2023-06-02 (Fri)✎
廃線鉄道 第105回 同和鉱業・片上鉄道 その2 〔岡山県〕
レトロチックな円形流線形車両だが
『しらさぎ』のイメージ
には合わないようである
※『レイルラボ』より
同和鉱業・片上鉄道(どうわこうぎょう・かたかみてつどう)は、かつて岡山県備前市の片上から久米郡柵原町(現美咲町)の柵原までを結んでいた同和鉱業(現:DOWAホールディングス)の鉄道路線である。 1991年6月30日まで営業を行っていた。
片上~備前矢田まで路線図
※『時刻表見聞録』より
《路線データ》
廃止区間と路線距離(営業キロ):片上~棚原 33.8km
軌間:1067 mm、電化区間:なし(全線非電化)、複線区間:なし(全区間単線)
井ノ口(貨)~棚原の延伸全通区間の路線図
※『時刻表見聞録』より
駅数:17駅 片上・清水・中山・和気・本和気・益原・天瀬・河本・備前矢田・〔井ノ口(貨)〕・
苦木・杖谷・備前塩田・備前福田・周匝(すさい)・美作飯岡・吉ヶ原・棚原
※ 交換設備のあった駅は和気・天瀬・備前矢田・備前塩田・吉ヶ原・棚原の6駅で、かつては
周匝にも交換設備があったが撤去されていた
※ 和気は乗降ホームは切り欠きホームを含めた島式1面3線だった
閉塞方式:単線自動閉塞式 (ARC=自動進路制御装置)
※ 信号や分岐器を自動操作するシステムの一つで、列車運行管理システム(PTC)の一部
として用いられている
休日減便ダイヤが組まれた
1988年3月の同和鉱業・片上鉄道の
下り列車時刻表
※『時刻表見聞録』より
運行形態:1988年3月時点の運行列車
片上~棚原 下り7本・上り8本(休日は上下とも2本づつ運休)
片上~和気 下り1本、片上~吉ヶ原 下り1本
和気~棚原 1往復、和気~吉ヶ原 1往復
※ 貨物輸送は、1988年7月1日に廃止されている
同じく上り列車の時刻表
※『時刻表見聞録』より
所要時間:片上~棚原 1時間5分~1時間38分を要した(概ね1時間20分の所要)
※ 全列車が和気駅で6分から最長28分と長時間停車していた
所要時間が異なるのは、和気駅での停車時間の長さの違いによる所が大きい
※ 速度は気動車による運行の方が速度が速く、最速列車は気動車列車による65分の運行で
混合列車は貨物の積み下ろしなどもあって、速度が遅かった
昭和の香りが漂う佇まいの
同和鉱業・片上鉄道の始発駅・片上
※ ウィキペディア画像を拝借
片上駅(かたかみえき)は、かつて岡山県備前市西片上にあった同和鉱業・片上鉄道の駅である。
1991年7月1日の同鉄道の廃線に伴って廃駅となった。 片面1面1線のホームと、車庫・貨物ヤードを有していた。 国鉄(現在はJR西日本)・赤穂線の西片上駅より徒歩3分ほどの所に位置していた。
貨物列車で運んできた
硫化鉄の荷下ろしをするべく
広大なヤードを有した片上駅
※ ウィキペディア画像を拝借
同和鉱業・片上鉄道の起点であった駅で、片上鉄道の建設目的が柵原駅近くにあった柵原鉱山から産出される硫化鉄鉱石を、瀬戸内海に面した片上港へ輸送する事であった為、当駅は貨物の積み下ろし駅となっていた。 その為に広い駅構内を有するなど貨物駅の色合いが濃く、車庫や貨物ヤードが多く設置されたが、旅客ホームはその端に1本あるだけであった。
貨物ヤートは広大だったが
旅客ホームは片面ホーム1面
のみの棒線構造であった
※ ウィキペディア画像を拝借
利用客数はJR山陽本線と接続する和気駅に次いで多かったが、和気の半分程度であったという。
1977~1979年の1日平均乗降客数は、和気駅が1174人(国鉄和気駅の1日平均乗客数も含む)であるのに対し、片上駅は324人であった。
エディオンの裏手から延びる
同和鉱業・片上鉄道の廃線跡
※ ウィキペディア画像を拝借
路線廃止後に駅舎や車庫などの大半の駅施設が撤去され、跡地にはマックスバリュとエディオン備前店が建てられているなど、駅であった往時の面影は薄れている。 だが、駅前のロータリーの他、貨物ヤード跡の西側にあった鉱石の貯鉱上屋内のカーダンパーへ到る勾配線跡付近に、起点を示す0キロポストが残存している。 また、前述のエディオンの裏手には橋脚跡があり、そこから和気方面への線路跡も確認できる。
現在の駅跡ロータリーの状況
※ ウィキペディア画像を拝借
現在の駅舎跡地は備前市営バスのバス停となっており、バス停名は『片鉄片上駅』となっている。
『片鉄片上駅』バス停と同じ場所にある宇野バス(岡山駅からの路線バス)のバス停名は『片上』となっており、現在の宇野バスは『片上』が終点だが、以前は国道250号の兵庫県境手前の寒河まで直通運行されていた。
開業当初は貨物を取り扱う
交換可能の有人駅で
貨物列車が停車できる長大ホームなど
かなりのスペックを有していた
※ ウィキペディア画像を拝借
清水駅(しみずえき)は、かつて岡山県和気郡和気町清水にあった同和鉱業・片上鉄道の駅である。 1991年7月1日の同鉄道の廃線に伴って廃駅となった。 1面1線の有人駅(後に無人駅となる)で、小さな木造の駅舎があった。 かつては交換可能駅で、長編成の貨物列車も停車できるようになっていた。
ホームは撤去されて片面ホームとなるも
線路は敷かれて待機交換が可能だった
だが末期には線路が撤去されて
哀愁漂う小駅となっていた
※ 上下いずれも
ウィキペディア画像を拝借
交換設備のあった頃はホームは互い違い(千鳥状)に配置され、構内踏切で連絡していた。
また、片上寄りには安全側線が設置されていた。
棒線ホームに駅舎として遜色のない
巨大待合所を有した中山駅
※ ウィキペディア画像を拝借
中山駅(なかやまえき)は、かつて岡山県和気郡和気町大中山にあった同和鉱業・片上鉄道の駅である。 1991年7月1日の同鉄道の廃線に伴って廃駅となった。 1面1線の無人駅で、木造の簡易待合室がある駅であった。
田舎の集落らしく
駅前に消防団庫や火の見櫓があった
※ ウィキペディア画像を拝借
路線廃止後に駅施設はすべて撤去されて、駅前にあった消防団庫及び火の見櫓も現存しない。
線路跡である《岡山県道703号備前柵原自転車道線》・通称『片鉄ロマン街道』と、国道374号大中山交差点東方の町道との交差点(大中山一号踏切跡)の和気寄りの空き地が当駅跡に相当するが、付近に駅跡を示す表示や痕跡は皆無である。
JR西日本の単独駅となった
現在の和気駅
※ ウィキペディア画像を拝借
和気駅(わけえき)は、岡山県和気郡和気町福富にあるJR西日本・山陽本線の駅で、1991年6月末までは同和鉱業・片上鉄道との接続駅であった。 当駅構内には、運転取り扱い業務に携わるJR西日本岡山支社管内の社員の訓練を行う『岡山総合実設訓練センター』がある。
和気駅は路線廃止後に
片上鉄道の施設が全て撤去されて
2面3線の平凡な駅構造となっている
※ ウィキペディア画像を拝借
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の合計2面3線のホームを持つ駅で、駅舎は1番のりば(上り本線)側にあり、島式の2番のりば(中線)と3番のりば(下り本線)へは、神戸方に設けられている跨線橋(階段のみ)で連絡している。 また駅構内の下関方には、保線基地の備前保線区和気管理室が設けられている。
かつて国鉄のホームから
側線2本を挟んだ南側に
島式ホームに切り欠きを含んだ1面3線の
同和鉱業・片上鉄道のホームがあった
※ ウィキペディア画像を拝借
かつては3番線南側の国鉄(JR西日本)構内に側線2本があり、その南側の同和鉱業構内に片上鉄道線の島式ホーム1面が設けられていて(4・5・6番のりばで、『6番のりば』は5番のりばの柵原方にホームを切り欠いて設置)、下関・柵原方の地下連絡通路で国鉄側の各ホームと結ばれていた。 また、硫化鉄鉱石の貨物輸送が主体だった片上鉄道のホーム南側には片上鉄道線用の側線群があり、更に柵原方には1960年代に整備された片上鉄道の貨物ヤードが設けられていた。
かつては同和鉱業・片上鉄道の
ホームがあった
※ ウィキペディア画像を拝借
片上鉄道廃止後に同線の鉄道施設はすべて撤去され、片上鉄道旧構内や貨物ヤード跡は《岡山県道703号備前柵原自転車道線》・通称『片鉄ロマン街道』のほか、和気町がDOWAホールディングス(元の同和鉱業)から土地を賃借する形で、2009年に駐輪場・駐車場・ロータリーを整備した。 また、ホーム地下連絡通路は、山陽本線ホームの階段部を埋め戻して閉鎖した上で旧片上鉄道ホーム開口部を駅南側出入口とし、駅本屋横に北側出入口を新設した歩行者・自転車用地下道に転用された。
このほか山陽本線と片上鉄道線の間にあったJR側の側線跡には、2001年に模擬踏切や信号機を備えた訓練線2線を持つ『岡山総合実設訓練センター』が設けられている。
駅跡地に立つ
レプリカの本和気駅名標
※ ウィキペディア画像を拝借
本和気駅(ほんわけえき)は、かつて岡山県和気郡和気町和気にあった同和鉱業・片上鉄道の駅である。 1991年7月1日の同鉄道の廃線に伴って廃駅となった。 1面1線の無人駅であったが、かつては交換可能駅であった。 ホームおよび駅舎は撤去され、跡地にはレブリカの駅名標が設置されている。
駅周辺は古くからの市街地となっており、人の往来は多かった。
いち時期は堤防工事の
現場事務所ともなっていた益原駅
※ ウィキペディア画像を拝借
益原駅(ますばらえき)は。かつて岡山県和気郡和気町益原にあった同和鉱業・片上鉄道の駅である。 1991年7月1日の同鉄道の廃線に伴って廃駅となった。 1面1線の駅で、木造の駅舎があった。
駅の事務室部分は昭和50年代のいち時期に、同和工営株式会社(同和鉱業の子会社で2008年に会社解散)が受注した益原地区内の堤防工事の現場事務所として使用された事があった。
駅跡地に駅があった事を示すべく
駅名標が残されている
※ ウィキペディア画像を拝借
現在の駅跡には、サイクリングロードとなった線路跡の『片鉄ロマン街道』に沿って、駅の所在を示す駅名標が残る。 また、隣の和気鵜飼谷交通公園の敷地内には、当線和気駅の駅名標・腕木式信号機・及び有蓋車1両が移設の上で保存されている。
改修されてサイクリングロートの
休憩舎となった天瀬駅の駅舎
※ ウィキペディア画像を拝借
天瀬駅(あませえき)は、かつて岡山県和気郡佐伯町(現・和気町)岩戸に位置していた同和鉱業・片上鉄道の駅である。 1991年7月1日の同鉄道の廃線に伴って廃駅となった。 木造駅舎を有した駅で、島式ホーム1面2線の交換可能駅であった。 朝には当駅で客車と気動車の列車交換が行われていた。
また、長編成貨物列車の停車に対応する為、線路有効長が長くなっていた。
駅ホームとサイクリングロートに
舗装整備された線路跡
※ ウィキペディア画像を拝借
片上鉄道線廃止後は、サイクリングロート《岡山県道703号備前柵原自転車道線》・通称『片鉄ロマン街道』として整備され、当駅舎は休憩所として保存・利用されている。
線内で最も格下の棒線駅でも
立派な駅舎があった
※ ウィキペディア画像を拝借
河本駅(こうもとえき)は、かつて岡山県和気郡佐伯町(現・和気町)岩戸にあった同和鉱業・片上鉄道の駅である。 1991年7月1日の同鉄道の廃線に伴って廃駅となった。 木造駅舎を併設した1面1線の駅で、開業時は有人駅であったが後に無人化された。 地区の集会所が建っているが、駅前の桜の木が残っている。
路線廃止からのいち時期は
駅跡の西側を並走する国道374号線に
片上鉄道の貨物車掌車を
改装した喫茶店があった
※ ウィキペディア画像を拝借
以前は駅の西側に並行する国道374号線沿いに、片上鉄道の貨物車掌車を改装した喫茶店が営業していて、当駅の駅名標などが移設されていたが、同喫茶店の廃業に伴って車掌車共々撤去されている。
鉱山貨物のトラック切り替えの後は
肥料輸送の積み出し駅として
線内の貨物取扱拠点となった備前矢田駅
※ ウィキペディア画像を拝借
備前矢田駅(びぜんやたえき)は、かつて岡山県和気郡佐伯町(現・和気町)矢田にあった同和鉱業・片上鉄道の駅である。 1991年7月1日の同鉄道の廃線に伴って廃駅となった。 対向式ホーム2面2線を持つ交換可能駅で、中線および貨物側線・貨物ホームもあった。 赤い屋根の駅舎があり、硫化鉄鉱石貨物輸送が打ち切られた後に同線の主力貨物となっていた肥料の積み出し駅であった。
路線廃止後もホームが残り
サイクリングロートの到達地点として
ホーム上に様々なオブジェが展示されている
※ ウィキペディア画像を拝借
片上鉄道線廃止後は、サイクリングロート《岡山県道703号備前柵原自転車道線》・通称『片鉄ロマン街道』として整備され、廃止当時のホームの一部が現存している。 ホーム上には、様々なオブジェが設置・展示されている。
往時の備後矢田駅構内には
対向ホーム2面と
貨物を取り扱う中側線があった
※ ウィキペディア画像を拝借
創業期から棚原まで全通した1931年2月1日まで、当駅より1.1km苦木側に貨物専用駅として井ノ口駅が設けられ、棚原鉱山より索道で鉱石が運搬されて井ノ口(貨)で積み込みをしていたが、前述のように棚原までの全通で不要となって廃止されている。 なお、井ノ口(貨)までの開通時は、当駅が旅客扱いの終点となっていた。
対向ホームなど交換設備が撤去されて
哀愁漂う情景となった苦木駅
※ ウィキペディア画像を拝借
苦木駅(にがきえき)は、かつて岡山県和気郡佐伯町(現・和気町)苦木にあった同和鉱業・片上鉄道の駅である。 1991年7月1日の同鉄道の廃線に伴って廃駅となった。 木造駅舎を有した駅で、1面1線の無人駅であった。 なお、開業当初は2面2線の構造を持つ交換可能駅で、有人駅でもあった。
反対側のホームは、サイクリング道『片鉄ロマン街道』の整備工事に伴って撤去されるまでは残されていた。
サイクリングロード
『片鉄ロマン街道』の休憩舎として
利用されている苦木駅舎
駅舎とホームと駅名標が
往時のまま保存されている
※ ウィキペディア画像を拝借
片上鉄道線廃止後は、サイクリングロート《岡山県道703号備前柵原自転車道線》・通称『片鉄ロマン街道』として整備され、当時の駅舎はサイクリングロードの休憩所として保存・利用されている。
民家の庭先に駅となっていた
変わり種の駅・杖谷駅
※ ウィキペディア画像を拝借
杖谷駅(つえたにえき)は、かつて岡山県和気郡佐伯町(現・和気町)苦木にあった同和鉱業・片上鉄道の駅である。 1991年7月1日の同鉄道の廃線に伴って廃駅となった。 1面1線の無人駅であった。
また、民家の庭先が駅になっている事で有名だった。 路線廃止後は、ホームや隣接していた民家は完全に撤去されて、その跡地には和気・赤磐共同コンポストセンター(廃棄物処理施設)が建てられている。
当駅から棚原までの
延伸開業区間は
赤い三角屋根の駅舎が続いていた
※ ウィキペディア画像を拝借
備前塩田(びぜんしおたえき)は、かつて岡山県和気郡佐伯町(現・和気町)塩田にあった同和鉱業・片上鉄道の駅である。 1991年7月1日の同鉄道の廃線に伴って廃駅となった。 対向式2面2線の駅で交換可能駅で開業時は有人駅であったが、廃線時は無人駅であった。
交換可能の対向ホームが配された
備前塩田駅構内
かつて(1984年4月の駅無人化まで)は貨物扱いがあった為に、片上方に貨物側線が残っており、貨物扱い廃止後から全線廃止までは保線材料線(保線資材や機材を留置する側線)として使用されていた。
また、当駅から終点の柵原駅までは、赤い三角屋根の駅舎が続いていた。なお、当駅と備前福田駅は浅い三角屋根、周匝駅以遠は深い三角屋根となっていた。
駅跡地はコミュニティハウスとなっており、敷地内には当駅が営業していた頃に使われた構内踏切の警報機がオブジェとして飾られている。
赤い三角屋根の備前福田駅の
駅前は貯木場となっていたようだ
※ ウィキペディア画像を拝借
備前福田駅(びぜんふくだえき)は、かつて岡山県赤磐郡吉井町(現・赤磐市)福田にあった同和鉱業・片上鉄道の駅である。 1991年7月1日の同鉄道の廃線に伴って廃駅となった。 1面1線の駅で、備前塩田駅と同様の赤い三角屋根の駅舎を有していた。 かつては交換可能駅でもあった。
吉井浄化センター前に
移転・設置された駅名標と構内標識
※ ウィキペディア画像を拝借
片上鉄道の廃止後に駅舎は解体されて、ホーム跡地は駐車場として再利用されていた。 その後、廃線跡を利用した農道の開通に伴って全撤去されて、現在は何も残されていない。 但し。駅名標および構内標識のみ、駅跡より2 km南側の赤磐市稲蒔の吉井浄化センター前(国道374号沿い)に、往事の遺構として移転の上で設置されている。
吉井町の中心駅として
大きな三角屋根の
立派な駅舎を有していた周匝駅
※ ウィキペディア画像を拝借
周匝駅(すさいえき)は、かつて岡山県赤磐郡吉井町(現・赤磐市)周匝にあった同和鉱業・片上鉄道の駅である。 1991年7月1日の同鉄道の廃線に伴って廃駅となった。 1面1線の有人駅で、柵原駅や吉ヶ原駅のような赤い三角屋根の駅舎を有する。 かつては交換可能駅だったが、後に交換設備は撤去された。
廃止まで対向のホームが残存していた。 当駅は旧吉井町の中心駅で、線内では和気・片上に次いで利用客が多かった。
線路が撤去された
対向ホーム上に残された待合所
※ ウィキペディア画像を拝借
鉄道路線廃止後に道路の拡張工事が行われた為、駅舎と線路が撤去されて現在は道路の一部となっている。 現在も貨物ホーム及び貨物上屋が、材木店の一部として残っている。
鄙には惜しい立派な
三角駅舎の美作飯岡駅
※ ウィキペディア画像を拝借
美作飯岡駅(みまさかゆうかえき)は、かつて岡山県久米郡柵原町(現・美咲町)飯岡にあった同和鉱業・片上鉄道の駅である。 1991年7月1日の同鉄道の廃線に伴って廃駅となった。 1面1線の無人駅であったが、開業当初は対向式2面2線の交換可能駅であった。 隣接する旧吉ヶ原駅と同じく、三角屋根の駅舎を持っていた。
美作飯岡駅跡地
:
ホームの残骸に雑草が生えて
砂利道と同化しつつある
現在の駅跡であるが、駅舎と線路は既に撤去されているが、ホーム跡は残っていて草が蒸して砂利道と同化しつつある。 また、末期は使用されていなかった対向ホームの残骸も残っているように見受けられる。
動態保存車両の乗車駅として
現役使用されている吉ヶ原駅舎
※ ウィキペディア画像を拝借
吉ヶ原駅(きちがはらえき)は、かつて岡山県久米郡柵原町(現・美咲町)吉ヶ原にあった同和鉱業・片上鉄道の駅である。 1991年7月1日の同鉄道の廃線に伴って廃駅となった。 駅舎が置かれた片面ホーム1面1線及び、島式ホーム1面2線の合計2面3線のホームを持つ他、貨物ホームや詰所・操車場があった。
路線往時には経費削減の為
昼下がりは無人駅となっていた
※ ウィキペディア画像を拝借
三角屋根の木造の駅舎を持つ有人駅だったが、廃止を控えた最晩年は、駅員は朝夕のみの配置で昼間は無人駅となっていた。 路線廃止後の2006年3月2日に、当駅駅舎が登録有形文化財に登録されている。
古き良き時代の佇まいを魅せる駅は
路線廃止後の2006年3月2日に
有形文化財に登録されている
※ ウィキペディア画像を拝借
当駅から中鉄バスの路線バスが津山駅との間を結んでいて、同鉄道の路線図にもこの路線が掲載されていた。 現在も、中鉄北部バスによって運行が続けられている。
動態保存車両の展示運転用に
新たに敷設された駅構内の線路
※ ウィキペディア画像を拝借
駅舎より片上方の線路は全て撤去されていたが、一部配線を変更して復元されて『柵原ふれあい鉱山公園』の一施設となっており、展示運転の駅舎として使用されていたが、2020年2月をもって展示車両は終了している。
当駅は『柵原ふれあい鉱山公園』となって
駅構内には12両の車両が展示・保存されており
動態保存車両による展示運転イベントも行われる
※ ウィキペディア画像を拝借
駅構内には計12両が展示・保存されており、旧国鉄キハ07形気動車であるキハ702などを使用して、映画撮影やドラマの収録が行われたこともある。 2014年11月2日に旧柵原駅側に約130 mの線路が復元され、折り返し地点に『黄福柵原駅』(駅舎は駐車場の休憩施設)が設置された。
駅横に同和鉱業・柵原鉱業所があり
棚原鉱山の積み出し場があった棚原駅
:
この駅から運び出される
硫化鉄鉱石が片上鉄道の生命線だった
※ ウィキペディア画像を拝借
柵原駅(やなはらえき)は、かつて岡山県久米郡柵原町(現・美咲町)吉ヶ原にあった同和鉱業・片上鉄道の駅である。 1991年7月1日の同鉄道の廃線に伴って廃駅となった。 1面3線の有人駅で、赤い三角屋根の駅舎を有する駅であった。
駅横に戦前から高度経済成長期までの
我が国を支えた鉱山施設が建っていた
※ ウィキペディア画像を拝借
柵原駅のすぐ横に同和鉱業・柵原鉱業所があり、鉱石をすぐに貨車に積み込めるように積込施設が配置されていた。 構内には、職員用の跨線橋や貨車の留置線、鉱石の重量を計る計重台などがあり、最後まで蒸気機関車を使用していた時代の遺構である灰捨てピットが残っていた。 最晩年は貨物輸送廃止に伴って完全無人化され、1面2線の構造に縮小されていた。
鉱石輸送のトラック転換により
側線が撤去されるなど
駅の規模が縮小された棚原駅
※ ウィキペディア画像を拝借
片上鉄道の敷設目的は、この付近にあった棚原鉱山から産出される硫化鉄の輸送を、瀬戸内海に面した片上港(片上駅)まで行う事であった。 だが、道路整備や高度経済成長期以降の円高による鉱山不況などによって棚原鉱山の産出量が減り続け、1987年11月より硫化鉄輸送はトラック輸送に切り替えられて、主たる収入源を失った事が路線廃止につながったのである。
駅跡はしばらく残っていたが、柵原鉱山の設備に崩落の危険性がある事から、2004年3月に駅舎と付属建物及び積込設備が解体されている。 前述の通り、現在は駅舎及び駅周辺のレールは撤去済みである。
駅跡地に隣接した場所にDOWAエフテックの工場が建てられて、フェライト(セラミック)関連製品の製造を行っている。
動態保存車両の体験乗車の
客で賑わう吉ヶ原駅ホーム
※ ウィキペディア画像を拝借
柵原ふれあい鉱山公園(やなはらふれあいこうざんこうえん)は、岡山県久米郡美咲町吉ケ原にある鉄道・鉱山公園である。 同和鉱業片上鉄道に在籍した車両の動態保存や柵原鉱山の資料を展示している。
事務所所在地は岡山県久米郡美咲町吉ケ原394-2で、柵原鉱山資料館内にある。
棚原鉱山資料館
:
『棚原鉱山ふれあい公園』を
統括する事務所はこの施設内にある
※ ウィキペディア画像を拝借
また、公園内には、鉄筋地上2階地下1階建の『棚原鉱山資料館』がある。 館内では昭和期の鉱山町の住宅や商店の町並みや柵原鉱山の歴史資料が展示されているほか、2階にはJR西日本から譲り受けたタブレット閉塞器と継電盤がある。
公園内で動態保存されている
DD13型ディーゼル機関車
※ ウィキペディア画像を拝借
1991年7月に廃止となった同和鉱業・片上鉄道の旧吉ヶ原駅を再利用した公園で、片上鉄道の保存車の展示のほか、かつて日本最大の硫化鉄鉱山であった柵原鉱山の歴史資料(高瀬舟・トロッコ)などの展示もおこなっている。
毎月第一日曜日に動態保存車両の
運転乗車イベントが開催されていたが
東京五輪の開催によって引き起こされた
感染爆発災禍によって
イベントは全て中止となっている
※ ウィキペディア画像を拝借
毎月第一日曜日に、動態保存車両の運転乗車会や柵原鉱山の坑道を利用した坑道農業の見学会を開催していたが、武漢コロナ蔓延によって2020年2月以降の動態保存車両の運転及び乗車会は行われておらず、翌年には東京五輪の開催が原因で更に感染が爆発的に蔓延してイベント開催が不可能となり、同イベントは終了したとされている。 なお、保存会によると休止中との事である。 坑道農業の見学は、事前予約にて受け付けている。
初代駅長猫のコトラ
旧吉ヶ原駅の駅長は2005年以来ネコが務めており、初代コトラ(2012年5月まで、2017年11月死去)で、現在は2代目ホトフが職に就いている。
当公園で動態保存されているキハ303
※『片山鉄道保存会』より
保存車両
ディーゼル機関車
DD13-551【動態保存】
気動車
キハ303【動態保存】、キハ312【動態保存】、キハ702【動態保存】
『ブルートレイン』と呼ばれていた
客車も保存されている
※『片山鉄道保存会』より
客車
ホハフ2003・2004・3002
ワフ102
:
国鉄からの譲渡車が
魔改造でゲテモノとなっていた
※ ウィキペディア画像を拝借
貨車
無蓋車:トム519、トラ814、トラ840
有蓋車:ワム1807
有蓋緩急車:ワフ102
鉱山を駆けめぐった
鉱山用電気機関車EB403
※『棚原ふれあい鉱山公園』のウェブサイトより
蓄電池機関車も
放置同様に保存されている
※『棚原ふれあい鉱山公園』のウェブサイトより
坑内軌道用車両
蓄電池機関車:No.06-8
アセチレン作業車(無蓋車):無番の車両が1両
グランビー鉱車
相変わらず食料品の値上げが続き
内容量を減らす『ステルス値上げ』を含めると
比較物価は1.5倍上がってるなどと煽って
「こんなのやってられるか!」と
仕事を辞める奴が増えると唱える例の無職のオッサン
怠惰で無職となって金がないという自身の失態を
世の中へ責任転嫁してタラタラと文句を垂れる
でも文句を垂れた所で何の解決もしない訳だ
原則論で考えても値上げで
生活が苦しくなってるのに
ヤケになって自ら収入源を捨てる奴って
そこら辺を徘徊するイヌ・ネコどころか
家のスミを徘徊するゴキブリより頭悪いよ
それは言うまでもなく
それをした帰結が生活のバーストだからだ
そしてそのバーストが当人だけなら
知った事じゃないけど家族も巻き添えだからね
そうのたれ死ぬか悲観して首吊るか
他人の金を盗る犯罪に走るか
このオッサンが目論むように公的資金を
チューチュー吸うダニとなるかである
でもこのオッサンは言う事為す事
全て自爆の方向に向かっているね
「給料が低い!仕事なんかやってられるか!」と
ヤケになって仕事を辞めて無職無収入
1食200円の貧困生活
再就職活動で内定連発と強がるが
親の介護など言い訳をつけて職に就かず貧困継続
アメ株への長期投資によるFIREは
アメの銀行が次々と潰れ
ヘタしたら再びリーマンショックの危機
そうなると株価大暴落
リモートワークで家から出る事なく
人と接触する事なく気楽に仕事
仕事の仕入れ先はエージェント💛
エージェントは営業会社だから
利益のほとんどを持っていって
仕事をもらっても分け前は1件1万か2万だよ
それにITのエンジニアなんて
ほとんどが出向いての仕事だろ?
以前のIT企業に勤めていた時の
水準並みに稼ぐなら
15件から20件の掛け持ちが必要で
そんな事すれば精神異常を来してアボ~ンだね
ガマンして前の所で仕事や対人関係を
社交的に上手くかわす生き方をすれば
最低限の金に困る事もなく
そして老後の生活もある程度計算できる
マトモに働いていたならネットでグチるヒマないし
カップ麺やハンバーガーが1.5倍に上がった所で
ヤイヤイ言わずとも対応できるわな
少なくとも1食5~600円の生活水準なら
食料品問題は全てにおいてクリアなんだし
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