2023-05-29 (Mon)✎
『路線の思い出』 第527回 平成筑豊鉄道田川線・油須原駅 〔福岡県〕
二段本瓦屋根の木造駅舎に丸ポスト
明治・大正・昭和・平成・令和と
5世代の九州を見てきた駅・油須原駅
《路線データ》
営業区間と営業キロ 運行本数
行橋~田川伊田 26.3km 上下とも概ね毎時1本で
国鉄田川線(転換時の1989年10月1日は ラッシュ時は毎時2本
JR九州に経営移管)からの第三セクター移管線 行先は大半が直方行で
一部は車庫のある金田行
下り最終と上り始発は行橋~犀川の運行
鳥居型の駅名標は国鉄型に
似せてあるがレプリカである
:
なぜなら隣駅の赤駅の
開業が2003年だから
※『へいちくネット』より
油須原駅(ゆすばるえき)は、福岡県田川郡赤村大字赤にある平成筑豊鉄道田川線の駅である。
故郷の原風景が残る
村の駅
※ 福岡県のウェブサイトより
なお赤村は、大分県日田市との県境に接する東峰村と共に、福岡県では2つ残る村の1つである。
筑豊地区でも山あいに位置し、九州最古の木造駅舎を有する駅である。 大牟田市の産業廃棄物リサイクル業者『森商事』がネーミングライツを取得し、愛称付きの駅名が『森商事・油須原駅』(もりしょうじ・ゆすばるえき)となっている。
上下2線の間に黒ダイヤの貨物車が
待機していた側線跡が残っている
※『へいちくネット』より
相対式ホーム2面2線を有する駅で、上下ホームは千鳥配置で大きく離れた位置にあり、両ホーム間は構内踏切で連絡している。 国鉄時代末期の1984年2月より無人駅となっている。 田川伊田方面ホームにある駅舎は、開業時からのもので貴重な存在である。 なお、駅舎側のホームが田川伊田・直方方面、対向ホームが犀川・行橋方面の乗り場となっている。
無人駅となって久しく
『出札所』の案内板一枚で
古い駅舎にありがちな飾りつけはない
駅周辺は赤村の中心集落があるが、人口希薄の村であり集落の規模も小規模である。
また役場は、1.5km田川伊田寄りに新設(経営移管後の2003年に新設)された隣駅の赤の駅近くにある。 野生のキジがしばしば飛来してホーム上を歩くなど、長閑な雰囲気を保っている。
この駅には『日本一の赤字線』と
なって廃止された添田線を介して
筑豊の黒ダイヤの集積場となる夢があった
かつて、国鉄・日田彦山線の豊前川崎から、日本一の赤字線として一躍名を馳せた路線で、1985年4月1日に路線廃止となった国鉄・添田線の大任駅を経て当駅に至る運炭短絡線・国鉄油須原線の建設計画があったが、開通しないままに終わった。
今回は実質初乗車の
平成筑豊鉄道めぐりデス
平成筑豊鉄道に経営移管された田川線は、駅紹介の油須原線構想で記述した国鉄・添田線に乗るべく、当時運行していた夜行急行列車【日南】から乗り継いだ時に、ただ乗っただけの足跡しかなかった。
それも線内では田川伊田駅まで爆睡で、更には目的であって『起きていなければならなかった』添田線の車中でも爆睡をカマして、『日本一の赤字線』の貴重な乗車体験が全くないに等しい結果となってしまったのである。
『日本一の赤字線』添田線は
眠さに負けて田川線に引き続き
車内爆睡をカマし
残せた足跡はこの逆光黒潰れ1枚のみ
それゆえに添田線にはかなりの悔いがあり、添田駅や上伊田駅でムリヤリ『思い出記事』を書いたり、豪雨災害で不通となってこの夏からBRTに転換される日田彦山線の眼鏡橋撮影のついでに、レンタカーで添田駅や大任駅跡など添田線の廃線めぐりをしたりしたのである。
車庫とへいちく本社があり
未乗だった糸田線が分岐する金田駅
※ ウィキペディア画像を拝借
だが、田川線は取るに足らない『C級の三セク転換路線』として完全に無視だったのである。
なので、三セク転換した平成筑豊鉄道も『not of 眼中』で、国鉄時代に先に記述した通り爆睡した乗車記録のある田川線と、宮原線を訪ねる為に乗った快速〔はんだ〕で踏破した国鉄伊田線の乗車記録をもって『完乗』としていたのである。 そして、金田~田川後藤寺の糸田線は、未乗のまま放置であった。
自然が創造し奇跡の縞模様
ホルンフェルス大断層
このようにともすれば、一生涯でも再度乗る予定が全くなかった平成筑豊鉄道の三セク転換線であるが、このGW旅でもここ何年か続けている四国のヤマと予土線など四国のローカル鉄道をめぐって、八幡浜から九州・別府に渡って後半戦は九州のヤマや路線、そして山陰・萩のホルンフェルス大断層や惣郷川橋梁と日本海に落ちる夕日などとコラボする旅を企画していたのである。
フェリーで別府に渡るのは
四国・九州・山陰を一挙に周る
お得な旅行程なのだがこのフェリー会社の
サービスが最悪なのが玉にキズ
※ 宇和島運輸のウェブサイトを加工
だが、四国・八幡浜から大分・別府に渡る夜行フェリー内での仮眠がGW中はNGとなるなど、サービスが著しく悪い宇和島運輸フェリーのオカゲもあって、夜の3時過ぎに別府港に放り出されたのである。
これで別府の始発に乗って車内で寝なければ身が持たなくなったのである。 取り敢えず、始発が発車する5時半までの2時間半は、別府港から別府駅までの3.5kmの徒歩での1時間とコインランドリーの1時間20分でやり過ごす。
宮崎方面に向かうと
この時刻表が待ってます
・・で、取り敢えず別府で始発列車に乗って小倉方面に出る。 本音では豊肥本線や久大本線、そして日豊本線の大分・宮崎県境方面に行きたい所であるが、行ってしまうと列車は1日4~5本で、宮崎との県境に至っては下手しなくても1日1.5往復で完全に旅行程が詰んでしまうのでパスである。 従って、小倉方面しか『逃げ道』が無かったりするのである。
それで、コインランドリーで洗濯している間に、スマホで他のブログさんを閲覧していると、直方に住むブログさんが平成筑豊鉄道の『三つ暗渠』を記事にしていて、取り敢えず今日の移動日の行先はコチラとする事にしたのである。
田川後藤寺駅の
平成筑豊鉄道ホーム
:
ローカル線の追っかけを止めてから
40年間放置していた糸田線にも乗ろう
※ ウィキペディア画像を拝借
そして、どうせ平成筑豊鉄道に乗るのなら、未乗の糸田線も乗る事にしたのである。 まぁ、今日の予定は山陰・萩への移動日に当てていて、適当にどこかで時間を潰す予定だったので、この記事で『三つ暗渠』を知る事が無かったとしても、別府地獄めぐり(30年ほど前にめぐったなぁ)やムリヤリ久大本線の恵良で宮原線の宝泉寺温泉に入ったり、日田から被災した日田彦山線めぐりなどを想定していただろうね。
行橋駅では券売機で神(紙)切符を
買う前に改札口横のパン屋で
パンを買うべきだった
※『1日乗車券』の裏面
・・で、列車内では程よく爆睡して行橋まで向かい、平成筑豊鉄道の事など全く無視な扱いの行橋駅で平成筑豊鉄道の切符を買うのに手間取って(スマホで1日乗車券がある事を知ったのだが、買い方が判らずに取り敢えず『三つ暗渠』最寄りの内田までの切符(自動改札不可の丸める事のできる神(紙)きっぷだった)を買って、切り欠きホームに到着した平成筑豊鉄道の気動車に乗り込む。
コチラは時間があれば風呂も入れる
ホンモノの『神きっぷ』だったよ
※『1日乗車券』の表面
でも、内田まででも510円かかっているので、今更値段1000円の1日乗車券を買うまでもないかと思いながら、運転手氏に1日乗車券の事を尋ねてみる。 すると、初老の運転士氏は「そりゃぁもったいない」と言って、510円を返金した上で改めて1日乗車券を発行してくれたよ。 どうやら、切符を持たずに列車に乗り込んで運転士に売ってもらうのが購入方法だったみたいだ。
そして、乗車した『初乗車』に等しい(40年前は爆睡してたしィ)田川線は、追っかけなかった事を悔やむほどに長閑な風景の好撮影地が目白押しだったのである。 神社の鳥居と踏切とか、広々とした水を張り始めた田園風景、そして後で知ったが九州最古の木造駅舎を抱く黒ダイヤ産業の夢破れた駅・油須原など、1日では足りない程に景勝地が現れたのだ。
1日フリー乗車に加えて
源じいの森温泉
※『源じいの森』のウェブサイトより
北条温泉・ふじ湯の里
※『北条温泉・ふじ湯の里』の
ウェブサイトより
日王ノ湯
※ 福智町のウェブサイトより
:
いずれか1つの温泉がタダ
それにさっき購入した1日乗車券の特典に、金田の2つの温泉か田川線内の『源じいの森温泉』のいずれかに無料で入れる特典さえあったのである。 これだけ揃うと、今日1日では周りきれず、どこかを落とさねばならなくなる贅沢な旅行程の悩みが生じたのである。
『三つ暗渠』は内田駅から
行橋側に1.3km戻った所にある
・・で、今回は田園風景と神社の鳥居の踏切は見送って、『三つ暗渠』と『九州最古の木造駅舎』と糸田線の完乗を選択する事にしたのである。 なお、温泉は時間があれば立ち寄るけど、駅から離れていれば見送りである。 今日は山陰の萩にアプローチできる駅寝可能駅まで行かないと、明日萩で予約しているレンタカーの利用ができなくなるしィ。
内田駅は庇だけの
駅としては最低規格の駅で
雨が降ってたら地獄だったよ
・・で、当初は「フイルム勿体ない(現在フイルムが極端な入手困難となっている)ので、スマホで撮ればいいや」と思いながら内田駅へ。 でも、『三つ暗渠』は車窓からは見えなかったよ。 橋って、乗り物内からは見えない事が多いし・・ね。
右下に写る物体は
この旅で担いでいた物体
:
盗れるモンなら盗ってみろ!で
デホって『三つ暗渠』へ
それで内田駅に野宿装備一式(剣山~三嶺縦走山行と今夜の宿の山陰本線の無人駅で使用)を庇だけの駅の木の長椅子にデポって、スマホで1.3km離れているという『三つ暗渠』まで歩く。 そして、『三つ暗渠』を目にして考えが変わったよ。 「コリは今日のメインだよ」と・・。
案内板のある表側は
重文指定の理由となった
レンガ装飾があるけど
逆光でしかも電線アリで使えない
三つ暗渠の
通路トンネルの内部
それで、急遽サブで持ってきていたミノルタのα303-i(このカメラ持ってる奴いないだろうね)にフイルムを入れて、予定より1本多く3本撮ったよ。 でも、へいちく(平成筑豊鉄道)は上下とも1時間に1本の運行があり、30分に1本の撮影機会があるので、昔の廃止ローカル線のように1本撮るのに何時間も待つ必要もないし、今日の天気は日本晴れだしィ(暑いくらいなので内田駅に一度戻って、都合2往復したよ)。 それでは、その『撮り鉄』をごろうじろ。
登録重要文化財・三つ暗渠にて
程よく薄雲があるスカイブルーに
重文登録の三つ暗渠
:
コレをメインに上げない
訳にはいかないでしょう
コリは間違いなく
広角縦位置ですネ
キハ20が行き交う時に
撮っておくべきだったよ
撮り位置は最高だが
車両の塗装は3つの中で一番下
でも、『三つ暗渠』の橋体にレンガがハメられている表側は日中全て逆光のようだし、しかも電線があって狙えそうになく、撮れるのは組み石がもろに出た裏側だけのようだ。 けれど、この橋は裏面の『組み石がもろ』の方が絵になったりするのである。
『九州最古の木造駅舎』の油須原駅
だが重要文化財登録は
されていないらしい
3本撮ったら、車内から見てもそそった『九州最古の木造駅舎』に向かう。 『九州最古の木造駅舎』の油須原駅は、内田から2駅で5~6分で到着できる。 あぁ・・、懐かしき千鳥配置の構内踏切に、国鉄型の自光式の駅名板。
内田から5~6分で到着した油須原駅
かつて追っかけたローカル線の
思い出が詰まった情景を見せてくれた
国鉄様式の自光式駅名標に
昔の庄屋の館を思わせる駅母屋
:
故郷の駅がそこにあった
そして、昔の庄屋の館を思わせる瓦屋根の駅母屋・・。 それは、日本のエネルギー産業を築いた黒ダイヤが魅せたいっときの栄光であろう。
この情景はかつて
黒ダイヤで栄えた駅風景だった
グローブ電球に鉄柵だけのラッチ
人がいなくなって久しい出札所
額縁で掲げられた時刻表と村のイベント案内
古き良き時代の駅がそこにあった
施錠された駅務室の中には
タブレット受信機が置いてあった
※『へいちくネット』より
だが、九州最古の木造駅舎であるにも関わらず重文指定を受けていないようで、重文指定された駅のように窓口がワザとらしい修復や装飾を受けておらず、却って木造駅舎の抱く原風景を魅せてくれる。
駅にはツツジが咲き
広い構内の剥がされた側線跡には
芝生が芽を吹く初夏の陽気だった
黒ダイヤの夢の跡を示す側線が撤去された広い構内は芝生となり、「もっと撮っていたい」「もっと滞在したい」と思うが、糸田線の往復の時間と今夜の宿の無人駅に向かう山陰本線・下関口の列車の時刻を考えると、昼過ぎにはこの木造駅舎を発たねばならないようである。 タダとなる温泉もムリっぽそうである。 取り敢えず、博多にも立ち寄りたいし・・ね。
金田駅は平成筑豊鉄道の本社と車庫があり
福智町の中心で金融機関は3つあったが
何故かコンビニや食い物屋
スーパーは見当たらなかった
:
この事でへいちくを攻めるなら
食料の確保が必要と解ったよ
※ ウィキペディア画像を拝借
後は、『へいちく』めぐりには食料事前調達が必要という事を知って(内田・油須原・金田共に、コンビニはおろか食い物を売っている店が一軒も見当たらなった)、糸田線を往復する。 でも、糸田線は何もない路線で、糸田線全駅のネーミングクライツとなっているディスカウントストアの『Mr Max(ミスターマックス)』を駅名の前にガナり続ける案内放送しか印象にない。
ちなみにワテが乗車した時に
糸田線に入っていたのは
特別仕様の『へいちく浪漫号』だった
※『へいちくネット』より
その車内は
スマホで撮ってたりする
博多まで我慢して博多で飯食って(九州のコンビニでは、ポプラが店炊きごはんでオススメ)、下関に出て山陰本線の小串行に乗って、終点小串駅横の駐車場の隅にテント張って寝る。 なぜなら、列車の夜間滞泊があるので、駅舎でテントを張り辛かったからである。
ネットなどで盛んに
転職サイトが転職を煽っているが
金が絡む事でのネットの情報は
そのほとんどが煽り目的の嘘や
盛りに盛った誇大表示なモノである
それに釣られると転職サイトの思うツボで
考えや裏づけ無しに仕事を辞めてしまって
収入が途絶えてしかもどこにも雇ってもらえない
ばかりか更に甘い情報をチラつかせる
転職サイトに金を毟り取られるだろうね
ワテは給料アップ目当てに転職するのは
ダメとは言わないが
給料アップを狙っての転職には
リミットがあるって事は指摘しよう
それは40までで延ばしても45が限界だろう
ヘッドハンドかそれと同等の状況以外で
この歳を超えて転職を試みたら
ぼぼ失敗して身持ちを失うだろうね
なぜなら転職って人つき合いの
始めから構築していかねばならないし
環境も全く変わるので
今までの自身の仕事のやり方が
新しい勤め先ではNGとなる事もあり得るのだ
そしてアラフィフを越えた歳は
新しい勤め先の若手・ロートル双方の
スカンを食らう可能性が高い
1つ対応を誤ると新しい勤め先での
居場所が無くなるのである
そして実績を上げられなかったら
途端に給料ドロボーと陰口を叩かれるのである
なぜなら在職している社員達は
転職者が自分達より良い待遇で
入ってきている事を知っているからだ
また雇い先も期待外れと断じたなら
露骨に辞めるように持っていくよ
なぜなら人手不足という錦の御旗の下で
周りより高い給料を出しているのである
それでいて期待外れの無能だったなら
他の従業員との整合性が取れなくなり
社内に火種を燻らせる事となるからだ
それにそういう事に対処するには
やはり若さが必要でそれ以上に
謙虚な振る舞いが必要なのである
無理に転職で給料を上げるより
今の勤めを維持しつつ
副業や資産運用に精を出す方が
よっぽど安全で手取り収入が
上がる可能性が高いのである
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