風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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廃線鉄道  第104回  同和鉱業・片上鉄道 その1

廃線鉄道  第104回  同和鉱業・片上鉄道 〔岡山県〕

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吉ヶ原で発車を待つ
元国鉄07系気動車のキハ702
※ ウィキペディア画像を拝借

同和鉱業・片上鉄道(どうわこうぎょう・かたかみてつどう)は、かつて岡山県備前市の片上から久米郡柵原町(現美咲町)の柵原までを結んでいた同和鉱業(現:DOWAホールディングス)の鉄道路線である。 1991年6月30日まで営業を行っていた。

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岩手県の松尾鉱山と並び
我が国屈指の硫化鉄鉱だった棚原鉱山
現在は坑道を利用した坑道農業の
プラントとして細々と利用されている
※ ウィキペディア画像を拝借

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柵原鉱山の硫化鉄鉱
石油精製時の脱硫義務化の副産物として
回収硫黄が容易に手に入るようになり
硫化鉄鉱山の需要がほとんどなくなった為
片上鉄道の廃止と同じ年に閉山となった棚原鉱山
※ ウィキペディア画像を拝借

柵原鉱山(黄鉄鉱を中心とした硫化鉄鉱を主に産出した鉱山で、岩手県の松尾鉱山と共に我が国を代表する硫化鉄鉱の鉱山だった)で産出される硫化鉄鉱を吉井川の川舟(高瀬舟)に代わって片上港まで輸送する目的で建設された鉄道路線で、1923年1月に片上~和気が開業した。

次いで同年8月に和気~備前矢田~井ノ口(貨)が開業する。 また、8年後の1931年2月に井ノ口~柵原が開業し、全線開通となった。 なお、鉱山のある棚原までの開業で、井ノ口(貨)駅は不要となり廃止となっている。

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硫化鉄鉱石の貨物輸送が中心であったが
沿線住民の足としての
旅客輸送も行われていた
※ ウィキペディア画像を拝借

棚原までの開業で、柵原鉱山からの鉱石輸送の他にも沿線住民の足としての旅客営業も行われていた。
尾小屋鉄道や三岐鉄道と共に、陸運統制令(陸上交通事業調整法に続き、鉄道・バス会社の統合や買収・資材や設備の譲渡などの戦時統制による国内陸上運輸事業の管理・統合が、戦時中に国策として強制的に実施された)の枠外として他社への事業統合を免れ、青梅鉄道や群馬鉄山専用線などと違って国鉄買収の対象にもならなかった。

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片上鉄道の主要駅で交換設備のあった
旧備後矢田駅のホーム跡だが
鉱石貨物列車の交換があった為に
単行運転が基本の地方私鉄では
破格にホーム有効長が永かった
※ ウィキペディア画像を拝借

鉱石輸送が主体であった為に交換駅の有効長が長く、しかもPC枕木を使用するなど地方鉄道としては高い規格の線路を有していた。 一方で、その高規格の線路の上を戦前生まれの旧型気動車が闊歩する姿はユニークなモノでもあった。

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路線廃止後も動態保存が為されている
現役車両ではわが国最古の名誉を持つ
片上鉄道・キハ303型気動車
※ ウィキペディア画像を拝借

営業廃止が近づいた鉄道末期の時点でも車両や施設の保守状況がよく、現在も整備・動態保存されているキハ303(旧番号キハ3003←国鉄キハ41071)は、現役最後の国鉄キハ41000形としてその名が知られ、また唯一動態で保存されているキハ41000形であり、動態保存されている気動車としては日本最古との事である。

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流線形の原型を保った
元国鉄キハ07型のキハ702が
トコトコと吉ヶ原駅に入ってくる
※ ウィキペディア画像を拝借

また、キハ702(旧番号キハ07 5)は流線形の原型を保った貴重な国鉄キハ42000形である。原型を保ったキハ42000形は、全国的に見ても現存車両が2両しかなく、一部を改造(前照灯のシールドビーム化・液体変速機化)されてはいるが、原型で動態のものはキハ702のみであり、動態保存されている気動車の中では日本で2番目に古い。 また、自社発注でキハ41000形に似た形態で張上げ屋根・正面2枚窓のキハ312も動態で保存されている。

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地方私鉄の多くがそうだったように
同和鉱業・片上鉄道も
国鉄からの譲渡車両を規格外の
ゲテモノに改造して使っていた
※ ウィキペディア画像を拝借

なお、変わった車両として、ワフ100形という形式なのに貨物室が存在せずに一見『ヨ』型の車掌車に見える有蓋緩急車が存在したが、これはこの車両の前歴が国鉄ワフ22000形であり、1976年に譲渡された後に入換時の利便性の為に両端にデッキを設け、この際に貨物扉を撤去した事によってこのような外見になったものであった。

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朝夕の通学生の多くなる時間帯は
貨物混合の客車列車が運転され
国鉄の旧型客車と同じく青い塗装だった事から
『ブルートレイン』と呼ばれていた
※『片上鉄道保存会』より

和気以北では吉井川に沿って線路が敷かれ、客車列車(主に混合列車)も運転されていた。 
地元利用客や鉄道ファンはその客車の色から『ブルートレイン』と呼んでおり、自社発注のホハフ2000形(昭和25年・ナニワ工機製)と国鉄から購入したホハフ3000形(旧オハ35)が使用されていた。
乗客が多かったのは、和気と周匝であった。 また、1931年7月20日に開業した杖谷は開業時より無人駅であったが、民家の庭先に待合小屋とホームがあるという大変珍しい駅であった。

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地方私鉄の生きる道は
やはり貨物輸送なのである
※ ウィキペディア画像を拝借

高度経済成長期に入り、円高などによる国内産硫化鉄鉱の需要減で柵原鉱山の産出量が減り始め、また周辺の道路が整備・改良された事によって、収入の多くを占めていた棚原鉱山からの鉱石輸送がコストダウンからトラックに切り替えられ、鉄道経営が成り立たなくなってしまった。 

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備後矢田駅の構内
棚原鉱山の硫化鉄輸送がトラックへの
切り替えで主たる収入源を失ってからは
備前矢田駅近くにある肥料工場からの
荷受けで生き残りを図ったが
※ ウィキペディア画像を拝借

会社側は肥料輸送や旅客列車の減便などで生き残りを図ったが、沿線は人口が希薄で過疎も進みつつあった為に乗客は減り続けた。 更に末期には、当時『時代村』などのレジャー事業も行っていた大新東が経営を引き継ぎ、沿線に建設予定だった『備前ヨーロッパ時代村』へのアクセス鉄道として再生させるプランが持ち込まれたが、バブル崩壊で実現する事なく万策尽きる形で、1991年7月1日に全線が廃止となった。

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片上~備前矢田まで路線図
※『時刻表見聞録』より

《路線データ》
廃止区間と路線距離(営業キロ):片上~棚原 33.8km
軌間:1067 mm、電化区間:なし(全線非電化)、複線区間:なし(全区間単線)
駅数:17駅 片上・清水・中山・和気・本和気・益原・天瀬・河本・備前矢田・〔井ノ口(貨)〕・
      苦木・杖谷・備前塩田・備前福田・周匝(すさい)・美作飯岡・吉ヶ原・棚原
  ※ 交換設備のあった駅は和気・天瀬・備前矢田・備前塩田・吉ヶ原・棚原の6駅で、かつては
    周匝にも交換設備があったが撤去されていた
  ※ 和気は乗降ホームは切り欠きホームを含めた島式1面3線だった
閉塞方式:単線自動閉塞式 (ARC=自動進路制御装置)
  ※ 信号や分岐器を自動操作するシステムの一つで、列車運行管理システム(PTC)の一部
    として用いられている

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休日減便ダイヤが組まれた
1988年3月の同和鉱業・片上鉄道の時刻表
※『時刻表見聞録』より

運行形態:1988年3月時点の運行列車
     片上~棚原 下り7本・上り8本(休日は上下とも2本づつ運休)
     片上~和気 下り1本、片上~吉ヶ原 下り1本
     和気~棚原 1往復、和気~吉ヶ原 1往復
  ※ 貨物輸送は、1988年7月1日に廃止されている
所要時間:片上~棚原 1時間5分~1時間38分を要した(概ね1時間20分の所要)
  ※ 全列車が和気駅で6分から最長28分と長時間停車していた
    所要時間が異なるのは、和気駅での停車時間の長さの違いによる所が大きい
  ※ 速度は気動車による運行の方が速度が速く、最速列車は気動車列車による65分の運行で
    混合列車は貨物の積み下ろしなどもあって、速度が遅かった

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硫化鉄鉱山の精錬の煙が上がる
棚原付近をゆく単行気動車
※ ウィキペディア画像を拝借

  同和鉱業・片上鉄道 年表
1919年(大正  8年)  3月24日:片上~三石(片上~和気~吉永~三石)の軽便鉄道(軌間762
                mm)の免許を鉄道大臣に出願
           3月24日:片上軽便鉄道として、片上~三石の軽便鉄道の免許取得
             11月27日:片上鉄道設立
1921年(大正10年)  6月17日片上恵比寿神社にて起工式を執り行う
             12月28日:和気~三石の免許失効
1922年(大正11年)  4月17日:軌間1067mmに変更の上で、和気~井ノ口の免許を申請し取得
1923年(大正12年)  1月  1日: 片上鉄道によって、片上~和気が開業
            8月10日:和気~備前矢田~井ノ口(貨)が開業
                 但し、旅客営業は片上~備前矢田間のみで、柵原鉱山からの鉱石
                 輸送は索道により井ノ口(貨)まで運搬して、同貨物駅で積み込み
1924年(大正13年)  8月31日:本和気・天瀬の2駅開業
1929年(昭和  4年)  2月14日:井ノ口(貨)~柵原の免許取得

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井ノ口(貨)~棚原の延伸全通区間の路線図
※『時刻表見聞録』より

1931年(昭和  6年)  2月  1日:井ノ口(貨)~柵原が開業して全通となる
                全線で旅客営業開始及び、井ノ口(貨)の駅廃止
           7月20日:杖谷駅開業
1950年(昭和25年)  6月20日:藤田興業が片上鉄道を合併し、路線名を『藤田興業片上鉄道海運
                事務所』に改称
1957年(昭和32年)  8月  1日同和鉱業が藤田興業を合併し、路線名を『同和鉱業片上鉄道事業
                所』に改称
1963年(昭和38年)  5月  1日国鉄赤穂線の西片上駅が開業し、徒歩で約3分と当線片上駅の
                最寄り国鉄駅となる

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長大な鉱石運搬があったせいか
遅くまで蒸気機関車が使われていた
※ ウィキペディア画像を拝借

1965年(昭和40年)10月       動力車のディーゼル化に着手
1967年(昭和38年)  3月  1日美作飯岡・備前福田の駅業務を外部委託
           12月       :これまで国鉄が行っていた片上鉄道の和気駅運転業務を自社に
                よる直営化に変更
1968年(昭和43年)  9月10日蒸気機関車全廃
1971年(昭和46年)  2月  1日片上~天瀬の単線自動閉塞式 (ARC) 導入
                清水の駅無人化実施と本和気の駅業務を外部委託
           6月  1日美作飯岡の駅無人化実施
           10月  1日天瀬~備前塩田の単線自動閉塞式 (ARC) 導入
                天瀬・苦木の駅無人化実施
1972年(昭和47年)  9月  1日備前塩田~柵原の単線自動閉塞式 (ARC) 導入で、全線の単線
                自動閉塞式 (ARC) 化を完了させる
                備前塩田の駅業務と、片上駅構内の『西片上浜踏切』の看守業務
                を外部委託
           10月       合理化により、車両整備・保線業務を同和工営に委託
1973年(昭和48年)10月  1日周匝の駅業務を外部委託
1978年(昭和53年)11月   :収益改善策として、国鉄の廃車車両の解体工事を請け負う契約が
                締結されて事業開始(廃車解体事業は片上駅構内で行われ、
                約30両の廃車解体を請け負った)
1983年(昭和58年)  1月19日国鉄コンテナの輸送営業を開始
1984年(昭和59年)  2月  1日郵便輸送を廃止
           4月  1日本和気・河本・備前塩田・備前福田4駅の業務委託を解消し、
                無人化実施
1986年(昭和61年)  3月   日祝日ダイヤ(一部列車の運行休止)を導入
            11月  1日国鉄連絡車扱貨物輸送を廃止
1987年(昭和62年)   8月18日:親会社の同和鉱業によって、鉄道廃止の方針が正式発表される
          11月  1日鉱石輸送をトラック輸送に切替
1988年(昭和63年) 1月   柵原の駅無人化実施
            3月13日JRコンテナの輸送営業を廃止
            6月   岡山県・沿線町村存続対策協議会・同和鉱業の3者によって『片上
                 鉄道の運営に関する覚書』を締結し、3年間の『存続試行期間』を
                 制定する
            7月  1日貨物営業廃止
1991年(平成  3年)   1月18日同和鉱業よって鉄道事業廃止申請書が、運輸大臣に提出される
           3月  8日中国運輸局より代替バス路線準備の遅れを指摘された事により、
                廃止申請が取り下げられ、当初廃止予定の4月1日より3か月の
                廃止延期が発表される
           5月10日運輸大臣に、再度鉄道事業廃止申請書を提出
           6月30日最終運行
           7月  1日:片上~棚原全線 33.8kmを廃止

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片上鉄道廃止後は日生運輸が
備前片鉄バスとして代替輸送を担っていたが
相次ぐ路線短縮の上に2015年には
路線バス事業から撤退してしまった
※ ウィキペディア画像を拝借

  路線廃止後の状況
廃止後の代替交通であるが、日生運輸(後の備前バス)による代替バスに転換された。 但し、和気駅前が狭隘な状況だった為に和気始発便のみ駅前から発車し、それ以外は少し離れたところにある富士見橋バス停に発着する方式が採られた。 その方式は、2010年代に入って和気駅前広場の拡張が行われるまで続いたが、和気駅前の拡張工事が完了した後は路線バス全便が駅前に乗り入れるようになった。

代替輸送を担った備前バスであるが、その前身は1972年7月に同和鉱業・片上鉄道のバス部門が日生運輸に譲渡されたものである。 従って、現在も片上鉄道の代替バスルートのみが、『備前片鉄バス』として運行されている。 片上鉄道廃止後は片鉄片上~和気駅前~矢田~周匝~高下~吉ヶ原~柵原病院前で運行され、月~金の平日は5往復程度、土曜日は2往復の運行だった。

鉄道路線廃止後も過疎の進行によって路線バス利用客が減少し続け、2007年4月1日以降の備前片鉄バスの運行は、日曜・祝日・年末年始は全便運休となっている。 また、2011年9月に沿線の美咲町(旧柵原町)が備前片鉄バスへの補助金を打ち切った事に伴って、同年9月30日をもって周匝~高下~吉ヶ原~柵原病院前間が路線廃止となっている。

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美咲町のコミュニティバス
備前片鉄バスが撤退してからは
自治体によるワンボックス車での
コミュニティバス運行となっている
※『美咲町ホームページ』より

同区間の路線バス廃止後は、美咲町が柵原病院前~吉ヶ原~高下~周匝に備前片鉄バスに接続するコミュニティバス『柵原病院~周匝・連絡バス』の運行を行い、周匝で路線が分断された格好になったが、その連絡バスも2014年3月31日の運行を最後に廃止となった。

現在はの状況であるが、2015年9月30日限りで日生運輸が路線バス・貸切バス事業から撤退した為、和気~周匝は当面の代替措置として赤磐市(赤磐郡の山陽町・赤坂町・熊山町・吉井町の4町が新設合併して市制に移行)と和気町が共同運行する赤磐市広域路線バス(赤磐・和気線)が引き継ぐ事となった。

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日生運輸の事業撤退により
4年の間交通空白区となっていた
片上~和気であるが2019年4月より
備前市と和気町の共同で
コミュニティバスの運行を始めている
※『備前市のホームページ』より

日生運輸の事業撤退の際に片上~和気の代替バスが設定されずに、同区間は4年近く交通空白区間となっていたが、2019年4月1日より備前市営バスと和気町営バスの共同運行路線として復活している。

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天瀬駅舎を保存使用する
『片鉄ロマン街道』の天瀬休憩所
サイクリングロート『片鉄ロマン街道』の
休憩所として旧駅舎が活用されている
※ ウィキペディア画像を拝借

  鉄道遺構と保存車両の動向
廃線跡はサイクリングロード化されて、『片鉄ロマン街道』(岡山県道703号備前柵原自転車道線)となっている。 また、吉ヶ原駅跡周辺には『柵原ふれあい鉱山公園』が設けられた。公園内には片上鉄道を行き交った車両が保存され、月の第一日曜日に走行イベントが行われるなど、動態保存されている車両もある。

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サイクリングロート『片鉄ロマン街道』の
休憩場所として活用されている
旧片上鉄道の苦木駅舎
※ ウィキペディア画像を拝借

  駅舎
天瀬駅と苦木駅の駅跡は、サイクリングロード『片鉄ロマン街道』開通に伴って改修され、休憩所及び鉄道史跡として保存されている。 旧備前矢田駅のように、ホームや駅標が部分的に残されている駅跡もある。 だが、終点だった柵原駅舎は解体されている。

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『柵原ふれあい鉱山公園』での
動態保存車両の乗車駅として
現役使用される旧吉ヶ原駅舎
※ ウィキペディア画像を拝借

運転上の要であった和気駅の駅跡は、ホームの痕跡が僅かに残っているのみである。 片上駅跡地では、駅前のロータリーと起点を示す0キロポストの2つの施設だけが残されている。 吉ヶ原駅舎は、1931年2月の井ノ口~柵原の全通開業時に建築されたもので、廃止後はバスの待合室として利用されていた為、損傷がほとんどないなど駅舎の状態が良好だった。

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動態保存車両のイベント運転時の
終着駅として設けられた
『黄福柵原(こうふくやなはら)』駅
ホーム正面の建物はトイレとの事である
※ ウィキペディア画像を拝借

その良好な駅舎の状況から『柵原ふれあい鉱山公園』の開園に先駆けて改修され、保存車両の展示運転(毎月の第一日曜日に、動態保存車両がイベント運行される)時には、実際に駅舎として使用されている。
以前は片上鉄道の資料館にもなっていたが、展示品の一部が盗難の被害に遭った為、盗難が発生した2015年以降は一般開放されていない。 また、吉ヶ原駅舎は、2006年3月2日に登録有形文化財に登録されている。

2014年11月2日に展示運転路線が約100m延伸され、黄福柵原駅(こうふくやなはらえき)が『開業』した。 これは、展示運転路線の延伸及び『柵原ふれあい鉱山公園』の拡張に伴って、駐車場を新設した際に同時に新設されたトイレを駅舎風にアレンジしたもので、1面2線の駅の形態を採っている。

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線路跡はほぼ全線に渡って
サイクリングロート『片鉄ロマン街道』
として整備されている
※ ウィキペディア画像を拝借

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『片鉄ロマン街道』のサイクルステーション
※ ウィキペディア画像を拝借

  線路跡
片上~吉ヶ原の線路跡は、サイクリングロード(岡山県道703号備前柵原自転車道線・通称『片鉄ロマン街道』)として整備され、2003年11月24日に開通している。 吉井川の河川敷を走行していた区間は、川辺に桜が植樹されて春の季節は桜の名所となっている。

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河川敷に設置された
陸閘門もそのまま残されている
※ ウィキペディア画像を拝借

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陸閘門に残る
片上鉄道の線路跡
※ ウィキペディア画像を拝借

同所に設置された陸閘門もそのまま残されており、サイクリングロードのアスファルト舗装の間からレールが少し露出している。 峠清水トンネルや天神山トンネル1号・2号は改修され残されている。
吉井川に掛かっていた橋梁は全て撤去され国道を迂回するルートとなっている。

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大胆な流線形を魅せる
元国鉄キハ07のキハ702も
動態保存車両となっている
※ ウィキペディア画像を拝借

  保存車両
路線廃止後の1998年11月15日に開園した『柵原ふれあい鉱山公園』には、12両の車両が保存されている。 そのうちの10両(ディーゼル機関車1両・気動車3両・客車3両・貨車3両)は片上鉄道保存会の手により整備・動態保存され、毎月第1日曜日に旧吉ヶ原駅付近の約400mの区間で展示運転イベントが催されている。

2011年5月より、ワム1807(旧番号ワム184740)が動態保存車両として仲間入りしている。この車両の出自は国鉄から購入した国鉄ワム80000形貨車で、以前は片上駅跡地にてワム1805(旧番号ワム184036)、ディーゼル機関車DD13の552号機と共に静態保存されていたものである。

また、『柵原ふれあい鉱山公園』の開園時より静態保存されている貨車3両(トラ840・トム519・ワフ102)の内のトラ840が整備され、2013年9月より動態保存車両として登場している。 これはキハ303の予備部品として、保存されていたものの解体が決まった蒲原鉄道クハ10のTR26台車を譲り受けた際の保管場所捻出の為である。

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貨物列車や貨客混合列車は
DD13型ディーゼル機関車が担当した
※『片上鉄道保存会』より

静態保存車両は『柵原ふれあい鉱山公園』内の貨車2両のほかに、片上駅跡地にDD13の552号機、和気町の『和気交通公園』横にワム1805、国道484号沿いの『菊ヶ峠ドライブイン』にキハ311の計5両が静態保存されている。 また、2006年3月頃までは、佐伯町役場(現・和気町役場佐伯総合支所)にホハフ3001(旧番号オハ35 1058)が保存されていたが、傷みが進行した為に解体されている。

また、備前市久々井生崎の『備前市浄化センター』にはキハ801が保存されていたが、整備されずに放置状態で老朽化が激しかった為、2014年1月頃に解体された。 『菊ヶ峠ドライブイン』のキハ311は荒廃が進んでいたが、近年補修と再塗装が行われるなど保存処置が為されている。

同和鉱業・小坂鉄道(末期は同和鉱業から分離されて『小坂精練・小坂鉄道』となっていた)には、片上鉄道から譲渡されたディーゼル機関車1両 (DD13の556号機) が予備車両として在籍していたが、2009年4月1日付で小坂鉄道が廃止された為に、同機関車の今後の去就が注目されている。

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小坂精練・小坂鉄道
(元は同和鉱業・小坂鉄道だった)
の旅客営業路線で余った気動車が
1981年に片上に譲渡された
※ ウィキペディア画像を拝借

また、小坂鉄道からは余剰となったキハ2100形2両(キハ2108・2102)が1981年に譲渡され、キハ801・802となっている。 キハ801は前述の通り静態保存されていたが解体され、キハ802は1995年に片上駅跡地にて解体された。

  ※ 同和鉱業・片上鉄道の駅紹介は、次回の『同和鉱業・片上鉄道 その2』にて


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それが自身の精神を護る術となるからである
そして親御や取引先からのクレーム処理も
「それに見合う給料をもらってない」
として対応しないね

そしてヤイヤイいう親がいたら全て録音して
「侮辱・名誉棄損及び重大なる脅迫行為」
として警察に訴え出る旨を示し

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「私は勉学を教えるだけが職務で
御子息の躾や教育は親である
貴方の義務で私に義務はありません」と言うね
要はワテは教師やIT技術職のような
奴隷奉仕業には心底向いていないって事ですな

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そしてブラックな職種ではこのように
自分本位の対応をする事が
自身の精神を護りなおかつ自身の暮らしと
その延長線にある自身の命を守る術となるのだ





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