風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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『ネームトレイン』 第39回  大雪

『ネームトレイン』 第39回  大雪

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気動車の昼行急行【大雪】は
遠軽と網走で見かけたのみで終わったよ
その頃は『廃止ローカル線命』で
急行はほぼスルーだったよ
※『国鉄急行列車 東日本編 花畑尚敬 著』より

  急行【大雪】 ・・  現在は、4往復あった特急【オホーツク】の内の2往復が旭川~札幌の運行が打ち切られて、網走~旭川となった2往復に新たに【大雪】の名を与えられているが、【大雪】の愛称自体はかつて石北本線系統の急行列車として長く徴用されていたものである。 列車名は、北海道中央部にそびえる『北海道の屋根』大雪山に由来する。

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大雪山はアイヌ語で
『カムイミンタラ=神遊びの庭』
呼ばれる大自然の創造し神の園だ
※ 白雲岳より望む
ストライプ模様の盟主・旭岳

即ち、急行時代から見れば特急に格上げされはしたが、運行区間が短縮されて道都・札幌への直通でなくなるなど、本当に出世した列車なのか分かり辛いものがある。 その【大雪】の愛称は、1951年4月に函館~網走(小樽駅経由)の夜行急行列車(旭川~網走は普通列車)に【大雪】と命名されたのが始まりである。

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当初は函館~旭川の列車で
大雪山とは縁遠い列車となっていた
急行【大雪】のサボ
※『列車名鑑・急行 大雪』より

1961年10月までは函館~旭川を小樽経由で結ぶ列車という性格が強く、石北本線への直通はたびたび廃止され、直通していた時期も石北本線内は普通列車扱いとなっていた。 1961年10月~1963年6月までは運行区間が更に短縮されて、函館~札幌(小樽経由)の運転となっていた。

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札幌~深川・旭川の急行【大雪】は
3列車を併結する多層建て列車で
急行【紋別】と急行【はぼろ】を
併結しての堂々の12両編成であった

だが、1963年6月からは、札幌~網走の気動車急行に【大雪】の列車名が使用されるようになり、これ以降は【大雪】が石北本線系統の急行列車名として定着する。 1968年10月1日ダイヤ改正では、石北本線経由の急行の列車名を全て【大雪】に統合した為に全6往復体制となり、釧網本線を経て釧路へ直通する列車や夜行客車列車なども含む多彩な陣容となった。

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末期は夜行の1往復のみとなった
急行【大雪】
※『ホビコム』より

しかし、函館からの特急【おおとり】と共に1往復ずつだった札幌~網走の特急【オホーツク】への格上げが為されて、1985年3月14日のダイヤ改正では昼行の1・2号(旭川~遠軽~名寄・名寄本線経由で、旭川~遠軽のみ急行列車で名寄本線内は普通列車)、夜行の3・4号(札幌~網走)の2往復となり、翌年11月には昼行も廃止となって夜行列車のみが残っていたが、1992年3月14日ダイヤ改正で、特急【オホーツク】9・10号として格上げ・編入され、愛称が消滅した。

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特急【オホーツク】
コレ・・『デコ』と呼んで
撮るのを避けてたけど
撮っていて良かったよ

それからしばらくは、石北本線の優等列車は札幌~網走の特急【オホーツク】に統一されていたが、2006年3月18日のダイヤ改正で夜行の【オホーツク】9・10号が臨時列車化されて、2年後の2008年3月15日(最終列車の札幌到着は3月17日の朝だった)の改正によって夜行列車の運行が廃止となった。
なお、石北本線の夜行列車の最後の運行は、下りの臨時81号が3月15日夜・上りの臨時82号が3月16日夜であった。

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常紋で撮った特急【大雪】

その後、2017年3月4日のダイヤ改正で、【オホーツク】4往復の内の2往復を旭川~網走に短縮した際に、再び【大雪】の愛称が使用される事となった。 これは、石北本線での鉄道利用よる札幌への往来が減少傾向だった事と、経営が傾いて久しかったJR北海道による列車の運行の削減という経費削減策からである。

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最盛期には札幌から網走周りの
釧路行きがあった急行【大雪】

また、2020年からの新型コロナウイルス感染拡大で利用客が減っている(というより、今日の状況を招いたのは、間違いなく東京五輪開催とその参加で日本に入国した外国人を媒介にしての感染爆発蔓延である)として、2021年3月13日のダイヤ改正より【大雪】は全便が閑散日に曜日運休する臨時特急列車に変更されている。 JR北海道は利用客が回復してくれば、地元自治体と協議しながら運休を取りやめるか判断するとしているとの事である。

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急行【大雪】のテールマーク
※『列車名鑑・急行 大雪』より

《列車データ》
運行区間と運行距離:札幌~網走 374.5km
          札幌~釧路 543.6km
          旭川~遠軽~名寄(名寄本線経由)262.6km・急行運転は旭川~遠軽 124.5km
          で、名寄本線内は普通列車
  ※ 最盛期には札幌から網走を経て、釧網本線の釧路まで543.6kmのロングラン列車もあった
    この釧路発着の急行【大雪】は札幌~網走でグリーン車が連結されていたが、網走~釧路
    自由席車2両の運行で、実質は釧網本線をゆく急行【しれとこ】と同じ扱いで、ともすれば一般
    気動車の使用で『遜色急行』と言われた急行【しれとこ】のグレードアップ列車となっていた
  ※ また旭川より遠軽まで急行として運行し、遠軽より名寄本線に入って以降名寄本線内の普通列車
    として運行する昼行の急行【大雪】もあった
    これは、かつて旭川より石北本線・名寄本線・宗谷本線を経由して旭川に戻る循環運行の準急
    列車〔旭川〕(1966年の国鉄の列車種別改変により急行【旭川】に格上げ)の後継列車であった
    なお、準急列車〔旭川〕の運行は1962年4月1日~1968年10月1日と短命であった

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最後はヘッドマークも取り付けられたが
全国的な急行列車の淘汰により
名門列車も愛称消滅となった
※『波浪規定の部屋』より

  ※ 最後は夜行列車のみが残ったが、1992年3月のダイヤ改正で特急【オホーツク】に格上げと
    なって愛称消滅となった
  ※ 2017年3月に4往復あった特急【オホーツク】の内の2往復の運行区間を網走~旭川に短縮し
    【大雪】の名を復活させるが、その後の東京五輪が原因となる武漢コロナの蔓延により
    利用客が激減し、曜日限定の臨時列車に落とされている
運行本数:最大6往復

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魔法の切符・北海道ワイド周遊券と

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稚内・網走・釧路と3方向に向かう
夜行列車が『ローカル線命』の
我が青春時代の支えとなった
※『波浪規定の部屋』より

運行期間1949年  9月   :1949年9月より函館~旭川の夜行急行列車である1・2列車の運行区間
               が石北本線の網走まで延長される(但し、旭川~網走は普通列車と
               して運行
     1951年  4月  1日:この1・2列車に急行【大雪】の名が与えられる
     1955年  6月       :函館~網走(小樽経由で北見~網走は普通列車)を運行する夜行
              準急列車が運行開始した事に伴い、急行【大雪】は旭川~網走の
              区間を分離し、函館~旭川の運行となる
     1956年11月       :急行【大雪】の運行区間を再び函館~網走に変更
              但し、旭川~網走の石北本線内は普通列車として運行
     1959年  9月       :旭川~網走で準急〔オホーツク〕が運行開始し、急行【大雪】の
              石北本線乗り入れが廃止されて、再び函館~旭川ま列車となる
     1961年10月       :準急〔オホーツク〕の急行格上げ及び函館~網走の運行開始により
              急行【大雪】は函館~札幌の運行となる
     1963年  6月       :函館~札幌の急行【大雪】が急行【ライラック】に改称となり、
              札幌~網走を運行していた急行【はまなす】を急行【大雪】に名称
              交換が行われる

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最盛期は札幌~網走の昼行4往復
名寄本線に入る元準急〔旭川〕1往復
寝台連結の夜行1往復の
計6往復が運行された急行【大雪】

     1968年10月  1日:ダイヤ改正により、石北本線経由の急行【大雪】・【石北】・
              【あばしり】・【はまなす】・【オホーツク】が【大雪】に統合
              されて、運行本数が最大の6往復となる
              また、急行【オホーツク】は旭川~遠軽~興部の急行列車(興部~
              名寄は普通列車)となる

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急行【大雪】の昼行として
最後まで残ったのは
名寄本線に入る『遜色急行』と
呼ばれた旭川~遠軽の区間急行だった
※『マル鉄鉄道写真館』より

     1972年10月  2日:名寄本線に入っていた急行【オホーツク】が札幌~網走を運行する特急
              に格上げとなり、それまで急行【オホーツク】を名乗っていた旭川~
              遠軽~興部(興部~名寄は普通列車)が急行【大雪】に編される
              なお、この列車は旭川~遠軽のみ急行運転で、遠軽~名寄の名寄本線
              内は普通列車となった
              この時点での急行【大雪】は5往復であった
     1980年10月  1日:旭川発釧路行きと網走発旭川行きの急行【大雪】昼行1往復が廃止
              網走~釧路は急行【しれとこ】に編入
     1981年10月  1日:札幌~釧路(釧網本線経由)の急行【大雪】昼行1往復が、特急
              【オホーツク】に格上げとなり、網走~釧路は急行【しれとこ】
              として分離される

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切り替えられた14系客車の座席車の
リクライニングは自動復帰する
ハーフオートで寝返りを打った途端に
大音響と共に原点に戻っていたよ
※ ウィキペディア画像を拝借

     1982年11月15日:夜行急行【大雪】の使用客車を14系客車に変更
              当初は座席車のみの置き換えで、寝台車はオロハネ10を含む10系客車
              のままであったが、1983年7月20日から寝台車も14系客車となり、
              14系寝台車に置き換えと同時にA寝台廃止
       1985年  3月14日:急行【大雪】昼行1往復特急オホーツク】に格上げとなり、札幌
              網走の昼行列車が全廃となる
               この時点で名寄本線経由の1・2号と、夜行の3・4号の2往復となる
       1986年  9月14日:夜行急行【大雪】の3段寝台が2段化される
            10月  1日:名寄本線経由の急行【大雪】1・2号の名寄本線区間が分離され、
               旭川~遠軽が札幌~網走に拡張された上に特急オホーツク】に
               格上げとなり、急行【大雪】は夜行列車1往復のみとなる

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1992年3月のダイヤ改正で
急行【大雪】は特急格上げという
形で終止符を打った
※『レイルラボ』より

       1992年  3月14日:夜行急行【大雪】特急オホーツク】に格上げし、急行【大雪】
              が廃止となり名称が消滅する
              なお、夜行運行は2006年3月に定期運転が廃止となり臨時列車化
              され、2008年3月には臨時列車の運行も廃止となる
       2017年  3月14日:札幌~網走の特急オホーツク4往復の内、2往復の運転区間を
              旭川~網走に短縮し、愛称を【大雪】に変更

鉄道ホビタス
その後はリバイバルで
何度か運転された急行【大雪】
※『鉄道ホビタス』より

  ※ その後の武漢コロナ発生及び、東京五輪の開催での参加外人を媒介とした感染の爆発的蔓延で、
    特急【大雪】全列車運休処置が取られ、ウイルス蔓延が収まりつつある本年に入って、閑散月
    (4・5・10・11月)の火~木曜を運休する臨時列車として、特急【大雪】の運行が再開された

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網走行き夜行急行【大雪5号】の時刻表

停車駅:札幌・江別・岩見沢・美唄・砂川・滝川・深川・旭川・当麻・上川・白滝・丸瀬布・遠軽・
    生田原・留辺蕊・北見・美幌・女満別・網走
    網走・浜小清水・斜里(現在は知床斜里)・清里町・川湯温泉・弟子屈(現在は摩周)・
    磯分内・標茶・塘路・釧路

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10系旧客車時代の急行【大雪】

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14系客車に置き換えられた頃に
絵入りテールマークが入った
※『客車急行【大雪】』より

使用車両:夜行は10系客車・寝台から1982年11月から1983年7月にかけて14系客車・寝台に
     置き換え

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昼行に使用されたのはキハ56
急行【紋別】【はぼろ】と併結する
3段多層列車で堂々の12両編成だった

     昼行はキハ56で、名寄本線に入る列車はキハ56やキハ22の混合編成で、キハ22
     オンリーの遜色急行と呼ばれる事もあった

夜行急行大雪に乗れた事で
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美幌から相生線の
始発に乗るのに重宝し

siyokothu (4)
渚滑から渚滑線の始発に乗り
雪の滝ノ上渓谷の
絶景を撮るのにも重宝し

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興浜南線の始発列車にも乗れて
日ノ出岬で流氷と列車の絶景を撮り

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一次廃止路線が廃止となった後も
名寄本線・沙留の流氷の丘で
生涯のお宝写真となる
『流氷列車』を撮る事も叶ったよ

乗車経験:急行時代に上下全区間で乗車経験アリ(だが大半は滝川や深川からの乗車であった)

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乗ってきた列車を降りて撮った
札幌駅での急行【大雪】のテール

撮影経験:国鉄時代の札幌駅で到着した上り夜行を1枚撮影


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物価高で給料も上がらず更に出費では
最も無駄な金である税金がドンドン上がる中
最も生活が困難なアラフィフの歳となったワテ
でもワテは仕事は無能であるが
こういった難儀を切り抜ける力はあったりする

そんな状況で生きぬくなら会社勤めの
給料だけでは立ち行かなくなり
新たな収入源を模索せねばならないだろうし
その一つの手法がワテも
実行している資産運用って奴である

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だがアラフィフまで歳食って
資産がほとんどない状況から
(幸いワテは少しばかりの資産があったけど)
資産運用を始めるのは
かなりの困難を伴うのである

そんな困難な中でも比較的安易に始められると
されるのが株式投資による資産運用である
だがワテは安易だからといって
株式投資に老後の資産を委ねる奴は
チト頭が弱すぎると思うのだな

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それは株式投資はそれこそ二十歳の頃から
やってナンボの資産運用手法で
ほとんど資産を持たずに
アラフィフを迎えた奴がやっても
老後の生活の足しにもならないからである

つまりアラフィフになってから
毎月3万の株式投資を手掛けても
10年で360万の+αで下手すると元本
割れで資産を減じるリスクがあるからだ

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要するに毎月3万払って10年後に360万が370万に
増えた所で嬉しいか?って事である
それに経済の状況次第では元本割れどころか
半分以上の資産を失うリスクがありそのリスクの到来も
リーマンショックのように定期的に襲ってくるのだ

それは株式投資を分析するとリスクが高い割には
リターンがほぼゼロに等しい実態があるからで
コレを端的な言葉で表わしたなら
『センターリスクのノーリターン』という事である

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株式投資はニーサ位で止めておいて
別の収入源を模索する方が利口なのである
正直言って毎月3万叩く位なら
清涼飲料の自販機を1台持った方が
よっぽど収入増となるのだし・・

清涼飲料の自販機1台を
マトモな所に設置保有したなら
利ざやとして毎月1〜2万の金が
入ってくるのだから

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それに株価が上がるってのは
経済状況が好転するのが付帯条件で
その動きに真っ向から反する
『働きたくないでござる』が手掛けるなら

公的資金にタカって経済状況を悪化させる
ダニの如き害虫である奴が
株価を落とす為にやっているのと
同じ矛盾を生じるからである

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それに加えて『グレードリセット』
とやらで日本の会社が潰れる事を
望む輩は言わずもがなである

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ここでアメリカ株は日本の状況に関係がないし
長期投資だから影響はないと言うだろうが
アメ株の状況も米国の輸出品の最大購入先である
日本の経済状況が大いに絡むのだ




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