2023-05-09 (Tue)✎
『路線の思い出』 第525回 近鉄大阪線・長谷寺駅 〔奈良県〕
山里の小駅で以前は準急しか止まらない
という割には立派な駅である長谷寺駅
※ ウィキペディア画像を拝借
《路線データ》
近鉄大阪線営業区間と営業キロ 運行本数(’21)
大阪・上本町~伊勢中川 108.9km 伊賀上津駅停車列車
急行 毎時3本(早朝・深夜以外運行)
うち下りの急行2本は名張行き及び青山町
行きで終着駅まで各駅に停車
普通 朝夕のみに榛原行き及び名張行きアリ
昼間時は急行が桜井~榊原温泉口の間を
各駅に停車して対応
※ 特急・快速急行は当駅通過
長谷寺駅の駅名標
:
この駅ナンバリングって
駅名標がブサイクになるので要らんわ
長谷寺駅(はせでらえき)は、奈良県桜井市大字初瀬にある近鉄・大阪線の駅である。 参宮急行電鉄開業前の1909年から当駅開業後(当駅開業は1929年10月)の1938年までの約11年は、桜井駅から長谷寺駅よりやや西側にあった初瀬駅の間に、初瀬軌道→大阪電気軌道長谷線が並行して存在していた。
典型的な複線における停留所な駅だが
名張側に渡り線があって
異常時の折り返しが可能となっている
※ ウィキペディア画像を拝借
相対式2面2線のホームを持つ駅で、ホーム有効長は6両となっている。 傾斜面にある為に、下り線側にある駅舎はホームよりほぼ1階分ほど下にあり、各ホームへは階段で連絡している。改札口は1ヵ所のみである。 周囲より高い所にホームがあるので、盛土高架駅のようにも見える。 その他、下り線の北側に側線と使われていないホーム跡がある。 名張方に上下渡り線があり、異常時に折り返しが可能となっている。
2018年のダイヤ改正より
榛原~桜井も急行の各駅停車区間と
なって急行の地位が更に低下したよ
※『奈良まちあるき紀行』より
2018年3月17日のダイヤ改正より、急行が桜井から榊原温泉までの各駅に停車するようになり、当駅にも停車するようになったが、それまでは準急(河内国分より各駅に停車)の大半が榛原まで運転する事で停車列車を確保していた。
「掲載写真の季節に拘るなんて
心が小さいよ!」と叫んでみる
:
記事の文にもあるじゃないか・・
『秋の紅葉の時期等に急行が
臨時停車していた』と
急行以下の列車が停車するが、大半は急行列車が停車をし、朝と夜間に一部の準急以下の電車が停車する。 なお、定期急行停車駅になる以前も、春のぼたん祭りや秋の紅葉の時期等に急行が臨時停車していた。
日中は急行(桜井~榊原温泉口 各駅停車)が毎時3本停車する。
長谷寺の五重塔
:
以前は名刹・長谷寺があるも
駅とは1.6km離れてほとんど
参拝利用のない駅だったのだけれど
榛原駅管理の駅員配置駅で、PiTaPa・ICOCA対応の自動改札機および自動精算機(回数券カードおよびICカードのチャージに対応)が設置されている。 トイレは改札内にあり、男女別の水洗式トイレがある。 2018年の1日平均乗降人員は1226人との事である。 また、 西国三十三所第八番札所で牡丹の名所・長谷寺へは約1.6kmで、徒歩で25分程である。
伊賀への出向の折に2~3枚撮った
だけなので掲載写真の手持ちが乏しく
カメラの会で撮った
長谷寺の写真が中心となりマス
駅での思い出は、昔に属していたカメラの会の撮影会で長谷寺に撮りに行った時の帰りに、近鉄で帰った事で利用したのみの記憶の薄い思い出しかないが、敢えて駅ネタとして取り上げる事にしたのである。
かつては準急しか止まらなかったという
記事の下げ内容に合わせて白黒で
昇るのに準急のように
時間のかかる階段をおば・・
↑
書いてて息苦しさを感じないか?
それは、この時はまだ河内国分から延々と各駅に停車する準急のみの停車で、更に付け足して言えば、急行はまだ河内国分(河内国分停車は2003年3月のダイヤ改正より)も通過していて、榛原までの停車駅が鶴橋・布施・大和高田・大和八木・桜井・榛原と、今の特急とほとんど変わらない停車駅数だったのである。
ニュータウンとなった五位堂も
かつては簡素な駅舎だけの駅だったのかも
↑
上の掲載写真に以下同文
香芝のニュータウンとして開発された五位堂の停車も、ワテの高校時代は急行は通過していたよ。
ちなみに五位堂が急行停車駅となったのは、1987年9月のダイヤ改正からである。 従って、ワテが長谷寺から近鉄に乗って帰った時は、急行も五位堂には停車していたようである。 また、快速急行の停車は、急行停車から10年以上後の2001年3月月のダイヤ改正からである。
小坊がフルマニュアルで撮った
近鉄の快速急行
:
逆光・黒コゲなどの失敗を経て
色の違い目で確かめて撮った状況を考えて
成長していくのですね
失敗をすぐに消去するデジタルは
人間の成長過程に楔を刺すのである
こういうネタ展開でワテが言いたい事は、昔の近鉄の急行・快速急行は途轍もなく快速だったって事である。 快速急行に至っては、名張までの停車駅が鶴橋・大和高田・大和八木・桜井・榛原・名張と、桜井のみ今の特急より余分に停車するだけだったのである。
当時はラッシュ時の青山町や松阪止が
区間快速急行となり
快速急行は宇治山田・鳥羽行だったよ
:
当時の快速急行は鶴橋を出ると
大和高田までノンストップだった
※『私鉄特急列車 花畑尚敬 著』より
表定速度も上本町~名張が最速で60分と、68.7km/hとなっていたのである。 この表定速度は今の東武のリバティと同等で、西武・小田急の有料特急や京急の快特を遥かに凌ぐ早さだったのである。
この当時て近鉄の快速急行より早い私鉄の列車は、近鉄自社の特急・東武の【けごん】・【きぬ】・京成のスカイライナー・名鉄の本線特急(他の区間の名鉄特急より早かった)・阪急京都線の6300系特急のみであった。
小僧当時のワテが近鉄の
ライバルと目していたのは
同じく快速性を誇る東武鉄道だったよ
:
でも遅くまで非冷房車だったり
快速急行はこの車両で料金を取るなど
かなり強気だった東武鉄道
※『私鉄特急列車 花畑尚敬 著』より
そして、特急以外でタメを張れる速度の列車は、先ほど挙げた東武の日光行き快速のみであった。
ちなみに当時の東武の快速は、浅草~日光135.5kmを最速119分で、68.3kmとコレも滅法早かった。
その後の東武快速は料金不要の快速から
特急料金を取る【リバティ】に代わって
冷房車でリクライニングとなったが
限りなくブサイクとなってまた速度も
快速の最速より遅くなってたりして
※ ウィキペディア画像を拝借
けれども鉄道の地盤沈下が顕著となり始めて、大手私鉄などの都市の鉄道は速達性より細々と停車駅を増やして客を拾う方向性を取り始め、どんどんと速度が低下していったのである。 中でも顕著だったのが東武の日光・鬼怒川線で、快速が特急料金を徴収すべく【リバティ】に格上げとなったが、所要時間は料金が不要だった快速とほぼ同じ位にまで落とされている。
阪急でも特急の停車駅大幅追加と
大幅なスピードダウン
車両がイノブタ容姿のブサイク化と
東武と同じ坂道を転がり落ちている
そして、速度を武器にしていた阪急京都線の特急もJRの新快速の軍門に下り、十三~四条大宮までノンストップだったのが、今や淡路・茨木市・高槻市・長岡天神・桂と昔の急行並みに停車駅が増えて(四条大宮は特急通過となった)、表定速度も47.7kmを43~44分と60kmそこそこまでに落ちている。
まぁ、JRの新快速が大阪~京都で最速26分と爆走するので太刀打ちできない面もあるけど。
京王・東急・京急・京阪に至っては
特急や快特を含めた全運行列車の
平均速度が60km/hを割ってるようだ
:
コレって特急を名乗るべきでは
なかろうと嘆かわしく思うワテ
※ ウィキペディア画像を拝借
そして、大手私鉄の大半の特急が表定速度60km/h以下と、『特急』を名乗るに値いしなくなっているのがほとんどとなっている。 東急・京王・京急・京阪などの元から速度が遅かった路線などでは、特急の表定速度60km/h以下は当たり前で急行の表定速度が50kmhすら割り込んで、下手すれば45km/h以下とJRの緩行(普通電車)より遅くなっているのもザラにある。
この狸塗装となってから
近鉄の急行は没落していったなぁ
:
(かなりシートピッチは狭かったけど)
4扉クロスシートだったこの形式も
便所の前以外はロンシー(ロングシート)
となっちまったし・・ね
快速を誇った近鉄の快速急行と急行も、停車駅の増加と速度ダウンとなって、急行の停車駅に河内国分の追加と桜井~榊原温泉口の各駅停車となって、快速急行で辛うじて表定速度60km/h、急行は上本町~青山町で83~85分と表定速度50km/hそこそこに落ちてしまっているよ。 また、最大の改悪として、ほとんどの快速急行・急行がロンシー(ロングシート)となった事だろうね。
JRが特急のみとなって特急の威厳を落とし
私鉄特急も客の分散化で細かく停車
するなど鈍足化してきているよね
これは仕方のない事なんだろうけど
更に「早く行くなら特急に乗って」と言わんばかりに特急の待避待ちや接続待ちが加えられている。
そしてその特急も速度は落ちてはいないが、停車駅に大和高田・榛原が加えられて昔の快速急行並みの小刻み停車となったよ。
この頃は急行でも宇治山田まで
2時間10分の所要で平均速度的には63.6km/hと
今の私鉄特急より断然速かった
:
ちなみに今の私鉄特急は
軒並み平均速度60km/hを割っている
ワテが近鉄に憧れたのは、一般列車でも他社の特急より早い快速性と駅を通過しまくるノンストップ性である。 途中から各駅停車となったり、表定速度60km/hを切ったり、クロスシートからロンシーになるなど、ワテが憧れた近鉄ではなくなっているのである。
威厳を魅せる長谷寺の
本堂の中朱雀門
:
鉄道が陸の王者を追われた主な理由は
道路の整備や貨物のトラック移行だが
威厳を無くしていったというのも
理由の一つかもしれないと思うワテ
鉄道が陸の王者ではなくなって久しい現在、JRは不必要なシンカンセンの延伸によって更なる値上げと利便性を損ない、シンカンセン延伸の建設費の赤字のツケを在来線に転嫁して淘汰していこうとしている。 淘汰しないまでも著しい減便が仕向けられ、鉄道は更に利用し辛くなってきている。
ちょっと調べてみると
東武の伊勢崎~浅草の特急は1往復のみで
一般列車で行くと館林・久喜・曳舟と
同一路線なのに3回の乗り換えを要するよ
接続はそんなに悪くないけどね
:
この文の内容に合う?
長谷寺の石仏像を載せてみたりする
都会の大手私鉄も、運行区間の分断化が為されて直通運行がなくなってきていて、県を跨ぐ移動などは何度もの乗り換えを要して、かつての倍以上の所要時間がかかるようになった。 要するに、旅は元より所用での移動でも鉄道は使い辛くなってきているのだ。
乗り換えって利用する気や
乗って出かけようって気が
無くなっちゃうのだよね
:
乗り換えの多さを
長谷寺の多重の塔で表現しますた
なお、長谷寺駅の写真の持ち合わせはないので、掲載写真の多くに名刹・長谷寺で撮った白黒写真などが入るのは悪しからず。
例の仕事を辞めて無職になったオッサンが
東京五輪の開催による武漢コロナ
感染爆発の為に自重が続いていたGW休みに
多くの人が久々に出かけて行楽を楽しむ様子に
皆収入も資産も1割減ったのにあんなに
金を使っちゃって後で泣きを見るが良い!
とまた憎まれ口を叩いているよ
でも休みの日にも家に籠って何をするでもなく
パソコンをイジイジしているだけでは
エアコンをガンガンつけねばならないので
光熱費が無駄になるしそれさえ節約したなら
身体に変調を来して後に病院代が跳ね上がるだろうよ
それは自身の身体だけではない
家族も同様に体調に変調を来していき
下手すれば何か月もの病院通いで数十万を
突っ込まねばならなくなるかもね
それに気持ちがクサクサして世の中への
恨みや妬みしか頭に浮かばなくなり
何をやっても上手くいかないようになり
更に世の中を恨む悪循環となる
そしてPCの前にへばりつき世の中との
つながりを遮断していたら
足腰の退化で立ち歩く事が不能となり
頭も刺激不足からアルツハイマーになる
公算が異常に高くなるんだってね
人間は太陽の光を浴びないと心も身体も
腐っていくしその典型例がこのオッサンだよ
パソコンを前にして妬み辛みを繰り返すこの
オッサンはその初期症状になっているかもよ
そしてオッサン・・オマエはいいけど
GWにどこへもいけないし受験の費用も
親父の無職でお先真っ暗の姿を見て
オッサンの思想『働いたら負け…』に
息子が同調・理解してくれるかな?
株も円や株価の1円の上下で毎日一喜一憂し
その結果は損する時は大きく損をするが
儲かる時の月数千円に大ハシャギする
それが『働いたら負け…』の中身なら
おぞましく惨め極まる限りだね
そして自らが否定している営業会社である
フリーランスエージェントに仕事をもらおうと
しているけど奴ら営業会社だから
発注額の8~9割を持っていくよ
即ち手元に入るのは1件につき2万円程だ
もちろん「額が低い」と断れば
もう次の依頼はないね
株式投資で月に数千円入って大ハシャギして
いるからそれでもいいのかもしれないけれど
まともに暮らす位に稼ぐには月に15件以上を
請け負って掛け持ちしなきゃなんないし
そんな事すれば精神異常を来してアボ~ンだわな
まぁワテは税金にタカるような寄生虫のオッサンが
アボ~ンになっても一向に構わないが
会社に勤め続けていれば歩合はなくとも
固定給や残業代などが手に入り生活も安定するが
組合にも加入できないモグリのフリーランスは
江戸時代の穢多非人同様の扱いを受けるよ
モグリは報酬における典型的な脱法行為先なのだから
『働いたら負け…』それは絶大な資産を持つ
親の子供でしかも2号さんの子供や
庄屋・豪農の小せがれでないと成り立たないし
資産のないオッサンが言っても
待っているのは『首に縄』か『哀れな乞食』か
『働かない弱者』となって
公的資金を吸う『ダニ・寄生虫』なのだ
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