風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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廃線鉄道  第110回  鴻紋軌道

廃線鉄道  第110回  鴻紋軌道 〔北海道〕

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住友の鋳型微視菱の社紋が
記された鴻紋軌道の客車
山奥で砂金の鉱床が発見され
日本有数の金山となり
住友財閥が鉱山を買い取って
鉱山従事者や鉱石輸送の為に敷設した軌道である
※『懐かしの鴻紋軌道』より

鴻紋軌道(こうもんきどう)は、かつて北海道網走支庁管内の紋別郡紋別町(現在は紋別市)に存在した軽便鉄道路線である。 我が国で第三位の金の産出量を誇った鴻之舞金山(金の他にも銀や銅も産出した事から、正式名称は鴻之舞鉱山となっている)からの鉱石搬出目的に敷設された事から、鴻之舞軌道(こうのまいきどう)と呼ばれる場合もある。

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人心を惑わす『金』の鉱床が見つかり
ゴールドラッシュから人口1万3千の
鉱山街となった山奥の秘境・鴻之舞
※ ウィキペディア画像を拝借

鴻之舞鉱山拡張に必要な資材の運搬や、ゴールドラッシュに沸いて人口が1万3千人を超す鉱山街となった鴻之舞地区住人の生活物資の運搬を目的として、1940年10月に着工された軌道である。
当初は1942年に完成予定であったが、元紋別地区にある沢の埋め立てが難工事となって、鴻之舞地区から沢の埋め立て用に大量の石を運搬したのが影響して工期が延びていた。

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鴻之舞鉱山跡にある鴻紋軌道記念碑
紋別駅跡にも同様の碑がある
後ろの構造物は不明
※ ウィキペディア画像を拝借

翌1943年6月に完成したものの、鉱山は戦時産業統制の一環で前年12月26日に休山命令を受けており、最初の活躍の場は解体された機器類を他の鉱山に転用する為の運搬という、当初目的から外れた皮肉な結果となった。 だが、軌道自体は休山中も、鴻之舞地区に残る居住者の通勤や生活物資輸送の為に運行を継続していた。 冬期は運行されない期間があったが、冬期休止なのか、大雪で動けなかったのかは不明である。

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鴻之舞鉱山跡碑
かつてここには
国内第三の産出量を誇る金山があった
※『北海道記念碑レポート』より

鉱山は1947年に復興したものの、周辺道路の整備による自動車輸送に圧されたため、軌道は翌1948年に廃止となった。 なお、鴻紋軌道や鴻之舞地区は、ザ・ピーナッツやダークダックスが歌った『銀色の道』(塚田茂作詞・宮川泰作曲)のモデルとなった場所である。

鴻紋軌道
鴻紋軌道の予想路線図
ウェブサイトに載ってある地図を
真似て作成しただけなので
あくまでも『予想図』の範疇です

《路線データ》
区間と路線距離(営業キロ): 紋別~元山 約28km(詳細は不明)
軌間:762mm、電化区間:ナシ(全線非電化)、複線区間:ナシ(全線単線)
駅数:14駅(起終点駅含む)〔紋別〕・元紋別・草鹿・木原・野中・中藻別・長島・曙・桜町・
              栄町・末広・住吉・元町・元山
  ※ 起点の紋別乗降場は、1989年5月1日に路線廃止となった名寄本線の紋別駅に近い位置に
    あった
  ※ 元紋別乗降場は、名寄本線の元紋別駅とは1km離れた所にあった
  ※ 乗降場の位置や数などは、鴻紋軌道を取り上げる書籍によって記述が異なるなど、不確定
    な要素が多く、詳細が不明のままとなっている

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坑内軌道と直結していた
鴻紋軌道の元山駅
※『懐かしの鴻紋軌道』より

  鴻紋軌道 年表
1915年(大正  4年)             紋別の鴻之舞・藻鼈川沿いの元山付近で金の鉱床が発見される
               金の鉱床発見で鉱区設定を巡る紛争が起きたが、結果的に有志に
               よる組合の鉱区設定が許されて操業開始となる
1917年(大正  6年)             住友財閥(のちの住友金属鉱山)が経営権を得て、以降は1973年
               に閉山となるまで操業を続けた
1940年(昭和15年)10月      :鴻之舞鉱山の鉱石輸送などを目的として、路線敷設工事を着工
                   完成は1942年度中を予定していたが、元紋別地区の沢の埋め立てが
                 難工事となって、工期が1年延びたとの事

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牽引機関車は日立製作所製の
B型タンク式蒸気機関車が充てられた
現在は旧上藻別駅逓所に
静態保存されている
※『旧上藻別駅逓所』より

1943年(昭和18年)  6月      :竣工
           12月26日戦争の激化による産業統制によって金は不要不急の鉱物とされた
               為に、休山命令が発布されて鴻之舞鉱山は休山となる
1947年(昭和22年)     :終戦により休山命令が解かれ、2年後に鴻之舞鉱山が復興となる
               翌1948年より操業再開
1948年(昭和23年)     :周辺道路の整備によって、自動車(トラック)輸送に圧倒された
               為に路線廃止
1949年(昭和24年)  3月      :北紋バス株式会社設立
             9月27日紋別~鴻之舞~丸瀬布 北紋バス運行認可
           10月  3日:紋別~鴻之舞~丸瀬布 北紋バスの運行開始
1973年(昭和48年)  8月      :金相場の下落や資源の枯渇により、鴻之舞金山が閉山となる

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上藻別駅逓所に静態保存されている
1954年協三工業製の3tディーゼル機関車
※『カメラのキタムラ』より

   車両
機関車1両につき、貨車2両・客車3両が標準とされていた

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上藻別駅逓所に静態保存されている
日立製作所製の
B型タンク式蒸気機関車
※『カメラのキタムラ』より

   機関車
Nos.171~1731941年及び1942年日立製作所製Bタンク式機関車
        1944年採掘事業縮小により1両が根室拓殖軌道で使用される事になったが、
        終戦後採掘再開により中止になった
        路線廃線後は十勝上川森林鉄道で使用されていた

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上藻別駅逓所に静態保存されている
スチームを動力源にした
自走トロッコだろうか?
※『カメラのキタムラ』より

機関車の他、除雪車・客車・貨車を保有していたが詳細不明

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かつてここに鉱山があった
事を示す小さな石碑
※ ウィキペディア画像を拝借

  鴻之舞鉱山
鴻之舞鉱山(こうのまいこうざん)は北海道紋別市にかつて存在していた鉱山で、住友金属鉱山によって経営されていた。 紋別市鴻之舞にあった鉱山で、鴻之舞は紋別市の中心市街地であるオホーツク海側から約25km程、遠軽町の旧丸瀬布町方面に南下した地点である。

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廃墟となった鴻之舞鉱山の
シンボルであった元山変電所の大煙突
金鉱床の発見で『ゴールドラッシュ』となり
時を経てその賑わいが夢幻の如く
再び誰もいない廃墟となった
※『みんカラ』より

この地を含めてのオホーツク海側、特に北オホーツク枝幸のパンケナイ・ウソタンナイなどの川では明治30年代頃に砂金が発見され、砂金掘りたちが集まって『ゴールドラッシュ』となった。

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鴻之舞での金鉱床発見後
鉱区設定を巡る紛争が起きたが
住友財閥がそれを資本によって
鎮めて金鉱の操業を始めた
※『みんカラ』より

枝幸より南に位置する紋別の鴻之舞・藻鼈川沿いの元山付近では、1915年に鉱床が発見されると、鉱区設定を巡る紛争が起きた。 結果的に有志による組合により鉱区設定が許され操業が開始されるが、1917年に住友財閥(後の住友金属鉱山)が90万円で経営権を得て、以降1973年に至るまで操業を続けた。

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鉱山変電所の廃墟
西洋の教会のような採光窓を持った
ハイカラな建物だと想像できる
※『みんカラ』より

鴻之舞鉱山は元山鉱・倶知安鉱を中心に金・銀・銅などを産出したが、中でも金の埋蔵量は佐渡金山・菱刈金山に次ぐ日本で第三位の産金の実績であり、1940年には年間金2.5トン・銀46トンを産出している。 1955年には、金の採掘量が年間2.98トンの最高産出量を記録している。 操業開始から1973年の閉山まで、金72.6トンと銀1,234トンを産出している。

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鉱山住宅が廃墟として残っている
※『みんカラ』より

鉱山の発展に合わせて、鉱山労働者とその家族の居住する街区が藻鼈川・道道に沿って形成され、1942年頃の最盛期には人口14,640人を数えるまでになった。 しかし、1943年に戦争の激化による産業統制の一環として金は不要不急の鉱物とされ、鴻之舞鉱山も休山命令が発布された。 鉱山の休山命令によって、産金部門で働く労働者の多くが産銅部門や住友系列の他の事業所に配置替えとなり、一時的に地域の人口は激減した。

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鴻之舞鉱山跡碑と鴻之舞鉱山慰霊碑
※ ウィキペディア画像を拝借

戦時中は1937年に勃発した支那事変の長期化によって鉱山労働者が次々と徴兵され、ついには操業に支障をきたすようになったという。 この状況に親会社の住友財閥は、朝鮮総督府や企画院に対して大陸からの労働者補充を幾度に渡り要請し、1939年には政府の労務動員計画に基づく朝鮮人労働者の移入が開始された。

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現在も浄水濾過用の
沈殿池が稼働している
写真は奈良水道局・桜井浄水場の沈殿池
※ 奈良県のウェブページより

第二次世界大戦後の1947年に鉱山が復興し、翌1948年に操業を再開したが、金価格が下落し資源も涸渇した事から、1973年に住友金属鉱山は鴻之舞鉱山の閉山を決めた。 閉山後も沈殿池(砂や土を水から取り除くべく、静かな流れの中でフロックが沈められた濾過用のため池・浄水場の施設の一つである)のみ稼働している。

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現在も鉱山水送水施設として稼働している
鴻之舞鉱山の五号坑橋
※ ウィキペディア画像を拝借

1932年から1952年にかけて、石北本線丸瀬布駅と鴻之舞を結ぶ索道『鴻丸索道』による物資輸送が行われている。 鉱山が栄えた1943~48年までの短い期間であったが、紋別中心地と鴻之舞との間に鴻紋軌道が敷設されていた。 軌道は物資輸送等に使用されたが、現在は道道紋別丸瀬布線が通るのみである。

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軌道廃止後の鴻之舞への交通手段の
確保の為に設立された北紋バス
だが無人地帯となった現在は
事前予約制の運行となっている
※『旧上藻別駅逓所』より

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閉山後無人地帯となった鴻之舞地区への
交通手段を確保する必要はなくなり
2005年に鴻之舞金山資料館として
リニューアルされた旧上藻別駅逓所
までの予約制観光路線となったのである
※『旧上藻別駅逓所』より

1949年には、紋別市街と鴻之舞を結ぶために北紋バスが設立され、バス路線が開設された。 
上藻別地区へ走る路線はかつての紋別市街と鴻之舞を結ぶ路線の名残であり、路線名は『鴻之舞線』で変わっていない。

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坑内トロッコの橋脚と思われる
コンクリート製構造物
周囲は林の中に埋もれ自然回帰しつつある
※ ウィキペディア画像を拝借

木製の構造物は既に朽ち果てて、鉱山に携わった居住者全てが転出して集落は存在しないが、大煙突・発電所跡・学校の側壁跡などのコンクリートやレンガ製の構造物が藪や林の中に散見される。
鉱山があった事を示す碑と、鉱山犠牲者の慰霊碑が建立されている。

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国の登録有形文化財に登録された
旧上藻別駅逓所

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建物内にある貴賓室
※ 2枚いずれも
文化庁の『文化遺産オンライン』より

鴻之舞鉱山と紋別市街の中継点として、道路沿いに1926年に建設された旧上藻別駅逓所(幕末から昭和初期の北海道において、旅人の宿泊や運送・郵便の役割を担った施設)がある。

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2005年に鴻之舞金山資料館として
開館した旧上藻別駅逓所
※『旧上藻別駅逓所』より

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サイロを模った資料室や
※『カメラのキタムラ』より

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フィールドアスレチックの
遊具施設が設けられている
※『カメラのキタムラ』より

この駅逓所は国の登録有形文化財として登録され、鉱山の歴史を伝える金鉱石と機材を展示する鴻之舞金山資料館として2005年に開館した。 鴻之舞鉱山のOB有志らが、『上藻別駅逓保存会』を結成して管理・運営にあたっている。

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2005年に旧上藻別駅逓所が
『鴻之舞金山資料館』として
開館した事により整備された
協三工業製の3tディーゼル機関車
※『カメラのキタムラ』より

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整備の手が追いつかず
放置されたまま朽ち果てる
鉱山用トロッコ
※『旧上藻別駅逓所』より

また、坑内軌道で使用されていた1954年協三工業製3tディーゼル機関車が、『丸瀬布森林公園いこいの森』と旧上藻別駅逓所で保存されている他、人車・チップラー装置で反転して積み荷の鉱石を鉱井に落とすチップラー用鉱車・軌道横のダンパー装置で片側面が開くグランピー鉱車・切羽で鉱車に鉱石を積み込むバケットローダーが、両機関車と共にそれぞれで保存されている。

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藻別川に残る宝橋の橋桁
※ ウィキペディア画像を拝借

  廃止後の状況
藻別川やその支流に道路を跨ぐ橋台や橋桁が残っており、このうち五号坑橋は鉱山水送水施設として現在も活用されている。 路盤の一部は、道路やゴルフ場通路に転用されている。 2003年7月には閉山30周年を記念して、『銀色の道』歌碑の除幕式典を鉱山と紋別駅の跡地にて挙行している。


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コレを読んでその通りに進路を取れば
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有り体に言えばアフィリエイトそのままですな
そしてその手法も貧欲丸出しで
ダメな奴を徹底的に蔑み
「このままではオマエは全てにおいて破滅するよ」
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でもそいつの起こした会社に勤めてる奴は
人生において全て上手くいってる
人生の『勝ち組』ばかりなのだろうか?
恐らく強制的にそうしているだけであろう

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即ち気に入らない奴は『無能』と断を下し
自分の周囲から追い払って
周囲が『イエスマン』ばかりの
この著者が言う『勝ち組』
ばかりとなっているのだろう

でも何の裏付けもなくコイツらが著した本の通り
裏付けのない自身の能力を『スキル』と過信して
安易に「今の勤め先はなってない」と
不満ばかり垂れてフリーランス起業や転職に乗り出し
失敗して無職となり身上を失う奴がかなりいるのだ

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こういう奴ってプレジデントやダイヤモンドが
示す『できる奴』なのだが
プレジデントやダイヤモンドが蔑む
ワテを含めた『無能』の1億倍は
頭が悪いと思うけどねぇ

頭のいい奴ならただ自らの著書を売りたい
為だけの責任を取らない他人の指図で
安易に裏付け無しで事を起こして自滅して
身上を失うって事はないのである

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現に何のスキルもなく仕事に対して全く向上心がなく
整理整頓が雑で部屋が汚く『ITクソ食らえ』で
コイツらが言う『無能』の極致のワテは
非正規でも手取りで正社員の役付と同等だしィ
このようにしっかりと老後の足掛かりをつかんでいるしィ

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要は自分で考え裏付けをしっかり構築して
事を運んでいけばそんなアフィリエイトな
本など見ずとも事を運んでいけるのだ





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