕の遅さでタイムオーバーとなって、日が暮れて下山できずに『ナシナシビバーク』となった事をゲロして)水分けてもらえば良かったなぁ」と後悔しながら、よろよろ歩きで西穂山荘まで下っていく。 下りの遅さに磨きのかかったワテは、朝の御来光を見に来た登山者の全てに抜かれて7時半に『昨日泊るハズだった』というか、奥穂高岳の出発時には「調子良ければイッキにロープウェイまでも・・」とバラ色に脳ミソを化膿させていた西穂山荘に着く。
逆光に黒光りする西穂高岳と
背後にそびえる穂高連峰
:
背後に見える奥穂高岳から
2日がかりで歩くという
『オチャメ』山行は恐らくここで終幕
着くと同時に、山荘前の清涼飲料水の自販機でポカリスエッドのボトルを買ってイッキ飲みしたよ。
この時、ふとラッパ飲みしながら思ったよ。 「ああいう状況では、金持っていても何の足しにもならんなぁ」と。 『金』ってのは、人と関わるエリアでこその代物なんだと理解したよ。 続いて、空腹を満たすべく山荘の食堂に入ったが、食事提供は昼からだそうで、またカップ麺もメニューにラーメンがある事から販売しておらず、会計口に差してあったパンを2つ買い込んで空腹を満たす。
土手に登ってすれ違おうとした際に
枝に足を取られて幕営装備一式と共に
1回転半する大転倒をカマしたよ
:
ちなみにその時は西穂から奥穂を
攻めようとして西穂でタイムオーバー
撤退した帰りだった
※ ウィキペディア画像を拝借
喉の乾きと空腹を癒し終えると、後はロープウェイの駅までの1時間半をハイキングコースを伝って下るのみだが、この『ハイキングコース』にはトラウマがあったりするのよね~。 それは、『その2』でチョロっと記したが如く、何でもない下りで『スーバーローリング・サンター・オチャメ』をカマシてこっ酷い捻挫をした事である。 あの時もテントはあったとはいえ、ロープウェイ乗場の700m手前でビバークと相成ったしィ。 だから、違う意味でテンパったよ。
捻挫して下山したあの時の名古屋駅は
真に『地獄の特訓』だったよ
:
通行人とぶつかったら確実に
のたうち回るので避ける事が必須だし
杖ナシなのでショーウィンドゥに
ペタペタ手を着きながら歩いたよ
※ ウィキペディア画像を拝借
あの時のロープウェイ乗場までの700m(拾った木の枝を杖にしないと歩けず、700m歩くのに1時間以上かかった)と、大阪に帰るべくの名古屋駅での乗換(駅のコンコースではヤマで拾った木の枝は使えないので、駅の壁やショーウィンドーにベタベタ手を着きまくって這うように歩いていた←よく鉄道警察隊に捕まらんかったなぁ・・、このタワケ)は『地獄の特訓』だったしィ。
『オチャメ』山行だったとしても
タワケの話術を駆使して
トンデモない成功秘話に変えられる
まぁ、何はともあれ、新穂高温泉から槍の西鎌尾根を登って、大キレットを含む槍・穂高の主稜線と奥穂~西穂の岩稜を完全縦走して、新穂高温泉に戻ってくるという行程をツギハギで2年かかったとはいえ、何とか完遂できたのである。 しかし、小屋の充実した人気の山の縦走行程で、これほどまでに『オチャメ』をカマすなんて天然記念物級の『オチャメゲッター』だな・・、ワテは。
ついでにこの盆に念願の
ジャンダルムも踏破リベンジ完成
:
一応ヤバい所はひと通り踏んだので
これからは少し穏やかな山行を目指そうか・・
でも、一般ピープルなら『死亡フラグ』モノの、スーパー『オチャメ』をカマせばカマすほどにいい写真が撮れるっていうか、こんなハデな『オチャメ』をカマシても、写真はそれなりに撮れちゃうんだよねェ。 不思議だねェ。
世の中で最もムダな出費
それは税金である
なぜなら目に見えて実感できるような
対価が全くないからである
正確に言えばゴミの収集とかの
実用における対価はあるのだが
対価として支払う金額が高すぎるのである
今の掛けられたあらゆる税を計算すると
月に支払う額の6割近くが税金だという
生活費として通常月に13~14万
かかるワテは7万以上の金を
税金として取られている事となる
考えると日本の経済はGNPの4割の金で回っていて
6割が税金として無意味にぶん盗られている訳だ
そしてその税は全てにおいて多重課税が基本で
コレこそ国民生活を危機に陥れる
憲法違反ではないかとさえ思う
そして今までの政権は財務省と結託して
取る事ばかりを懸案や議題に挙げるのである
そして国民が怒り始めると
訳の分からん補助金をバラ撒いて口を塞ぐ
そして補助金が配られる先は
与党・自民党を支援する団体に限られる
そうして30%の政党支持率を確保しているのだ
本来なら増税一辺倒で国民の資産状況を
盗み取るマイナカートの紐付けなど
悪政の限りを尽くす岸田内閣の支持率は
10%を切ってもおかしくはないのだ
それがまだ30%以上あるのはこの為だろう
そして受け皿となる野党も全てが
反日思想でシナ・チョンの走狗である
だから選挙をしても変わらない
与党が勝つと増税とシナ・チョンへのすり寄り
野党が勝つとシナ・チョンへの隷属化で同じだ
唯一変える方法はチョン・シナを完全に
追っ払うべくチョンの背乗り天皇・皇族を
チョンと暴露して日本から追放し
それを口実に日本の国政を乗っ取っている
チョンを日本から一斉追放する事である
でも天皇信仰の洗脳は根深く
コレは恐らく不可能だろう
そもそも江戸時代はカス同然だった
天皇が明治時代にいきなり神のような
存在になる事に整合性がないだろうがよ
つまり明治維新政府の祀り上げた
マリオネットを信奉して戦争で負けても
責任を取らない奴を天皇信奉の名の下に
助命したのが運の尽きである
戦犯として処刑するだけで今の状況は回避できたのだ
それをチョン・シナに利用されて
タカるだけタカられるなど
在日チョン災禍を食らったのである
この状況でも外国人を優遇する日本の政治を見て
「まだ気がつかんのか?」と憤るワテ
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Re: こんにちは。 * by 風来梨
My Photo,Sさん、こんばんは。
奥穂・西穂は既に歩かれてましたか。 数十年前の5月という事は、残雪期にいかれたのですね。 もの凄い猛者ですね。
そして今よりも整備されていなかったであろうから、難易度もかなり高かったかと。
足が遅すぎて『オチャメ』った私としましては、この難路は若い時に行っておくべきだったかと。 もちろん、季節は夏です。 自分自身で『奇跡の体力』と言っていたかつての体力なら、奥穂からイッキにロープウェイまで行けたと思います。 でも、今のヘタレきった状況は、若き日の自分が見たら、将来の自分の姿に幻滅を感じて泣きながら殴りかかる程の体たらくですね。 別人というか、ほとんど詐欺ですね。 奥穂から西穂山荘へも行けずに、タイムオーバーでビバークなんて・・。
でも、今年の盆のジャンダルムと共に、這ってでもリベンジできて良かったかと。 まぁ、今回も、岳沢のガラ沢下りで日が暮れて、岳沢小屋にも宿泊を拒否られて、小屋上の展望台でナシナシビバークとなっちゃいましたが・・。
でも、今年の盆の五竜~鹿島槍の縦走で、何とかテント一式担いで縦走できる体力はキープしているみたいです。
奥穂・西穂は既に歩かれてましたか。 数十年前の5月という事は、残雪期にいかれたのですね。 もの凄い猛者ですね。
そして今よりも整備されていなかったであろうから、難易度もかなり高かったかと。
足が遅すぎて『オチャメ』った私としましては、この難路は若い時に行っておくべきだったかと。 もちろん、季節は夏です。 自分自身で『奇跡の体力』と言っていたかつての体力なら、奥穂からイッキにロープウェイまで行けたと思います。 でも、今のヘタレきった状況は、若き日の自分が見たら、将来の自分の姿に幻滅を感じて泣きながら殴りかかる程の体たらくですね。 別人というか、ほとんど詐欺ですね。 奥穂から西穂山荘へも行けずに、タイムオーバーでビバークなんて・・。
でも、今年の盆のジャンダルムと共に、這ってでもリベンジできて良かったかと。 まぁ、今回も、岳沢のガラ沢下りで日が暮れて、岳沢小屋にも宿泊を拒否られて、小屋上の展望台でナシナシビバークとなっちゃいましたが・・。
でも、今年の盆の五竜~鹿島槍の縦走で、何とかテント一式担いで縦走できる体力はキープしているみたいです。
数十年前の5月にこのコースとは逆のルートで奥穂高~ザイデン~上高地へ向かう時、独標の基部にテントを張った事が有りましたが、真夏とは言えツェルトも無しでのビバークは辛いものが有りますね。
笠ヶ岳や西穂山荘の小屋からはヘッデンの灯りが見えたのではないでしょうか。
御無事に帰還され何よりです。