2023-07-19 (Wed)✎
『路線の思い出』 第532回 磐越西線・山都駅 〔福島県〕
もはや鉄道を使っての
飯豊山登山は皆無となったが
一応登山口の駅である山都駅
※ ウィキペディア画像を拝借
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
郡山~新津 175.6km 1923 / 228
運行本数(’23)
山都駅発着列車
下り新津方面・上り会津若松方面共に11本づつの運行
下りは新津行が5本・途中の野沢止が5本・新潟行が1本
上りは全て会津若松行となっている
ランプ小屋が綺麗に保存され
観光列車〔SLばんえつ物語〕の
目玉の一つとなっている
※ ウィキペディア画像を拝借
山都駅(やまとえき)は、福島県喜多方市山都町字西原にあるJR東日本・磐越西線の駅である。
当駅から新津方面は、新潟支社の管轄になる。 観光シーズンに運行される〔SLばんえつ物語〕が停車する。
国鉄駅の標準タイプである
単式・島式複合の2面3線ホームと
跨線橋を有している
※ ウィキペディア画像を拝借
簡易委託駅とはいえ有人駅
ならではの整ったいい駅である
※ ウィキペディア画像を拝借
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の2面3線のホームを持つ駅で、互いのホームは跨線橋で連絡している。 新津駅管理の簡易委託駅である。 駅舎内には切符売り場の他、待合室・自動販売機等がある。 2022年度の1日平均乗車人員は154人との事である。
現在は喜多方市山都支所から
委託を受けたタクシー会社が
登山シーズン中のみ
マイクロバスを運行している
※ 喜多方市・山都総合支所のウェブページより
会津坂下町から喜多方市高郷地区を結ぶ会津バス・荻野線が運行されていたが、2021年9月末をもって廃止された。 10月からは予約制交通(コミュニティバス)『みんべぇ』が運行されている。
また、飯豊山登山のアクセスバス(喜多方市山都総合支所による運行)が、7月中旬~9月上旬の金・土・日・月に運行されている。
まだこの頃はヘタれていても
撮影の為に20㎏のザックを上げ下ろしする
微かな根性があった
飯豊山の落日
飯豊山の固有種・イイデリンドウ
この山行初日の行程図
ヘタレが顕著となったのが自覚できた12~13年前の夏・・。 「(日頃は無訓練のヤマを徹底的にナメたスタイルでも)まだまだいける」と、テント一式担いで山形県・小国の飯豊山荘から、『心臓破りの初心者コース』の梶川尾根(標高差1300mのイッキ登り)より、飯豊山を縦走して福島県の山都・川入に抜けるヤマ旅をしたのである。
嵐が去って空を覆っていた
雲が霧散していく瞬間
昨日口を開ければ勝手に水分補給が
できるほどの嵐を呼んだ雲は
次々と谷からヤマを越えて北へ去っていく
だが、日頃の行いが悪しき筆者をあざ笑うかのように、初日は口を開けてると勝手に水分補給ができる(暴風雨が勝手に口に入ってくる)程の暴風雨、2日目は台風崩れの低気圧が過ぎ去ってチンチクリンの日照りで、しかも飯豊本山のテント場がトイレから300m離れていて『使えない』ので小屋に泊まるなど、テントを担いできたのが無意味となってしまったよ。
昨日の嵐でチリチリとなるも
散らずに生き延びたマツムシソウ
今回は往復3時間の
飯豊最高峰・大日岳に
立ち寄る余裕はなかったよ
ピーカン稜線歩きの2日目行程図
初日は嵐でテントなど張れず
2日目は飯豊本山のテント場が
トイレから300m離れて使えないので
テント一式担ぎながら小屋泊まり
そのテント場デス
上に建つのが飯豊本山小屋とトイレ
だが、最終日は「この哀れなヘタレにこれ以上の仕打ちをするのは如何なものか」との天の差配が届いたのか、夕暮れから朝にかけて山の絶景を魅せてくれたのである。
ヤマの御褒美・その1
磐梯山から
絶景ショータイムの始まり
程なく飯豊本山の右肩に沈む夕日が
感動の絶景を魅せてくれる
夕日の光で空が・・
ヤマが・・茜色に染まる
そしてクライマックス
ヘタレなのに嵐を耐え抜いたご褒美か
一日の終わりはそれを惜しむかのように
その日の天が抱く
ありったけの力を魅せてくれる
サンセット
程なく濃紺の世界へと様変わりする
でも、本当の所は性根のひん曲がったヘタレにお仕置きをしても、このヘタレは全く反省しないから天も『仕置きをしてもムダだ』と諦めたのが実情であろう。
ヤマの御褒美・その2
ゆっくりと光が山を覆っていく
夜明けの情景
茜に染まったイワシ雲は
美しくも近日中に
荒天となる事を示している
大空をはばたく火の鳥の翼の如く
東北の山々が
夜明けの空に染まって
そしてサンライズ
この後は急速に夜が明けていく
でも、飯豊山の2105mから465mの登山口・川入まで1640mをイッキに下らねばならないのである。
たぶん、今の『下り三倍満』ならば、途中で行き倒れてたかもしれんな。 だが、この時は所要6時間45分で、何と2分だけではあるが『午前中』に下山口に着く事ができたのである。
下りが地獄のように遅いのは
把握してるので5時には出発
この長い尾根を13.5km下っていく
飯豊山よ・・ひとまずサラバ
次は小屋泊まりオンリーになるかも
夏山から陽炎立つ下界への境目
コレを降りきったら炎天下だった
だが、登山口である御沢は様変わりしていて、炊事鳩と寝具の備わっていた無人小屋は撤去されて駐車場と駐車場の管理事務所となっていたよ。 そして、飯豊山のこの登山口に来る登山者は全てマイカー利用で、駐車場は登山者の車で満杯だったよ。 何が言いたいかというと、この登山口から川入集落まで2kmの砂利道を歩く殊勝な奴はワテ一人だけって事である。
下山日の行程図
陽炎が立つ炎天下の砂利道を、砂埃りを巻き上げながら行き交う車を横目に歩かねばならないのである。 車も「歩いてくる奴なんかいない」と踏んでいるのか、ともすればワテを轢きかねない程の速度で通り過ぎる。 当然、車が舞い上げる砂埃りも半端ではなく、噎せ返る程だ。 この2kmの間で2台通り過ぎたが、道幅の狭い林道で歩行者がいるのに徐行もせずに砂埃りを浴びせるのに腹が立って「砂利道の真ん中を歩いてやろうか」と思ったけれど、小市民なのでやめた。
川入の下手にこんな立派な
入浴施設ができたなら
風呂を立てるのも止めるわなぁ
※『ふくしまの旅』より
炎天下の林道を歩き切きり、川入の民宿街に着く。 ここで民宿で風呂に入ろうと訪ねてみるが、「今は風呂はやっていない」との事である。 なぜなら、7km程下手に『いいでのゆ』という温泉保養施設ができたからである。
以前は川入集落の利便の為に
路線バスが定期運行していたが
『いいでのゆ』が建てられると
そこで運行打ち切りとなり
2013年に完全撤退となったようである
※『飯豊山・川入登山口』より
そして、当時の会津バス(現在は喜多方市山都支所のコミュニティバス)は利用客が皆無(登山者は全てマイカー)ゆえに、この温泉保養施設から川入までの運行を休止していたのである。 途端に『詰んでしまった』のである。 奇跡の午前中下山を果たしたというのに・・。
直前まで『詰んでいた』ので
本当にいい風呂でした
※『温泉保養センター・いいでのゆ』より
この状況ではタクシーを呼ぶ以外に帰る方法がないので、民宿に電話を借りようと再び訪ねたなら、「町に出るから『いいでのゆ』まで乗っけてあげるよ」との有難いお誘いがあり、軽トラに乗せてもらう。
コレで風呂に入れるし、1日目は嵐・2日目はピーカン日照り・3日目は汗まみれと林道で行き交う車に浴びせられた砂埃りで繊維がズタボロとなったTシャツも着替える事ができるよ。
駅の内部は憶えていないが
このレトロ風にアレンジして
ズッコケた感アリアリの駅名標は憶えている
※『ホームメイト』より
・・「アレ? コレ駅の記事だよなっ」て事で、駅を登場させます。 『いいでのゆ』から、14:30発の短縮となった路線バスに乗り山都駅へ。 ちなみに、会津バスが撤退して喜多方市のコミュニティバスとなってからは、川入までの運行が再開されています。 但し、登山シーズン中のみの運行で、定期運行(会津バスは定期運行だった)ではないけれど。
この『クッキー』の包装紙の
ような駅名版も憶えている
※ ウィキペディア画像を拡大
だか、山都駅はほとんど覚えていない。 けれど、おぼろげにこの駅名標は憶えている。
何でもこの駅名標は、SL運転に際したレトロ仕様のモノらしい。 だけどワテ・・、SLには全く興味がなく、SLは汚い煙を吐いて風景を汚すので、鉄道は好きだかSLは逆に忌み嫌ってたりするのだな。
汚い煙で周囲の風景を潰すSLは
ワテの撮影対象にはなり得ない
※ ウィキペディア画像を拝借
後は大阪への帰路に着くべく、山都駅に到着したJR東日本の蓬トッピングの食パン気動車に乗るだけだが、列車に乗ると2対1の座席配置となった車内の2対側に乗客が固まっていたのである。
『?』と思いながら、ワテ1人だけ1列席に座る。
蓬トッピングは乗る分には快適だが
撮る分には魅力がなくて
あの手この手を使って撮ってるよ
※ スンマセン・・山田線・区界の冬の写真です
山都を発車した蓬トッピング気動車は、喜多方の手前で阿賀川(阿賀野川の上流部)の支流である濁川を渡るが、川の真ん中に下半身まで浸かりながらハイ三脚を立てている奴がいた。 鉄橋に向けてカメラを構えていたので、恐らく『撮り鉄』だろう。 他にも沿道に2~300はデジカメを構えてる奴がいたよ。
そして、喜多方に着くと、相対ホームには『風景を汚す』とワテが毛嫌いするアレが停まっていた。
2対の席に陣取っていた乗客は、開閉できない窓越しにアレを激写していたよ。 内側の2対の席に陣取っていたのは、相対ホームで行違うアレを激写する為だったのね。 つまり、沿道の2~300のデジカメ連中も、下半身を浸かってまで川の真ん中に入る命賭けの『撮り鉄』も、アレを撮る為だったのである。
開閉できない窓から
相対ホームのデカい機関車を撮っても
黒い土管が写るだけだわ
※ ウィキペディア画像を拡大
でも、窓が開閉できない蓬トッピング気動車だから、間抜けな写真しか撮れないだろうね。
そして、相対ホームゆえに完全に被ってしまっていたので、ホーム撮りも適わない(対面ホームに降りて撮っても、ケツ撮りしかできないのでアレは撮れずに客車だけとなる)のである。 列車に乗っての追っかけならば、この列車を見送ったなら次の列車は2時間後で、完全に詰んでしまう(喜多方や会津若松で泊まらねばならない)のである。
ホームに降りても普通列車と完全に被って
発車後のテールしか撮れないだろうね
※ ウィキペディア画像を拝借
けれど、川の真ん中に入る『命賭け』をしてまで撮りたいモノなのかねぇ・・、アレは。
相対ホームに停まる列車の開閉できない窓から撮っても、黒い土管が写るだけだと思うのだが・・。
ワテを除く『撮り鉄』を
熱狂させる奴の正体は
普通列車より1時間も遅い
快速〔SLばんえつ物語〕だ
※ ウィキペディア画像を拝借
その多くの『撮り鉄』を虜にする『アレ』の正体は、普通列車より遥かに遅い臨時快速〔SLばんえつ物語〕である。
東京五輪の開催で感染爆発を引き起こして
以来75000人もの国民を殺害し
その罪をトカゲの尻尾切りの如く
グッズ販売の汚職に転嫁した自民党
開催前は「開催しても影響はない」
「開催に反対するのは非国民だ」と
罵りまくったにも関わらず
事が拡大して取り返しが着かなくなると
だんまりを決め込む五輪開催推進者共
恐らく安倍氏も日本にとっての災いである
東京五輪の招致に失敗していれば
国民の支持を失う事はなく
首相を辞任する事もましてや
殺害される事も無かったと思うよ
自らが東京五輪の開催で感染爆発を招き
飲食・旅行業を中心に多くの個人企業を潰すなど
日本経済をズタズタに壊した上に
物価高不況に片足を突っ込んでいる状態なのに
「未来を見据える為には
国の財政が豊かになる必要がある」と
ムチャクチャな論理で増税を企ててやがる
もう自民党と岸田内閣は
完全に日本国の敵となったね
でも選挙で政権を下そうにも
受け皿がパヨク政党ばかりなので
今の自民党政権が『一番マシ』という
せっちん詰め状態となっている
即ち選挙で政権交代させてもムダなのである
この状況を変えるには唯一この方法しかないよ
それはチョンの背乗り・天皇を
チョンと看破してチョンに追放し
チョンを『天皇をダシに日本を乗っ取る仇敵』
として根こそぎ追放して断交するしかないのだ
その後はチョンに乗っ取られたあらゆる事で
チョンに冒された部位の除鮮が必要だ
もちろん現憲法は破棄して国防を担保とした
まともな新憲法の樹立も・・である
また財務省には民間の監視団体を付け
不当な増税を切り出した財務省官僚は
即刻国民の資産に対する特別背任で逮捕・投獄する
それと開催推進者共の極刑による処罰などの
経済をズタズタにした東京五輪の後始末も・・
もちろん国の重要機関の役職には
3代までの日本国民である証が必要とする
これは外国人による
国の行政乗っ取り阻止の為だ
その上で外国人に対する優遇処置は一切廃止し
消費税と法人税を半額に減税する事で
国民・企業双方の可処分所得を増やすなど
経済の立て直しを図らねばなるまい
要するにチョン災禍を招いたのは
チョンの背乗り天皇・皇室と
断定してその原因を断ち
『経済苦境の特効薬は減税』とのセオリー通りに
国政を進める状況にせねばならないのだ
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